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死ノ国  作者: 月島 真昼
一章
17/110

ギ・リョク 3


「ちっと待ってろ」

 と、言ってギ・リョクは男達を返したあと、ライを待たせて奥に引っ込んでしまった。ライは衣服を身につけたあと、寝台の上に倒れ込んでうーうーと唸っている。「汚された……なんかわかんないけどなにかが汚された……」男達の視線を思い出して身震いしている。ユーリーンがその頭を撫でる。やがて、ギ・リョクがやけに仰々しい文様の入った青い着物を纏って戻ってきた。

「あー、なんだ。その、蒼旗賊の頭領に会いたいんだったね」

「うん」

 ライが力なく返事をする。

 半身だけ寝台から身を起こす。

「紹介するよ。こいつが株式会社、蒼旗会の筆頭株主をやってるギ・リョクだ」

 ギ・リョクは自分の喉を指して言った。

「……言ってる意味がわからないんだけど」

「わかりが悪いね、あんたは。あたしが蒼旗賊の頭だって言ってるのさ」

 さすがのギ・リョクも幾分バツが悪そうだった。

 ライが力なくにんまりと笑って、ギ・リョクを指さし、ユーリーンに向かい「殺して」と言った。

「御意」

 ユーリーンが答え、腰の剣に手を掛けた。

「まてまてまて、御意じゃねえだろ。止めるところだろうがそこは」

「正直に言って私も貴様の狼藉は腹に据えかねていた」

「ああ、勿体つけたあたしが悪かったよ。謝るからちょっと話を聞け」

「主君をこれほど虚仮にされて黙っていられる従者もいまい」

 ユーリーンが剣を抜く。感情の浮かばない瞳でギ・リョクを見る。ユーリーンは怒りが却って殺意を鈍らせることをよく知っていた。基本的には不殺を信念とするユーリーンがそれを躊躇しないということは、内心ではそれだけ怒っているのだが。

透明な、だけど激烈な殺意を前にギ・リョクがたじろぐ。壁際まで後退さる。

 ギ・リョクは何か方便を考えたが、ユーリーンの前ではあらゆる言葉が無力だった。

「……話ってなにさ」

 ライがユーリーンの肩に手を置いた。「一応、聞いておくよ」「私は反対だ。こいつは弁が立つ。人を丸め込むのに長けている。こういう手合いとは言葉を交わすべきではない。先ず武力を突き付けるべきだ」剣をギ・リョクの目前に振りかざす。ライが首を振る。

「貴様がそういうならば」

 不承不承と言った感じでユーリーンが剣を収める。

 あからさまにむすっとした顔で、部屋の隅に腰を下ろした。

 人心地のついたギ・リョクが歪んだ表情を直しながら、気晴らしのように「舞はどこで習ったんだい?」と尋ねた。

「基本はユーリーンのお母さんから。そのあとは仲良くなった女の人が音楽の先生で、その人に教わった」

 異性を口説くのに歌と踊りほど役に立つものはない。

 その人は随分“やさしく”教えてくれたし、ライは楽しんでその技術を学ぶことができた。

「ていうか話を逸らさないでよ。僕はいいけど」

 目だけで振り返るとユーリーンが後ろから殺気を放っている。

 乾いた笑みを浮かべて、ギ・リョクが話し始めた。


「蒼旗賊の前身、蒼旗会の成り立ちから行こうか。元々はハクタクって男がこっちに“流れ着いた”ところから始まった。ハクタクは医者だった。いまのあたしたちの常識を遥かに超える技術と腕前を持ってた。いまの医者なんざ、内的な症状は目を見て喉を見ておしまい。骨折に添え木当てて、傷に軟膏塗って仕舞いだが、ハクタクはそうじゃねえ。聴診器だとか言うものを使って胸の音を聞いて、場合によって腹を切って中に溜まった血を掻きだして、腫瘍ってやつを体内から切除してた。当人は“外科手術”って言ってたな。これがどれだけ異様なことか、てめえらだってわかるだろ。ハクタクは現代医学じゃ死人にならざるを得ない連中を生き返らせるのさ。比喩じゃなく」

流人(るじん)なのか?」

 ユーリーンが口を挟んだ。

 時々あらわれる現代社会ではありえない知識や技術を持った人間のことを、この大陸ではそう呼ぶ。海を隔てた異なる大陸から来たのではないか、だとか、未来、はたまた過去からきたのではないか、などと様々な憶測がなされているが結局真偽は定かではない。ただそういう人間がいる、ということだけが知られていて、彼らは流人と呼ばれていた。そして流人達は社会に大きな変革を与えてきた。

