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臨界線のインフィアリアル  作者: 中田滝
八章
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七十一話「予期せぬ情動」



「終点~、獣人域前~。獣人域前~です。お忘れ物無いよう、お気を付けぇ~、くだ~さい」



相変わらずの変なイントネーションに乗せて、目的地への到着が告げられる。

予定よりも一日多く掛かってしまったが、レアドが護衛に付いてくれてからは特に問題が起こる事もなく、ここまでやってくる事が出来た。

変に絡まれる事も魔力を消費する事もなく、宿代や食事代も払わなくていい。

何というか、自分が偉くなったような錯覚を覚える数日間だった。

毎日長時間移動していたにも拘らずきちんと室内で休めたから疲れは溜まってないし、レアドには感謝をしないといけないな。

終点には宿が無いと一つ前の駅で突然告げて降りていったからちゃんと言えなかったが、今度会えたら改めてお礼を言おう。

お偉いさんらしいレアドと、そう簡単に会える機会が巡ってくるかは分からないが。




「いらっしゃいませ」


駅を出てやってきたのは、すぐ近くにあった馬小屋。

終点は獣人域前という名前にも拘らず獣人域の入口からは20km程離れているらしく、足を確保する為に馬を借りにきた。

ギリギリのところまで線路を敷いてほしいと思ったが、それをしてしまうと工事費と需要の釣り合いが取れず、採算が合わなくなるんだそう。

現在の終点ですら、何度も協議を重ねた末に出来たものらしいし、ここまで延ばしてくれただけでも感謝をするべきか。



「獣人域まで。馬二頭借りれる?」

「獣人域まででしたらもうすぐ近くの商会から荷馬車が出ますけど、良ければそちらに同乗されますか?お安く収められますよ」



なんと優しい主人か。

柔らかい笑みを浮かべるウサギの獣人の主人に礼を言い、荷物の積み込みを手伝う代わりに無料でいいという荷馬車に同乗させてもらう。

荷馬車の御者も獣人だったが、獣人というのはみんなお人好しなんだろうか?

まだ入ってもいないのに、獣人域が好きになりそうだ。


(それにしても、、、、)


汽車に慣れてしまった後の馬車での移動は、前より揺れを強く感じるな。

たかだか20km、約二時間程の道程であるが、ちょっと酔いそうだ。

いつでも御者の横で外の空気を吸えるように、前方に移動しておこう。



「うわぁ~、、。なんか、凄いですね」



気持ち悪くなってきたので外の景色を見ようと御者の斜め後ろに座って外を見ると、一番最初に目に入った山の見た目に圧倒させられた。

大きさもそうなんだが、頂点や山肌の一部が、不自然に抉れていたのだ。

それも、その山だけでなく、馬車道から少し離れたところには大地の傷跡が多く見られる。

自然に出来たものとは到底思えないが、傷跡の無作為さからは故意でやったという感じは全く見られない。

何があったらあんな大きな傷跡がいくつも残るんだ。

隕石群でも降ってきたのか?



「気になりますか?」

「え?あ、はいそうですね。不自然に抉れてるので何かあったのかな、と」

「あれは、過去の大戦の傷跡ですよ。武人と獣人のね」



御者が言うには、武人と獣人は長きに渡って戦争を繰り返していたらしい。

それも、数百年前までずっと。

戦争をしていた理由は、獣化の契約をした武人がその場で獣人の多くを屠っただとか、獣人が武人域で暴れて幾人もの武人を殺めただとか様々な噂があるらしいが、真相は分からないんだそう。

何となく、しょうもない理由で戦争を続けていたんだろうと思えてしまうのは、ジーンやリッシュの姿が武人の姿として固定されてしまっているからだろうか。

いくらなんでも、自分が戦いたいからといって二つの種族全てを巻き込んだ戦争まで起こさないよな。

起こさない、、、、よな?


