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死ノ国  作者: 月島 真昼
二章
29/110

レ・ゼタ=クグ=バウル 1



 王の国――ジ・ガヌ=アズ=ナハルは四人目の兵隊を槍で突き殺した。ガヌ以外の近衛達は既に馬の国の兵隊達に殺されるか――あるいはその場から逃げ出していた。

 皇帝を守る盾はガヌの他にない。ガヌは頬が引き攣るのをどうにか堪える。

「降伏せよ」

 大きな影が門のほうからやってくる。太い足腰をした白馬に乗った、大柄な男だった。分厚い鎧と兜で全身を包んでいる。降りしきる雨を弾くような気炎を纏っている。

(レ・ゼタ=クグ=バウル……)

 ガヌはその姿を認めると、意気を籠めなおすように槍を握しめた。

 ゼタが鼻を鳴らした。

「もはや残るは貴様一人、我に立ちはだかったところで益はなし。降伏せよ」

 そう繰り返す。

 ガヌはただ首を振った。報告によると街はめちゃくちゃに荒らされている。ガヌが降ったところでこの男が残酷な手段をもって彼を抹殺することは容易に想像がついた。それに、ガヌにも譲れぬものはある。

 ここでゼタさえ殺せば少なくとも一矢報いることはできる。敵は馬上とはいえ重い鎧・兜を身につけている。動きは鈍重なはず。ガヌは呼吸を整え、地面を蹴った。

 ゼタは憐れみの籠る視線でガヌを見た。槍の間合いまでガヌが接近し、ガヌが槍を突き出した。そこへ、影が降ってきた。ガヌにはなにが起こったのか、それがどこから現れたのかわからなかった。脳天から入った剣の切っ先が顎までを貫いてガヌを殺した。

「ご苦労」

 それを成した人影——年端もいかない少女だった。妙に感情のない瞳をしている。額から頬まで至る大きな古い傷があり、手足にも無数の傷が残っている。少年のようにも見える中性的な顔立ちで、傷さえなければ誰もが振り返るような美しい容貌だっただろう。首元までの黒髪が、雨のせいで無造作に頬に張り付いていた。

「……」

 少女はガヌの頭部から剣を引き抜く。脳漿と血がぶちまけられる。興味がなさそうにそれを見下ろし、剣から汚れを拭う。水気を払い、鞘に戻す。

「スゥリーン=アスナイ、退屈ならば適当に遊んでこい」

 少女は一度ゼタを見上げると、頷きもせずに足を撓めた。次の瞬間、少女の姿は十メルトル以上もの上空へと消えていた。無論、人間にできることではない。魔法の力だ。

「……飛龍(フェイロン)

 と、ゼタが呟く。スゥリーンの持つ魔法は、実はそれほど強力なものではない。ライの持つ「泥」やアゼルの持つ「炎」に比べれば数段格が落ちる。だがそれをスゥリーン=アスナイという少女が用いれば話が変わる。

 宮廷暗殺家と謳われたアスナイの秘術を持ってその魔法を行使すれば、史上最高の殺戮兵器ができあがる。

「……」

 ゼタは馬を降りて数名の兵士を引き連れてゆるりと足を進め、最早阻むもののない宮廷に入った。少しでも抵抗を見せたものは容赦なく殺していく。一人の少年がゼタの前に歩み出る。豪奢の衣を纏い、吊り上がった目をした少年だった。

 ゼタは膝をついて「お迎えにあがりました」と言った。

「遅い。待ちくたびれたわ。さっさといくぞ」

 少年が言い、ゼタはガ・レン=アズ=ナハルの私室へと踏み込む。

 レンは寝台に体を横たえていた。緩慢に体を起こす。化粧を落としたレンはひどい蒼白い肌をしていた。目には生気がなく、近くで見る頬はこけている。

「わたしの首を取りに来るのはシンだとばかり思っていたのだがな……」

 枯れた喉奥が呟く。別に誰でもよかったけれど、それが弟の手であればなおよかった。そんな呟きだった。レンの瞳がゼタの後方へと動いた。

(そうか、わたしを裏切ったのはおまえだったか。他の誰ならばともかくそれならばそれはわたしの罪よな)

