表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死ノ国  作者: 月島 真昼
終章
102/110

ユ・メイ=ラキ=ネイゲル 10


 引くと思ってたんだけどなぁ、僕もまだまだってことか。とシュウは小さくぼやいた。

 ユ・メイが犬歯を剥き出しにして暴力的な笑みを浮かべる。剣を抜き払う。

 ローゲンと騎兵たちはユ・メイとの開戦を選んだ。地平線の向こうにずらりと並んだ騎兵が疾走してくる。地鳴りに似ている無数の蹄が地面を蹴る音が響き渡る。戦場に慣れないシュウには世界が揺れているように感じた。

 ユ・メイは自分の指揮する軍隊の先頭に立つ。

「てめーら」

「へい、お頭」

 河の国の兵隊達が一斉に、水筒を掲げた。逆さにして地面に落とす。

 一人一人が持ち運んでいたその水の量は、せいぜい2リットル程度だ。三万の軍隊が一斉に解き放った水の総量は、実に6万リットルに及ぶ。それでも自然の川や池の水量と比較すればごくわずかだ。が、足しにはなった。

 ユ・メイはさらに雲や地脈の中から水を引き出す。

 水の魔法によって、おおよそ70トンあまりの質量を持った水龍が形成される。

「おおおっ!」

 咆哮と共にユ・メイは水龍を放った。ユ・メイに操られた小さな津波が敵騎兵の前衛を粉々に打ち砕く。飛沫が散り、大きな音を立てる。なにもかもが濁流に呑まれて部分的に視界が効かなくなる。

「……、!?」

 そのなかで、敵の中の一部分だけが黒い網状のものに防がれて無事でいる。水の威力が遮られている。リクコンという壊獣が数匹まとまって人間の髪の毛に似ている触腕によって激流の侵入を防ぐ。内部の人間を守っている。

(ローゲンはあそこか)

 水煙が視界を遮る中で、ユ・メイがそこへ一直線に襲い掛かろうとして、不意に殺気を感じて倒れこむように身を屈めて首を丸めた。低く地面に伏せる。ユ・メイの頭上の数ミリ上を“爪”が薙いでいった。髪の数本が舞い散る。津波に紛れて右手側の山林から駆け下ってきたローゲンだった。奇襲を外したローゲンが舌打ちする。水煙に紛れ、ローゲンに続いて騎兵達が駆け下ってくる。

 ローゲンは最初から正面の陣地にはいなかったらしい。

“人狼”の異名を取る女が爪を掲げる。ユ・メイが水龍を引き戻す。

 河賊達がローゲンに襲いかかる。騎兵達がユ・メイに襲い掛かる。

 爪が人間の束を輪切りにする。水龍が馬と人間を打ち払う。

「!」

 威力こそユ・メイの水龍が上だが、小回りはローゲンの爪の方が上だった。水龍が引き戻される前に、腕を振ったローゲンの爪がユ・メイに襲い掛かる。ユ・メイが剣を振るい十本の爪の内の数本を打ち払うが、残った数本がユ・メイの皮膚を切り裂く。大腿部や肩から出血。

(もう一撃……!)

 水龍が帰ってくる前に攻めようとしたローゲンの眼球に向かって、赤い光が飛びこんできた。「!?」ローゲンが目を閉じる。光は瞼を切り裂いて眉の方へ流れて力を失う。光の正体は飛び散ったユ・メイの血から出来た極小の水龍だった。元より右目が潰れているローゲンは、残る左目に少しの力を加えてやるだけで容易に視界を失う。水と異なる成分を含んだ“血”は本来『水の魔法』で操るには時間が掛かるが、自身の魔法力と親和性の高い自分の血であれば話は別だった。

