表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死ノ国  作者: 月島 真昼
一章
24/110

ニ・ライ=クル=ナハル 5


 処置を受けていた少年を受け取った小柄な子供と女――ライとユーリーンは、隣の部屋に数多くならんだ車輪のついた寝台の隣に、彼の眠っているものを並べる。

「……これ全部、彼一人で処置したのかな?」

 並んだ寝台の上には。すでに二十人以上の人間が寝そべっている。傷の痛みと発熱に魘されてはいるけれど、危ういところからは脱している。通常であれば失血死するしかないような重傷の人間でさえ、てきぱきと処理され、傷口を縫われて脱脂綿と包帯を当てられて、麻酔によって眠りについていた。

「すごいね。ギ・リョクが目をつけるわけだ」

 ライが素直な賛辞を贈る。「死人を生き返らせる」と言っていたギ・リョクの言葉を思い出す。ふと寝台の合間に壮年の男が座り込んでいるのを見つけた。白くなった髪。ろくに手入れのされていない伸び放題の口ひげ。何日も着替えていないせいか、衣類は異臭を放っている。体をがたがたと震えさせながら「こんなはずではなかった。なかったんだ」と繰り返していた。

 ライがその前に屈みこんだ。

「おじさん、どうしたの」

「こんなはずでは。こんなはずでは」

 その目はライを見ていない。どこも見ていない。なにも映してはいない。

「ファック」

 手術室からハクタクが顔を出した。車輪のついた寝台を引きずり、適当な場所で止める。ライとユーリーンが話しかけようとしたのを、手をあげて押し留める。「悪いが俺様は死ぬほど眠いんだ。てめえらが何者かは知らねえが、あとにしやがれ。ファック」隣の部屋へと消えていく。一度だけ振り返って「ああ、そうだ。てめえ、不衛生だ。患者に雑菌が移る。風呂に入れ。泥女」と言って隣室を指さす。

「ど、泥女……」

 ユーリーンが自分の姿を見下ろして、ため息を吐く。そういわれても仕方ないほどにユーリーンの身体は土にまみれていた。

 ライは周囲を見渡す。傷付いた多くの患者達。適切な手当がされ、多くのものが眠りについている。手足を失うような重大な損傷を負ったものもいる。時折うめき声が上がるものの、命に別状はなさそうだ。これをすべて一人で処置したのだとすれば、ハクタクの疲労は相当なものだろう。

「いつ起きると思う?」

「さあ」

「まあ、こっちの都合で訪ねてきたんだし、のんびり待とうか」

 そのとき、外からぎいぎいという金属の擦れるような音が聞こえてきた。「ひ」座り込んでいた壮年の男が頭を床につけて、一層体の震えを強くする。戦車の車輪が回る音だ。ライ達のあとをつけてきたのかもしれない。意識のあった何人かの患者達も小さく悲鳴をあげたり、体を強張らせる。脳裏に焼き付いた戦車の恐怖が彼らを襲う。

「……ちょっと行ってくるよ。ユーリーンはここにいて」

「私もいく」

「だめだよ。これは命令。絶対に外にでちゃいけないよ」

 咎めるように言い、ライが飛び出していく。

 だって、とてもじゃないがユーリーンには見せられないじゃないか、と思う。

 一切の躊躇なく彼らを縊り殺す自分の姿なんて。





「ねえ、ここになにか用事? この中には患者さんと医者しかいないよ。何条だったか忘れたけれど、非戦闘要員しかいない建物への攻撃を禁じる条約があったよね?」

 ライは立ち並ぶ戦車に向かって声を張り上げた。

 全部で五台。四角い鉄で出来た棺桶のようなそれを見上げる。

 戦車に乗らず、馬に乗って彼らを先導する男が兜を外してライを見る。タヤではなかった。別動隊。

「我らには関係がない」

「翅の国への無断侵入といい、君たちは条約違反ばっかりだ」

「ガ・レン皇帝の勅命はすべてに優先する」

 忠誠によって裏打ちされた鋼の声だった。

「罪のない人の命よりも?」

「蒼旗賊である時点で彼らは罪である」

「ここにいる彼らの多くはハクタクの治療を求めてやってきた怪我人や病人だよ」

「だからどうした?」

「どうも君とはわかりあえないみたいだ」

 戦車が進撃してくる。ライは泥の魔法を使った。雨によってぬかるんだ山の土は、泥の魔法の力によく応えてくれた。ライが泥によって作られた剣や鎌を放つ。正面から放ったそれらは、装甲の表面で弾ける。“削り取る”という性質を持つ泥で出来た刃物は、装甲の表面を引っ掻いてわずかに傷を残しただけ。

 だけれどライの目的は最初から装甲ではなかった。戦車の上面に引っ付いている潜望鏡だ。これだけは厚い装甲に守られていない。五台の戦車の潜望鏡が次々に泥に刈り取られて、戦車の内部は視界を失う。

「僕は君たちに」

さきほどまでライと話していた男の首が鎌によって落ちる。

「できる限りの苦痛を与えて殺そうと思う」

 戦車が動かなくなった。車輪がぬかるみに取られたのだ。自重によってゆっくりと沈んでいく。戦車兵達は潜望鏡を取り換えようとしたが、古いものを外した瞬間にその穴が塞がった。穴から戦車の内部に泥が流れ込んでくる。

 視界が効かず、動きが止まった戦車の内部に留まる理由もなく。戦車兵達は脱出しようと開閉口を開ける。開けた途端にその男は上から降ってきた泥を被って転倒した。弓矢を放つための側溝から泥が戦車の中に入ってくる。外の情報が手に入らない彼らは知る由もなかったが、戦車はすでに半ばまで地中に埋まっていた。車体のすべてが飲み込まれるまで時間の問題だった。

 泥が戦車の中を満たしていく。彼らは前面上部に備え付けられた弓矢を放ってライを攻撃しようとした。ライを見ないままがむしゃらに放たれた弓矢は、ライの目前で泥に絡めとられて威力を失う。散々に叫んで助けを求めたけれど、車体を泥に包まれていて、雨が彼らの声を打ち落とす。それでもうっすらとライには聞こえていた。ライには戦車の中にある泥を使って彼らを即死させることができた。それをしなかった。長く苦しんで死んでほしかったからだ。戦車の内部が泥で満ちていく。恐怖の声が段々と泥に埋もれ、くぐもっていく。

「死ねよ」

 呟いたライは、彼らの口や鼻、耳穴から泥を流し込んだ。そうして体内で泥を動かして内臓をめちゃめちゃに掻きまわした。それらは白目を剥いて涙を流し、泡を噴きながら死んだ。

 ライは自分が微笑を浮かべていることに気づいた。

 自分が彼らの殺害を愉しんでいることに気づいた。

 邪悪を打ち砕くのは気分がよかった。理不尽が敗れるのは胸が梳いた。自分の身に宿る魔法の力に酔う。

 そうじゃないだろ。口の中で呟き、頬や目元を揉み解して表情を消す。

 五台の戦車が泥の中に完全に沈み、乗りこんでいた二十人以上の人間がもの言わぬ死体となって土葬される。ライは泥の魔法を解除した。踏み固めるように戦車が沈んだ土の上を歩く。そこにはもうなにもない。ただ掘り返された茶色の土だけが広がっている。

「うん」

 思ったよりも高い愉しげな声が出てライは口元に触れる。

 少し息を整えてから、ユーリーンの元へ戻っていく。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