それにしても、魔術も無しにあれだけ大きく抉れるものなんだろうか。

遠くに見える富士山くらいのサイズはありそうな山なんて、富士山の上の白い部分くらいがごっそりと無くなっているんだが。



「獣人の本気や、武人の実力者の全装獣化を見た事はありませんか?」



疑問を質問に変えて御者に問いかけてみると、質問で返されてしまった。

全装獣化はピノがしているのを見た事はあるが、その状態で戦っているのは見た事ないな。

レアドの獣化も、途中で止めてたし。



「今は獣人、武人共に昔程強くはないようですが、それでも実力者であれば、あの山の頂点を削り取るくらいは可能みたいですよ。私は無理ですけどね」



そう言ってころころと笑う御者が指差したのは、富士山サイズの山の横にある、富士山よりも1、2倍程大きな山。


アノヤマノチョウテンヲケズル、、、?


御者が〝勿論、一撃ではないですよ?〟と付け足したがそういうわけじゃない。

俺も、キュイの力と魔力を借りれば頑張れば出来る気もするが、いくら獣化をしたからといって、武人が持つのは武器と膂力のみだ。

小さな体のヒトが殴ったところで、山の頂点を消失させる事なんて出来るものなのか、、?



俺はこの時、まだ知らなかった。

御者の言葉が間違っていた事。

本当は、ジーンレベルが本気を出せば山ごと消し去る事が出来るという事を。

後日それを知った俺が卒倒しかけたという事を、ここに追記しておこう。









「到着しましたよ~っと、、、、大丈夫ですか?」

「は、はい。何とか、、、」


馬車に揺られる事二時間。

相当胸の辺りが気持ち悪いが、何とか吐かずに済んだ。

俺はこんな状態なのに、なんでリビィもバオジャイもケロッとしてるんだろう。

この世は不平等だ、、、。


到着したのは、連なる山脈の一箇所に掘られた巨大なトンネルの前。

陽が落ちたせいでトンネルの先が見えず、行き止まりの洞窟のようにも見えるが、御者曰くこの先は抜けているんだそうだ。

いかにもただ掘り進んだだけですというような自然感溢れるでこぼことした見た目をしているが、崩れないものなんだろうか。

というか、この先まで乗せて行ってくれないのかな。



「夜にこの道を通ろうとすると馬が怯えてしまうんです。でも安心してください、トロッコがありますから、歩く必要はないですよ」



トロッコ、、!

一度乗ってみたい乗り物ランキングで上位に来るトロッコに乗れる時が来るとは。

それも、こんな自然に出来た洞窟のような場所で。

気分は考古学者だな。





「おっ。お客さんかい?獣人域へはどんなご用向きで?」


荷物の確認を待つという御者に送ってもらったお礼を言って、一足先に獣人域へ向かおうとトンネルの入り口に立っていた獣人に話し掛ける。

何の獣人だろうかと迷う必要はない。

間違いなく、蝙蝠の獣人だ。

リアルバッドマンだな。

名前と見た目くらいしか知らないが。



「移住」

「移住?あー、魔人域から追い出されたタチですかい?見た所武人ではなさそうではありやすが、、」

「私の事、覚えてない?」



久し振りに会った同級生のような事を言うバオジャイを、蝙蝠の獣人が周囲をぐるぐると回りながら観察する。

自分の記憶の引き出しにあるものと一致する特徴がないかどうか探るように。



「うーん、、どこかで、、、。、、、あ!狼の獣人の!」

「ん。正解」

「随分前に武人域へ移住したって聞いてやしたけど、戻って来たんですかい?」

「ん」

「まあ武人域は今治安が悪いみたいでやすからね」



バオジャイと面識があったらしい獣人だったおかげで特に訝しがられる事もなく、簡単な自己紹介のみでトロッコに乗せてもらえる事になった。

門番的な役割であろうに離れて大丈夫なのかと心配になったが、近くの木に仲間がぶら下がってるから大丈夫だと言われた。

獣人とはいえ、生態は人間と同じだろうと思っていたんだが、それぞれの種族ごとの特性や習性は持っているようだ。

夜に門番をやっているのも、蝙蝠故なのかもしれないな。



「あ、言い忘れてやしたが、今日は遅いですし、目的の場所までは行けやせんぜ?」



どうしてそれを早く言わなかった。

もう少しでトロッコを降りなければと、出口を遠くに見ながら別れを惜しんでいると、前方で操作をしてくれていた蝙蝠の獣人が重要そうな事を何でもない事のようにポロリと零した。

