七十五話「深める絆、幾度目かの旅立ち」
獣人域に来てから約一ヶ月。
俺は、あれ以来初めてマグ君と向き合っていた。
今まで農作業や狩りを手伝いながら、必死に体を鍛えてきた。
山の麓から頂上までを二往復してもその後普通に歩けるようになったし、力も以前の三倍以上に上がっている。
ゾルに組手をしてもらったおかげで、体の使い方や攻撃の避け方も分かってくるようになった。
まだまだ深化してないゾルに数回攻撃を入れるので精一杯だが、それでも最初よりは随分成長したと思う。
このマグ君との決闘は、ゾルが俺に自信を付けさせる為に組んでくれたもの。
正直なところ、まだマグ君に勝てるかどうかは分からない。
それでも自分と同等の人物と戦いたいという思いはあったから、是非戦わせてくれとゾルに食い気味に返答した。
大丈夫だろうか、勝てるだろうか、、。
何故か最近、怪我の治りが早くなってきたとはいえ、痛いのは嫌だ。
頑張ろう、、。
「二人とも、準備はええ?」
「はい」
「僕も大丈夫だよ!すっごく楽しみなんだ!」
大人の俺は分かり易く必死な表情をしているというのに、マグ君は無邪気だ。
この時点で二人の差は推して計るべしだと思うが、まだ決着が着いていないどころか勝負も始まっていない。
リビィとバオジャイも見ているし、逃げ腰になるのだけはいけないな。
「ほないくよ」
胸より少し高い位置で、緩くファイティングポーズをする。
視線はマグ君の顔から下に固定した。
「始め!」
体当たりをしようと飛び込んでくるマグ君をバックステップで躱し、そのまま首根っこを掴んで後ろに引く。
「わあっ!」
勢いよく俺の後方へ飛んで行ったマグ君が、その勢いのまま地面に叩きつけられた。
油断はせず、マグ君の体が衝撃でほんの少し浮き上がったタイミングで、背中に体重を乗せた肘打ちを叩き込む。
そのまま上に乗って押さえつけ───
「くっ!」
そう上手くはいかず、尻尾で顔を叩かれて目を閉じてしまった隙に、マグ君は俺の手を払いのけて体勢を整えた。
前回はここで一旦止まってしまったが、今日はまだ息切れをしておらず余裕があるからか、すぐに次の行動に移す事が出来た。
しゃがんだ状態で俺を見て攻撃を繰り出そうとするマグ君の顔に、勢いを付けた蹴りをお見舞いする。
続いて首を太ももで挟み、左手以外が空中に浮いた状態で体を捻ってマグ君の後頭部を地面に叩きつける。
直前でマグ君が地面に手を付いて抵抗してきたが、何とか押し切った。
現状、腕立ての体勢で首四の字固めをするという辛い状況ではあるが、このままマグ君が参ったというまで首を締め続けさせてもらおう。
体重差がある分、持ち上げようと思っても持ち上げられないだろうし、これは決まったかもしれないな。
「【深度、、、Ⅱ、、】」
(深化!?!?)
俺が立てたフラグを察知したかと思える程の絶妙なタイミングで、マグ君が息苦しそうにしながらも反撃の一手を打つ。
以前は確かに深化が出来ないと言っていたはずなのに、この一ヶ月で習得したのか、、?
