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死ノ国  作者: 月島 真昼
一章
3/110

ニ・ライ=クル=ナハル 2


 朝になってユーリーンは住民からの報告を受けて、通りにある団子屋に向かう。めちゃくちゃに破壊された跡地と、全滅している警邏隊の遺体を見て、愕然とする。警邏隊の戦った相手が人間ではないことは一目瞭然だった。大きな爪と牙で引き裂かれて、内臓が食い荒らされている。壊獣使いのジギ族。犯人はすぐに想像がつく。また来るとは思っていた。だがここまですぐに、派手に動くとは思っていなかった。手をこまねいていた昨日の自分を呪う。それからこの騒ぎの中に“召使”の姿がないことに気づく。この場所を監視させていたアスナイ家専属の諜報員。丹念に周囲を探す。瓦礫の下を覗く。警邏隊の他に死体はない。敵の死体もない。襲われたならば抵抗したはずだから、おそらく召使はうまく彼らの目を欺き、これを行ったやつらの跡を追跡しているのだろう。

「おはよう」

 後ろからライが声を掛けた。ユーリーンが振り返る。いつも軽薄な調子の少年が、いつになく険しい顔をしていた。

「ライ」

「ん」

 足場の悪い瓦礫を慎重に踏みしめながら近づき、ライが破壊の跡を見渡す。

「ロクトウは動くかな?」

 ユーリーンは唇に手を当てて考える。ロクトウ=ヤグ=ジジュはこの灯の国の王である。代々続く名家の生まれで、当人の才気にも恵まれ、その資産をさらに拡大してきた。灯の国が寒冷な土地で作物に恵まれず、雨の少ない地であるにも関わらずそれなりの繁栄を見せているのはジジュ家の庇護が大きな役割を果たしている。

 ただし外交に関しては弱気であると言わざるを得なかった。彼は南の一帯を支配するジギの一族を恐れていた。しかしそれは正しい怯えかもしれない。ラ・シンを長に頂いてから、ジギは破竹の勢いで周囲の国家を従属させて領土を拡大してきた。恐ろしい獣使い達。安定を至上とするならばこれと争うべきではないのは明らかだった。とはいえジジュ家と灯の国にはそれを跳ね除けるのに十分な武力は眠っているはずだが。

 官吏がやってくる。周囲の住民から事情を聴いている。その表情は青褪めている。どうするのか。尋ねられて「こ、これがジギの一族の所業であるならば、私の一存で決めるわけには」しどろもどろになりながら答えていた。

「収める方向にはいくのだろうが、弱気なロクトウは討伐ではなく領内排除のために交渉することになるのだろうな」

「下手すりゃのしをつけて返す結果になるようね」

 強盗に金品を渡して故郷まで送り届けるロクトウの姿がすぐに思い浮かぶ。

 それはひどく間抜けな絵面だった。

 初老の男性がユーリーンに近づいてきた。礼をして、その耳元で何事かを囁く。ユーリーンは「そうか」とだけ答える。「どうしたの?」ライが尋ねる。

「やつらの居場所を突き止めた。この街から南の山林地帯だ」

「すぐに行こう」

 ユーリーンの袖を引く。驚いてユーリーンがライを見る。

 ライが泣きそうな顔をしていることに気づく。

「ユミさんが殺されちゃう」

 いつも飄々としているライらしくない、怯えの混じった声が出た。まるで母の不在に戸惑う子供の声だった。そのことに自分で驚き、口元を押さえる。ユーリーンがそっと肩を抱いた。

「アスナイの私兵を、すぐに動かせ」

 召使に指示を出す。召使が頷いて屋敷に戻っていく。ユーリーンはライを抱き上げて官吏が乗ってきた馬に飛び乗った。官吏の男が驚いて彼女を見る。

「済まない、しばらく借りる。私はユーリーン=アスナイ。賠償はのちに請求してくれ」

 ライを前に乗せ、覆い被さる。手綱を握り、鐙に足を掛ける。逆の手で備えてある鞭を取り馬の尻を叩く。後ろで男が何か叫んだが、不明瞭にしか聞こえなかった。南に向けて駆けていく。

 ライの手が震えていた。耐え切れずに気持ちだけが舞い上がっていく。鳥になって空を翔けて南の山林へ向かう。ユミとその家族を見つけ、颯爽と助け出す。

 だけど現実のユーリーンとライは馬の脚で駆けることしかできない。空を飛べない。ライの心はひどく焦れた。街を抜け出して田畑を横目に見る。二人は矢のように進んでいく。蹄が地面を蹴るのと荒い息だけが耳に届く。ユーリーンの操馬術は一般の軍人をはるかに超越していた。体重が軽いとはいえ、人間を二人乗せた馬が長い距離を駆け抜けた。鎧を身に着けていない、軽装備であることも幸いした。ユーリーンが腰に剣を、背中に長弓を背負っているだけでライに至っては丸腰である。二人は山林の中に入る。入口で馬を繋ぎ止めた。馬は足を止めるなり膝を折って蹲る。ひどく疲労していて、視界も道も悪い森の中を走らせることのできる状態ではなかった。「無理をさせた。済まない」額の周りから汗を拭いてやる。

