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死ノ国  作者: 月島 真昼
二章
32/110

ラ・シン=ジギ=ナハル 7

 


 灯の国——シンはテン・ルイだけを連れて、灯の国に来ていた。

 灯の国の兵士に先導されて、謁見の間に入る。

「よりによって貴様がここに乗り込んでくるとはな」

 ロクトウが眉間に皺を寄せてシンを睨みつけた。

 シンは居並ぶロクトウの臣下達をぐるりと見渡す。その傍らではテン・ルイが大きな荷物を担いでいる。シンが指示を出し、テン・ルイが荷を肩の上から降ろす。

 シンがまず跪いて儀礼的な口上を述べた。

 さんざ灯の国に嫌がらせをしてきたシンの、その慇懃無礼ともいえる態度にロクトウはさらに苛立ちを募らせた。

「前置きはいい。用件を言え」。

「済まない。こういうときのやり方をよく知らんのだ」

 苦い声でシンが言い、傍らのテン・ルイを見て肩の位置まで片手をあげた。

 テン・ルイが武器とも呼べないような小さな刃物で、持ち込んだ荷物を少し切った。

 そこから米が零れ落ちた。

「貢物だ。俺はこれからゼタを攻める。差し当たって、貴国に友好を求める」

 シンは自身が王位に立った時から莫大な量の兵糧を生産し、蓄積してきた。草の国は肥沃な大地と耕作のノウハウを持っている。さらに壊獣を労働力として用い、山を開き草原を田畑へと変えた。その生産力は大陸でも随一だ。

 対して灯の国の土地は凍土だ。痩せている。どれだけ労力を注ぎ込もうが生産力に限界があった。飢えるほどではないが十分な蓄えはない。灯の国は兵糧を喉から手が出るほど欲している。

 少し考えてからロクトウが重い口を開いた。

「見返りに求めるものはなんだ?」

「停戦だけだ。少なくとも俺がゼタを殺すまでは開戦を待ってくれ」

「随分と虫のいい話だな」

 元々開戦を迫り灯の国に嫌がらせをしてきたのはシンのほうだ。

「だから身を切っている」

 シンは懐から巻物を取り出し、ロクトウに示した。ロクトウに命じられ、副官の若い男がシンの元へそれを受け取りにやってくる。テン・ルイは一見してその男が懐に短剣を呑んでいることを発見した。不自然ではない程度に服の右側に膨らみがある。わずかに重みで片寄っている。シンもそのことに気づいたようだが、なにも言わなかった。副官の男がシンの手から巻物を受け取り、ロクトウの元へと運ぶ。ロクトウが巻物を開き、その内容に目を通す

 中には具体的な引き渡す兵糧の量と同盟の条件が書き連ねられていて、草の国の王印が押されている。兵糧の量は灯の国が二年は食いつなげるだけの、莫大なものだった。

 ロクトウは黙考し、この申し出は受けないほうがいい、と考えた。

 もしもこの同盟が成れば。シンは北の灯の国の軍勢に対する憂いを失くし、ゼタへの攻撃に総力を注ぐことができれば、ゼタを打ち破る可能性は十分にありえるだろう。ゼタを打ち破ればシンは空位になっている皇帝の座につく。

 シンが皇帝となればロクトウはシンを攻撃する口実を完全に失う。攻撃すれば帝位に背く反逆者と成り得る。

 一方でロクトウは、帝位についたシンははたして自分を攻撃するのだろうか? という疑問を抱く。皇帝ラ・シン=ジギ=ナハルの臣下の一人として、ロクトウは現状のまま灯の国を治めることができるのではないか? 敵対的であることを除けば、なるほどシン王はなかなかの人物だ。いくつかの周辺の国を平らげ、まがりなりにもその政治を安定させている。若く力ある皇帝の元で大陸が平定されるのであれば、それはそれでよいのではないか。

(……攻撃、するのであろうなぁ?)