「いっつッ!!」
太ももにめり込ませられた爪の痛みに耐え切れず、首を締めていた足を離して急いで距離を置く。
振り返ったそこには、面影を多く残しながらも狼感の増したマグ君の姿があった。
首四の字固めが相当苦しかったのか、息は荒い。
回復される前に追撃を掛けるか、、、。
「──かはッ!」
追撃を掛けた俺に見舞われたのは、腹部への強烈な右フック。
格段に、さっきより威力が上がっている。
だが、腹筋が日々の訓練で鍛えられていたおかげで、痛みを感じながらもその場に留まる事が出来た。
腹部から離れて連撃を放とうとするマグ君の右手を掴んで引っ張り、添えるように突き出した右足で毛深くなった横腹に蹴りを放り込む。
ダメージは大して入っていない気がするが、深化をしていても攻撃が当たる事が分かっただけでも重畳。
(大丈夫。深化したマグ君相手でも、俺は戦えている)
そう自分を安心させながら、体勢を崩したマグ君の懐に入り込み、そのまま背負い投げをして地面に叩きつけた。
だが、余った左腕を首に回されていたせいで、マグ君がクッションになりながらも俺も地面に叩きつけられてしまった。
その衝撃で抜け出して拘束される事は避ける事が出来たが、危なかったな。
あのまま首を締められていたら、間違いなく負けていた。
無闇に懐に入り込むのは良くないかもしれない。
慎重に、慎重に、、、。
落ち着いて勝ち筋を探そう。
実力は拮抗している。
落ち着けば確実に勝つ事が出来る。
飛び込んでくるマグ君の攻撃を回避しながら、必死に、それでいて冷静に、勝ち筋を探り続けた。
「そこまで!!」
ゾルの言葉を聞き届けて緊張を弛緩させ、その場に大の字に倒れ込む。
横を見ると、先に大の字になっていたマグ君の姿があった。
「勝者、ケイト!」
「「「「「わあああああああ!!!!」」」」」
割れんばかりの歓声が耳に痛い。
そう。
俺は辛勝ながらも、マグ君にリベンジを果たす事が出来た。
最後のほうはお互いダメージが蓄積して泥仕合のようになってしまったが、ボロボロになりながらも戦った事で清々しいまでの達成感がある。
絶望的な状況でも最後まで諦めない体育会系の気持ちが、今少し、分かった気がする。
良かった。
勝てた。
歓声を聞きながら、雲一つない空を眺めて勝利を噛み締める。
何か一つでも違えば、一つでも攻撃が入ってなければ、マグ君が勝っていた可能性は大いにある。
次やればどっちが勝つかなんて誰も予想出来ないだろう。
それぐらいの僅差だった。
実力は拮抗していた。
良い、勝負だった。
「マグ君。ありがとう。深化を使えるようになってるとは思わなかった」
「頑張って特訓したからね!でも負けちゃった。あー!悔しいなー!」
寝転んだ状態で握手を交わし、お互いの健闘を称える。
悔しさを滲ませながらも、マグ君の浮かべる表情は清々しい。
遺恨の残らない戦いになってよかった。
これで最後というわけではないけど、戦う度にどっちかがどっちかを恨むような決闘はしたくないからな。
下手に粘着質なプライドがこべりついた相手じゃなくて良かった。
相手が6歳なんて事は今となってはどうでもいい。
周りもそんな事気にしてないし。
マグ君だからこそ、こんなにも清々しい気持ちで戦いを終える事が出来たんだ。
小さくも勇敢な戦士に、心の中で再度感謝した。
「ケイトかっこよかったよ!」
「ん。強くなった」
二人の手を借りて上体を起こし、照れながらも称賛にお礼で返す。
マグ君の攻撃を何度も喰らったから全身が痛いが、、、、立てない程ではないな。
俺と同じように起こしてもらっているマグ君を横目で見ながら、持ってきてもらった椅子に掛けて体を落ち着かせた。
「盛り上がっているところすまない」
余韻に浸る間もなく、誰にも気付かれない内に集落の入口まで来ていた男に、全員の視線が固定される。
そこに居たのはレアド。
最後の一つ手前の駅まで俺達を護衛してくれていた男だ。
その横には、あの日とは違って綺麗に髪を結ったエミアの姿もある。
「誰だ」
代表してロルが、警戒を隠そうともせずレアドに誰何する。
大騒ぎだった集落は一転、凍り付いた。
「盾の国ネヒディア、リヒ家次期党首のレアド・ファムト・リヒという者だ。ここに鬼人、、、バオジャイ・システィオーナの一行はいるか?」
「居たとして、どうする?」
訝しみ、警戒を深めるロル。
それに呼応するように、体の大きい獣人が俺達がレアドとエミアの視界に入らないように体の位置を変えてくれた。
知り合いだと声を掛けたいが、俺もレアドとエミアが何をしに来たのかさっぱり分からないしな。
とりあえず、ゾルの背中越しに要件を聞いてからでいいだろう。
今は少しでも休みたいんだ。
「警戒されるような事は何もしない。一行に、感謝をしに来ただけだ。集落に入る事を許さないと言うのであれば、せめて感謝の品々だけでも渡しておいてほしい」
ロルからゾルへ、ゾルから俺へ視線が投げ掛けられる。
何故か、バオジャイとリビィも俺を見ている。
判断は任せるという事か?