まあ、獣人域で暮らしてたバオジャイであればそれぐらい考慮しているだろうし、泊まる場所くらい考えているだろう。



「え、、、」



と思ったが、どうやらバオジャイは今日中に目的地まで行く予定だったようだ。

蝙蝠の獣人に告げられた事実に、俺やリビィよりも驚愕の表情を浮かべている。

薄々勘付いてはいたんだが、バオジャイってかなり天然なところがあるよな。

怒られたら嫌なので言わないが。



「野宿出来る場所くらいあるでしょ?」



真っ先にそんな逞しい発現をしたのはリビィ。

女子大生相当の年齢であるのに、何故リビィはこんなにも立派で逞しいのか。

俺が頼りないからかもしれないという考えが過ったが、精神衛生上よろしくない考えだったので思考の彼方に追いやった。

頼りがいがあるとは思わないが、迷惑にはなってないと思いたい。



「ある、にはある」



歯切れの悪いバオジャイの返答が気になる。

何か隠していそうだ。



「獣人は縄張りにうるさいので、野宿はやめたほうがいいでやすよ?」



下手をすれば武人域よりも危険じゃないか。

どうしようか。

戻って入口付近で野営準備をするべきか、ダメ元で宿が無いか聞いてみるべきか、、。

考えが纏まらない内に無慈悲にトロッコは出口に到着してしまった。



「良かったら、知り合いの集落が近くにありやすが紹介しましょうかい?」

「ん。して。早く」

「え、ちょ、え」



食い気味な返答と共に蝙蝠の獣人に詰め寄るバオジャイ。

自分のミスをなかった事にしたいんだろうか。

そんな事しなくても、バオジャイへの評価が下がる事はないんだが。

どちらかというと、天然だという側面があってくれたほうが接し易いから隠さないでほしい。



「案内しやす」



バオジャイがいつの間にか持ってきていた巨大カマドウマの脚を渡すと、蝙蝠の獣人はすぐに案内を開始してくれた。

いくつかに折っていたとはいえ、どこにあんなものを隠してたんだ、、。

というか、蝙蝠の獣人はあんな気持ち悪いものを食べるのか。

獣人域での食事が、心配になってきた。

せめて、せめてセナリが居てくれれば、美味しい食事にありつけるだろうに。

食事もそうだが、漸く獣人域に着いたし早くセナリを見つけたいな。

案内してくれるという集落に着いたら、蝙蝠の獣人に何か知らないか聞いてみるか。






「おー!レバッタじゃないか!久しいね!」


集落には着いたが、蝙蝠の獣人、レバッタに情報を貰おうという気は失せた。

道中で仲違いしたとかそういうわけではない。

集落で迎えてくれた獣人が、レバッタより確実に情報を持っていそうだったのだ。

勿論、一目見ただけで相手がどんな情報を持っているのか見分ける能力なんて持ってない。

それでも確信出来たのは、出迎えてくれたのが羊の獣人だったから。

この獣人なら、セナリの事を何か知っているかもしれない。

セナリの受け入れ先が獣人域だと仮定した場合の話だが。





「ようこそシェーパー一族の集落へ。僕はタット・シェーパー。君達は?」

「バオジャイ・システィオーナ」

「ケイトです」

「リビィです。よろしくお願いします」


案内してくれたレバッタとお別れして、快く迎え入れてくれたタットと挨拶を交わす。

50m程先に見える開けた場所にある集落には木造りの家が数十軒建っていて、何となく防人の一族の集落を思い出した。

あれからまだそんなに経っていないというのに、何だかもう懐かしいように思える。

またキュイを連れて挨拶に行こう。



「こんな広い家、使ってもいいんですか、、?」

「大丈夫大丈夫!少し前に亡くなった夫婦が使ってた家で、今は使われてないからね」



その事実は黙っておいてほしかった、、。

聞いた途端に、この小奇麗な家が事故物件に見えてきてしまった。

家の中で亡くなったわけではないらしいから大丈夫だとは思うが、、。

朝まで持つようにリビィが光石に魔力を注いだのは、聞かされた話に同じような感情を抱いたからだろうか。



「じゃあ、僕はこれで!色々と使い方が分からないものがあると思うから、お世話してくれる子呼んでくるね!それまでごゆっくり~」



俺とリビィの心配など微塵も気付いていない様子で、タットは嵐のように去っていった。

泊まる場所まで用意してくれて、世話をしてくれる子まで用意してくれるとは、、。

やはり、獣人はお人好しが多いようだ。


(、、、あ)


