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死ノ国  作者: 月島 真昼
終章
106/110

ユーリーン=アスナイ 7



 ライが前進すると同時に効果範囲を離れた泥の壁が崩れていく。スゥリーンとユーリーンの周りに両軍の兵士が雪崩れ込む。ユーリーンは全身から力を抜いた。糸の切れた操り人形のようにかくんと沈んだ彼女の体が突き出された槍をすり抜ける。力の抜けたままくるりと体を捩じり、遠心力と同時に腕を振る。首から入った刃が逆側に抜ける。骨まで鮮やかに両断されて兵士の首が落ちる。血が噴き出る。回転の勢いを反動として扱い叩きつけるように足をつく、加速する。逆の手で抜いた短剣が別の兵の心臓を捉える。短剣を抜くのと同時に背面に放り投げると、背後からユーリーンに襲い掛かろうとしていた兵士の眼球に突き刺さって奥の脳髄に達した。絶命。

 スゥリーンが地面を蹴った。『蹴』の魔法によって強化された脚力が超速度を生み出す。反応すらできない兵士を袈裟懸けに斬りつける。首筋から胸にかけてを深く切り裂く。軽く横に跳んで、突き出された槍を躱すと槍を突き出した兵士の兜を掴む。腕を振る。引きずり倒す。軍靴の底が降り降ろして頭蓋骨を砕く。スゥリーンの足が真っ赤に染まる。スゥリーンが右足を真後ろに跳ね上げた。踵が背後の兵の顎を蹴り飛ばした。首の骨が折れて肉が引きちぎれた。生首が空を泳ぎ、鮮血の尾を引いて落下。

 二柱の死神の周囲から人間がいなくなる。ユーリーンは左手の指を擦り合わせてぱちんと音を鳴らした。ユウリーンの顔から表情が脱落する。示し合わせたように二人が剣を振った。横薙ぎの一閃。神速の刃が重なり、高い金属音をあげる。互いの剣が弾かれる。

(威力は)

(ほぼ互角か)

 ユーリーンが納刀、居合いの構えを作る。速度差があることを自覚するユーリーンは以前のようにスゥリーンを待ち受けようとする。(私の投剣術じゃ構えを崩せないと思ってる?)舐められたものだな、とスゥリーンは思う。短剣を四本引き抜く。両手の指の間に挟んだそれを投げつける。ユーリーンは微かに身じろぎして、投剣を躱す。剣をわずかだけ引き抜いて柄をあてて弾く。スゥリーンが五本の短剣をまとめて宙に放り投げた。「!」空中で五本が直線に並んだ。スゥリーンの右足が高く跳ね上がる。正確に柄を蹴りだされた五本の剣がまとめて襲い来る。「くっ!」ユーリーンは剣を抜き払い短剣の二本を弾く。体を捻って短剣を躱す。躱しきれなかった短剣が左胸のやや下、肋骨を削る。出血。隙と見たスゥリーンが空を蹴って駆ける。落下と共に振り下ろされた剣は、しかし身を引いたユーリーンの眼前を撫でただけ。「っ……」時間を止めることのできるユーリーンに大振りの一撃は当たらない。着地の瞬間に勢いを殺しきれずにスゥリーンの体が一瞬停止する。体が沈みこんでユーリーンの剣を躱そうとする。ユーリーンは膝を叩いた。膝の先から錐に近い形状の暗器が伸びる。その膝が顔をめがけて放たれる。

 寸でのところで首を捻って貫かれることだけは避けた。目の下から入った暗器がスゥリーンの骨を削って頬肉を大きく抉り取る。(片足……)スゥリーンは低い姿勢のままで、膝を伸ばしたことで片足となっているユーリーンに足払いをかけた。ユーリーンが片足で跳躍して足払いを避ける。スゥリーンの体を半ば飛び越えるようにして体を入れ替える。離れ際にスゥリーンが短剣を投げた。不十分な態勢で躱すことができずに、ユーリーンは右腕を盾にして投剣を受ける。

 元々右手は肩を砕かれた負傷から回復しきっていなかった。ユーリーンが右腕から短剣を引き抜く。だらりと垂れた血を舐めとる。死の味がした。

「ふふふ、ひひっ」

 ユーリーンは急におかしくなってきて表情を崩した。

 敵は強い。自分と比較して遜色がない。彼女が欲したものが、願ったものが目の前に転がっている。

 自分のすべての技を目一杯に振るっても、コワレナイオモチャ。

「ははははっ」

 ユーリーンが無造作に近づいていく。左手に剣を持ち換える。利き腕でない左手にも関わらず稲妻に似た一閃を放つ。スゥリーンは半歩退いて剣を躱そうとした。瞬間、剣が伸びた。途中で剣を手放したのだ。飾り紐に指を引っ掛けて剣に制動を掛ける。紐の長さの分だけ間合いが変化する。 『無拍』 ずしゅ。スゥリーンの胸に真一文字の傷が残る。ぎりぎりで躱して反撃で出ようと考えたのが、裏目に出た。

 ユーリーンは遊ぶように剣を回転させる。ひゅるひゅると風を切る音が鳴る。遠心力で剣閃を操る。スゥリーンが大きく後退して剣を躱す。ユーリーンが間合いを詰める。縦薙ぎの剣を振り下ろす。右に逃げたスゥリーンを、追撃に放った蹴りが捉えかける。ハリグモを翻弄した剣と蹴撃の組み合わせ。スゥリーンは膝を蹴り上げて肘を振り下ろした。びぎり。肘と膝の間に挟まれたユーリーンの脹脛の骨が軋む。続くユーリーンの剣閃をスゥリーンが自分の剣で払いのけた。飾り紐が千切れて、しっかりと握られていなかった剣が吹き飛んでいく。