(責任が伴う立場は苦手なんだけどな、、、)
とりあえず自分の目と耳で見極めるか。
「お久しぶりです。レアドさん、エミアさん」
「あの時の、、ケイトといったか?」
「はい。ケイトです」
「お久しぶりですケイトさん」
痛む体を引き摺って、集落の入口から動こうとしない二人に挨拶をする。
その後ろには、樽が二つあった。
「随分傷を負っているな」
「ついさっきまで決闘をしてましたから」
「もう少し早く来ていれば、、、」
決闘という言葉を聞いて、エミアが悔しさを顔に滲ませた。
え、ちょっと待って。
お淑やかな淑女だと思ってたエミアもまさかの戦闘狂なのか?
この華奢な体のどこに戦闘に使う筋肉があるんだ?
「あまり妹をじろじろと見るな」
「あ、す、すみません」
一瞥した程度だったと思うんだが、シスコンレアドにとってはそれでも許しがたいラインだったようだ。
拗らせすぎじゃないかな。
何がとは言わないが。
「それで、お礼っていうのは、、」
「妹の無事が確認出来た。そして、アルムハルト側から何も要求される事がなかった。その礼だ。以前は手持ちがなく、碌な礼が出来なかったからな」
道中の護衛をしてくれたし、宿も確保してくれて、費用は全て出してくれた。
それだけで充分だと思ったしそれ以上要求する気はなかったんだけどな、、。
まあでも、エミアを匿ってもらえるように一筆書いたのはバオジャイだから、俺が断る事ではないか。
貰えるものは有り難く貰っておこう。
「本当に、感謝致します。私を助けていただいただけではなく、兄に安否を伝えてくださり、ノウスの命まで救ってくださった。本当に、本当にあなた方にはいくら感謝をしても足りません」
ノウスというのは、リビィが治療したあの兵士らしい。
兄妹であるなら、お互いに仕えている者くらい知ってるか。
「エミアさん久し振り!」
「リビィさん!お久しぶりです!」
「大丈夫だった?」
「はい。ありがとうございますシスティオーナさん。あの手紙が無ければ私は路頭に迷うところでした、、」
俺だけが感謝をされるのはおかしいなと思って二人を呼んできた途端に、レアドと二人で蚊帳の外に放りだされてしまった。
あの日、リッシュと二人で三角座りをしていた時と同じ気分だ。
「大事なものを守れるくらいには、強くなったか?」
レアドがぽつりと、俺にだけ聞こえる声でそう聞いてくる。
突然過ぎて聞き逃してしまいそうだった。
「はい。おそらく」
「そうか」
俺の返答に、満足そうな表情を浮かべたレアド。
守りが主体の武具を持つ彼らにとって、誰かを守る力を持つという事は特別大事なものなのかもしれない。
レアド程ではないが、以前よりは大事な人、リビィを守れるようになっているだろう。
バオジャイは自分の事は自分で守ってほしい。
俺が助けようとしても足手まといになるだけだろうし。
「大丈夫そうだな」
そうだ。
この二人を見極める為に俺はここにいるんだ。
すっかり忘れてしまっていたが、後ろから掛けられたロルの声には、もう既に警戒の色は乗っていなかった。
俺は普通の対応だったと思うが、抱き合うリビィとエミアの仲睦まじい様子を見てしまっては、警戒するのが馬鹿馬鹿しく感じるもんな。
あの光景を見て警戒心を持てというほうが難しい。
「よし!宴会だ!!客人をもてなすぞ!」
「「「「よっしゃああああ」」」」
約一月振りの宴会。
蟠りなく打ち解けるには、やはりこれが一番手っ取り早い。
俺も今日は、明日の事を考えずに飲もうかな。
たまにはタガを外すのも大事だ。
外面を繕わず、宴会という言葉に全力で大喜びするロンドルフ一族を見て、そう思わされた。
子供もはしゃいでるけど、お酒飲まないよな、、?
