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死ノ国  作者: 月島 真昼
一章
15/110

ギ・リョク 1


 ライとその一行は草の国の南部に向かって大きく移動した。追っ手が来ていないのが幸いだった。

「なにか追っ手を向けれないようなことがあったのかな?」

「かもしれないな」

 要領を得ない回答しか持たないライとユーリーンの傍で、ハリグモが「皇帝から蒼旗賊討伐の命令が下ったから私たちを追いかけている暇はなくなったのでしょう」と言った。

「……」

「……」

 二人は揃ってハリグモを見つめる。

 ハリグモは村から頂戴してきた鋤に、頬を押し当てている。頬が錆びと土で汚れるが、別段気にした様子もなかった。まさか頬擦りしているのではあるまいな……?、とユーリーンは怪訝な目でハリグモを見る。

「えっと」

「これが一番あれの重みに近いのです」

 偃月刀を失ってから落ち着かなそうだったハリグモが鋤を手にしてから多少なりともまし (?)な形を見せている。剣や槍よりも鋤のほうがいいらしい。ライの目が細くなり、口元が半笑いで引き攣る。気の毒なものを見る目をして「早く偃月刀、見つけてあげなきゃね」と言う。

 ハリグモ自身のことはあまり考えないようにして、ライはようやく彼の言ったことに思い至った。

「皇帝からの蒼旗賊の討伐命令?」

「はい、ロクトウ様の元に、諸侯と協力してやつらを討つようにとの勅が来ておりました。おそらくラ・シンの元にも同じものが来たのでしょう」

「ふうん。じゃあ急がないといけないね」

 唇に手をあてて考え込んでいたユーリーンが、口を出した。

「なあ、ライ。貴様は蒼旗賊と接触して何をするつもりなんだ」

「味方にする、かなぁ?」

 ユーリーンがぎょっとして身を固めた。ライが「え、僕そんな変なこと言った?」と小首を傾げる。ハリグモがお腹を抱えて震えている、声をあげて笑いそうなのをどうにか堪えていた。

「できると思うのか。具体的な方策は」

「さぁ。会ってみないとわからないや。そもそも彼らがなにも考えずに野盗化しただけの人達なら、僕も味方にしたいとは思わないし。まあ大丈夫だよ、きっと。キョウさんの風邪を治してくれた人だから悪い人達じゃないよ!」

 ライは自信満々に言い張ったが、ユーリーンとハリグモの苦笑を誘っただけだった。

なにげなくライは「それと彼らは彼らで僕が欲しいと思うんだよね」と言い添えた。

「なぜ」

「皇族の血っていう大義名分を持ってるから」

「……」

 街が見えてきた。草の国の南端にある大きな街だ。「お腹空いた」とライがぼやく。将校としての教育を受けているハリグモや、幼少期に過酷な訓練を課されたユーリーンはそうした不満を口に出さないすべを学んでいる。

 そうではないライを微笑ましく思う。まだその程度の余裕はあった。

 街に入る。街の人々を威圧しないように、馬を引いて歩く。あまりライ達に注目する人はいなかった。興味深げに一瞥して、だけどそれだけだ。警邏隊が信用されているのだろう。道行く男にユーリーンが「済まないが馬を預けることのできる宿があれば教えていただけないだろうか」と尋ねると、快く案内してくれた。

 宿を取り、馬を預ける。「ギ・リョクという人を探しているのだが、心当たりはあるだろうか」とユーリーンが宿屋の主人に尋ねる。その壮年の男性は眉を顰めた。

「なんの用事か知らんが、あんなのと関わるのはやめときな。身を滅ぼすよ」

「そんなに評判の悪い人物なのか?」

「知らずにきたのかい?」

 ユーリーンが頷くと、主人は呆れて肩を竦める。

「高利貸しさ。それも性質の悪いね。あれの取り立てにあって何人が首を吊ったか、知れたもんじゃない。親父さんの築いた財をあんな風に使いやがって。あのバカ娘め。このあたりじゃあ人食い鬼っていえばあいつのことさ」

