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死ノ国  作者: 月島 真昼
一章
2/110

ニ・ライ=クル=ナハル 1


 それから十四年の月日が流れた。

 ニ・ライ=クル=ナハルはユウレリア大陸の北東部に位置する灯の国にいた。やや寒冷の気候で冬には散発的に雪が降る。気温が低く乾燥していて、雨は少ない。痩せた土地を馬鈴薯などの栽培で食いつないでいる、貧しい地だった。

 ライはため息を吐いた。なにか楽しいことはないかと考える。十四歳になったライ王子は、控えめにいって怠惰で享楽的な人間に育っていた。懇ろの仲の女性を見つけて、表情を綻ばせる。

「キョウさん」

「あら、ライくん」

 二十代後半くらいの美しい女性が振り返る。ライは彼女の手をとって体を摺り寄せる。覇王譲りの甘い美貌で上目遣いに彼女を見上げる。栗色の髪が風に靡く。

「風邪はもういいの?」

「うん、ハクタクさんいうお医者さんにかかって、お水をもらったらもうすっかり」

「いまはどこかにいく途中?」

「うん。ちょっとね」

「ついていってもいい?」

「あかんよ。大事な用事やから」

「ちぇっ」

 年相応に見えるように唇を尖らせて見せる。

「それより、あれええん?」

「え?」

 キョウが指差した方を見ると、ライよりも少し年上の少女が目を三角にして彼を睨んでいた。上物の着物を纏い、腰に剣を差している。黒い髪は一つにまとめて後ろで括られて、尾のように垂らされていた。顔立ちは中性的で見ようによっては少年にも見える。やけに眼光が鋭い。

「うげ」

 大股でこちらに歩いてくる。「ほなね。また今度ちゃんとあお」くすりと笑ってキョウがライの腕をすり抜ける。去っていく。名残惜し気に手を伸ばしたが、キョウは振り返らない。代わりに大股で歩いてきた少女がライの手を掴んだ。

「暇を持て余しているなら剣の稽古でもすればどうだ」

「……ユーリーン、僕は疲れることが嫌いだ。あんなことを好き好んでするやつの気がしれないね。そんなやつは異常者だ。頭がどうかしてるんだ」

「私のことを言っているのか?」

 よく引き締まった腕、肉の筋の浮き出る脹脛。

 年頃の娘に似つかわしくない鍛えられた肉体だった。

 抱きしめても硬そうだ。ライは眉を寄せた。

「だいたい私は貴様が夜にやっていることのほうが疲れるとは思うのだが」

「冗談! あれは日々の疲れを癒す行為だよ」

「昼間からフラフラしている貴様がいったい何に疲れるというのだ?」

 うんざりしてライは少女の手を払った。

 ユーリーン=アスナイ。十四年前にライを王都から連れ出して命を落とした将軍、ルウリーンの愛娘だ。

「そんな有様で、敵が現れたときにどうするのだ」

「敵? どこにそんなものがいるのさ」

 ライは欠伸を吐いた。

「貴様の敵はすぐにでも現れるだろうさ。そしてそれは私の敵でもある」

 真剣な表情で言う。覇王の後継はガ・レン=アズ=ナハルに収まった。しかしその下では他の王子たちが未だに勢力争いを続けている。末の王子、ニ・ライが生きていることがわかればすぐにでも刺客を差し向けてくるだろう。ユーリーンの真摯な言葉に、ライは返す言葉を持たなかった。