 ロクトウはすぐにその考えを否定した。友好的な立場がとれるのであれば、そもそもシンはガ・レン=アズ=ナハルの帝位を簒奪に野心を燃やす必要もなかった。あれは飾りの王としては実に理想的だった。内外に波風を立てず、ただじわりじわりと弱っていく。

 だがこの才気あふれる若い傑物には、レンの存在が我慢ならなかった。だから草の国の王としての領分を越え、周囲の国々を併呑していった。

 彼の目にはロクトウもレン皇帝と同じように映っているだろう。

 旧時代の遺物。

 やはりこの申し出は到底受け入れられない、と、ロクトウは結論を出した。

「……」

 次にレ・ゼタ=クグ=バウルのことを考える。

 レンを殺し、王の国に君臨している。その暴虐は留まることを知らない。大陸の東側に野心を出す日もそう遠くはないだろう。相対すれば厄介な難敵となることは間違いない。

 ロクトウにとって最良の展開はシンとゼタが共倒れになり、漁夫の利を得ることだ。

「……ゼタを殺すまで、と言ったな?」

「ああ」

「額面通りの意味か?」

「ああ。ゼタが死んだまさにその瞬間に我々の同盟は解消すると思ってくれて構わない」

「舐められたものだな」

 ロクトウは低い声で言った。

 馬の国の軍隊は大した消耗もなく、王の国の軍を退けている。これと相対すればシンと壊獣がどれほど強力であったとしても大きく消耗するだろう。にも関わらず、シンはゼタを殺した瞬間に同盟を解消すると言っている。まさにその瞬間に、ロクトウに攻めてこいと言っている。

 軍勢だけを粉砕してゼタを生かしたままにすることはありえない。それでは新たな皇帝を名乗ることができないからだ。レンを殺したゼタを打ち取らなければ天下の万民はシンを新しい皇帝として認めない。必ずその首級を掲げ、ゼタの死を天下に喧伝する。

 ロクトウにとってはまたとない好機だ。

 極めて危険な賭けであることなど承知の上だろう。灯の国の軍は長年力を蓄えてきた。それが守りを固めればシンと壊獣の群れとて容易には攻略できない。だからこそ誘いの隙を作っている。わざわざ攻めやすい隙を作りだして、硬い守りを自ら崩させようとしている。

 ロクトウは長引けば自分が不利であることがわかっていた。食料の生産力はそのまま抱え込むことのできる兵数に直結する。シンがゼタを倒せば王の国の領土を手にすることになる。ゼタの暴威に晒された王の国の住民たちは皇帝と同じ貴い血を持つシンを歓迎するだろう。そうなれば草の国の力はさらに跳ね上がる。

 シンがゼタを倒した直後、新たな皇帝を名乗る前に軍を動かす。

 それがほかならぬシン自身によって提示された計画であることは気に食わないが、魅力的であるとは思える。

「貴様がゼタを殺し損ねたらどうする」

「必ず殺すが、そうだな、今日から数えて一年。それで盟の解消とする」

 ロクトウの目が傍らのク・エンを見て、頷いた。老齢の文官が半歩前に進み出る。

「貢物が足りませんな。金銀・財宝の類を馬車十台」

「断る」

 冷たい声でシンが言う。

「草の国の北部領土の割譲。あそこは元々衣の国に貸し与えていただけの我らの地。返還していただきたい」

「ゼタよりも先にお前たちを滅ぼしてもいいんだぞ」

「兵糧の追加を」

「俺は少なくとも今度の交渉に際しては最大の誠意をもって臨んだ。お前は主の意を越えて俺の誠意を踏みにじるのか?」

 ク・エンが言葉に詰まる。

 ロクトウはくくくと低く笑って「よい。最初からこいつにはこちらが受けるか否か以外の交渉をする気はないようだ」と言い添えた。苦い顔つきでエンが退く。

「紙と筆、それから印を持て」

 ロクトウが言い、エンが下がる。ロクトウはシンの書いた内容を、自分の筆で紙に書き写した。灯の国の王印を押し、シンの持った巻物にも同じ印を押す。副官がロクトウの書いた方をシンの元へ届け、シンの若草色の瞳がその内容を追う。

 一瞬のことだった。副官の男が懐から小さな刃物を抜いた。「シン王、覚悟!」それに対して、シンはわずかに身を引いた。刃を避けたのではなく、ただ傍らのテン・ルイが動きやすいように場所を開けたのだ。

 テン・ルイは帯剣を許されていなかった。彼の手の中には刃物とも呼べないような短刀が一振りあるだけ。だからロクトウと対等の身分であるがゆえに帯剣を許されているシンの腰の剣に手を伸ばした。敵よりも二手は遅れて動いたにも関わらず、テン・ルイの刃は相手よりも先に届いた。抜刀と同時に副官の男の腕ごと、その上半身を切り飛ばす。副官の男はいままさに復讐を成し遂げようとしている憤怒の顔つきのままでべちゃりと床に張り付き、そのまま死んだ。