 ギ・リョクが頷いた。

「おそらくな。ま、そんなだからハクタクの噂は瞬く間に一国に広まった。患者は列を成して、ハクタクの元へ押し寄せた。元々ろくな金をとってなかったのもいけなかった。噂は噂を呼んで、ハクタクを頼みに集まった連中はあっという間に千を超えた。継続して診なけりゃいけないような連中もいて、そのうち小さな集落になり始めた。

 国々の強欲な連中が。また医術を独占してきた医者の組合がほっとくわけがねえ。やつらはハクタクの暗殺を企てた。連中からしちゃあ客を取られて商売あがったりだからな。その一味の中の一人が、あたしのとこに来たのさ。“あの医術は途絶えさせちゃいけねえ”ってな。心のあるやつはどんなとこにもいるもんだね。それであたしが立ち上げたのが、株式会社、蒼旗会さ。扱ってる事業は総合警備保障。よーするに護衛だね」

「質問」

「なんだい?」

「株式会社ってなに?」

 ライからすれば耳慣れない言葉だった。

 少なくともこの世界に広く通じている言葉ではない。

「方々の連中から金を集めて事業を立ち上げるやり方さ。株券ってやつを売って金を集めて、事業利益の中から株を持ってるやつに金を分配する」

 同じことを何度も説明したことがあるのだろう。

 流暢な調子でギ・リョクが言う。唇を舐めて湿らせる。

「株って手形とは違うの?」

「似たようなもんだ。が、株は借金じゃねえ。から極端な話、金を返す必要がないのさ。その代わり、株を持ってる限り配当金は永続して出続けるし、株の持ち主には事業の中から多少の優遇もしてやる。事業自体が潰れたらそれまでだがな」

「よくわからないけど、それってきっとすごく信用のいるやり方だよね」

「察しがいいねえ坊ちゃん。その信用ってのを搔き集めたのがあたし、『地龍(デュロン)』の名で通ってるこのギ・リョクってわけだ」

 ぱちん、と音を立ててギ・リョクは扇子を開く。

 どこかで見た仕草だったが、どこで見たのか思い出せなかった。

「貴様の噂をする人々は人食い鬼としか言っていなかったが」

「本題に戻るぜ」

 ユーリーンの疑惑をさらりと流して、ギ・リョクが続ける。

「最初の内はうまくいってたんだ。借金で首の回らねえ武家から兵をぶんどって、護衛を兼ねてハクタクの身の回りの世話をやらせた。治療を求める連中からこれまでなにもとってなかったのを、作物でも家財でもなんでもいいから報酬を取り付けて多少でも需要を抑制して野郎の負担を減らした。同時にそれらのぶんどった品々を金に換えて、株式の配当と兵隊の給与に変えた。暗殺も何度か防げた。学徒を募って邪魔にならねえ程度にハクタクの仕事を見させて学ばせた。筋のいいやつには手伝わせた。三年くらいはそれで回ってた」

「回ってた」

 ライは言った。

 ギ・リョクが頷く。

「その通り。過去形だ。ある時、その形では回らなくなった。国から徳政令が出た。借金がちゃらになって、調子に乗った武家が兵を返せって言ってきてな。借り受けてた兵の連中は帰りたくねえって言ってくれてたんだが、役所の連中が令状を持ってきて強制返還だ。金があっても法にゃ勝てないのが商人の泣き所だねえ。無茶をやると信用が消し飛んじまう」

「それで蒼旗会は解散したの?」

「まさか。もう少し足掻いたさ。別の連中を引っ張ってきて事業を引き継ごうとした。そういう事態を考えてなかったわけじゃねえからな。ただそれよりも早く、株主の中の別の輩がおかしな連中を引っ張りこみやがった。性質がおかしくなりはじめたのはそれからさ」

「……」

「当然、あたしはそのおかしな輩を手配した株主を総会で締め上げた。そうしたらサ・カクってやつに多額の金を貰ってその信者連中を引き入れたことがわかった」

「その株主さん、いまは」

「雷河の底で鰐の餌になってる」

 あたりまえだろう? という趣きを含んだ声だった。

「サ・カクはハクタクを自分の宗教の神として祭り上げた。随分有効だっただろうよ。実際病人にとってハクタクは神みたいなもんだったからな。それから治療費を吊り上げて布施を募って、信者以外に治療を受けさせないようにした。蒼旗会をどんどん宗教色の濃いものに作り替えていった。あたしのコントロール、……支配下を離れちまったわけだ。金の流れが滞り、配当金が出てこなくなった。

