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臨界線のインフィアリアル  作者: 中田滝
九章
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七十六話「人ならざる者」



ディベリア神聖国、ヌ―メン大聖堂横の宮殿の一室。

大きな窓から差し込む月光でのみ照らされる仄暗い部屋の中に一人、部下からの待望の報せを待ちわびる男が居た。

その男の名はクラムド・D・フェリア。

ディベリア神聖国の教皇であり、名門貴族の当主でもある男だ。




──随分と落ち着かぬ様子だな、クラムド。




クラムドの脳内に、直接語りかける声が聞こえる。

声の主は指輪に宿る亡霊、古の巨人族ディベノのもの。




「申し訳ございません。明日、宿願を果たせると思うとどうにも落ち着いていられず」


──謝罪はいらん。その感情が齎すものは、私が一番理解している。




言葉の後、指輪から漏れ出すのは噛み殺すような笑い声。

笑みの由来は、クラムドの言う宿願。

それは、ディベノにも深く関係しているもの。

いや、関係どころではない。

宿願の主は、ディベノの意思によるものであるのだから。



──昇神した暁には、眷属にしてやろう。


「私如きが良いのでしょうか、、?」


──構わん。


「あ、有り難き幸せっ」


──眷属となり、何を成す?



ディベノからの問い掛けに、クラムドは思案した。

神の眷属とあれば、想像もつかないような力を手にする事が出来る。

今まで自分がどう足掻いても叶わなかった者達を、圧倒する事さえ可能だ。

自分を、二番手だ弱者だと罵ってきた者達を、、、。

その光景を想像して、クラムドは不気味に口角を吊り上げた。



「私を蔑んできた者達への復讐を」


──ほう。それはいい。組み伏せるだけか?


「大切なものを奪い、無力さを充分に実感させた上で葬ります」


──ふはは。中々に良い趣向だ。いっその事、大衆を操り大規模な戦争でも起こしてみるか?我が眷属となれば造作もなく行える。


「流石はディベノ様。どのような嘆きが聞けるのか、今から楽しみです」



嬉しそうに顔を歪めるクラムドからは、もう、人の心など欠片も感じられなかった。

自らの欲望を満たす為だけに、平気で人の心を、命を踏み躙る。

断末魔の叫びも風のそよぐ音も、人の心を失ったクラムドにとっては同義であった。

復讐を望む相手の断末魔は、醜く変わった心を満たす要素と成り得るのだろうが。


クラムドが今現在の性格になってしまったのは、15の成人の儀で父よりディベノの宿る指輪を譲り受けてから。

元より自分を蔑む者へ対する復讐心こそ持っていたものの、命がどうなってもいいと思える程、クラムドは冷徹な心を持ってはいなかった。


クラムドは知らない。


自分の性格や考え方が変わっている事を。

それが、ディベノの洗脳によるものだという事を。

着けている指輪の名称が、【ディベノの傀儡(くぐつ)指輪】だという事を。

自然に、慎重に。

ゆっくりと時間を掛けて変えられていった故に、近しい存在であるはずの家族ですらクラムドの変化に気付く事はなかった。





コンコンッ────。


「誰だ」





愉悦に浸っていた表情を切り替え、廊下と繋がる扉の向こうへ誰何するクラムド。

夜も更けているこの時間、本来ならこの場所にクラムドを訪問する無礼を働く者はいない。

だが今日は違う。

今日は、部下から待望の報告が聞ける日だ。

扉の向こうへ多少の警戒を持ちつつも、齎されるであろうものに期待を膨らませ、抑えきれない笑みを顔に貼り付けた。



「アルカディック・イーストであります!」



名乗りを上げたのは、幻霊林にて命を落とした者の後釜となり、新しく聖魔術士に任命された青年。

後に三賢者になるのではないかと言われている程魔術の才があるアルカディックは、武人との間に子を成した罪を問われ牢に入れられて子供を産むだけの道具にさせられた母と、誰も嫁に来ず、途方にくれていた弱小貴族の男との子供。

