ギ・リョク 6
「——てなことがあったんだよ」
ギ・リョクが王の国の状況を詳細に説明して、言葉を切った。
「……」
「……」
「……」
ライとユーリーンとハリグモは怪訝な目でギ・リョクを見る。ハクタクは患者のほうに戻って「ふぁーっくふぁーっくふぁーっく」と不機嫌そうに繰り返している。ギ・リョクが黙り込む三人を見まわす。
「あん? なんだよ。なんか言えよ?」
「ギ・リョクが詳しすぎて気持ち悪い」
ライが言い、二人が頷く。
「えっと、王の国の話はまだいいとしても、草の国にアゼルが来たことなんて、なんで知ってるの……?」
「そりゃあ、協力者がいるからな。ああ、ちなみにこれ、情勢のために必要だから話したが普段なら金取る情報だぞ」
おそらくギ・リョク自身が少なくない金額を払って情報を得ているのだろう。
「そういえば、ガ・レンといえばお前の兄貴なんだろ? なんか思うところはあるのか」
ライは少し考えてから「特にないよ。だって会ったこともないし」と言った。ライ自身は皇帝の椅子になど興味がなかったし、軍勢を必要としているのもあくまでシンを打倒するためだ。もしもシンを殺すために必要なものであるならば皇帝の座を奪ったかもしれないが。ライは“他に対して”はできるだけ平和に。シンとその軍勢だけを抹殺したいと考えている。
「これからどうする?」
ユーリーンが訊ねた。
「ううん、どうしようか。蒼旗賊と友達になるっていうのも結局成功しなかったしなぁ」
ちらりとハリグモを見る。自分が軍勢を成すことができなければ、ハリグモはライの傍を離れて別の手段を探すだろう。
……もしもそうなれば、きっとハリグモはどこかで野垂れ死ぬのではないかとライは思っている。シンの政敵によって拘束されて、シンに差し出されてしまう。ラ・シン=ジギ=ナハルの名は近隣の諸国にはそれほどまでに大きい。シンの命を狙ったハリグモは、彼らがシンに媚びを売るための格好の材料になる。おそらくハリグモ自身もそれがわかっている節があるから、ライと共に行動しているのだろう。
「あん? この状況、お前は失敗したと思ってるのか」
ギ・リョクが言った。
「どういうこと?」
「あたしらはいま“神”と“教主”の身柄を押さえてるんだぜ? 敗残の蒼旗賊の兵隊が落ち延びてくるのは、ここしかないだろうよ。本隊がぼろぼろにされて拠り所のなくなったそれ以外の信者もぞろぞろ集まってくるだろうさ」
「んーっと、ハクタクとサ・カクがここにいることをどうやってあっちこっちに知らせるの?」
「あたしを通じて。だな?」
ギ・リョクが肉食獣の笑みを作った。
「あたしは各国に通じるネットワークを持ってる。金貸しのギ・リョク。いろいろと顔が効く。裏でも表でも通った名前だ。それとなくあちこちにハクタクとサ・カクの話を流すのはできないことじゃない。ただし、頼まれたら、な」
ライには「ネットワーク」というのがよくわからなかったけれど、文脈からして人と人との繋がり。情報網のようなものだと解釈した。
「さあて。価格交渉といこうか。幾らまでなら出せるんだい?」
ライはまっすぐにギ・リョクを見た。その瞳の奥にあるものを知ろうとした。思えば自分はこわいとか言って、この人のことを正視してこなかったんだ、とようやく思い至る。
飽きている、とライは思った。この人はこの人であることに飽きている。
「そうして集まってきた人たちに向けて商売をやって、ギ・リョクはまた儲けるんだよね?」
「わかってるじゃねえか」
「じゃあさ、放っておいてもギ・リョクはハクタクとサ・カクのことを広めるんじゃないの?」
ライは言った。
「だから僕があなたにあげるものはなにもないよ。好きにして」
ギ・リョクは顔を隠して、くくくと低く笑った。
「あたしを怒らせたっていいことないぜ? それにこんなちんけな市場じゃなくたって、あたしには他の儲け口が幾らだってあるんだ。ここしかないてめえらと違ってな」
脅迫を口にする。ユーリーンは息を呑んで二人を見ていたが、ライはまるで決まりごとのようだ、と思った。別にそうしたいわけじゃあないけれど、これが自分の義務だから。ギ・リョクがそういう風に思いながらその言葉を口にしたのがなんとなくわかった。
「大丈夫。ここがダメなら僕も次の場所を探すだけだよ。それに」
笑みを浮かべる。
ライが婦人方を相手にするときによく使う、子供の笑みが自然に浮かんできた。
「あなたはきっと僕に協力してくれるし、僕はあなたが欲しいものを提供してあげられるとおもうんだ」
「具体的に、そりゃなんだよ?」
「さあ。僕にはよくわからないけれど、あなた自身は知ってるんじゃないかな?」
それから思い出したように「きっと、暇つぶしだよ」と付け足す。
ギ・リョクは、話にならない、と思う。
「……」
一方で、ギ・リョクは「暇つぶし」を魅力的に感じている自分に気づいた。