「知ったこっちゃないよ」

 お茶を濁す他ない。嘆息したユーリーンがライを追い越す。

 この先の稽古場に行くところらしい。

「毎日毎日飽きもせずに訓練訓練、息が詰まらないかい?」

「貴様こそ、毎日毎日息を抜いてばかりで貴様の体の中にはなにか残っているのか?」

 小首を傾げて素朴な口調で言う。痛烈な批判に苦笑いしか出てこなかった。言った本人はそれほどの言葉を選んだつもりはなかったようだったが。

「丁度いい、貴様もこれから稽古をつけにいくか。貴様、剣筋はそれほど悪くなかっただろう」

「勘弁してよ。あ、ヨキさーん」

 妙齢の婦人に声をかける。ユーリーンの冷めた視線が突き刺さるが、しったことではなかった。ユーリーンが遠くに行ったのを見て届けてから唾を吐く。軍人の指導で棒切れを振り回す子供達を、ライはまるっきり軽蔑にしていた。進んで戦に志願するなど阿呆のやることだ。そのために腕を磨くなど馬鹿のすることだ。ユーリーンのせいで気分が悪い。

「あ、ライくん。久しぶりー」

 ヨキが朗らかな笑みを見せる。釣られてライも笑みを作る。

「ユーリーンさんと一緒にいたの? 仲がいいね」

 あれの名前を出されてげんなりする。

「あいつは悪魔だよ。人間を剣で切り飛ばして矢で射って喜んでる異常者だ。あれがヨキさんと同じ女だって言うんだから信じられないね」

 手を包んで、体を摺り寄せる。やわらかい女の体と匂いを楽しむ。

 遠目にユーリーンが目を三角にしてこっちを睨んでいるのが見えた。そもそもユーリーンはほんとに女なのだろうか。野生の猿あたりの雌が突然変異したものではないだろうか。

「わあ、地獄耳」

 感心したヨキが高い声を出した。ライは努めてユーリーンの視線を無視する。

「ねえ、これから家いっていい? いま一人だよね」

「いいよ。行こ」

 手を繋いで歩いていく。

「あの子のこと、そんなに邪険にしていいの?」

「知らないよ」

「あの子、武家の娘さんでしよう。逆らってもいいことないと思うんだけど」

「……地位を笠に着るようなやつじゃないことはたしかだよ」「信用はしてるのね」

「堅苦しいのが嫌なんだ。武力と人格に関しては文句ないよ。頭は悪いけどね」

「ふうん」

「きっと脳みそまで筋肉で出来てるんだ。嫌になっちゃうよ」

 ヨキの家を訪れる。

「ごはん食べてく?」

「うん!」

 蒸かした馬鈴薯と燻製にした豚肉を齧る。口の周りを澱粉で汚す。なるべく無邪気な子供に見えるように振る舞う。ヨキはニコニコと優しく微笑んでそれを見ている。少し痩せたかな、とライは思った。

 少し話をして、寝台に入り、夕方になって彼女の家を出る。

 伸びをする。

「楽しいなぁまったく」

 肩をまわし、首を振る。

 通りを行く。キョウが帰っていないか見に行こうかなぁと考える。大きな怒鳴り声がした。女性の悲鳴。続けてなにかが壊れる音。懇ろの仲の女が襲われてやしないかとライは音のもとに向かった。大通りの隅でごろつきの首元を掴み上げているユーリーンが視界に入ってきた。乱れた机と地面に落ちた皿。倒れた椅子。砂に塗れた団子と散らばる串。近くに頬が赤く腫れた団子屋の女が尻餅をついている。それから殴られて気を失っている体格のいい男が通りの側にはみ出していた。ごろつきの仲間らしい。このあたりではあまり見ない枯草色の髪の毛が目に付く。