「それでは私共はこれで」
「邪魔をしたな」
まだ明るい夕方、契約している獣人が居る集落に泊まると言って聞かないレアドと、兄の決定に従うエミアを集落の入口で見送る。
今から行くのは、牛の獣人の集落らしい。
食用の穏やかな牛ではなく、バッファローと呼ばれるような隙あらば突進しているイメージのある牛だ。
偏見かもしれないが、そういうイメージしかないのだから仕方ない。
またいつか、どこかで会えるだろう。
以前とは違ってきちんとお別れの挨拶が出来たし、少し寂しいが引き留めるのはやめておこう。
「それにしても、凄い額渡されたね、、、」
二人にお礼といって渡されたのは酒樽を二つだけではなく、武人域の共通貨幣、金貨300枚もだった。
日本円に換算するとざっと300万だ。
こんなに貰えないと何度か突き返したが、何故か突き返す度に額を増やされたから、結局最初に提示されたこの額を受け取っておいた。
宿代や最初にエミアに貰ったお金も含めたら400万近くを受け取ってる事になるんだが、いいんだろうか。
旅をしている間に少しずつ減っていた貯金が、あっという間に元の額以上に戻ってしまった。
日本に居た頃は急に空からお金が降ってこないかななんてよく考えたものだが、突然大金を渡されるとそれはそれで怖いものなんだな。
格納袋に仕舞っておいて、大事に使わせてもらおう。
「ケイト!キュイが!!」
珍しく慌てて声を荒げたバオジャイに腕を引かれて大金から意識を剥がす。
(キュイに何かあったのか、、?)
見る見る内に小さくなって今はカラス程のサイズになっているキュイ。
ずっと心配をしながらも、獣人の医者に聞いても何も分からず、結局キュイが小さくなっていくのを見ている事しか出来なかった。
最近では当然のようにご飯を食べなくなっているが、それくらいはバオジャイも知っているしこんなにも焦らないと思うんだが、、、。
ロンドルフ一族に囲まれていて姿が見えないキュイに、心配が募る。
何があったんだ、、。
「キュイ!!」
キュイは、量を極限まで減らしてもらったご飯の横で倒れて息を荒くして、汗を掻いていた。
手に乗せると、その体は熱い。
まるで、熱があるようだ。
「キュイ!大丈夫かキュイ!?」
『キュ、、、』
俺の声は聞こえているようだが、意味のある返事をする余裕はないように見える。
明らかに、弱っている。
今まで、調子が悪そうにしている事はあったが、こんなにあからさまに体調を崩しているのは見た事がない。
それに、汗を掻くはずのない鳥がなんで汗を掻いてるんだ。
キュイが普通の鳥とは違うといっても、体の造りなんかは殆ど一緒のはずなのに、、。
どうする、どうすればいい。
必死に頭を捻り、少ない知識の中からキュイを救う術を探る。
医学の知識はゼロと言っていいほどにない。
あるのは、今まで一緒に生活した中で知ったキュイの事生態に対する知識だけだ。
何かないか何かないか、、、。
キュイが好むのは質の良い魔力。
魔力を与えつつ、回復させる方法があれば、、、、。
────そうだ!
