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死ノ国  作者: 月島 真昼
一章
19/110

ラ・シン=ジギ=ナハル 7


 草の国、西方の平原。


「あまり丁寧に殺す必要はないぞ」

 ラ・シン=ジギ=ナハルは白けた表情で自分の軍勢とそれと対峙する蒼旗賊の兵隊を見ながら言った。傍らにはジギ族の将帥達が侍っている。戦場の気炎と裏腹に、シンは眠たげにさえ見える。さっさと一仕事済ましてしまおう。そんな顔つきだ。

「所詮民兵だ。装備も練度もたかがしれている。多少上質な装備をあてがわれているのは一部の兵卒だけだ。タンガンを主にして前衛だけ粉砕すれば戦意を失くしてすぐに降ってくるだろう。降るに任せろ」

「投降した兵士はいかに扱うつもりで?」

 顔に入れ墨のある若い将が尋ねた。「ナラ、ああ戻っていたのか。悪かったなごろつきなど率いさせて」「いえ、得難い経験でした」ライとユーリーンが遭遇したジギ族の一団を率いていた人物だ。

「それで、投降した兵士だったか。ああ、無論、我が国の国民として迎え入れるさ。適当に待遇を保証する甘言を吐いて、迎え入れたあとは最下層の労働力として働いてもらう。農奴の数が不足していたし、東部の鉱山に投入する炭鉱夫も欲しいところだな」

「やつらの神とやらを粉砕しますか」

「いいや、信仰を破らせる必要はない」

 シンは言った。

「お前、明日までに俺を信じるのをやめろと言われて納得できるか」

 ナラが首を振ってそれを否定した。

「そういうことだ。俺とて皇帝という神に似たものの勅で動いている。俺のレン兄がやつらにとっての神なのだ。それを捨てさせるのは随分骨が折れることだぞ」

「はい」

 納得した様子ではなかったが、頷く。

 シンは薄く笑う。

「それに実際に粉砕してみろ。それはより強い憎悪の火となって、頑強で頑迷な抵抗となって俺たちを阻むだろう。無駄な労力だ。捨て置け」

「ですが、それでは彼らは神を信仰し、シン王を嘲りながら従順な振りをするだけなのでは」

「俺を信じる必要はない」

 シンは目を閉じた。

「それは貴様ら将兵にだけ必要な資質だ。民は誰を頂くかを選択することができる。だが誰も頂かないことはできない。それを成すには自身で王になる必要があり、やつらには文句を垂れながらもその気骨はないらしい。

ではこの大陸でもっともましな王は誰だ? 彼らの駆逐を目論む皇帝ガ・レンか? それとも耄碌したロクトウか? 戦狂いの鉄騎王か? 無軌道な河賊か?

 どうだ。少なくとも信仰を許容するこの俺が、一番ましに思えてはこないか」

 誰も頷きはしなかった。

 彼らは彼らなりに、シン王に思いを寄せている。ガ・レンよりもロクトウよりもジュゾよりもユ・メイよりも、シンが優れていると信じている。確信している。

 だからこそ戦場という苛烈な場所で、才知を振るい、己の全霊を彼に捧げている。「まし」ではない。彼らにとってシンこそが全能の王であり、神であり、信仰の対象なのだ。

 遊びのない連中だな、と薄い笑みを浮かべてシンは彼のいとし子達を見渡した。

「行ってこい。重ねて言うが、殺しすぎるなよ。丁寧に殺すのは前衛だけで十分だ。またこの場合、女と子供にはよほど危急の場合を除いて手を出すな。やつらは敵ではない。ただの民だ。化けの皮はすぐに剥がれるだろうよ」

 将兵達が頷いた。

 どれだけこの命令が守られるのだろな、と思いながらシンは散っていく将兵達の背中を見ていた。

 数刻もしないうちに戦闘が始まる。

 戦いはシンの予言の通りに進んだ。

 草の国の多くを占める広い平原地帯。遮蔽物のほとんどない地形。その場において壊獣達は―—特にタンガンの威力は絶大だった。百頭を超える一つ目の巨大な肉塊が蒼旗賊に迫る。タンガンが長い腕を振るう。強靭な爪が鎧を引き裂き、槍をへし折る。人間の束が吹き飛んだ。血と臓物をぶちまけながら、瞬く間に十人の兵士が死ぬ。

 腕を振った直後の隙を目掛けて、一人の勇敢な兵士が切り込んだ。「やぁ!」雄たけびをあげてタンガンの腕に槍を突き込む。ずぶりと穂先が肉に埋まる。やった! 倒したぞ! とその兵隊は思った。直後に。べちん。その首が両手で挟まれて潰れた。蚊に刺された人間がそうするようにしてタンガンは兵士を叩き殺した。

タンガンは痒そうにしながら腕に刺さった槍を引き抜いて捨てた。槍は硬い体毛と分厚い皮膚、強靭な筋肉を貫通できていなかった。血のついた掌を舐める。にいと美味そうに笑って醜悪な獣が新しい獲物を求めて動き出す。

 サンロウという種類の壊獣がいる。外見は狼に似ている。全身に白い体毛の生えた四足獣で足の筋肉が特に発達している。口には鋭い牙が並んでいる。一人の将兵が笛を鳴らした。応じるようにして、人間とタンガンの隙間を縫って無数のサンロウが走る。槍を掻い潜る。兵士達が首を動かすために鎧で覆うことのできない、露出している首筋に飛び掛かり、頸動脈を食いちぎる。

 横合いからの槍でサンロウが突き殺された。タンガンほどの耐久力を持たないサンロウは、ぎゃんと高い悲鳴を挙げて体を震わせて血を流し、そのうちに絶命する。だが槍を突き出した直後の兵士に別のサンロウが襲いかかり、その兵士を殺す。無数の白い狼達が連携しつつ兵士の喉を切り裂いていく。

 ナラが笛を吹く。音色に誘われて狼達が進行方向を変える。

 弓矢が雨霰と降り注いだ。シンの側はそれをタンガンの影に隠れてやりすごす。タンガンは掌で瞳を庇う。矢は硬い体毛と分厚い皮膚を貫くことができない。そしてシンの側から放たれる弓矢を、蒼旗賊の兵隊達は防ぐことができない。倒れ、伏していく。

 騎馬隊が疾駆する。タンガンによって前衛を粉砕されている蒼旗賊は、騎馬による突撃衝力を減殺することができない。ただ踏み荒らされる。

 彼らは次第に死体の山を前にして立ち竦むことしかできなくなった。そうなってからシンは壊獣を下げる。将兵達が蒼旗賊に降伏を説いていく。「シン王は貴様らの信仰を許容する」その言葉は渇いた大地に水がしみこんでいくように、彼らに浸透していく。硬い信仰と戦意を秘めた戦士の姿は既になく、こうべを垂れる民の集団だけがそこに残っていた。

 赤子の手を捻るに等しい、とシンは思った。




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