ジギ族のアジトへの道はすぐに見つけ出すことができた。木々がなぎ倒されていたからだ。巨躯を持つ「壊獣」たちの通り道なのだろう。通り道の先には、小さなコテージが乱立している。木陰から様子を窺う。男たちが焚火を囲んでいた。なにかを焼いて食っている。養殖されている豚かなにかを奪ってきたらしい。隅で三頭のタンガンが丸くなっていた。

「何人?」

「十二人、屋内にも何人かいるだろう。おおよそ二十人ほどか」

「早く助け出さないと」

「……」

 ユーリーンは耳がいい。品のない男達の笑い声は聞こえていたが、女の声がないことに気づいていた。あえて口には出さない。

「火を使えば一網打尽にできる」

「駄目だよ。ユミさんが焼けちゃう」

 ユーリーンはライの張りつめた横顔を見る。

「では、仕方ないな。私が正面から出ていって奴らを引き付ける。貴様は裏から回って、人質を」

 助ける、の言葉が出てこなかった。ユーリーンは自分を誤魔化すように曖昧に頷く。ライが林の中を迂回する。五分待って、ユーリーンは長弓に矢を番えた。心を鎮める。狙うは男達よりも、眠っているタンガン。狙うは大きな目玉。タンガンはその名の通り、一つ目の壊獣。生物として必要最低限の機能を残して、能力の全てを筋力などの戦闘力に充てている。目玉を潰して視界を奪えば一撃で無力化できる。

 ユーリーンが指を離した。長弓の弦から放たれた矢がまっすぐに飛んでいき、眠っているタンガンの瞼の上に突き刺さった。

「ぎゃああああ」

 断末摩のような悲鳴を挙げる。男たちの視線がタンガンに釘付けになる。二頭のタンガンが目を覚ます。

(あれの外皮に矢は通らない。目を覚ましたならば矢は防がれる)

 ユーリーンは矢の標的を野盗へと移す。放たれた矢が一人の男の太腿を射抜いた。

「誰だ!?」

 矢の進行方向から男達がユーリーンを見つける。ユーリーンはあえて姿を晒した。もう一射、放つ。隠れながらではなくなったために視界が広くなった。狙いをつけやすい状況下で矢を当てるのは容易だった。大腿から血しぶき。一拍遅れて二頭のタンガンが突進してくる。ユーリーンは背後の林の中に引きながら、手のひらに収まる大きさの石を拾った。猛烈な勢いで疾駆するタンガンが、木々をなぎ倒しながら林の中に入る。ユーリーンは木々の合間に姿を隠し、拾った石を、右方向へと投げた。タンガンの大きな一つ目が、石ころを追いかける。ユーリーンは鋭く左に動いた。タンガンの視界からユーリーンが完全に消える。死角から迫り、木の幹を蹴って跳躍。剣を抜き、その無防備な首筋を斬りつけた。分厚い筋肉と硬い骨が、剣の一撃で両断される。タンガンの首が落ちる。絶命。

 もう一頭が突っ込んでくる。ユーリーンは枝に手をかけて、素早く木に登った。数秒もしないうちに、十メルトルはある木の頂上近くの枝に身を落ち着ける。タンガンが彼女を追いかけてその木に登ろうとする。両手を使って枝を掴み、ユーリーンのいる上を見上げる。急所の瞳がまるで無防備に晒されていた。ユーリーンは弓に矢を番え、真下に向けて構えた。無防備な瞳を、撃ち抜く。絶叫しながらタンガンが木から落ちる。こちらは絶命していないにしろ、視界を奪われては戦えない。三頭のタンガン、兵士百人にも及ぶ戦力が、瞬く間に無力化された。

「あの女、タンガンへの対処を知ってやがる」

 顔に刺青のある若い男が溢す。タンガンの知能は低い。その分、肉体のほうを強力に作ってある。壊獣の生みの親であるラ・シンにはそういう調整が可能らしい。少なくとも瞳以外への弓矢ではびくともしない。剣による攻撃も分厚い筋肉と硬い毛が刃を阻む。相当な凄腕と名剣でなければ切り裂くことはできない。反面、知能の低さを突けば壊獣の中では対処の易いほうだ。先ほどユーリーンがやったように、気を逸らす、両腕を別のことに使わせる、などといった対策が有効となる。

 とはいえ初見でそれを看破するのは容易ではない。あの女はおそらくこれまでにタンガンと戦ったことがあるのだ。男たちが弓矢を構える。ユーリーンのいる方向へがむしゃらに射かける。ユーリーンは幹の影に隠れて矢をやり過ごす。木に登っているユーリーンと男たちの間には高低差があるので、矢を当てるのは容易ではない。

「投降しろ! 人質を殺すぞ」

 男が叫んだ。

「生憎だな! 私の目的はあくまでお前たちの排除だ! 町民を助けることではない!」

 ユーリーンが叫び返す。半分、嘘だった。ユーリーンはニ・ライ=クル=ナハル王子の配下だ。そしてユーリーンの目的は、街を脅かす彼らの排除だったが、ライの目的はユミの救出だ。コテージから一頭のタンガンが顔を出すのが見えた。

(四頭目……!?)