「リビィさん!」
「何すればいい!?」
リビィが食い気味に、助力を願い出てくれる。
完全に俺の不注意でキュイを苦しめてしまってるだけだというのに、、、。
有り難い。
「キュイに。キュイに治癒魔術をお願いできますか?」
「キュイに?人間相手にしかした事ないけど、、」
「それは、分かっています。でも、もうどうすればいいのか分からなくて、、、。お願いします。お願いします」
取り繕う余裕などなく、藁にも縋る思いでリビィに懇願する。
自分の勝手でキュイを苦しめておいて、最後には頼るしかないなんて情けない。
もう既に、決闘や宴会の余韻など抜け落ちていた。
「分かった。やってみる」
「ありがとう、、、ございます」
格納袋からハンドタオルを一枚取り出して畳み、その上にキュイをそっと置く。
手にはまだ、キュイの高い体温が残っていた。
何とか、何とか治癒魔術で助かってほしい。
これまで幾度となくキュイの力で助けられてきたんだ、恩返しも出来ないままに死なせるなんて、絶対に嫌だ。
「ふぅー、、、」
息を荒くするキュイに正座で向き合ったリビィに、手を組んで祈る。
頼む。
キュイを助けてあげてください。
そんな想いを込めて。
「【傷痍掃いし癒しの者よ。盟約の下に救いの声を今聞き届け、我が魔力を持ちてこの者の身を癒し給へ 〝上治癒〟 】」
キュイの全身を柔らかい光が包み、光に紛れた羽根がキュイの体を優しく撫でては消えていく。
リビィは、魔術を発動させた後もキュイに両手を翳すのをやめない。
少しでも効果があるように、魔術を行使し終えるまで必死で魔力を注ぎ続けてくれているんだと思う。
俺には、祈る事しか出来ない。
光が晴れた後、キュイが元気な姿になってくれている事を。
『キュイィ、、、』
光が晴れ、退けられたリビィの手の向こうに寝息を掻くキュイの姿が見えた。
その顔は、先程までの苦しさで歪んだものではない。
いつも通りの、俺が好きな安らかな寝顔だ。
「治っ、た、、?」
「うん。ひとまずは大丈夫みたい」
「よ、、かったぁ、、、、」
リビィに連綿と感謝の言葉を告げながら、寝息を立てるキュイの背中を優しく撫でる。
心なしかサイズも大きくなり、羽根の艶も良くなっている気がする。
峠は越えてくれただろう。
「リビィさん、本当に、本当にありがとうございます、、」
リビィの手を両手で握って感謝を言っていると、安堵からか泣きそうになってしまった。
何となく涙を流すのは嫌で必死に堪えているが、正直なところ、耐えるのが結構辛い。
素直に流してしまえばいいのに、なんでこんなにも意地になってるのか、、、。
「まだケイトには返せてない恩が沢山あるからね。これくらいなんてことないよ」
「恩、、、ですか?」
リビィが恩を感じている事に心当たりはいくつかあるんだが、そんなものはもうとっくに返してもらっている。
俺が把握している以上のものに、リビィは恩を感じてくれてるんだろうか。
「うん。恩。何もなかったとしても、治癒魔術を行使するくらいの事はしてたけどね。キュイは私にとっても大事な存在だから」
「ん。キュイも仲間」
リビィとバオジャイのキュイに対する認識が嬉しくなって、何に恩を感じられているかなんてどうでもよくなってしまった。
キュイが回復してくれた。
今はその事実だけでいい。
それ以外の事は、今は些事だ。
だが問題は、、、。
「キュイ、なんで体調崩したんですかね、、」
そう。
それが分からなければ、改善のしようがない。
毎回苦しんでその度に治療をしていれば、いずれ魔力水が切れてしまう。