種を提供した時点で見限りを付けられ捨てられた父親と、子供を産んだ後も牢に入れられ続けている母親。

当然、そのどちらにも会った事がない。


アルカディックは、両親という存在を知らない。

だが、幸か不幸か、魔術の才はあった。

同じ母が産み、出来損ないだからと名を奪われ家を追い出された二人の兄と違い、魔術の才のあるアルカディックは大事に育てられ、聖魔術士に任命されるまでになった。

アルカディックは見た事も聞いた事もない姉や兄の存在も、差し向けられたイースト家の手の者から逃れた姉が、どこぞで生き延びている事も知らないが。




「報告か?」




名乗りに次ぐ言葉を待ちきれず、クラムドが扉越しにそう問う。

自身では気付いていないが、言葉の速さに期待が漏れ出てしまっている。



「はッ!全ディベリア教徒の聖都への移動が、たった今完了致しました!」

「くっくっく、、、」

「げ、猊下、、、?どうされました、、?」

「はーはっはっは!!!」



堪えきれず、突如声を上げて笑いだすクラムド。

冷静沈着、どんな時も表情を変えない存在だと思っていたクラムドが突然笑い出した事に、動揺を隠せずにいるアルカディック。

たった一枚の扉を隔てただけというのに、対照的と言っても過言ではない二人の心情の変化が繰り広げられた。

存在を秘匿しているディベノは、やり取りを聞きながらも沈黙を保っている。

自分の計画通りに事が進んでいる事を、心の中でほくそ笑みながら。



「くっくっく。気にするな。下がれ」

「はッ!」



クラムド、延いてはディベノの計画の段階は五つ。


一つ、傀儡(かいらい)にした教皇を神王に押し上げる。

一つ、押し上げた神王の力を使い、教徒を増やし、魔人域中に広がった腐愚民を回収する。

一つ、腐愚民を使い、幻霊王と契約する。

一つ、幻霊王の力で精霊を支配下に置く。


そして最後の一つは、明日行われる。

明らかに度の越えた人口密集地になってしまうにも拘らず全てのディベリア教徒を聖都に集めたのは、明日行われる最後の一つの為。

何が行われるのかは、集められた教徒達も、クラムドに付き従う聖魔術士達も知り得なかった。

知り得るのはクラムドとディベノのみ。

だが、その二人の思惑が違うところにある事を、クラムドは気付いていない。



──明日も早い。高ぶる気持ちは分かるが、今日は休め。


「恩情を賜り、有り難うございます。明日に備えます」



ディベノを専用のケースに収め、眠りに着くクラムド。

目は開いているのだが、それを気付かれてはならないと布団を深く被り、息を潜めた。



(なんとも長い道のりだった。幾つ、苦難を乗り越えただろうか)



静まった部屋。

豪奢な装飾の施された箱の中で、誰にも届かない思想が漏れ出す。



(危ないところではあったが、あの時、神へ至る事が叶わなかった際の保険を掛けておいたのは正解だったな)



保険とは、ディベノが宿っている指輪の事。

巨人族が神の叡智を手に入れようとしたあの時、ディベノだけは神に敗北を喫した時の為、記憶を残したまま魂が転生するように、装備者の指のサイズに合わせて変形する指輪に古の転生術の術式を刻み込んでいた。

天罰を下そうとも、神が大地に再び、人の形を保った生物を住まわせるだろうと予測をして。


とある木の洞に眠っていたディベノの宿る指輪を拾ったのは、アゼルギウス・D・フェリア。

ディベノに出会う前はまだ名も無い男だった、初代フェリア家当主である。

アゼルギウスはディベノの洗脳術によって洗脳され、その力を使って自らを信仰する存在を作った。

その存在こそが、現代に於けるディベリア教である。



(愚王やその手先である精霊王の邪魔立てはあったが、所詮は知を持たぬ者。恐るるに足らん)



