五十六話「旅立ちの裏で」
パキッ───
静まり返った夜の寝室。
珍しく甘えて一緒に寝たいと言ってきたセナリの隣でいまいち寝付けずにいると、首から下げていたネックレスの、魔術無効化性能のあるペンダントトップが割れる音が聞こえる。
魔術を無効化しなければ割れる事のないこのペンダントトップが割れたという事は、今し方俺は魔術を行使されたという事。
だが、基礎魔術を使った時のような目に見えた変化はない。
おそらく、無効化したのは精神に干渉するタイプの精霊魔術。
使い手は、、
(間違いなくリビィだろうな、、、)
リビィは今まで、生活以外で頑なに魔術を使いたがらなかった。
ケイトがいれば触発されて魔術を使い出すかもしれないと思っていたが、そう上手くいくわけもなく。
それにも拘らず、魔水晶の存在を知ってからは、よく俺に買ってほしいと強請るようになった。
普段セナリと同様、自分の物を買う事もなく我儘も言わないリビィの頼み。
叶えないわけにはいかないと、出先で見つけては買って帰っていたが、それは十中八九、今日の為に着々と用意していたものだったんだろう。
まだ何の魔術を使ったのかまでは分からないが、今まで買い与えた魔水晶の量、ここまで効果を届かせた事を考えれば、相当高位の魔術を使ったであろう事は推測出来る。
このタイミングでリビィが使う高位の精霊魔術。
おそらくそれは、明朝の調査まで俺が何も対策をしなくてよくなるような、そんな魔術だろう。
心から、リビィの行動を予測して対策をしておいて良かったと思った。
出来る限り願いは聞き届けてやりたいところだが、こればかりは自分の意思を押し通させてもらおう。
後は起きてから、魔術の効果がどこまでどこまで及んでいるか把握をしなくてはな、、。
ガサ──ガサガサ────
(ん?物音、、?)
朝。
何やら布の擦れる音で目が覚めた。
薄ら目を開けて見えた音の正体は、セナリ。
そうだ、一緒に寝ていたのを忘れていた。
まだ陽は昇っていないが、いつも日の出前に起き始めるセナリの事だ、おそらくもうそれくらいの時間なのだろう。
調査が来る前に確かめておきたい事もあるし、まだ体に怠さは残るが俺も起きるか、、。
「よく眠れたか?」
「あ、ご、ご主人様!起こしてしまいましたか!?」
「いや、どのみち起きなければならなかった」
「お仕事でしょうか!?急いで朝食用意してきますです!」
「頼む。あとセナリ。何か体に違和感のようなものはないか?」
「違和感、、でしょうか?今のところは特に何もありませんです、、、」
「そうか」
精神には干渉するが、肉体的な変化を伴う魔術ではない、と。
こういった検証はメヒトにさせるほうが確実なんだが、あれだけの別れの後だ、すぐに再会するのは憚られる。
それに、俺が今、長く王都を離れるわけにはいかないしな。
少なくとも、今日中には戻らなくてはならない。
(そうなるとセナリが一人になるが、、、)
まあ、セナリの事だ。
一人でも何とかするだろう。
「大変お待たせしましたです!朝ご飯用意出来ましたです!」
セナリと二人、食卓に着く。
ケイトが居ない、二か月振りの食卓。
リビィが居ない、三年振りの食卓。
四人での食事に最初は騒がしさすら感じていたが、少ない回数しかしていないながらも、今はこうして二人で食卓に着くほうが違和感を覚えるようになってしまった。
昔は、一人で居る時間のほうが好きだったはずなんだがな。
「「食に感謝を。魔力の源に感謝を。変わらぬ大地の恩恵に、此度も授かります」」
セナリの料理は変わらず美味しい。
だが、何となく味気なく感じるのは俺の心情故なのだろうか。
そこまでリビィやケイトに依存していたとは、想像もしていなかった。
ポトッ───
(ん?)
食事の最中、大粒の雫が落ちる音が聞こえる。
雨は降っていないから、雨漏りではない。
どこからだ?