 そして丁度、別のコテージの中からライが出てきてしまった。虚ろな表情をしているのが遠目にもわかった。その手の中に、年若い女性の、裸の遺体を抱えていた。ユミだった。暴行の痕がありありと残っている。顔は赤黒く腫れ上がっていて、乳房は面白半分といった具合に切り裂かれていた。女性器の周りには白い精液が乾いてこびりついている。男たちがライに気づいて、弓矢を向けた。タンガンがライに襲い掛かった。

(まずい)

 ユーリーンは木から飛び降りた。

「僕はね、君たちが彼女をちゃんと返して、反省するならそれでいい、許してあげようと思ってたんだ」

 矢が放たれた。タンガンが突進した。通常の人間ならば避けようのない死がライに向けて襲い来る。

ライの前に、地面から黒い壁が立ち上がり、矢を尽く絡めとった。タンガンの足元の地面が崩れて、黒く染まる。自重の大きなタンガンはぬかるみにはまって一歩も前に進めなくなった。その黒の正体は泥だった。

「泥の魔法」

 それが末の王子、ニ・ライに芽生えた力だ。足元の地面を泥へと変え、それを自在に操る。奇しくもそれは、覇王と同じ能力だった。

「でもこれはいけないね。君たちは僕の持ち物を奪った。君たちは思い知らないといけない」

 濁った眼差しが男達を捉える。泥にはまってもがくタンガンを一瞥する。泥が形を変えた。鋭利な鎌の形。高速で流動したその鎌が、タンガンの太い首を撥ね飛ばした。切断面は削り取ったように荒い。暗い色の血が泥の中に混じっていく。

「簒奪者は僕だよ。君たちじゃない」

 泥で生まれた剣が、槍が、矛が、長く伸びた。

 ライは怒っていた。手の中で死んでいる年若い女を見る。生前の面影はなく、好奇心に満ちていた少女の眩い笑顔は、恐怖の色に染まりきっている。

これはきっとこの世界の中の数多ある悲劇の中ではありふれていた。この大陸では地方の異民族の侵略を食い止めるために、何百、何千の人間が死んでいる。朝廷では王位を巡って、兄弟が争い、それに巻き込まれた私兵や官憲たちが毒殺され、謀殺されている。今日もどこかで干ばつによる飢饉が農民たちを苦しめている。戦のための重税によって薬が買えず、病が容易に子供たちを殺す。

 だけどライにはそれらの数多ある悲劇がどうでもよかった。目の前のこの殺戮だけが許せなかった。ライはきっと王の器ではないのだろう。

「死ね」

 沸騰するような殺意がライを突き動かした。泥で出来た武器が、二十メルトル以上離れている男たちの命を容易く刈り取った。四肢を捥ぎ取り、首を撥ねる。内臓を抉り出す。遺体が泥の中に沈んで、泥の質量が増していく。ライの前ではその死体さえ存在を許されない。

「や、やめてくれ。許してくれっ」

 男たちが泣きながら許しを請うた。怯え、武器を手放し、糞尿を垂れ流す。壊獣タンガンという戦力を剥ぎ取ってしまえば、彼らはひどく脆かった。

(こんな輩に……!)

 ライは奥歯を噛み締める。

「ライ!」

 ユーリーンが叫んだ。咄嗟に泥とまだ息のある男達の間に割り込む。泥の剣や槍が止まる。

「どいて、ユーリーン!」

「彼らは既に戦意を失っている。これ以上はただの虐殺だ!」

「ダメだ。殺す! 全員殺す」

「官吏に引き渡せばそれで充分だ。貴様が手を汚す必要はない」

「このっ、わからずや!」

 ライの手がコテージの木柱を叩いた。拳が裂けて、血が流れる。痛みが少しだけライを冷静にした。長い息を吐く。目を閉じて、額を揉み解す。

「……わかったよ」

 泥が形を失っていく。最後に泥がコテージの布を裂いて、裸のユミの遺体を覆った。次の瞬間、ライは雷に打たれたように硬直した。

「ユーリーン!」

 叫ぶ。ユーリーンの背後で狂乱した男が短刀を振り上げていた。ライの泥は形を失ったばかりで、すぐには動かなかった。ユーリーンは矢筒から一本の矢を抜き取った。男の短刀をかわすと同時に、体を反転させ矢を男の体側に突き立てた。矢は肋骨を抜けて、筋肉の薄い部分を貫いて心臓に達する。無理な使い方をされた矢柄が折れた。返り血を浴びたユーリーンが昏い目をして首を振る。

 それからもう少し遅れて、アスナイの家の私兵たちがやってきた。彼らが生き残りの野盗達を捕えていく。その中に、顔に刺青のある若い男の姿がないことに、ライもユーリーンも気づかなかった。



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