あまりにも早く出て行ったせいで、セナリの事を聞くのを忘れていた。

今日はもう遅いし、明日の朝にでも情報収集をするか─────







コンコンッ。


「失礼しますです!入っても大丈夫でしょうか?」


「───え?」







タットが去ってから10分。

ノックと共に世話係の子の声が入口の扉の向こうから聞こえてきた。

俺が言葉を失いリビィが驚愕の声を漏らしたのは、やって来るのが早かったからでも事故物件に怯えて物音で身を竦めたからでもない。

聞こえてきた声、口調が、聞き馴染みのあるものだったからだ。

まだ扉は開かれておらず、姿は見えない。

それでも分かる。

分かってしまう。

あの一枚の扉を隔てた向こうにいるのが、誰であるのかが。



「あの~、入っても大丈夫でしょうか、、、?」



反応が無い事に不安を覚えたのか、扉の向こうの声の主が恐る恐るそう聞いてくる。

俺とリビィのあからさまに不自然な反応を気遣ったのか、バオジャイもその場をじっと動こうとしない。

とはいえ、ずっとこのままというわけにもいかないだろう。

リビィと目を合わせて頷き合い、震えそうになるのを、早鐘を打つ胸を抑えて、扉の向こうへ声を開けた。




「セナ────」

「初めまして。君が世話をしてくれるっていう子?」

「はいです!セナリと申しますです!よろしくお願いしますです!!!」




駄目だと分かっていながらも反射的に名前を呼びそうになった俺を、リビィが力一杯に腕を掴んで止める。

血が止まりそうになるほど強く力を込められたリビィの手は、弱々しい震えを持っていた。

視線を辿らせると、手だけでなく口元も震えている。

感動、、、ではなさそうだな。

リビィが今持っている感情が何なのか、それは分からない。

でも間違いなく、良い感情ではないと思う。

どちらかというと楽観的な考えを持つ俺でさえ、セナリとの再会を心から喜ぶ感情を持てそうにはないから。

考え、悩み、自分で抱え込むリビィの中では、俺以上に複雑な感情が湧きあがっているいるんだろう。

一つの感情を表す言葉では、表現し切れない程の沢山の感情が。



「ケイトといいます。よろしく、セナリ」

「システィオーナ」

「、、リビィです」

「ケイト様、システィオーナ様、リビィ様、宜しくお願いしますです!お風呂とご飯、どちらを先にご用意しますですか?」



一瞬表情が抜け落ちた気がするが、すぐに笑顔に戻ったセナリに、ひとまず食事を用意してくれと頼む。

お風呂でも食事でもどちらでもよかったんだが、とりあえずこの場を離れてもらって気持ちを落ち着ける時間を作りたかった。

挨拶ですら中途半端に敬語になってしまう辺り、俺は自分で思ってる以上に心が乱されてるのかもしれないな。



「バオジャイさん。少し、リビィさんと一緒に外の空気を吸ってきます」

「ん。偉い」



セナリの姿が台所に消えるや否や、膝から崩れ落ちそうになったリビィに肩を貸す俺の頭を、バオジャイが優しく撫でる。

少し背伸びをした可愛らしい仕草であるというのに、撫でられた事に安心感を覚えて泣きそうになってしまった。

これから、リビィの気持ちを聞き出して落ち着かせないといけないというのに、俺が先に泣きそうになるとは情けない。

もっと、何も考えずに再会を喜べると思ってたんだけどな、、、、。






「ごめん、、ごめんなさい、、、」


外に出てすぐ。

扉の前で崩れ落ち、三角座りでリビィが謝罪を吐露する。

おそらく俺に向けたものではない。

でも、セナリに向けたものでもない気がする。

