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死ノ国  作者: 月島 真昼
終章
107/110

ラ・シン=ジギ=ナハル 21



 ライとキ・ヒコがヤツマタに向かって突っ込んでいく。

 ふとライは大きく後ろを振り返った。築き上げた泥の壁は既に崩れて後方には兵士が雪崩れ込んでいる。残してきたユーリーンの姿は既に見えない。虫の知らせだろうか。得体の知れない不安を感じたライは「ユーリーン?」と溢した。

「少年」

 キ・ヒコが言う。ヤツマタは既に目前に迫っている。他のことに注意を払っている余裕はなかった。

 不安を振り払って、ライは泥の魔法を使おうとした。


「トバリ」


 どこからかシンの声がした。

 一刹那もしないうちに周囲の景色が塗り替わる。そこは真っ白な部屋だった。床も壁も天井も白い。窓はない。周囲にいたはずの人間が消え去っている。

 広さは八畳程だろうか。ライの向かい側に、シンがひじ掛けのある白い椅子に座ってこちらを見ていた。「座れ」と言う。

「少し話をしよう」

 シンの向かいで、同じような椅子が床からせり上がってくる。ライは試しに泥の魔法を使おうとしてみたが、なんの反応もない。諦めてライはその椅子に腰かけた。

「ここは?」

「“トバリ”という壊獣の腹の中だ。安心しろ。この壊獣に攻撃能力はない。こいつにできるのは一定範囲の空間を飲み込むことだけだ。この中では時間すら経ちはしない。もっともこいつ自身が生きていられるのはほんの数分程度で、こいつが死ねばこの空間は砕け散る。元に戻る」

「ふうん」

 ライは頭を掻いた

 シンがくすりと笑った。

「どうして僕をこんなところに? いまさら話すことなんてなにもないでしょう」

「そうかもしれんな」

「……まあいいよ。僕にはなくてもあなたにはあるんだね?」

「おまえは俺の作った国をどう思った?」

「控えめにいってもクソだと思ったよ」

 ファック、とライはハクタクの真似をして言った。

「翅の国に亡命してくる人たちがたくさんいたんだ。ぼろぼろの身なりで、満足になにも食べてなかったのかやせ細って、特にイナの人はみんな傷をこさえてた。手の甲に焼き印を押したのは君の提案?」

「違う、と、言いたいところだがこのところ記憶が曖昧でな」

 ライは嫌悪感をもってシンを睨んだ。

 一方でシンの様子が以前とは違うことにも気づいていた。シンの目を見る。枯草色だったその目は鮮やかな緑の色を取り戻している。王の国であった時の、ことさらに邪悪を見せつけるような雰囲気が去っている。善性を取り戻したかはあやしいが理性の方はどうにかなっているように思う。

「では親父の作った国はどうだった?」

「……」

「レン兄が引き継いだ汚賄と不正の王国は、おまえの目にどう映った?」

「……きみの国と同じくらい酷い国だったと思うよ」

 シンは満足したように頷いた。

「俺が死ねば大陸は大きく乱れるだろう。押さえつけられていた不満が噴出してあっちこっちで反乱の嵐になるはずだ。誰も彼もがその対処に追われる。治安が乱れて、民は英雄の出現を欲するようになる」

「だから自分を殺すなって?」

「いいや」

 シンは指先をライに向けた。

「おまえがその英雄になれ。新たな覇王となって、この大陸に君臨しろ。それならば、俺はこの椅子を退いてもいい」

 自分の首に触れてとんとんと軽く叩く。そうして軽く舌を出した。

 斬首されて筋肉の統制を失った死体がそうするように。

「お前は俺と親父の二人の失敗を目にした。それを正せば俺たちよりはましなまつりごとができるはずだ」

 諦観の笑みを浮かべる。自分の邪悪に呑まれて道を誤ったシンは、これが、ライを導くことが自分に最後にできることだと、そう信じた。けれどライはそれを裏切る。「できないよ」と呟く。

「ここまできてまだ言うか。皇族の責務を弁えろ。俺やお前は人々を導かねばならんのだ。血が理由ではない。学力の水準の低いこの世界では能力のある君主が人々に道を作ってやらねば多くのものが路頭に迷うのだ。それがわからないおまえではあるまい?」

 ライは小さく首を振った。

「違うよシン。僕はやらないんじゃない。できないんだ」

「……どういうことだ?」

「僕はもう死んでるんだ。あの十余年前の日に、生まれてすぐに僕はアゼルに焼き殺されたんだ。僕は『屍』なんだよ。ツギハギと自分の魔法が複雑に捩じり合わせれて今日まで動き続けてきただけなんだ。ツギハギが死んだいまとなっては、この体はいつ止まったっておかしくないんだよ。明日にでも、いいや、今日いまこの瞬間にだって僕は死体に戻ってもおかしくないんだ。どんなに長く持ったとしても五年は持たないと思う。僕は新しい覇王には決してなれないんだ」

 シンの顔から表情が抜け落ちた。

「君を倒す。これは僕が屍に還る前にどうしても、なんとしてもやらなければならないと思ったたった一つのことなんだ。僕が君を殺すのは結局のところ世の中をよくするためなんかじゃない。僕が君を気に食わないと思ったから。君がユミさんを殺したから。ただそれだけの話なんだよ。わかるかい?」

 組んでいたシンの両手がかたんと落ちた。

 シンを覆っていたのは、絶望だった。たった一つの望みを絶たれた、死病にかかった病人のような声で「そうか」とだけ呻いた。

「おまえが俺の誤りを正してくれるならばここで退くのもいいと思っていたのだが」

「ごめんね」とライは言った。

「ならば、俺はここで死ぬわけにはいかないな」

 シンは自身に残る最後の気力を振り絞って邪悪な笑みを浮かべた。

「うん。そうだよ。僕らは殺し合って最後を迎えるんだ。シン、僕はあなたを殺す。必ず殺す」

「ああ。ライ。俺はおまえを殺す。生きて俺自身の誤りを正すために」

 シンがぱちんと指を鳴らす。

 それを合図にトバリが死に、閉鎖空間が砕け散る。

 戦場の喧騒、血の匂い、馬の背にライが戻ってくる。前方ではキ・ヒコがライのための道を切り開いている。ヤツマタはもうすぐそこ。城壁の上からライを見ろしているシンを見つける。

 ライは泥の魔法を使った。

「いくぞ、ヤツマタ」

 シンが叫んだ。

 最強の壊獣が八本の首を広げて、ライに襲い掛かる。




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