「……」

 ユーリーンは薄くライを見た。

ライは頷いて返した。

「その人はどこに?」

「南の外れにあるでかい屋敷さ。見ればすぐにわかる。とにかく忠告はしたよ」

 宿で少し休んで、お腹を満たしてからライとユーリーンが屋敷を訪ねて出て行く。

 ハリグモも誘ってみたが「興味がありません」と言って鋤を抱きしめたまま部屋の隅で蹲っていた。玩具を取り上げられまいとする子供のような仕草だった。「そっか、じゃ行ってくるね」とだけ告げて出てきた。

「あんなに凛々しかったのに」

「そうか? わたしはあの方がいいと思うがな」

 二人は元のハリグモの気取ったような優雅な笑みを思い浮かべて、別々の感想を口にした。少なくとも鬼神のごとき戦い振りを見せて全身を血まみれにしていた青年の面影はどこにもない。

「あの状態のときに誰かに襲われたら大丈夫なのかな?」

「戦い方そのものは身に沁みついたものだから、問題はないだろう」

 そういうものなのか、とライは頷いたが、答えたユーリーンの方は自分で言ったことを疑っていた。

 それから何人かの人々に屋敷の場所を聞きながらギ・リョクという人物の評判を伺ったが、決まって「人食い鬼」、「悪徳高利貸し」、「放蕩娘」の言葉が返ってきた。ライは段々不安になってきた。

ともかく件の屋敷はすぐに見つかった。

「あれ、だよねきっと」

「だ、だろうな」

 馬車が十台は止まれそうな整地された広い庭があった。実際に数台の馬車が止まっていて、馬が繋がれている。その向こうに、人が百人は住めそうな大きな屋敷がある。

 戸を叩いてみたが返事はなく、「ぎゃはははは」と品のない女の笑い声が漏れていた。試しに押してみると、するりと開く。ライが中を覗いてみると、全裸の上に孔雀の尾羽で作られた大きな装身具を身に着けた中年の男性が、一心不乱に謎の踊りを披露していた。くるくると回転し、両手を広げ、大股を広げてびしっ、と止まる。ライと目があった。再び男が回転を始める。その奥で上物の着物を身につけた大柄な女が腹を抱えて笑い転げている。ライはこの世の終わりを見たような気がした。戸を閉めた。

「ユーリーン、帰ろう。ここにはなにもなかった」

「いいのか。蒼旗賊への手がかりは他にないのだろう?」

 屋敷の中を見ていないユーリーンが怪訝な目でライを見る。ライは首を横に振る。

「と、とにかく、なにもなかったんだ」

 がらりと戸が開いた。

「なんだ。客かい」

 六尺はありそうな大柄な女がライを見下ろす。茶色の大きな瞳が品定めするようにライを見つめる。口元は少し吊り上がっている。この世のすべてを嘲笑するような挑発的な顔立ちだった。錦糸で織られた上質の着物と、無造作に肩まで伸ばされた赤暗色の髪の色が、気質の勝ち気さをより強く見せていた。

ライはおそるおそるその大柄な女を見上げる。視線が合うだけで蛇に睨まれた蛙の気分になった。喰われる、とさえ思う。

 ある種類の図太さを持つユーリーンが踊り続けている背後の男を一瞥してから女に視線を移し「ぶしつけに訪ねてきて申し訳ない。ギ・リョク殿の屋敷はこちらだろうか」と無表情で訊ねた。ライはあれに反応せずにいられるユーリーンの胆力に驚く。

「あたしがギ・リョクだ。なんか用事かい」

「蒼旗賊についてあなたの知っていることを教えて欲しい」

「あん?」

 ギ・リョクの眉間に皺が寄る。「……まあいいや。入んな」と言い、振り返る。未だ全裸に孔雀の尾羽だけを身につけて踊り続ける男に向かって「おい、もういいよ。隣の部屋に用意してあるから持ってけ」と言った。

「ありがとうございます! ありがとうございます!」

 男は地面に頭を擦りつけて何度も礼を言う。

「邪魔だからさっさと出てけ」

 ギ・リョクはそれをつま先で蹴った。

「はい、失礼致します。ほんとうにありがとうございました」

 男が蹴りだされて退室する。ライはユーリーンを振り返った。泣きそうな表情だった。

「ユーリーン、僕ほんとうにここにいて大丈夫かな。いまからでも帰ったほうがよくないかな」

「大丈夫だ。私がついている。殺されることはない」

 ユーリーンはわかっていない。たしかにユーリーンがついている限り、この場で命の危険はないだろう。彼女にはそれだけの武力がある。だがライは命の危険を感じているのではない。身の危険を感じているのだ。