 視界が効かないままにユ・メイを引きはがそうと、ローゲンががむしゃらに爪を振り回す。視界が効かないとどうしても迷いが生じる。キレが甘くなる。ユ・メイは多少の傷を負いながらも爪を剣で打ち払い最小の負傷で潜り抜ける。あちこちの皮膚が裂けて血霧が舞い散るが致命傷ではない。(造作もねえな)ユ・メイがローゲンの胸に剣を突きこもうとした。その剣を、黒い触腕がローゲンの胸から伸びて、掴んで止めた。ローゲンの服の隙間から人差し指程度の大きさの少女に似た姿の壊獣が顔を出す。ユ・メイは剣を手放した。触腕が奪い取った剣を彼方へと放り投げる。目を開いたローゲンが爪を振るう。致死の間合い。ユ・メイはさらに間合いの内へと踏み込んだ。

「なっ……」

 腕の内側まで踏み込んだユ・メイの後方を爪が薙ぐ。リクコンの触腕がユ・メイを掴もうとするが血で出来た水龍の群れが降り注いで触腕を打ち落とす。ローゲンは逆の手を引いて爪を突きこもうとする。それよりも早くユ・メイの肩がローゲンの顎を跳ね上げた。透かさず首の後ろにユ・メイの腕が回る。腕を折りたたみ二の腕と肘を使ってローゲンの首を挟み込むようにして、そこから体を回転させる。腰を支点にして、ローゲンの体が宙に浮きあがる。首投げ。回転に巻き込まれたローゲンの体が地面に強く叩きつけられた。すぐさま両膝でローゲンの腕を封じる。同時にリクコンを肘で押し潰す。人差し指程度の大きさの少女が押し潰されて、体液をぶちまけて死ぬ。ユ・メイは暴力的な笑みを浮かべた。人を殺し慣れている女の笑みだった。

 ユ・メイは自身の傷口に触れると、血から出来た杭に似た形の水龍を体内から取り出す。

 そして、その杭をローゲンの左目に向けて突きこんだ。

 

「はっ」

 両目を潰されたローゲンがあたりの様子を探るように手を動かしている。瀕死のローゲンを見下ろして、ユ・メイが嘲笑を浮かべる。ローゲンの顔を蹴る。手を踏みつける。ぐしゃり。骨が砕ける感触がした。何度も踏みつけてローゲンの手を入念に潰す。爪の魔法を二度と振るえないように。ローゲンの口から意思とは無関係な悲鳴が上がり、唾液がだらしなくこぼれた。ぴくりぴくりと全身が震えて、戦う意思を無くした女の体が胎児のように丸まる。“人狼”は死に絶えて、ただの人間のか弱い女の姿がそこにあった。

 ユ・メイは戦場に目を向ける。その傍らに巨大な水龍が侍る。

 ローゲンが消えればユ・メイの水の魔法に対抗できるものは、この場にはいなかった。

 吠え声と共にユ・メイは水の魔法を放った。指揮官が討たれて士気が低下した敵に水龍が襲い掛かり、足並みを乱す。乱戦に慣れた河賊達が騎兵を馬から引きずり降ろして殺していく。趨勢は決した。草の国の軍勢が殿を置いて引き上げていく。

「おつかれさまでした」

 シュウがユ・メイの顔から血を拭い、兵に指示を出してローゲンを捕縛する。

「ちっとばかし疲れた。俺はしばらく寝るぜ?」

「はい」

 ユ・メイは気絶するようにして、シュウの胸の中に倒れこんだ。

 彼女の負傷は“ちっとばかし”という傷ではなかった。大腿と肩の肉が大きくえぐれている。ローゲンの“爪”に正面から突っ込んだのだ、当然の負傷だった。水の魔法で血液を操って出血を食い止めているが、すぐに治療が必要だった。