ディベリア神聖国は一度、企みを勘付いた精霊王に壊滅寸前まで追い込まれていた。

だが、当時のフェリア家当主が何とかディベノを持ち出して逃げる事に成功し、暫くの後に再興される事となる。


そこから長い月日が経ち、ディベリア神聖国が再度力を付け始めた頃、精霊王と多くの精霊を従えた幻霊王の戦いが勃発。

戦いは精霊王の勝利に終わったが無傷というわけにはいかず、それを好機と捉えたディベノは、傷を癒す為に精霊域に戻ろうとした精霊王を討伐する為に総勢1万の軍勢を率いて、7千強の死者を出しながらも念願の復讐を果たした。

復讐を果たした後は生命の魔術を持つ精霊王の転生を恐れ、ディベリア神聖国内にしか転生出来ないようにする術式を構築。

転生体の特徴を厄災の象徴であるとして見つけ次第屠るように教徒に言い伝え、徹底的に復讐の芽を摘んだ。

その結果、現代まで五人もの精霊王の転生体が、力や記憶に目覚めるまでにディベリア教徒によって屠られている。

その内の一人の死体が、姿形を変えて生き続けているのが腐王。

宿りかけていた精霊王の力、生命魔術が、無残に殺された少年の怨恨で反転し、腐敗の魔術へと変わっていったのだ。



(明日はいよいよ、神を御する為に人の枠を超える。それを終えれば、明日の夜、もっともこの大陸へ近付く神を引きずり下ろす事など容易だ)



一度昇神を失敗したのは、知も力も持たぬその他の巨人達を頼った為。

ディベノはそう考えていた。

それならば、誰にも負けない知を持つ自身が力も手に入れ、一人で事を成してしまえばいい。

そう考えて至ったのが、今回の五段階に渡る計画。

クラムドを含めた二人、ではない。

あくまでもディベノの頭の中には、一人で事を成すという考えしかなかった。



(時間は掛かったが、この指輪に一人の体を乗っ取る事が出来る程度の魔力は蓄える事が出来た。昇神する際の意識の隙間を狙えば万が一はないか、、、)



ディベノは、無い口元をにやりと歪めた。

明日、大願が成就する。

その先の、自身の姿を想像して。
















「準備は抜かりないな?」

「はッ!」


ヌ―メン大聖堂、中央祭壇に設置された玉座にて、窓から差し込む茜に染められたクラムドが、前方で膝を着く聖魔術士に最後の確認を行った。

昇神する為の、最後の段階の確認を。


クラムドの眼下で横並びになって膝を着くのは、聖魔術士三十名とシルム王国軍第零部隊二十一名。

作られた五つの列は、寸分の狂いもなく、綺麗に揃えられている。

誰が見ても、列を作る全員がクラムドへ長年仕えて意志を同じくした者達だと疑わないような、そんな光景だ。



「生きたければ、事が終えるまで、大聖堂から出ようなどとは考えない事だ」



その言葉に全員が返事をした事を確認した後、頬杖を付いたクラムドが首をカクンと落とし、体を左右にゆらゆらと小さく揺らす。

膝を着き顔を下げる者達が、音もなく遂げられたその変化に気付く事はなかった。









『地は恵み。水は生命。風は(とばり)

迫り来る〝死〟を闇とするならば、内にある〝生〟は相反する光となるだろう。

生よ、養よ。その身に流るる魔の力よ。

穢れし世俗の衣を脱ぎ捨て、高貴なる我が身の糧と成りん。

ディベノ・レーヴェンディア・フォン・エルネリオスの下に、全てを捧げ、集い給え。 〝吸命(ドレイン)〟 』





────ドンッッ!!!!!!









精霊魔術の詠唱にも似た何かをクラムドに憑依したディベノが唱えた途端。

体を一瞬浮かせる程の強い揺れが、聖都を襲った。

敵襲かと一斉に武器に手を掛ける第零部隊だったが、ディベノに制され、止む様子のない揺れを感じながらも再度膝を着いて頭を垂れた。






ドドドドドドドドドドドドドドドドドドド───────。






最初に起きた大きなもの程ではないが、それでも充分に大きな揺れが、途切れる事なく聖都を襲う。

遠くからは家が崩れる音、それに紛れる人々の悲鳴も聞こえてくる。




ガンガンッ──!