ギ・リョクはいつも退屈に倦んでいた。流人の師を持ち、その知識を引き継いだギ・リョクはこの世界よりも遥かに進んだ経済学の知識を持っている。それを活用してギ・リョクは使いきれないほどの資金を稼いだ。稼いでしまった。この世界に彼女に比肩するプレイヤーはいない。資金が資金を呼んで、ギ・リョクの資産はいまや天文学的な数字まで膨らんでいる。
彼女自身でさえもうその使い道を思いつけないほどだ。
最初はおもしろかった。知識を元に新しいことを試行錯誤して金を稼ぐのは、刺激に満ちていた。理屈はあっているはずなのに実際にはうまくいかず、その原因を探すのは楽しかった。その過程で得た人脈はギ・リョクを常に新しいステージに連れて行ってくれた。
それがあるときから、機械的な作業に変わった。テンプレートとマニュアルが出来上がり、それに則って動けば大抵のことはうまくいった。うまくいかないこともほんの少し手を加えればどうにかなった。本当にどうしようもないことへの見切りをつけて切り捨てるのがうまくなった。
そのうち人に任せることが増えて、ギ・リョク自身がなにかをやる必要さえなくなった。
株券が勝手に金を運んでくるようになった。自分が蛭かなにかの吸血生物になったような気分だった。退屈だった。新しいことをはじめてみてもその退屈は癒えなかった。
――暇つぶし。
自分が確かにそれを欲していることに気づく。
ギ・リョクはしばらく考えたあとで「話にならねーな」と言った。
「えぇー……いけると思ったのになぁ」
ライが目の端を下げる。
「じゃあしょうがないや。またツケておいてよ。そのうち返すから。ね?」
ライは小首を傾げて両手をあわせて、年頃の少年らしい無邪気な顔をする。
「ふっ」
ギ・リョクの喉の奥から吐息が漏れた。
(無理な要求をして断らせてから、要求の敷居を下げる。相手は一度断ったことで罪悪感が生まれて、二度目の要求を呑みやすくなる。交渉術の初歩の初歩だが……)
この気持ちはそういうことなのだろう。
ギ・リョクはライの手口に引っかかってやることにした。
「わかってるんだろうな? あたしに貸しを作るとあとが怖いぜ」
「うぐ……、だよねえ」
呻きをあげるライをおもしろいと思う。
もう少し見ている程度なら構わないだろうと考える。
尤も、深入りしてはならないことはよくわかっていたけれど。
不意にライがくるりと振り返って、ユーリーンを見た。
「で、ユーリーン。さっきからなにか気になってることがあるんだよね?」
「……ああ」
ユーリーンはギ・リョクの話の中に登場した、ジ・ガヌを殺した少女のことを考える。
『飛龍』
スゥリーン=アスナイ。
ユーリーンはいまのいままでアスナイの名を継いだのは自分一人だと思っていた。彼女の父、ルウリーンはそのことについてなにも語らなかった。この世界は多夫多妻制であり、両性の合意と娶るのに十分な財力さえあれば、身分の高い男女は複数の妻や夫を囲っている。だからルウリーンが灯の国に残した妻と娘とは別に、王の国で娘を作っていたとしてもなんら不思議ではない。
あるいはスゥリーンは、ユーリーンとはまったく関わりのない人間なのだろうか? 例えばテン・ルイのようなアスナイの訓練から脱落したものが、その技を不完全ながら継承させた。可能性はある。だがどうもそれが真実だとはユーリーンには思えなかった。
自分の目で真実を見たかった。スゥリーン=アスナイとはいったい何者なのか。
ユーリーンは場を見渡す。傷付いた蒼旗賊の人間。ひどく怯えて言葉も話せない教主サ・カク。ギ・リョクが燐寸を擦って煙草を吸おうとしてハクタクに咎められている。ハリグモはことの成り行きをただ見守って、壁に背をつけている。
ここでなにかが起ころうとしている。
その中心にいるのは間違いなくライだ。そしてユーリーンはライを守る盾であり矛だ。自分がここを離れるわけにはいかない。
「んじゃあ、行ってみようか、王の国」
そんな葛藤を見透かすように、ライが言った。
「悪いけどあとのことは、ギ・リョクにお願いするね」
「は?」
「だってぼく、いてもやることないでしょ?」
「ふざけんな。てめえにはやることしかねえ」
ギ・リョクがべしべしとライの頭を叩く。
「それもツケといてよ。ね?」
「てめえそれ魔法の言葉だと勘違いしてるだろ」
「うん」
「死ね」
ギ・リョクは露骨にため息を吐いた。それから諦めたように「いいよ、どこへなりともいってこい。だがあとになって文句言うんじゃねえぞ?」と言った。
「それから、あたしは軍事に関してはからきしだし、軍事に関わる気もない。やることっつったら治安維持と連中の取りまとめ、それから仕事の斡旋くらいだぞ」
「十分すぎるくらいだよ。ありがとう」
「かかった費用はあとで全部請求するからな?」
「あはははは」
ライは力なく笑う。いくらになるのか見当もつかなかった。
「ライ、その、……済まない」
「なにが?」
「わたしのために無理をさせる」
「んん? ああ、僕がユーリーンの妹を見てみたいんだよね。きっと美人だろうから」
「……」
ユーリーンは目を三角にしてライを睨んだ。