「六皿も食っておいてまずいからタダにしろとは何事か。挙句の果てに店子に暴力を振るうとは、男児の風上にも置けぬ」

「ひいいいっ」

 ユーリーンが首元を締め上げる手に力を籠める。

 ごろつきが情けない悲鳴を挙げた。若草色の瞳に怯えが宿っている。

「お、俺たちは草の国のジギ族だぞ。こんなことをしてどうなるか」

「貴様らがどこの誰であるかと、勘定を払わぬこととなんの関係がある」

 もにょもにょとぼやく男の細い声を、鋼の声でユーリーンが切り捨てた。

 ライは呆れてため息を吐く。

「まあまあ、落ち着いて落ち着いて」

 割って入る。

「お兄さん方、財布を忘れちゃったんだよね。ちょっとそのことを言い出すのが恥ずかしかったんだ。ここは僕が立て替えておくから、あとで返してね」

 ユーリーンが目を三角にしてライを睨みつけた。

「ユーリーン、暴力はいけないよ。その手を離して」

「しかし元はといえば」

「君は誰の?」

「……」

 ユーリーンが手を離した。ごろつきが地面に落ちる。喉を押さえて何度かせき込む。

「このままで済むと思うなよ」

 捨て台詞を吐いて、気絶している男を拾って去っていく。

「いい子だね」

 ユーリーンの頭を軽く撫でる。

 くるりと振り返る。

「それじゃあユミさん」

 腰を抜かしていた店子に手を伸ばし、立たせてやる。

「連中のお勘定いくら?」

「二千七百ウェンです」

 思ったよりも高額だった。頬を引きつらせながら金を取り出す。

「いえ、あの、結構です。受け取れません」

「そう? じゃあこのお金で、僕とユーリーンにお団子とお茶頂戴」

「は、はい」

「これにて一件落着ー」

 椅子を立て直し、乱れた机を整える。

 腰を下ろす。

「座って」

 向かいの椅子を勧める。

「ライ、私は」

「座って」

「……はい」

「あいつら、ジギ族って言ってたね」

「ああ」

 ライはジギ族の長、ラ・シン=ジギ=ナハルを思い浮かべる。直接面識はないが、ライの腹違いの兄にあたり、もう少し南の地域を支配する有力な豪族だ。「壊獣使い(えじゅうつかい)」のジギ族。あーやだやだ、と口の中で溢す。

「ああいうヤクザモノと揉めて困るのは、君かい? それともお店?」

「……店だ。私ではない」

「だよね。じゃあ解決の方法も、それなりに考えないと」

「済まない。短慮だった」

 団子を運んできたユミに、ユーリーンが頭を下げた。

 地位の高い武家の娘にそうされて、ユミが恐縮して半歩下がる。

「官憲に期待できないのが一番の問題だよねえ」

 この街の公的権力はジギ族と争いになるのを恐れて、彼らに対してなんら有効な策を打てていない。ジギ族を中心とする「草の国」は周囲の勢力を次々と取り込んで巨大化している。ラ・シンの手腕による成果らしい。覇王の再来などと言われている。彼らと迂闊に揉めれば、大きな争いとなるだろう。

 さきほどのようなごろつきがラ・シンの息がかかったものだとは思わないが。

「あーあ、あいつらまた来るのかなー。嫌だなー」

 ライは机に頬をつけた。面倒臭い。面倒くさいけど避けられないのだろう。すっかりしょげているユーリーンを見る。

「ああ、うん。僕の敵はたしかに現れたよ。ユーリーンが連れてきた」

「あう」

 ユーリーンが俯いて、その長身が縮こまる。普段は居丈高な彼女のそんな様子がおかしくてもう少しなにかしら文句をつけてやろうかと思ったが、言葉が出てこなかったのでやめておくことにした。やり方が荒っぽかったとはいえ、ユミを守ってくれたのは事実なのだし。そもそもの非はあちらにある。あまりユーリーンを責めるのも筋が違うだろう。

「あの、お二人はどういう関係なのですか」

 茶を運んできたユミが若い娘らしい好奇心を出した。

 二人が彼女を見上げる。ライは滞りなく「ただの友達だよ」と言った。ユーリーンが「そ、そうだぞ。タダノ友達ダゾ」とカクカクした口調で言った。

「街一番のヒモさんと街一番のお武家の娘さんが、どうやってお知り合いになったんですか」

「実は僕、いいとこのお坊ちゃんなんだ。ユーリーンは僕の護衛についてくれてたことがあるんだよ」

 さらりとライが言った。どうみても自分が上流階級の人間には見えないことを見越して話を誤魔化そうとしたのだ。冗談だと思ったユミがふふふと薄く笑う。そんな空気を、焦ったユーリーンが「ラ、ライ!? それは公にしないほうがよういのではないか」とぶち壊しにした。