残り100本はあったはずだから、暫くは大丈夫だと思うが、、、。
だがそれ以前に、キュイを毎回苦しめてしまうのは嫌だ。
何か、何か原因を見つける手立てはないだろうか。
「もしかしたらなんだけど、、」
三人で借りている家の居間。
キュイを運んだ後にテーブルを囲んで三人で原因について考えていると、リビィが自信無さげにそっと手を上げた。
「獣人域の食事が、キュイにとっては体に良くないんじゃないかな?ほら、実体があるとはいってもキュイは精霊だし、魔力を含まない食べ物は体に毒なっちゃうのかなって」
食事が原因というのは、確かに一番有力な考えだと思う。
獣人域に来てからあからさまに食欲は落ちていたし、かといって好き嫌いではないと言っていたから、その考えに辿り着くのは自然だ。
だが、、、。
「確か、武人域の食べ物も魔力が含まれてないんじゃなかったでしたっけ?その条件でキュイの体に害があるというのなら、武人域で普通に食欲があったのはおかしいと思うんです」
そう。
獣人域と同じく、武人域で売られている食べ物には、みな等しく魔力が含まれていない。
それにも拘らず、キュイはいつも通りの食事をしていた。
やせ我慢をしているような様子もなかったし、、。
「武人域であげてたのって、魔人域で買っておいた食べものだけじゃなかったっけ?」
そうだ、、、。
自分達が武人域の食べ物を食べていたから忘れていたが、キュイには念の為魔人域で買ったものを与えるようにしてたんだ、、。
獣人域に来るまでの短い間で色々あり過ぎて、そんな事すっかり忘れてしまってた。
「それでね。今朝魔人域で買った干し肉が余ってる事に気付いて、キュイにあげてみたの。そしたら普通に食べてたから、もしかしたらって思って」
全てを鑑みると、確かにリビィの説が一番有力だろう。
だが、もしそうだとして。
それを解決する術はない。
武人域にも獣人域にも魔力を含む食材はないし、勿論魔人域に渡る事は出来ない。
どうすればいいんだ、、、。
ガタッ────。
「バオジャイさん、、?」
バオジャイが何の脈絡もなく突然、体をビクつかせて椅子から落ちそうになった。
何かあったんだろうか。
答えの出ない問題に嫌気が差して、考えるべき事をすり替えた。
「嫌な気配。多分、魔人域から」
バオジャイが持つ祝福は〝敵意感知〟。
おそらくその力で、向けられた敵意を敏感に感じ取ったんだろう。
だが問題は敵意を感じた場所。
魔人域から向けられたものを、どうやって獣人域で感じ取るんだ、、?
全世界どこで敵意を向けられても感知出来る程高性能であれば、世界のどこかで誰かがバオジャイに敵意を剥き出しにするだけで感じ取ってしまい、落ち着いて寝る事も出来ないだろう。
それらから考えられるのは、離れたこの場所にも敵意を向けられるような埒外の存在が現れた、もしくはたった今バオジャイに敵意を向けた、という事。
(埒外の存在といえば精霊王だが、精霊王がバオジャイに敵意を向けるか、、?)
バオジャイは精霊王に会った事すらないそうだし、敵意を向けられる謂れはないだろう。
じゃあ誰が、、。
そこまで考えて、ふと幻霊林で向けられた謎の視線が頭を過った。
もしかしてあいつが、、?
一度そう考えてしまうと、何故か震えが止まらなくなった。
まさか、本当にそうなのだろうか、、、。
根拠はないはずなのに、根拠があるかのようにその考えが頭にこべりついて離れない。
────ガンガン!!
「は、はい!!!」
「俺だ!入るぞ!」
突然の豪快なノック音と共に聞こえてきたのは、焦りを含んだロルの声。
何かあったのか、、?