「きょ、教皇様!!おたすけ、お助けくださ──うわああああ!来るな!来るなああああああ」




大聖堂の入口。

扉を叩く音と共に幾人もの助けを求める民の大声が聞こえたが、ディベノは頬杖を付いたまま、黙して動こうとはしなかった。

明らかに異常な事態が起こっているというのに、自国の民を助けようと動かない。

それは、例えディベノが憑依していなかった状態であったとしても、変わらなかっただろう。

こうなる事は、計画を実行する前から分かっていたから。

自身を信仰する教徒など、ただの手駒に過ぎなかったから。




ドドドドドドド──ド────ドドド───。




揺れ始めて数分。

大地は緩やかに落ち着きを取り戻していく。

その感覚に、何も被害がなかった事に、聖魔術士と第零部隊は、姿勢を変えないながらもほっと胸を撫で下ろした。

実のところ、大聖堂は屋根を初めとして至る所が崩れているのだが、ディベノが行使した防御魔術によってその場の全員が無傷で済んでいる。

床しか見る事の出来ない面々がその事実に気付く事はないだろうが。

少なくとも、許可を得て顔を上げるまでは。




ズズズズズ───。




微弱な揺れが、大聖堂に届く。

今までのものとは違い、直下から来ていると実感出来るような、そんな揺れが。




「、、、ん?」




一番初めに異変に気付いたのは、第零部隊斥候のテリスだった。

大きさこそ大して変わらないものの、直下から来る揺れが徐々にクラムドのほうへと向かっているという異変に。

本当は床に耳を当てて正確な情報を得たかったテリスだったが、体勢を変えてクラムドの不興を買ってはいけないと、手を床に当て、体勢を変えない範囲で音の正体、行方を探った。


(、、、上がってきている?)


外からの揺れは完全に収まったというのに、直下から来る揺れは注意しなければ分からない程徐々に強くなっており、また、揺れの発生源が近付いているのをテリスは感じ取った。

もう、すぐそこまで来ている。

顔を独断で上げるのは命令違反ではあるが、一刻も早く敬愛する主君にこの異常を伝えなくては。

そう考えて、テリスは許可も取らずに、膝を着いたまま顔を上げた。




「「猊下!!!」」




クラムドを呼ぶ声が二つ重なる。

声の主はテリスとアルカディック。

二人とも、同じような不安と感情を抱え、クラムドへ進言しようと顔を上げたところ、そこで繰り広げられていた光景に驚き、揃えて声を上げた。



「くっ!なんでこんなところに防御結界が!」

「猊下!早くお逃げ下さい!!」



二人が見たのは、玉座に向かって血管のように床を這う無数の木の根と、クラムドの周囲で床から飛び出る幾つもの細く、枝葉のない木。

意思を持つように動いて今にも襲い掛からんとしている木に囲まれているというのに、クラムドは逃げようとも応戦しようともしない。

遅れて異変に気付いた者達によって結界は破る事が出来たが、クラムドが逃げようとしない限り、怪我を負わせずに救出する事はどう考えても不可能だった。

焦る聖魔術士、近くの木を切り捨てる第零部隊、一瞬の間で救出方法を幾つも思い浮かべては棄却するシェリル。

落ち着いた様子で微動だにしないのは、この場でディベノただ一人だった。






『 〝跪け〟 』






発せられたのはディベノの短い言葉。

支配の魔術が乗せられたその言葉に、先程までの慌て方が嘘かのように、全員がその場でディベノに向かって跪いた。




ズ────ズズズズズ────。




切り捨てられ、数を減らされる事のなくなった無数の木は増え続け、近付かなければディベノの姿が見えない程にまで密集して、ディベノの頭上以外、全ての隙間を覆い尽くさんとしている。