 会社でっちあげたあたしは、責任とって他の株主が持ってた株券を買い取って連中の損失をまる被った。まったく損なものに手え出しちまった。ハクタクなんざ無視すりゃよかったよ。妙な夢を見るんじゃなかったぜ」

 ギ・リョクは傍の引き出しに手を伸ばした。煙草を取り出し、燐寸を擦る。火をつけた。燐寸を振って火を消し屑箱の中に放る。煙草を咥え、煙を吸い込み、吐き出す。特有の匂いが鼻をつく。翅の街の葉だった。ライは以前懇ろの仲だった女性が同じものを吸っていたのを思い出す。

「夢?」

「あれの医術を大衆に普及出来たらいいと思ってたのさ。金になるから」

 ライは少し笑った。

「あなたは、露悪的に振る舞うのに考えていることの中身は結構善良なんだね?」

「あん?」

「だって危険なのは最初からわかってたんでしょう? それなのに、ハクタクを守ってその医術を広く伝えたいと考えて会社を立ち上げたんだ。それにはきっと少なくない額のお金を注ぎ込んだんだよね」

 ギ・リョクは少し考えてから「信用ってのは性質の悪い人物には宿らねえもんなのさ」と渋々そのことを認めた。「あたしゃ商人だ。投資家だ。信用のないやつのところには信用のないやつしか集まらねえ。信用のないやつに金は貸せない。だから根っからの悪党でいるわけにはいかねえんだ」自分の答えに腹が立ったのか、ライの顔に煙を吹きかける。ライは露悪的な匂いのするその煙が嫌いではなかった。

 その背後でユーリーンがギ・リョクを睨む。「おっと」ギ・リョクにとって、ユーリーンのような言葉の通じない人間は天敵だった。煙に巻かれてくれない。

「いまあちこちで暴れてる蒼旗賊っていうのは」

「神様の恩寵に釣られて集まった信者連中さ。元々それにすがらざるを得なかったような社会不安のどん底にいる連中だからな。教えに従えば神の国にいけるだの、ハクタクによってすべての病の恐怖から救われるだの、そういった宗教的な謳い文句はよく広まっただろうよ。だけど、サ・カクの宗教団体は増え続ける信者に対して実際的な生活のめんどうまでは見切れなかった。ハクタクの仕事量は増えすぎて容量を超えた。神様の恩寵にあずかれなかった連中が、神の御名における理屈をはき違えて暴徒と化した。そんなところさ」

 ライは少し考えてから言った。

「ところでさ、もしかしたらなんだけど」

「なんだい」

「ギ・リョクも流人なの?」

 コントロールという耳慣れない言葉。

 株式会社というやり方。

 控室にあった内容がちんぷんかんぷんな本。

 ライはそれをこの時代、この世界のものではないと感じた。

 だけどギ・リョクは「いいや、あたしは違う」とそれを否定した。

「あたしのお師匠が流人だったんだ。元は“大学教授”だったって言ってた。正確なところはわからねえが、偉い先生って意味だそうだ」

「そのお師匠さんは」

「だいぶ前にな」

 亡くなった。と言葉に出さずに言う。

 懐かしんで、目が細くなる。感傷を大切にしまいこんで、ギ・リョクは表情を作り直した。

「あたしの話はこれで仕舞いさ。さあ、帰んな」

「え、まだ肝心なことを聞いてないよ」

 舌打ちする。

「躍らせた手前、ちゃんと答えて貰いたいな」

「ほんとに聞くのかい? あたしは聞かないほうがいいと思うぜ」

「大丈夫だよ。だから教えてよ。サ・カクって人の居場所。いまの蒼旗賊の本拠地」

 机の上に手を伸ばし、地図を手繰り寄せてライの前に広げる。

 随分と詳細に書き込まれた地図だった。恐ろしい値のつく代物なのだろうと思う。

 ギ・リョクの指が草の国から南に向けて動き、翅の国の北西部で止まった。大陸南部の険しい山中。

「元々はもっと人の通いやすい場所に庵を置いてたんだが、ハクタクの希少価値をあげるためにサ・カクがこの場所に移した」

「麓まで馬の足で二日と行ったところだな。国境を超えることができればだが」

 ユーリーンが地図の縮尺を確認しながら言う。

「ところでここからは、お願いじゃなくて相談なんだけど」

「やだね」

「一緒に来てよ」

 機先を制して拒否したギ・リョクを、ライは思い切り無視した。

「あなたが一緒だと随分心強いと思うんだ。それに、あなただって本当はどうにかしたいと思ってるんでしょう。あなたが育てた蒼旗の母体がおかしなことに使われることに怒ってるんだ。だから僕らに蒼旗賊のことを話した。しらばっくれたってよかったのに」