 兵の手を借りて陣地まで戻り、傷ついたユ・メイの体を寝台の上に横たえる。衛生兵による傷の治療を見守る。不意に老年の文官が幕舎の中に入ってきた。

「わざと止めませんでしたな?」

 ガクが小さな声でシュウに尋ねた。

「はて。なんのことですか」

 シュウは堂々と白を切って見せる。

 外へ、と手で示し、二人はユ・メイのいる幕舎から表に出る。

「地形からして奇襲への警戒が必要なことを、貴方は見抜いておられた。しかし我が王にはそれを進言しなかった。イ・シュウ殿、貴方は王の負傷を望まれていたのですか」

「……ガクさん、貴方には話しておこうと思うのですが」

 シュウは草の国を滅ぼしてはならないことをガクに話す。ここで無益に兵力を費やすことがその先の未来でどんな悪影響を及ぼすかを話す。

 この老年の文官は黙ってシュウの話を聞いていた。そして小さくうなずいた。

「怒っている時のユ・メイは言葉では止まりません。だからこうするくらいしか手を思いつけなかったんです」

 敵が引いてくれればその方がよかったんですけどね、と一人ごちる。そしてシュウの見立てではそうなる公算の方が高かった。シュウにとってのこの戦い理想形は退却のための遅滞戦闘を行う敵に付き合って、自陣に被害がないまま時間だけが経過することだった。

「これ以上攻め登れば、シン王の全力と対峙することになるでしょう。ユ・メイ抜きで僕らはシン王とは戦えません。ここらが引き時だとは思いませんか」

「そうですな」

 河の国は、翅の国への義理立てのために兵をいくらかの兵をあちらと合流させる。協力する姿勢だけは示しておいて、その実、ユ・メイをはじめとする主要な戦力は負傷を理由にして引き上げの準備にかかる。シュウやガクも撤退の準備に加える。

 疲労と負傷による高熱に魘されて体を横たえていたユ・メイが、シュウを枕元に呼びつけた。

「なんですか」

 シュウが尋ねる。

「よお、おまえがなに考えてるかは、多少はわかってきたつもりなんだが、それを踏まえて言うぜ?」

「はい」

「がきんちょ共を助けにいってやれ。おまえの頭ならうちの兵を浪費せずにあいつを助けてやれるだろ?」

「……あなたもやはり、シン王のやり方は間違っていると思うのですか? あのやり方が厭わしいと?」

「あん?」

「ユ・メイ。はっきり言ってしまえば、僕はこの大陸の行く末なんてどうでもいいんです。シンでもライでも、誰が新しい覇王になっても大して変わりありません。誰々が差別されて殺されて、だからなんだって言うんです? 誰が覇王となっても、百年、いえ五十年もすれば、また新しい国が興って、人々は争い殺しあって、新しい秩序を築くでしょう。少しずつの前進はあるかもしれません。後退もあるかもしれません。人間は愚かです。

過去の歴史に学んだ多少なりともまとまった秩序めいたものが確立するのは、千年か、あるいは二千年か、そのくらい先のことでしょう。僕はそんな不確定で曖昧な未来のために、シン王と戦うのは面倒だと思っています。僕が戦うのは、ただ一重にあなたのため。そしてあなたが欲したこの河の国のためです。この先の戦いがあなたのためになりますか?」

「難しい話はいいよ」

 ユ・メイはひらひらと手を振った。

「俺はシンが嫌いだ。俺の持ち物(クニ)に手ぇ出したからだ。あいつが死ぬ瞬間に俺の手がまったく入らないなんてことはあっちゃならねえ。俺の怒りの落としどころがねえだろ。別にライのやつのためじゃねえ。おまえの言う大陸の未来のためじゃねえ。俺の代わりに、俺のために、シンが死ぬ瞬間を見届けて来い」

 シュウはくすりと笑った。

「あなたを構成する方程式は純粋で、美しいですね」

「ほうていしき?」

「難しい話です。お気になさらず」

 ユ・メイは苦い顔をした。

「承りました。これより僕は兵と共に翅の国に合流し、指揮を執ってシン王の軍勢と戦います」

「ああ。頼んだぜ」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