動きを止めていないのは木だけでない。

床を這っていた根も引き続き玉座へ向かい、ディベノの足を、全身を、玉座へ縫い付けた。



『ぐっ、、』

「猊下!!」

『 〝声を発するな〟 』



木の根に締め付けられて声を上げるクラムドを、顔を下げたまま声だけで心配するアルカディック。

そんな心配も虚しく、玉座を囲んでいた細い木々達は一塊になり、ディベノを内包した巨大な繭へと変貌を遂げた。



メキ──メキメキ───。



木で出来た繭が軋む。

人の神経を逆撫でするような、不快な音を出している。

視界の外から聞こえてくるその音に、跪く者達は一様に不安を覚えた。

動く事が出来ず、声を上げる事も出来ない。

出来るのは、主君を信じる事のみ。

視界の端に血管のように這う根を見ながら、跪く者達は永遠にも思える数分をただただ待った。






サアァァァァァァァ─────────。





床を這う根が、灰色の砂となり天へ昇って行く。

それは、ディベノを囲む木も例外ではなく、大聖堂内に突如発生した全ての木や根が、灰色の砂となって天へ上り、崩れた天井から外へと出て、風に流されていった。

その光景の全てを見る事が出来たのは、繭が崩れ視界が晴れたディベノのみ。

見えない者達の胸中には、相変わらずの不安が満ちている。




「顔を上げろ」




ディベノの憑依を解いたクラムドが、一度首を軽く鳴らしてから全員にそう命じる。

跪いていた一同はいつの間にか、身動きを取る事も、声を上げる事も自分の意思で出来るようになっていた。



「猊下!?ど、どうされました!?」

「落ち着け。大事ない」



その場の全員が驚いたのはクラムドの恰好。

着ていた教皇用の祭服はその殆どが破れ、残る二割弱で辛うじて服としての体裁を保っている。


驚くべきはそれだけではない。

先程まであった木々が、服を破られる際につけられたはずの傷が、一つも存在していない。

祭服や玉座を初めとして、祭壇やそこに至る数段の階段。

その奥にあるディベリア像は無数の傷がついているのに、クラムドだけは無傷だ。

崩壊した大聖堂に、破れた祭服を着て後から入ってきたのではないだろうかと考えたほうが素直に納得出来る程に、違和感のある光景だった。



「ミストリア」

「はッ!」



着替えようとする様子もなく、シェリルを側に呼び付けるクラムド。

服が破れているというのに、動揺は見られない。



「切れ」



クラムドの声に、シェリルが躊躇いを見せる。

なぜなら、切れと命令されたのが、前にだらりと伸ばされたクラムドの左腕だったから。

だが、支配を受けているシェリルにとってクラムドの命令は絶対。

一瞬の逡巡の後、目にも留まらぬ速さで剣を抜いたシェリルにより、クラムドの腕は切り落とされた。



「ミ、ミストリア!貴様!!!!」



声を上げたのは聖魔術士筆頭の地位に着いたベクラディン。

第零部隊と違い、時間を掛けてディベノの洗脳術によって洗脳された聖魔術士達には、クラムドに付き従えど、自分の意思が存在する。

各々がクラムドを心から敬愛し、自らの意思で従っている。

となれば、指示を与えられたとはいえ、躊躇なくクラムドの腕を切り落としたシェリルに怒りを覚えないわけがない。

ベクラディンは怒りのままに立ち上がり、納刀したシェリルに掴み掛り─────



「ぐっ、あっ」

「誰が勝手に動いていいと言った」

「も、申し訳ございません」



シェリルのすぐ近くまで来たベクラディンを、切られたばかりの左腕の肘から生えた、幾つもの太い植物の茎が絡まり合って出来た巨大な腕で、クラムドが握り締める。

肘の辺りは普通の腕の細さであるというのに、ベクラディンに至るまでの間に徐々に大きさを増していった植物の腕は、身長180cm程あるベクラディンを、拳の中にすっぽりと覆い隠してしまった。