 ギ・リョクがどかっ、と身を崩して座布団の上に座る。ライとユーリーンに同じものを投げて寄越す。二人はそれに尻を乗せる。

 ギ・リョクは肘を太もものあたりについて掌で頬を支えている。品定めするように薄い笑みを浮かべてこちらを覗き見る。ライは大きな蛇の前に立っている気分になった。その蛇はライを体ごと飲み込んでしまえるような体躯を持っている。体つきは太いが肥満的な感じはしない。しなやかな体つきをしている。

「改めて自己紹介から行こうか。ギ・リョクだ。族名は三代前の親父が放り捨てた。金貸しをやってる」

「ニ・ライ=クル=ナハルだよ。こっちは友達のユーリーン」

 ライは勇気を振り絞って、いつもの調子を装った。

 目敏いギ・リョクはすぐに「ナハル。皇族かい?」と尋ねる。

「そうだよ。証拠が見たい?」

 ライは掌を下に向ける。木造りの床の下で土が蠢く。

 その気になれば床板を腐らせて泥に変えることもできた。

「別にいいや。てめえの身分が立派でもあたしのやることはなんも変わらねえ」

 ライはあてが外れた気分になる。ギ・リョクが身を乗り出した。

「それで、蒼旗のなにが聞きたいんだい」

「頭領の所在。話してみたいんだ」

「そいつは高くつくぜ。なにせ官憲の連中が走り回って未だに掴めずにいるんだ。少なくとも今日昨日の客にゃ、いくら金を積まれたところで売れねえや。こっちに信義ってもんがある」

「む」

「てめえがあたしから買い取った話をそのまま官憲に売り飛ばさねえとは限らんからな」

 もっともな話だった。ライは嬉しそうにユーリーンを振り返った。

「しょうがないね、ユーリーン。出直そう」

「貴様が言い出したことだろう」

 ユーリーンは立ち上がろうとしたライの肩を押さえた。強い力で押さえつけられる。身動きが取れない。ライは捨てられた子犬のような目でユーリーンを見上げる。

「なんのために南方くんだりまできたのだ」

 ユーリーンは冷めた目で見つめ返す。

「てめえら。“入信”じゃあだめなのかい? そっちなら手配してやれなくはないが」

「下につくんじゃダメだ。対等な立場じゃないと、きっと間に合わないから」

「何に」

「粛正に。皇帝が勅令を出して、蒼旗賊を討伐しようとしてるんだって」

「……」

 ギ・リョクは唇に指をあててしばらくなにかを考えていた。

「帰るとか間に合わないとか、態度がころころ変わるね」

「正直どっちでもいいんだよね。直接僕に差し迫って脅威が来ているわけじゃない。この機に接触できなかったら、時流に乗り遅れるとは思うんだ。蒼旗賊十万はラ・シン=ジギ=ナハル率いる壊獣の群れに完膚なきまでに粉砕される。僕は何も手にすることはできない。でもそのときはまた別のやり方を探すだけだから」

「妙な小僧だね」

「そう、僕は妙な小僧なんだ。ちんちくりんで自分になにができるかもよくわからない。いまのところ行き当たりばったりの出たとこ勝負。計画もなにもありゃしない」

 ライは吐き捨てるように言った。すでに実力あるシンと自分を比較して嫌になってくる。啖呵を切ったのはいいものの、実際にあれの築いたものをすべて粉砕するにはどれほどの力が必要になるのだろうか。

「金はあんのかい」

「それほど多くはない」

 ユーリーンが答えた。

 当座の兵糧に充てる分を考えれば余力は皆無に近かった。

「じゃあ、なんだ。誠意を見せるかい?」

「えっと、頭でも下げればいいの?」

「てめえの安い頭下げられたところで一ウェンにもならねえだろうが。踊れつってんだよ」

 ギ・リョクが挑発的に口端を吊り上げた。

 踊っても一ウェンにもならないんじゃないの? とライは思ったが、のちのちにそれが間違っていたことを悟った。


 

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