 レンは目を閉じた。疲労の詰まった重い息を吐く。肩の荷が下りた、のかもしれなかった。

「この大陸に弱い王はいらぬ」

 感情のない声でゼタが言い、剣を抜いた。

 皇帝ガ・レン=アズ=ナハルの首を刎ねた。

 血が噴き出し、ゼタの頬を濡らす。鉄臭い匂いが室内に満ち、ゼタの背後に立つ少年が鼻を摘まむ。降りかかる血を汚らしいもののように振り払う。

「父上」

 死体に向けて、言う。

「あなたは愚劣にして蒙昧を極めたが、一つだけ歴史に残る偉業を成し遂げた。俺を産んだことだ」

 齢八歳の少年、グ・オル=アズ=ナハルが口端を吊り上げて嗤った。この上のない邪悪な笑みだった。レ・ゼタとその軍勢を王の国に招き入れ、父親を退けて帝位を奪おうとしたのはすべてこの少年の企みである。グ・オルは父がすでにこの国を立て直す力がないことを、そしてこの父にすべてを任せていれば、力をつけたラ・シン=ジギ=ナハルが皇帝の座を奪うことを悟っていた。だからシンよりも早く、それを行動に移したのだ。

「大陸に転がるごろつきどもめ。この俺が除いてやろう。龍にはただ一つの頭があればよいのだ。諸侯などいらぬわ。俺が天地のすべてを制してやる」

 父の死体を蹴りつけながら言う。

「では先ず早急に除いたほうがよい者がございます」

 ゼタが怜悧な声で言い添えた。

 グ・オルが振り返る。

「ほう。そなた、鼻が利くな。俺が許そう。その者の名を申せ」

「はっ。それはご自身でございます。グ・オル殿」

 ゼタがレンの首を刎ねたのと同じ剣で、その息子を殺した。ぽかんとした顔つきのまま、なにが起こったのかもわからずにグ・オルが絶命する。

「親殺しは死罪なるぞ。グ・オル=アズ=ナハル。貴様はこの弱弱しい国をどうにか持ち堪えさせてきた偉大な父から、そんなことも学ばなかったのか」

 自尊心だけを無限に増長させた少年の遺体を、嫌悪を持って見下ろす。血を拭い、剣を鞘に納める。

 分厚い戦士の手がレンの首を拾いあげる。丁寧な手つきだった。

「さらばだ。ガ・レン。貴様が弱弱しくも存続させてきたものは、この俺がことごとく破壊してやる」

 ゼタにはガ・レンに対する憎しみはなかった。むしろレンの手管には恩義すら感じていた。ゼタがその一心に持つのは、ただ一重に覇王その人に対する憎悪だけだ。

 馬の国はその名の通り、良質な軍馬の産地として、そして勇猛な騎兵隊を持つことで知られた国である。ゆえに覇王はこの国を真っ先に制圧し、その土地からほとんどすべての軍馬を略奪した。抵抗した者は殺され、騎兵隊は粉々に粉砕された。馬の国は四十年前に一度更地になった。そして抵抗の目を摘むために、圧政を敷き続けた。税制は厳しく、人々は飢えて苦しんだ。多くは奴隷として買われていった。

 レンはそれらの圧政を少なからず和らげて、馬の国に蔓延る憎悪と怨恨を緩和しようとした。この国に蔓延る金で官位を得た官憲達の様々な妨害によって、その緩和は充分には実らなかったものの、ゼタは少なくともレンが「それをどうにかしようとした」ことは知っている。

 恭しくその首を抱え、ゼタは城門の前にそれを吊り下げる。

 皇帝の無残な死に顔を民衆に晒し、ゼタは王の国に恐怖と共に君臨する。

 


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