「、、、セナリ?」
音のするほうへ視線を向けてみると、そこには頬を伝った大粒の雫をテーブルに落とすセナリの姿が。
ポッ──ポッ───
俺が見ている間も、止まる事なく流れ出る涙。
木製のテーブルの涙の染みが少しずつ、大きさを増していっていた。
「あれ?なんででしょう、、。ご主人様と一緒に朝ご飯が食べられて、いつもみたいに独りじゃなくて嬉しいのに、、寂しいのです、、、、」
漸く分かった。
リビィが使った魔術が。
確かに、あの魔術なら全ての問題を解決する事が出来るだろう。
その他に些細な問題はあるが、それは俺のほうで何とでもなる。
最善ではある。
最善ではあるんだが、、、。
(リビィ、、。この手段は一番残酷だぞ、、、)
記憶魔術が行使されたのは初めて見たが、学生時代にメヒトが文献を漁って得た知識を聞いた事がある。
記憶やそれに関する情報が消えるのは確かなんだが、消した記憶に対する思い入れがある人物の場合、今のセナリのように行き場を失くした感情だけが残る事があるらしい。
リビィに何度言っても親しい友人を作ろうとしなかったのは性格上必要ないという理由だと思っていたが、もしかしたら自分を想う心の行き場を、心配していたのかもしれない。
だが、流石に孤独には耐えられなかったんだろう。
俺やセナリで、悪いとは思いつつも日々心の隙間を埋めていたのかもしれない。
その罪悪感が募っているところにケイトという記憶を消す必要のない存在が現れた、、、と。
色々と疑問が解決したが、出来る事なら、こんな方法での解決ではないほうが嬉しかった。
唯一の救いとしては、念の為にネックレスを用意していた事、か。
こんな事なら、セナリにも同じ物を持たせておいてやったほうが良かったかもしれない。
(いや、それでもリビィやケイトと別れた寂しさは残るのか、、)
一体、どの行動が正解だったのだろうか。
リビィの使用した魔術が分かった今でさえ、それが分からない。
ひとまず今出来る事としては、苦しみながらこの選択肢を選んだであろうリビィの決断を無碍にしない事だけだ。
優先すべきは、訳も分からず涙を流し続けるセナリを宥める事か。
ガンガンッ───!!
「失礼する!ディベリア神聖国聖魔術士シャリア・ベクラディンと申す!」
(思っていたよりも早かったな、、)
鍵を閉めるのを忘れていたせいで、相手のタイミングで入られてしまった。
セナリは既に泣き止んでいるからいいが、好き勝手に入られるのは些か気分が悪いな。
それに、たかだか腐愚民を匿っているかの調査に聖魔術士を寄越すとは、ディベリア神聖国は一体何を企んでいるんだか、、。
「礼儀がなっていない登場の仕方だな、聖魔術士ともあろう者が」
「御託は不要。神王様から権限を与えられた我への侮辱は、不敬にあたると心得よ」
ベクラディンが俺に突き出してきた一枚の紙へ目を通す。
そこに書かれていたのは、、、
「ディベリア神聖国教皇、並びにその従者たる聖魔術士には、対象が他国民であっても、自らより地位の高い者であっても、各々の采配で強権を振るう事を許可する、、?」
「そうだ。まさか、聡明な三賢者殿が神王様の決定に逆らうわけではなかろう?」
ディベリア神聖国ならびに、管理区域への他国からの必要戦力の出向。
各国の関所、各都市、町の門番の人事の采配。
細かく見ればもっと多くの権利が教皇、聖魔術士に与えられている旨が書かれていたが、魔人域全体を大きく揺るがすであろうものはこの二つだ。
必要戦力だと言われれば、俺を初めとした三賢者、それに加えて王国軍の面々もディベリア神聖国に出向しなくてはならない。
戦力が必要な理由はいくらでもでっちあげる事は出来るだろうから、実質全ての魔術師や兵士がディベリア神聖国所属となった事になる。
そして、各関所や門の人事の采配。
これはおそらく外に逃れた腐愚民を徹底的に炙り出す為なんだろうが、門番の詰所にディベリア神聖国の人間が入れば、まず確実に今までそこで働いて来た役人達は職を失う。
それに加え、シルム王国の都市の門番達は作物等を売りに来た町民、村民達に税を納めさせなくてはならない。
大まかな税の額はユリティス王が決めているが、多少の増減は門番達と指示を出すその都市の役人達に裁量を任せている。
つまり、門番がディベリア神聖国の人間になってしまっては、税の額を自分達の都合の良いように変えられてしまう恐れがある。
そうなってしまっては、多くの国民の収入の減少、低価格の作物の不足。
様々な問題が出てきてしまう。
(そんなものを、神王様が認めたというのか、、)
文字はおそらくクラムドのものだが、紙に記されている署名、御璽は間違いなく神王様のもの。
元々はディベリア神聖国の教皇とはいえ、ここまで自国に贔屓をするものだろうか。
下手をすれば戦争が起こりかねないぞ、、。
「家の中は調べ終えた、、、、が、腐愚民は居ないようだな」
「当然だろう」
あれこれ考えている間に、どうやら調査は終わっていたようだ。
正確には昨晩までは腐愚民がいたのだが、ディベリア神聖国が誇る装置をもってしても、既に立ち去った後では居たかどうか判別する事は出来ないらしい。
聖魔術士の悔し気な反応を見るに、弱みを握って俺に何かをさせようとしていたのかもしれない。
セナリにとっては残酷であったが、リビィの判断には感謝しなくてはならないな、、。
「では。その小僧の身柄は確保させてもらうぞ」
「─────あ゛?」
「な、なんだ!?やるのか!?」
椅子に大人しく座っていたセナリへ手を伸ばそうとするベクラディンを睨み付ける。
セナリは腐愚民ではない。
それはどんな馬鹿であってもその容姿を見るだけで分かる事だろう。
だが、そんなセナリの身柄を確保するとベクラディンは言った。
セナリを戦力とするのはあまりにも無理がある。
それ故に、出向という線も消えるだろう。
では、何故?