 机の下から手を伸ばして、太ももを抓る。

「いっ……」

 ライが茶を啜る。

「美味しいねこれ。どこの茶葉?」

「翅の国です」

「南部のお茶か。ちょっと他と違うようね。なにか特別なことしてるの?」

「乾燥の度合いが違うんですよ。ほとんど乾燥させずにいれるとこんなふうになります」

「へえ。それだけでこんなに味が変わるんだ。おもしろいなぁ」

 団子ともよくあう味だった。

 適当な会話を続けながらジギ族のことを考える。ジギ族は「壊獣」を飼っている。この大陸には幾人か魔法を使うものたちがいる。その中の一人、ラ・シンの使う「(くいばみ)の魔法」によって作られた怪物達。通常の獣よりも遥かに強い力を持ち、一族の調教師達の命令を聞くように躾けられたバケモノ。あーやだやだ。

 そこまで考えてから、壊獣を相手にする可能性は低いのではないかと思い直す。いかに連中がごろつきに過ぎずとも、異国の地でジギ族が固有の武力を振りかざす意味がわからないわけではないだろう。外交問題どころか戦争に発展しかねない。

「ねえ、ユーリーン。君のところの“召使さん”にここ見張っといてもらえるかな」

「承知した。元はといえば私が撒いた火種だからな」

「まあそのことはそんなに気にしなくてもいいよ」

 ライは茶を飲み干した。余った団子を包んでもらって、それを持って席を立つ。

「どこへ?」

「ハツさんのところ。最近行ってなかったから、お土産もっていこうと思って」

 また別の女の名前が出て、ユーリーンは嘆息した。

 ふらふらと去っていくライの後ろ姿を見送って、ユーリーンも自分の屋敷に帰っていく。

街一番の大きな屋敷の門を潜り、その中の“召使”の一人を呼び止めて手早く事情を説明する。それから父の位牌に向かって祈りを捧げ、寝室に戻る。いまごろどこかの誰かを抱き、抱かれているであろうニ・ライを思い、一人苦い表情を浮かべる。

 





 誰もが眠りにつく夜の深くのことだった。黒い装束に身を包んだ男たちの一団が音もなく街を歩いていた。彼らの背後ではゴリラに似た二足歩行の生き物が追随している。人間の二倍はある巨体をしていた。灰褐色の体毛が月明かりのを跳ね返してわずかに輝いている。口元には肉食獣のそれと同じ鋭い牙が並んでいる。大きく太い腕の先にも鋭利な爪が覗いている。

 通常の動物と最も違っているのは、その目だった。顔の中央に大きな瞳が一つだけある。“タンガン”と呼ばれている種類の壊獣である。それが三頭。一頭のタンガンで兵士三十人分の戦力はあると言われている。三頭もいれば百人の軍隊と戦争ができる。野盗無勢が持っていていい戦力ではなかった。

 男の一団と三頭のタンガンが、昼間にユーリーンがもめ事を起こした団子屋に辿り着いた。「壊せ」男のしわがれた声が命じた。三頭のタンガン達が団子屋の壁に腕をついて、柱をへし折った。壁材に牙を立てて喰いはがした。べりべりばきばきと轟音を立てて、五分も経たぬ間に一軒の家屋が破壊される。住居を兼ねていたその場所で眠っていたユミとその家族が青褪めて震えていた。一団の頭領がにやにやと嫌な笑みを見せた。

「浚え」

 武器をちらつかせ、口に布を噛ませる。三頭のタンガンが軽々とその体を持ち上げる。

十数人の警邏隊が騒ぎを聞きつけてやってくる。槍と軽い鎧で武装していた。

「いいぞ、殺せ」

 タンガンが振り返る。その一つ目に獰猛な殺意が宿った。





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