リビィ自身、誰に謝っているのか分かってないんじゃないだろうか。



「リビィさん。大丈夫です。大丈夫ですから」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、、、」



背中をさすりながら、あの日、セプタ領を脱出した時のように謝罪を零し続けるリビィに声を掛ける。

誰に向けられたものかも分からない謝罪と、何に対するものなのか分からない励まし。

正直なところ、俺自身も感情の整理がついておらず、上手くリビィを励ます言葉を出せなかった。

背中をさする手から伝わってくるのは、微弱な体の震え。

嬉しいはずのセナリとの再会が、リビィには相当堪えているように思える。



「駄目だ、、、ごめんねケイト。迷惑掛けてばっかりだよね私」

「そんな事ないです」

「駄目駄目だよ。勝手な判断で記憶を消した癖に、いつまでも引き摺ってさ」

「仕方ないですよ。引き摺ってるのは僕も同じ──」

「同じじゃないよ!ケイトには分からないでしょ!?私が今どれだけ辛いかなんて!!!」

「ええ、分からないです。僕はリビィさんではないので」

「じゃあ放っておいてよ!!もっと突き放してよ!勝手に思い出を消した私を、、責めてよ、、、。優しくしないでよ、、、」



俺の胸を叩き、力なくだれた後、自分の膝に顔を(うず)めるリビィ。

本当はずっと、辛かったんだろう。

それでもしっかりしないと、前を向かないといけないと、気丈に振る舞ってきたんだと思う。

それがセナリの顔を見た事で、一気に崩れ落ちてしまったんだ。

俺が平常時でも感情を揺れ動かされたセナリとの再会という大きな出来事を、リビィは心の足場が不安定な状態で迎えてしまった。

今まで保ってきていたものが、瓦解してしまうのは仕方ない事のように思える。


だが正直なところ。

自分すら落ち着けられていない今では、リビィを落ち着いて励ます余裕はない。

自分の感情ばかりぶつけるなと、苛立ちすら覚えている程だ。

そう意識すれば、段々と人の事を考えずに駄々を捏ねるリビィに腹が立ってきてしまった。



「リビィさん。話を聞いてください」

「うるさい」

「リビィさん」

「うるさいうるさい」

「リビィさん」

「うるさいって言ってるじゃんか────」



パシンッ────。



「リビィ!」



慣れない呼び捨てと共に、乾いた音が響く。

音の発生源はリビィの頬。

俺の胸倉を掴もうと顔を上げたリビィの頬を平手打ちした。

叩き慣れていない事の分かる、情けないフォームだと自分を心の中で鼻で笑う。

苛立ちをぶつけた事で、自分を鼻で笑えるくらいには心は落ち着いたようだ。



「えっぐ。ひっく。ごめん、なさい。ごめんなさいごめんなさい、、、」

「大丈夫。大丈夫ですから」



弱々しく泣くリビィを抱き留めて背中をさする。

不思議と、一切の下心がなかった。

今はただ、リビィを宥める事と、自分自身の心を落ち着ける事で精一杯だ。

本来なら自分の事だけでいっぱいいっぱいで一人になりたいんだが、流石に、放っておいたら戻ってこれない程崩れてしまいそうなリビィを放置して行くわけにはいかないよな、、、。

自分よりも動揺しているリビィを見て心の安寧を計ろうとするのは、最低な考えだろうか。






「ひぐっ。私、、、ね。セナリの声を聞いて、顔を見て、凄く怖くなったの。記憶を消した事、恨まれてるんじゃないかって。ぐすっ。自分でやった事なのに勝手だよね。セナリに恨まれてるかもって怖くて、自分でやった事なのに責められる覚悟も出来てない事が理解出来て辛くて、、」