距離を取って魔術を放とうとするベクラディンに、疑問符と怒りが同時に沸き上がった。
「下がれ、ベクラディン。後は私が話す」
(クラムド、、、?)
ベクラディンの背後、扉を開けて入って来たのは、学生時代、俺のライバルを自称していたクラムド。
確かにディベリア神聖国では歴史ある貴族の家系に生まれていたはずだが、神王様から直接権限を与えられた聖魔術士に偉そうに出来る程の立場ではないはずだ。
現状、神王様以外で聖魔術師より上の立場といえば、、、
「この、ディベリア神聖国教皇である私が、な」
やはり、そうだったか、、。
いつの間に、とは言わない。
おそらくパブロ教皇が神王様になった時に、入れ替わる形で教皇へと成ったのだろう。
今、とんでもない騒ぎになっているであろう母国を置いて、教皇がわざわざこんなところへ何をしに来たんだ。
「久しいな、ウル」
「ああ」
「貴様!教皇様にその口の利き方は不敬──」
「よい。下がっていろ」
「、、、ハッ!」
クラムドの声一つで、殺気立っていたベクラディンは、その怒りを堪えて外へと出た。
おそらく、扉の前で怒りを収める事と周囲を警戒する事に専念しているだろう。
前の道を通った市民達に何か危害を与えてなければいいんだが。
「貴様が三賢者という地位で胡坐をかいている内に、私はここまで上り詰めてしまったぞ。お前とメヒトに上を行かれ、万年三番手と言われていた私が、な」
そう言ってクラムドは椅子に座り、憎らし気な笑みを浮かべた。
この男は俺の世代では二番目に賢く、三番目に強い。
それも、学生時代はずっとその位置を保っていた。
二つの情報だけを考えれば、クラムドが三賢者に選ばれていてもおかしくはなかったのだが、魔人としては致命的な弱点を抱えている事により、俺とメヒトが三賢者に選出される事になった。
「魔力が致命的な少なさだろうと、ここまで上り詰める事が出来ると、証明してやった」
そう、クラムドは絶望的なまでに体内に保有出来る魔力量が少ない。
下位の精霊魔術でさえ、一度も放つ事が出来ない程に。
それ故、体内の魔力保有量を増やす研究や、出来る限り魔装に溜め込む手段を学生時代に研究していたが、確か、魔力保有量を増やす研究は最後まで上手くいかなかったはずだ。
あのメヒトですら、体内の魔力保有量を増やすのは無理だと結論を出していた。
その上でも諦めずに研究をしていた執念から、クラムドの魔力への執着は窺える。
だがそうか。
それでも尚、教皇になるという願望を諦めなかったんだな。
セナリを召使いのように使って何かを作らせる姿が視界に入り苛立ちが募るが、クラムドが偉そうな態度なのは昔からの事だ。
今は、一緒に切磋琢磨してきた旧友が一国のトップになった事を素直に祝おう。
「おめでとうクラムド。お前の努力は認めざるを得ないな」
「ふん。世辞はいらん」
「だが、フェリア家のほうはどうするんだ?確かお前が当主になる予定だったろう?」
「私が兼任している。まあ、実務は弟に任せているがな」
「弟?確か、、」
クラムドの弟といえば、魔術大学史上一番の悪童と言われていた存在だったはずだ。
その力故に、教師陣も手が付けられないと匙を投げ、大学初の退学者となった人物しても有名だ。
性格を考えるに、実家は継がないものだと勝手に思っていたが、、、。
一体何があの悪童を変えたのか。
「大人になり、フェリア家の一員としての自覚が芽生えてきたという事だろう」
「そういうものか?」
「詳しくは分からん」
俺自身会った事がなく分からないが、実兄であるクラムドが言うのであればそういうものなんだろう。
悪童ぶりの噂には、尾ひれが付いていたのかもしれないしな。
「ふむ。中々に美味いな」
「ありがとうございますです!」
いつの間にか、クラムドがセナリが作った料理を食べていた。
一緒に出しているのは、来客用にと酒が分からないセナリなりに酒屋の店主に聞いて常備していた葡萄酒。
一度飲んだ事があるが、あれは今まで飲んだものの中でも上位に入る美味しさだ。
料理もセナリの得意なものを作っているし、舌が肥えているであろうクラムドも気に入るはずだ。
「空のグラスを一つ寄こせ」
「はいです!」
お?
