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死ノ国  作者: 月島 真昼
終章
110/110

エピローグ


 ライが次に目を覚ましたのは簡易寝台の上だった。布を突き抜けて太陽の光が差し込んできて幕舎の中だとわかる。翅の国が張っていた陣地の中だった。

「お、起きたか」

 長椅子の上で寝へそべりながら本を読んでいたギ・リョクが身を起こす。本を閉じる。

「ああ。ギ・リョクがいるってことは、ここが地獄か。僕は天国にはいけなかったんだね」

 ギ・リョクは本の背でライの頭を叩いた。ライの目の中で星が飛んだ。

「いちいち腹の立つガキだなてめえは」

 本を置く。

「現状について話すぜ?」

 膝に肘をついて、真剣な目をしてライを見る。

 ライは自分の体を見た。あちこち傷だらけだ。左腕がなくなったままだ。が、それでもまだ生きているらしい。でもどうして? と思う。ライは魔法の行使で限界を超えて力尽きた自分と、そんな自分を見下ろすシンの姿を覚えている。ひどく頭が痛くて朦朧としていたけれど自分はシンに敗れた。それだけは確かなはずだ。誰かが助けてくれたのだろうか。例えば、ユーリーンが。

「シンが死んだ」

「洒落じゃないよね?」

 ギ・リョクはもう一度本を取った。

 背表紙でライの頭を殴ろうとしたのをライが手をあげて制する。

「てめえが殺したんじゃないのか?」

 ライは「僕じゃない」とだけ答えた。ギ・リョクはさほど驚かなかった。シンの首の切断面からそのことに察しがついていた。ライの泥で物を切断すると、その断面は削り取ったように荒くなる。シンの死体の断面は鋭利な刃で断ち切ったそれだった。どうでもよさそうにギ・リョクが言葉を続けた。

「戦争はあたしらが勝った。シンの首がねえから多少手間取ってるが、代わりに“壊獣の消滅”って証拠があるからなんとかなってる。おおよその制圧が完了した。あとはてめえが一言、“俺たちの勝ちだ”って宣言すりゃそれで事が済む」

「キ・ヒコはやっぱり」

 ライはあれが夢の中の出来事だったような気がして訊いてみた。

「ああ。駄目だった」

「ユーリーンは?」

「……」

 ギ・リョクは少し迷った。

 けれど先延ばしにしてもいつかわかることだ。

「死んだ」

 短く言う。

「そっか」

 ライは俯いた。右手で顔を覆う。

「ごめん、ちょっとだけ一人にして」

 頷いたギ・リョクが幕舎から出ていく。

 ライは一人になった。

 しばらくは涙も出てこなかった。ユーリーンの死を現実のことだと受け止めるのに時間を要した。力を抜いて体を横たえる。体が重かった。動かなかった。自分が泥の塊になってしまったような気がした。ユーリーンのことを思う。自分はともかくユーリーンにはもっと他の生き方があったんじゃないかと思う。

 勿論ユーリーンはライに巻き込まれたくて巻き込まれたし、この生き方を選びたくて選んだ。ライを恨んでなどいない。彼女が恨んだものといえば自分の死の技くらいのものだろう。悔やんだことといえばこの先にライを守れなくなることくらいだろう。

 でも残された側はそんな風には割り切れなかった。

 ああすればよかったんじゃないか、こうすればよかったんじゃないか、と実際にはできなかったことばかりが思い浮かぶ。

 ようやく涙がこぼれた。それを皮切りにして全身から液体が溢れていくような感覚があった。あらゆる感情がライの体からあふれ出して流れ出ていった。ぼんやりと天井を眺めていた。その感覚はまどろみに似ていたけど意識ははっきりしていて胸が痛かった。心が心臓にあると最初に思った人は好きな人を失ったのかもしれない。

 そのうちギ・リョクが戻ってきてライはぼんやりと彼女を見る。

 はぁ、とギ・リョクはため息をついてライの頭を撫でた。手を握った。

「あたしにこういう優しさは期待するなよ」

 口ではそう言ったけれどギ・リョクの手は随分優しくライを暖めてくれた。悲しみの大きさからすればそのぬくもりは決して十分ではなかったけれど、助けにはなった。

「ギ・リョクはつらくないの」

「慣れたさ。いろいろやったからな」




 ライとギ・リョクと翅の国の兵が草の国を支配下に置く。

 とはいえすぐに大きな変化は起こさなかった。草の国は安定していてその必要もなかったからだ。差別にあっていた人々を助けて、保護して、場合によっては翅の国の本国に移送してそれで終わりだった。草の国に残っていた文官達はすぐに新しい支配者を迎えいれた。