「三人とも、今日は家から一歩も出るな。宴会は中止だ」
「何かあったの?」
「分からん。だが、全員が不吉な何かを感じ取った。これはあまりにも異常だ」
ロル曰く、感じたのは体の内側に直接響いてくる大勢の呻き声のようなもの。
敵意感知がないロンドルフ一族の全員が、同じものを感じたらしい。
「魔人域?」
「ああ。おそらく魔人域で何かあったんだろう。いいな?外に出るなよ?」
最後にそう言い含めて、ロルはそそくさと自分の家に戻って行ってしまった。
体が微弱な震えを持っていたから、忠告をしに来てくれたロル自信も、相当な恐怖を覚えたんだと思う。
族長故の強い心を持つロルでさえ、震え上がらせる程の狂気。
一体魔人域で何が、、、。
「ウル達、大丈夫かな、、、」
ロルが出て行った後の沈黙を破ったのは、リビィのそんな言葉。
魔人域には、俺とリビィの知り合いが幾人もいる。
リビィと同じように、言葉にはしなかったが俺も心配を募らせている。
ウルやメヒトは強いし、余程の事がない限り大丈夫だと思────
「だめ。嫌な予感がする」
全人類でも上から数えたほうが早い程の実力者であるウルさえ、命の危険があるような状況かもしれないと、バオジャイが顔に悲愴を貼り付けて言う。
ウルの命が危険なのであれば、それ以外の魔人は殆ど助かる見込みがないじゃないか、、、。
バオジャイなら何とか出来るかと聞いてみたが、短く〝分からない〟とだけ返されてしまった。
恐怖の度合いを感じ取れていない俺が抱いた率直な想いは、何が出来るかは分からないけどすぐにでも魔人域に行きたいというもの。
あそこには、ウルやミシェやベルやマレッタ。
それ以外にも沢山、失いたくない人がいるんだ。
きっと、リビィも同じ考えを持っていると思う。
それに、キュイを助ける為にもどうしても魔人域に行かなくてはならない。
考えろ、捻り出せ。
何か手立てはないか。
何か、まだ出していない手札はないか、、、。
最終手段として置いていたものがあった気がしないでもないんだが、どうにも思い出せない。
どこだ、どこでその手段を手に入れた。
思い出せ思い出せ、、、。
「木箱、、、」
俯くバオジャイ、うんうんと頭を捻る俺。
作り出された静寂の中、リビィがぽつりとそう零す。
木箱、、、?
「木箱だよ木箱!ほら!メヒトさんに貰ってた!」
そこまで言われてやっと気が付いた。
メヒトが別れ際に、どうしようもないと思った時に開けろと言って渡してくれた木箱があったんだ。
受け取ってから一度も取り出していないから、すっかり忘れてしまっていた。
何が入っているのか分からない状況では藁にも縋る思いではあるが、何もしないよりはマシだ。
俺は急いで格納袋から木箱を取り出し、開ける事で何か作動するかもしれないという危険性など微塵も考えずに、何の躊躇いもなく勢いよく開いた。
「メモ、、、?」
勢いよく開いた事によって木箱から落ちたのは、一枚の小さなメモ。
そこには、、、
「使用には魔力水100本が必要」
ただそれだけの一文が書かれていた。
これだけでは何も分からない。
一旦メモを机の上に置いて、木箱に入っていた幾重にも折り畳まれた紙を取り出して、破れないように慎重に床に広げる。
頑丈な紙ではあるが、うっすらと見えた表面を見る限りでは、少しでも破れてしまえばこれは効力を失う。
そうならないように慎重に慎重に、、、。
「転移魔法陣だ、、」
三畳分程の大きさの紙を広げて、すぐ気付いた。
細かいところまでは何と書かれているのか分からないが、これは転移塔やメヒトの家で見た魔法陣とほぼ同一の見た目をしている。
魔法陣の知識なんてないが、既視感があるし間違いないと思う。
木箱にはこの魔法陣が書かれた紙とさっきのメモしか入っていなかった。
という事は答えは必然、、、。
「この転移魔法陣の発動に、魔力水が100本必要、という事か、、、」
〝ご名答〟
メヒトの声で、そんな幻聴が聞こえた。
多分、俺の推測で間違いないのだろうと思う。
そうと決まればやらなくてはならないのは、、、
「リビィさん、バオジャイさん。魔力水を数えるのを手伝ってください」
「分かった!」
「ん」
魔力水の残りは丁度100本くらいだったと思う。
瓶が割れないように慎重に、並べて数えて間違いがないようにするのを二人に任せて、俺はひたすらに魔力水を格納袋から出していく。