偉そうなだけだと思っていたが、俺の分のグラスを用意する程度には気遣う心を持ち合わせているようだ。
弟の事を変わったと言っていたが、クラムドも教皇になるにあたって慈愛の心を持つようになったのかもしれない。
立場というのは、時に人を大きく変えるからな。
俺も、三賢者になる前と今では、大きくモノの見方が変わった。
メヒトは、、、変わっていないように思えるが、あいつなりに何か変わっているんだろう。
「お待たせしましたです!」
ペッ───。
「───あ゛?」
とうに飲み込んだと思っていた料理はクラムドの口の中にまだ残っており、数度の咀嚼で形を失ったそれは、まだ殆ど残っている料理へと吐きつけられた。
「クラムド、、お前、、、」
「ウル。一つ問いたい」
「あ゛?」
セナリの料理を吐き出し、侮辱を重ねるように葡萄酒を口に含んで濯ぎ、ワインの残るグラスへ吐き出した。
そんなクラムドに向ける言葉には、つい棘が立ってしまう。
空のグラスは俺用ではなく、自らの口内を濯ぐ水を入れる為に持って来させたようだ。
料理の味も葡萄酒の味も問題ないはず。
食材が腐っていたという可能性も、セナリの能力や性格上、無いと断言しても問題ないだろう。
「三賢者ともあろう者が、何故こんな汚らわしい血の流れる召使いを雇ってる?」
「訂正しろ。セナリは家族だ」
「家族、、ねえ、、。反吐が出る。魔人域には魔人以外必要ない。そう思わないか?ウル」
「思わないな」
「そうか。旧友だからと目を覚まさせてやろうと思ったが、どうやらお前はもう手遅れのようだな」
わざとらしく溜め息を吐くクラムドから、一枚の羊皮紙を受け取る。
右下に押されている印を見て、嫌な予感が頭を駆け巡った。
それは、先程ベクラディンに見せられた紙に押されていたものと同じ。
即ち、この羊皮紙に書かれている事には、必ず従わなくてはならない。
そんな、絶対不可避の指示書に書かれていた内容は───
「獣人及び武人の血が流れる者全てを、武人域へと強制送還し、二度と魔人域へ踏み入れる事を禁ずる。抵抗する者は処罰しても構わない、、、?」
俺は先祖をどれだけ辿っても魔人の血しか入っていない。
よって、この記載事項には該当しないが、、。
「これでも、お前は家族とやらを守る為にディベリア神聖国、延いては神王様相手に謀反を起こしてみるか?」
セナリを守りたい気持ちはある。
だが、神王様が相手では、俺が出来る事は何もない。
聖域に入れさえすれば守護者と神王様全てを相手取れる自信はあるが、神王様を殺したとあれば全ての人間から狙われる嵌めになる。
魔人だけでなく、武人からも。
そんなものに、俺の短慮でセナリを巻き込むわけにはいかない。
つまり、セナリを武人域へ向かわせる事を止める術は、俺にはない。
こればかりはどうしようも、、、。
「ご主人、、、様?」
この事実を知れば、セナリはどう思うだろうか。
リビィやケイトとの別れの時のように、泣き叫ぶだろうか。
それを思うと俺の口から告げる事は出来ず、クラムドから受け取った羊皮紙をセナリへ向ける事しか出来なかった。
「セナリは、これから武人域へ向かうですか?」
「ああ」
「初めてです!」
ん?