「……」

「大丈夫だよ。このニ・ライ=クル=ナハルが、どうにかしてみせるから」

「具体的にゃどうするんだい」

「さぁ。わかんないけどさ」

 両手を広げて笑って見せる。

 なんとかなる。この少年の微笑みには、そう思わせるなにかがあった。それは本来、実利を信条にするギ・リョクが賭けてはならない類のものだ。あまりにも不確か。到底乗ることのできない博打。手段は当人でさえ「わからない」と来ている。でも、だけど、そこに抗いがたい魅力を感じていることにギ・リョクは気づく。

 しばらくの闘争のあとで、ギ・リョクは内心の反乱に勝利することができた。

 口元を吊り上げて挑発的な笑みを作り「帰れ帰れ。もうなにも話すことはねえ」ライ達を追い立てる。

「えぇ……、あ、あとごめん。もうちょっとだけ」

「ちっ」

「偃月刀を一本都合してほしいんだ」

「偃月刀?」

 ギ・リョクの瞳がライの腕を這う。重量のある類の武器を扱うにはあまりにも細い腕。ついでにユーリーンの方も見る。鍛えてはいるが、彼女のほうもそれほど大柄というわけではない。そもそも立派な剣を腰に差している。ここにいない誰か別の支援者のものなのだろうと勝手に解釈する。

「金はとるよ? 武器相場は右肩上がりだし、物がそれじゃ輸入品になる。値はそこそこになると思いな」

「大丈夫」

 ライが言い、後ろでユーリーンが嫌そうな顔をした。しかしハリグモがあのまま使い物にならないのは困る。それに鋤を抱きしめて頬擦りするあれの姿は不気味でどうにかして欲しい。背は腹には代えられないといったところか。

「貴金属類の換金はできるか?」

「できるよ」

 ユーリーンが懐からいくつかの宝石の入った袋を差し出す。

 ギ・リョクが机の上に転がっていた片眼鏡を取った。

「開けるよ」

断りを入れ、袋を開く。宝石を手に取ってよく観察する。

「十五、いや、十六万ウェンだね。文句あるかい?」

「ない」

 ギ・リョクが示した価格は相場として妥当な物だった。ユーリーンは少し驚いた。成り行きからして足元を見られて安く買い叩かれると思っていたからだ。剣を突き付けて脅す用意をしていたくらいだ。

「明日までに用意しとくよ」

 宝石を袋に戻し、突き返す。

「他にはなんかあるかい」

「実は相談したいことはたくさん」

「そりゃ面倒だ」

 ギ・リョクが手を叩いた。若い男の使用人がやってくる。「お客様がお帰りだ」「えぇ、もうちょっと待ってよ」食い下がるライを一顧だにせずに、ギ・リョクが着物の裾を引きずりながら別室に去る。

ライ達はそのままつまみ出された。冬風の吹く道へ放り出される。

「一緒に来てくれると思ったんだけどなぁ」

 ぼやき、軽く地面を蹴る。「その楽観はどこからきているのだ?」本気で怪訝な口調でユーリーンが眉を顰める。「え、だってあの人、めちゃくちゃ押しに弱いよ、たぶん」当然のようにライは言い、小首を傾げる。なんでわかんないの? と、言いたげだがそれは女性経験が無暗に多いライにしか通じない感覚だろう。

「ところで、ユーリーン」

「なんだ」

「……ねむい」

 ユーリーンに寄り掛かる。ユーリーンは抱きとめて、その小さな頭を撫でる。こまやかな髪、汗の匂いが鼻腔を擽る。「それだめ。ねる……」「眠ればいい」「うぅ」肩に手を回して体を支えてやると、ライはすぐに寝息を立て始めた。

「まったく」

 ユーリーンはその細い体を背負い、宿に戻っていく。



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