幾本もの茎が絡まり合ったその腕が、ギシギシと締め付ける音を立てている。






ガタッ────。






大きく変貌したクラムドに驚愕し、全員が声を失った故に作り出された静寂。

誰も動いていないというのに、作り出された静寂の中に一つ、物音が響いた。

だが、驚愕を浮かべる者達は物音に気付いていない。

気付いているのは、緩くベクラディンを締め上げ続けるクラムドだけだった。



「ぐっ、あっ。猊下ッ。どうが、お゛ゆ゛る゛じを゛ッ」



物音に気を取られ、無意識に植物の腕に力を込め続けていたクラムド。

聞こえた苦しむ声でその事に気付き、かといって慌てる様子もなく、ベクラディンを解放した。



「はぁ、、はぁ、、、。ご厚情感謝致しま────」

「ベクラディン。ネズミ退治の任をやろう」

「は、え?ネ、ネズミ退治でしょうか?」



緩やかな動作で静かに大聖堂の一角を指差すクラムド。

その指の先には、人一人が抜け出る事の出来る程度の大きさの穴が開いた壁がある。

穴の下には、不自然に大量の砂が積もっていた。



「あの穴からネズミが逃げた。特大のな。セドナとカロンを連れて始末をしてこい」

「は、はッ!!いくぞセドナ、カロン!」

「「はいッ」」



この時、ベクラディンは腕の骨が数本、折れていた。

右腕は辛うじて動くが、左腕は動かない。

だが、主君がネズミ退治をしろと言うのであれば、優先すべきは自らの治療ではなくネズミ退治。

痛む体を引き摺って、ベクラディンは壁の穴を出て必死に探した。

仲間しかいないはずの大聖堂に侵入していたネズミ、もとい無法者を。




ズ───ズズズズズ───。


「ふぅ、、」




巨大化した腕が音を立てて通常のサイズまで伸縮し、見た目も人のそれへと変貌する。

シェリルが切り落とした腕は、形を保ったまま枯れた植物のようになっていた。



───成功だ。



クラムドの頭に、声が響く。

平坦ではあるが喜びの感じられる、そんな声だった。






「くっくっく、、、、。はーはっは!!!!!」






ディベノが発動したのは、生命魔術と植物魔術に古の術式を足した〝吸命(ドレイン)〟の魔法陣。

聖都にある全ての道が、魔法陣の術式となっていた。

中心は大聖堂の玉座。

全てはこの時の為、ディベノの野望を果たす為にだけ作られた都市であり、国だった。


クラムドの体は外見以外は植物へと変わり、傷が付こうと痛みは感じず血は流れず、意思のみで再生が出来るようになった。

シェリルが切り落としたはずの腕が生えたのも、その理由からだ。

例え全身を切り刻まれようとも灰にされようとも、体の欠片や残滓が僅かでもあればそこから再生出来る。

だが、永遠に死なないわけではない。

回復出来るのは、吸命の魔術の犠牲となったディベリア教徒の命を変換した養分が無くなるまで。

およそ、二人分の養分で一度、致死性の傷から回復する事が出来る。

聖都に集まったディベリア教徒は約五百万。

その膨大な数から、養分と、内包する魔力を吸収した。

何度でも再生する体、底の見えない魔力、全ての精霊の魔術を自在に扱える力。

全ての段階を経たクラムドは容易に、人の枠から外れていた。



「服を寄こせ」

「はッ!」



いち早く反応したのは、聖魔術士のテンタ。

聖魔術士一と名高いその足の速さで、クラムドの私室へ向かい、僅か二分で平時用の服をクラムドへ渡した。

平時用とはいっても村人のような質素な格好ではない。

洗練されたデザインで配色にも柄にも無駄はなく、頑強さも持ち合わせていそうなその見た目は騎士服を思わせる。


テンタから服を取り上げて目にも留まらぬ速さで着替え、羽織ったマントを翻すクラムド。

服装以外の見た目は変わらないというのに、クラムドが放つ先刻までとは違う異様な雰囲気に、その場の誰もが気圧され、跪いた。

魔術を使っていなければ指示も出していない。

そうであってもこの人物には跪かなくてはならないと思わされる程のものを、クラムドは醸し出していた。




「行くぞ。聖域へ」


トン───。




クラムドが足で地面を一つ、軽く叩くと、大聖堂の床に瞬く間に転移魔法陣が広がり、クラムドを含めたその場の全員を転移させた。

聖域の入口。

聖魔の社へと。

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