残りが少なくなっていくほどに、数えていなくても本数がぎりぎりだという事が嫌が応にも分かってしまう。
(頼む、足りてくれ、、、、)
意味がないと分かっていながらもそんな念を込めながら、一本一本を気持ちを込めてゆっくり、机の上に置いていった。
ぎりぎり、足りるだろうか、、。
「101本」
「よし!!」
告げられた解答に、全力のガッツポーズをする。
ぎりぎりだった。
本当にぎりぎりだった。
無駄遣いをしてなくて本当に良かった、、、。
「これ、魔力水を直接垂らしてもいいんですかね、、」
「分からない」
「私も分からないかな、、ごめんね」
〝そんな事も知らないのかい?〟
また、メヒトの幻聴が聞こえた。
無知で悪かったな。
こんな事なら、魔法陣や魔力水についてもっと教えてもらっておくんだった、、。
だが幸い、魔力水余剰分が一本ある。
一本分、失敗しても大丈夫だという事だ。
多少不安はあるが、やってみない事には何も前へ進まないだろう。
三人でどう魔法陣を起動させるのか話し合い、魔力水の本数をもう一度数え直して中身が入っているか確認した後、余剰分である一本の魔力水を手に取って、その中の一滴を転移魔法陣の隅へ垂らした。
「よし!」
どうやらこの方法で合っているようだ。
魔力水を垂らした魔法陣は、その部分から水の波紋のように全体に光が撫で、インクの黒色で書かれた線はほんの少し明るい色になった。
念の為何滴か垂らしてみても、齎されるのは同じ結果。
後は、魔力水を100本分掛ければ、問題なくこの魔法陣は起動するだろう。
そうすれば、キュイを魔人域に連れて行ってあげる事が出来る。
だが問題は、おそらくもうこっちに戻って来る事は出来ない事。
流石にもう、武人域へ渡る転移魔法陣は閉鎖しているだろう。
という事は、行ってしまえば最後、腐愚民である事がバレないように、一生こそこそして生活していかなくてはならない。
俺は別にそれでいい。
どのみち、キュイだけで行かせるわけにはいかないんだ。
契約者である俺が一緒に行かなくてはならないのは必然。
それに文句はない。
だが、リビィとバオジャイは別だ。
何が待ち構えているかも分からない魔人域。
二人を危険な目に合わせるのは気が引ける。
「二人はここに───」
「残れ、なんて言わないよね?」
最後まで言うまでもなく、強い目をしたリビィに、まだしていない提案を棄却された。
「でも二人を危険な目に合わすのは───」
「生意気」
リビィの次はバオジャイ。
そんな短い言葉と共に、頬を軽く抓られてしまった。
力は大して込められていないはずなのに、抓られた右頬が凄く痛い。
「魔人域のどこに放り出されるか分かりません」
「案内する」
バオジャイが胸を張る。
道だけでなく、今後の行く末についても案内してくれそうな、そんな安心感がある。
「もう獣人域には戻ってこれないと思います」
「三人で居ればきっと大丈夫」
リビィが、不安に塗れた俺を安心させるように、柔らかく微笑む。
その表情と言葉に、本当に大丈夫だと思わせられた。
「お二人の事を守り切れないかもしれません」
「ケイトならだいじょ───」
「いつもの事」
ケイトなら大丈夫。
そう言って励まそうとしてくれたリビィの言葉を、バオジャイがフォローする気など欠片もない言葉で途切れさせる。
事実だけどなんでこんな時に言うかな、、、。
だが、計らずともその言葉に二人を巻き込む罪悪感のようなものは吹き飛ばされた。
「もう!バオジャイさん!」
「なに?」
「その顔。分かってるでしょ」
「よく分からない」
リビィとバオジャイの仲の良い様子に、先程までのお通夜のような雰囲気は簡単に吹き飛ばされる。
変に真面目過ぎる俺には出来ない芸当だ。
この二人が支えてくれてたから、無事にここまで来れたんだろうな、、。
「リビィさん、バオジャイさん。ありがとうございます」
「え、、、何?急に、、」
「ん。気持ち悪い」
気持ち悪いはないだろうバオジャイさんよ。
だが、二人がいつも通りに接してくれたおかげで決心がついた。
頼ってばかりで情けないと思うが、今暫く、二人の力を貸してもらおう。
「行きましょうか」
「勿論!」
「ん」
何でもない日常の一コマのような雰囲気で、俺達は起動させた魔法陣に飛び乗った。
きっと、三人が揃っていれば大抵の事は何とかなる。
そんな根拠のない自信で、絆を深めて。