 内心でいまのシンに嫌気が差していたのかとライは思ったが、実態は異なった。彼らは賄賂や不正を許さなかった苛烈なシンが退いて与しやすそうな幼い王の訪れを喜んだのだ。ましてやその王の側近が賄賂、買収等のあくどい金の使い方で知られたギ・リョクだ。自由な時代が訪れると信じた。ギ・リョクはそんな彼らを鼻で笑っていたけれど。

「どうすればいいと思う?」

 ライはギ・リョクに尋ねてみる。

「野郎の、シンのやり方を引き継いだらどうだ? 差別的なもの以外は野郎の手際はなかなかだぜ。制度自体には特に問題ねえだろ」

 若く有能な王にキ・シガがついていたのだから当然だなとギ・リョクは思う。

「問題は、あるんだよね……」

「あん?」

「僕がシンほど有能じゃないってこと」

「ああ」

 それからあたしはキ・シガほど有能だろうか? と考える。

 支配者の不在に荒れていたのは旧・灯の国領と旧・王の国領だ。草の国の残党が立てこもり、翅の国の打倒を目指している。もっと先のことかもしれないがいつか争いが起きるだろう。シンが最後に放った死の霧によって半壊した翅の国には現状でそれらの残党に回せるだけの兵士が残っていなかった。河の国のユ・メイに協力を求めたが、一つの大国による大陸の支配を快く思わないシュウによってその要請は拒まれた。

 争いの火種は大陸中に燻ったままになる。

 シンの言ったような新たな英雄、新たな覇王などとんでもない。不安定な足場の上にライはどうにか落ち着いていく。



 ライはそれから三年ほど生きて、死んだ。

 突然のことだった。ある日の朝に寝台から起き上がってこなかった。

 様子を見に行ったら呼吸が止まっていた。死因は心不全ということになった。

 政情は未だに乱れていて新しい王が早急に必要だった。

 ギ・リョクが新しく王位についた女を思いっっきり顔を顰めてにらんだ。

「……なによ、その目は」

「いいや、べっつにぃ。なんでもねえよ。理想のために必死こいて戦ったシンやライが簡単に死んで、布団被って丸まってただけのてめえのところに王座が落ちてくるなんて、この世界はほんっとうに理不尽だなぁ! と思っただけだよ」

 言いながらギ・リョクは自分自身に対して同じことを思う。

 ライを守るために必死に戦ったキ・ヒコやユーリーン、兵士達は死に、兵糧の管理や作戦の立案、資金の捻出に留まって後方支援に徹したギ・リョクが生き残る。それはひどく理不尽なことのように思えた。

「全部言ってるじゃないの。不敬よ! 不敬! 誰かこいつ打ち首にしなさいよ!」

 エ・キリ=ヤグ=ナハルが感情的に叫んだが、周囲の誰も彼女の声を聴こうとしなかった。

 実際的に国を取り仕切っているのがギ・リョクで、ギ・リョクがいなくなればこの国がどうにもならないことを知っていたからだ。エ・キリは「きいい」と神経質に唸ったけれど白い目で見られるだけだった。

 ギ・リョクは溜息を吐いた。

「くそ。新しい王は必要だし、それに覇王の血を継いだこいつが妥当なのはまあ理解はできなくても納得できなくはないが、よりによってなんでこんな無能なんだよ。シンのやつほどとは言わねえが、せめてライとかカイとかぐらいの脳みそはあってもよかったんじゃねえのか」

「だからはっきり言わなくてもいいでしょ!? わかんないからお飾りの王様やったげるって言ってるじゃない! 好きにすればいいでしょ。だいたいあたしが生まれたときにはもう覇王は死にかけで国の中大荒れで勉強どころじゃなかったのよ!」

 


 その後、二十年ほど草の国の残党との小競り合いが続いた末に、ギ・リョクの死とほぼ同時に翅の国は滅び去る。

 国々は無数に分裂しまた動乱の時代が訪れる。

 歴史は繰り返す。進んでいくとも限らない。

 同じ場所をぐるぐると回っているだけなのかもしれない。



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