時間を置いて幾分か落ち着いたリビィが、独白のように心が崩れた原因を零す。

記憶がなくなっているからセナリが恨んでいる可能性がないということは、リビィも分かっているだろう。

それでも、リビィにとって記憶が残っているのかどうかというのは重要でないのだと思う。

記憶魔術を使わない状態で、自分の事を忘れろ。

思い出の品の一切合切を捨てろ。

そう冷たく突き放した時の、セナリの反応を想像してしまったんではないだろうか。

想像してしまったその姿が、頭にこべりついて離れなくなってしまったんではないだろうか。

もしそんな状況になったとしても、セナリの性格上泣いて悲しみこそすれリビィを責める事はないんだろうが、その涙をどう捉えるかはリビィ次第だ。

セナリにとっては悲しんでいるだけでも、負い目のあるリビィから見れば恨まれていると捉えられてしまうかもしれない。

〝実際にそんな事態になったわけではないのだから考えても仕方がない。〟

そう切り捨てられてしまえば、どれだけ楽な事か。

それが出来ないからこそ、現実と被害妄想の境目が分からなくなるような精神状態だからこそ、リビィはこれだけ苦しんでいるんだろう。

リビィの頬を叩いた事に後悔はないが、自分でどうすればいいか分からなくなる程弱っているリビィを責める気持ちを持ってしまった事には、少し負い目を感じた。



「セナリは絶対に、リビィさんの事を恨んでません。保証します。もし万が一、僕の言葉が嘘だった場合。嘘を吐いた僕をリビィさんが恨んでください」

「ケイトを恨むなんてそんな事、、、」

「何でそう言い切れるんです?」

「だって。ケイトは勝手な行動を取った私に文句も言わず、今までずっと守ってきてくれたもん。何かある度に私を体で隠してくれたのもちゃんと気付いてるからね」

「それは、リビィさんを守る為に最善の行動だったからです」

「うん。だから私がケイトを恨む事は─────」

「守る為に最善の行動を取ってくれたという点では、リビィさんが記憶魔術を使ってくれたのも一緒です。あれは、自分の為だけに使ったわけではないですよね?僕やウルさんやセナリ。それ以外にも自分に関わってくれた人に被害が及ばないようにって、リビィさんが必死に考えた結果に導き出した答えですよね?感情を押し殺してまで自分の事を考えて行動を起こしてくれた人を、僕は絶対に恨みません。それはセナリも一緒です。記憶を失くしてしまっていますが、もし記憶が残っていたとしても、リビィさんの事を恨んでなんかないと断言出来ます」

「ケイ、、、ト、、」



リビィの手が俺の胸元から離され、掴み直そうかこのまま離していようか。

所在無げにその場をうろつく。

だが、目は真っすぐに俺の目を見据えていた。

まだ大丈夫とは言い難いが、少なくとも目の焦点を定められるくらいには落ち着く事が出来たようだ。

こんな短い時間で自力で戻ってくるとは、やはりリビィは強い。



「僕が嘘を言っていたら、ビンタでもデコピンでも、何でもしてください」

「それはしないよ、、。でも、ありがとう、ケイト。本当に。本当にありがとう」



そう言ってリビィは涙を流したが、その姿は先程までの吹けば飛ぶような不安定なものではないように感じられた。

俺もいつの間にか、感情を落ち着ける事が出来ている。









コンコンッ───。




すぐ側にある扉をノックする音が聞こえる。

いつの間にか、二人掛かりで凭れて押さえてしまっていた。



「晩ご飯。食べれそう?」



音に反応して扉から少し離れたがノックをしたバオジャイが出てくる事はなく、扉越しにそれだけ聞かれた。

晩ご飯が出来たから呼びに来てくれたんだろう。

もうそんなに時間経ってたのか。



「私は今日はいいかな。先に休んでるね」



数10分振りに家の中へ入り、バオジャイにそう告げて一人で二階の寝室へと向かうリビィ。

視線が一度だけ台所に立つセナリの背中へ向けられたが、すぐにうつむきがちに伏せられていた。

少し持ち直したとはいえ、まだセナリを見るのは辛いのかもしれない。



「大丈夫でしょうか、、、」

「うん。ちょっと体調が悪いらしい。せっかく作ってもらったのにごめんな?」

「大丈夫です!明後日くらいまで持ちますです!」



そう言って胸元に握り締めた両手を持ってきたセナリの手首に見えたのは、別れ際に俺が渡したブレスレット。



「そのブレスレット、綺麗だな」

「はいです!昔貰ったです!誰に貰ったかは忘れましたです、、、」



落ち込むセナリの表情に、ずきりと胸が痛んだ。


(聞くんじゃなかったな、、)


とりあえず、また不安定になりそうになった感情は、久し振りのセナリの美味しい料理で流し込もう。

一口目で目頭に溜まった涙が流れそうになったのは、気付かれてないと思いたい。

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