「同門にそんな大技が決まるなんて、ほんとに思ってたわけじゃないよね?」

 スゥリーンの剣が返ってくる。ユーリーンは短剣を抜いて剣を弾こうと構える。が、スゥリーンは空中に置くように途中で剣を手放した。『双燕』の応用。刃の軌道に待ち構えていたユーリーンの剣が空振る。迅雷の速度でスゥリーンの右手が内襟を取る。体重をかけて引いて崩す。逆の手で袖を掴んで引く。ユーリーンの足の間でスゥリーンの右足が九十度の角度で踏み込む。(投げ技……!)内股。ユーリーンは神速の反射で左足を引いた。内股透かし。けれど透かしを読んでいたスゥリーンは即座に足を入れ替えて「払腰」へと切り替えた。スゥリーンとユーリーンの体の技はほぼ同等の技量だ。剣の術においてはユーリーンの方がわずかに上。だが足技に関してはスゥリーンの方がわずかに上だった。ユーリーンの右足が刈られた。べきりと足の骨の砕ける感触がした。スゥリーンよりも十五センチメルトルは背の高いユーリーンの体が宙を舞った。受け身も取れずにユーリーンは硬い地面に叩きつけられた。運悪く落ちていた槍の穂先がユーリーンの腰を裂いた。ユーリーンは腰の暗器に手を伸ばしかけたが、スゥリーンがその手を踏みつけた。

 ユーリーンは空を見上げた。灰色の空に色がついていく。

 ……水色の空に白い雲が浮かんでいた。弱い風が少しずつ雲を押し流していく。

 ああ、いい日だな、と思う。

 喉にスゥリーンが剣の切っ先を突き付けられれる。

「勝った」

 スゥリーンがぽつりと溢した。

「ねえ、お姉ちゃん、私、あなたに勝ったよ?」

 朴訥とした、ただの少女のような声だった。

「ああ、私の負けだ」

 ユーリーンは目を閉じて四肢から力を抜く。

 繰り出せる手段はなにも残っていない。完敗だった。

「私はあなたの劣化じゃないよ。私は私だよ?」

「問うまでもなかろう? おまえは私よりも強いのだから」

 スゥリーンが剣を取り落とす。ユーリーンの顔の横の地面に突き刺さる。

 ユーリーンはスゥリーンがシンに認められたいから、褒められたいから戦っているのだと思っていた。けれど違った。スゥリーンが認められたかったのは、彼女を育てたルウリーンだった。そしてルウリーンが天賦の才と認めたユーリーンだった。

 父は魔法の他に才と呼べるもののなかったスゥリーンに対してどんな振る舞いをしたのだろう。どのようにして才なき少女に体の技を叩きこんだのだろう。ユーリーンには想像する他ない。だって彼女は、教えれば教えるだけ技を身に着けた天賦の才の持ち主だったから。幼いユーリーンにとってルウリーンは、“突然殺そうとする”他はよい父だったから。ルウリーンはユーリーンに対して“麻薬で恐怖を殺そう”などとは決して考えなかったから。

 膝をついて啜り泣きをはじめたスゥリーンをユーリーンは優しく抱きしめた。

 はじめて会ったときにこうしていればよかったのだといまさらのように思う。

 彼女を自分の影だと思った。どうしようもなく憎んだ。幼い頃の殺人を得意になって誇っていた自分自身と重ねた。醜いと感じた。見たくなかった。消してしまいたかった。

 受け入れてあげればよかったのだ。彼女のことも、幼い日の自分のことも。

 ユーリーンの手は血にまみれている。それはもう取り返しがつかない。自責の念と自己嫌悪はどこまでもユーリーンの人生に付きまとう。でもそれでも生きていくしかないのだから。ユーリーンが死んだって殺した人間が生き返りはしないのだから。

 いつか復讐の刃が自分の胸を貫く日がくるのかもしれないけれど。

 それでもせめてその日までは生き続けなければならないのだから。

 血まみれになって姉妹が抱き合う。

 いつのまにかユーリーンも泣いていて嗚咽をこぼしていた。


 兵士が無防備なスゥリーンの背中に向かって槍を振り上げていた。凄絶な一騎打ちが終わって兵が彼女たちの周囲に少しずつ戻ってきていた。感情に呑まれてほとんど自失しているスゥリーンはそれに気づいていなかった。ユーリーンは寸前で気づいた。

 槍が振り下ろされた。

 どうしてだろうか。体が勝手に動いてしまった。ユーリーンはスゥリーンを抱き込むようにして、彼女を庇った。ユーリーンの心臓を穂先が貫いた。槍を掴む。自分から引き抜かれた槍がもう一度スゥリーンを襲わないように。最後の殺意を込めて兵士の顔を見上げる。ひっ、と短い悲鳴をあげて怯えた若い兵士が逃げていく。

 これでいい、と思う。

 いつか死の呪いが溢れて自分を飲み込むよりも。

 血まみれのこの手で最後にこの子を護る死に方のほうがいい。

 だから、これでいいんだ。

「……お姉ちゃん?」

 スゥリーンは目の前で力の抜けていく姉の姿を見ていた。

 ユーリーンが事切れてからもしばらくの間、その死体を見下ろしていた。


 万象一切の生死を司る死ノ神は最後に妹の命を守って死んだ。



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