「お怪我は」

 テン・ルイが暗い声で訊ねる。刃から血を拭う。

「ない。手間をかけた」

 シンが答え、返り血に塗れた自分の服を見る。シンの服の下でなにかがぞわりと動いた。首元を糸状の黒いものが這う。「いい、リクコン。俺は無事だ。殺気立つな」胸元に手を置いてシンが言うと、それはするすると服の下へと戻っていった。

 シンは手元の書状に視線を落とす。幾分血はついているが、読めないほどではなかった。口元を吊り上げ、挑戦的な視線でロクトウを見上げる。

「おい、お前のところのごみを一人切り捨てたが、まさかこれで同盟を反故にするわけではないだろうな?」

「……ああ、こちらの手落ちだ」

 ロクトウが渋い声で言う。傍らのク・エンをねめつけるように見る。ロクトウは面子や伝統を重んじる旧家の出身だ。直々に訪れた他国の王を暗殺などすれば、大きく名を落とすと考えているらしい。暗殺を命じた方は汚名を着てなおそれでもシンを殺すべしと考えたのだろう。

(俺がロクトウでもこの場で俺を殺したほうがいいと考えるだろうな)

 無論、リクコンを含めて殺されないための備えを多少は用意してあるが。

「詫びとも言えぬが、こちらからも一万ほど兵を出そう。猿檻関前の平野で合流させる。日時については追って使者を出す。そう遅くはならんだろう」

 ロクトウとしても皇帝を殺害したゼタに対してなんらかの行動を起こさなければ、自身の名前に傷がつく。ロクトウにせよシンにせよ、あくまで皇帝の臣下の一人なのだ。

 シンは頷いた。

「帰るぞ、テン・ルイ。……おい、貴様も殺気を収めろ」

「はい」

 鬼神の形相でロクトウを睨み続けていたテン・ルイが、促されてようやく剣をシンの手へと返した。



 城から出たシンは「来い、ソウヨク」とその壊獣の名を呼んだ。ゆらりと大きな影が頭上から降ってくる。シンの前に降り立ったのは羽毛のない巨大な怪鳥だった。両翼を広げれば8メルトルはあるだろうか。灰褐色の皮膚に点のような小さな目。爪も大きなものではなく、少なくとも獲物を攻撃するためのものではないだろう。背中は広く、シンとテン・ルイが乗ってもなお余りある。タンガンが戦闘に特化した壊獣であるのと同様に、このソウヨクは飛行することだけに特化した壊獣だった。

 ロクトウに対してははじめて見せる。ソウヨクは単独での戦闘能力こそ皆無に近いが偵察にはおいてはこの上ないほどに優秀な壊獣である。手の内を明かすことの損失は大きかった。テン・ルイはシンの焦りを感じ取る。テン・ルイが口を開きかけたのを、シンが手をあげて制した。

「言うな。自覚はある。だが最後には俺が勝つ」

 テン・ルイは頷いた。

 シンがソウヨクをはばたかせる。8メルトルはある巨体が風を掴み、空を舞う。

 上空から灯の国を見下ろす。美しい国だな、と思う。冬に積もった雪はまだ少し溶け残り、しかし緑が姿を見せている。早咲きの桜がわずかながら色づく。草の国にはない雪の白の上に人々の営みが彩を与えている。

 一瞬、シンはそれらをすべて赤色に塗り潰したい衝動に駆られた。すべての建物に火をつけ、破壊し、生けとし生けるものを燻りだす。逃げ惑う人々の首を順に斬り落としていく。女、子供の区別なく。ただ殺戮するために殺戮し蹂躙するために蹂躙する。

 シンは一頻り想像を愉しんだあと、その暗い欲望を諫めた。そんなことをしてもなんの得にもならない。無用の恨みを買うだけだ。それはその後の治世をやりづらくする。効率的ではない。なんの意味もない。

「美しい国だな」

 と、声に出す。

 攻め落としたあとの土地や人々の活用を考えることで思考を紛らせる。

 ソウヨクに乗ってシンは灯の国から離れていく。



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