セナリは別れに寂しさを覚えるわけではなく、涙を流す事もなかった。
いや、それ自体は良い事ではあるんだが、セナリの様子に違和感を覚える。
「ご主人様のお荷物のご用意も致しますです!」
そうか、、。
セナリはどうやら、一部を読む事が出来なかったようだ。
おそらくそれは、もう戻ってこれないという部分。
その部分が読めていれば、ユリティス王に仕える俺が同行出来るという考えには至らないはずだから。
どのみち、俺の口から説明しないといけないのか、、。
「セナリ。俺は同行出来ない。武人域へ行くのはセナリ一人だ」
「え、で、でも!セナリは武人域で何処へ行けばいいのでしょうか!?」
「それは、、」
武人域で使える貨幣と保存食、最低限必要な物は持たせるつもりではあるが、住む場所を見つけ生活基盤を整えるのは、セナリ自身にしてもらわないといけない。
武人域には知り合いが居るが、仕事の都合上、無茶な要求も何度もしてきた。
果たして、俺が困っているからといって助けてくれるかどうか、、。
そうなればセナリの父方の実家を訪ねてもらうのが一番の良策ではあるが、住所どころか名前すら聞いた事がない。
だが、同行出来ないのであればせめて、セナリが向こうに着いてから不便を感じないように計らわなくてはならない。
それくらいしか、今の俺に出来る事はないからな、、。
「ご主人様とは、、もう会えないですか、、?」
もう魔人域に戻ってこれないと説明をし終えた後のセナリの第一声がそれだった。
自分のこれからを心配しなくてはならない状況にも拘らず、セナリは俺との別れに声を震わせている。
リビィとケイトの別れは、いつか来ると思っていた。
別れなければならないと発覚してからも、多少の時間はあった。
だが、今回はあまりに唐突過ぎる。
ずっと一緒に暮らしてきたにも拘らず、こんなにもあっさり離別してしまうのか。
「もう別れは済んだか?後が閊えている。早くしてくれ」
どこまでも空気を読む気のないクラムドに苛立ちが募る。
だが、強制的に連れ去っていいにも拘らず、クラムドが俺とセナリの別れの時間を作ってくれているのは事実だ。
怒りを抑えなければ、、少しであっても確保出来たセナリとの別れの時間が、無駄になってしまう。
「セナリ。この格納袋に服や食料、必要な物を全て入れてこい」
「え、あ、はいです」
「今日は機嫌が良い。5分だけ待ってやろう」
「、、急ぎでな」
「はいです!」
せっかく5分ある別れの時間。
今までの事を話し、これからの事について助言するべき時間を荷物整理に使ってもいいのかと思ったが、別れを噛み締めたいのはあくまで俺のエゴだ。
セナリの為を考えるなら、この5分は有意義なものにしたほうがいいに決まっている。
俺もこの間に、今思い浮かんだ唯一の友人と呼べる武人へ、手紙を認めておくか、、。
あいつにだけは借りを作りたくなかったが、今はそうも言っていられない。
セナリの為に取る行動が、今最も優先すべきものだ。
「5分だ」
手紙を書いている途中、クラムドがそう零した。
書き終えるには、まだ少し掛かる。
たかだか一枚の紙切れかもしれないが、これだけでもセナリに託さなくては、、
「クラムド」
「なんだ?もう充分待ってやっただろう。それとも、三賢者が万年三番手の俺に頭でも下げる───」
「頼む。後10分、いや、5分でいい。時間をくれないだろうか。逃亡するような事はしない。だから、、、、頼む」
思えば、クラムドに頭を下げるのは初めてかもしれない。
メヒトがいればクラムドに頼む必要はなかった故に。
自分が認めていない者に頭を下げて堪るかという意地も、もしかすればあったのかもしれない。
だが今は、今だけは。
俺の持てるもの全てをセナリへ捧げよう。
「くっくっく。今、頭を下げているのか?ずっと俺を見下していたお前が、俺に?」
立ち上がったクラムドの嘲るような声が、下げた頭の上から降ってくる。
今まで馬鹿にした覚えはなかったが、クラムドから見た俺は、そういう態度を取ってしまっていたんだろうか。
俺も、悪童と言われるクラムドの弟を馬鹿にする事は出来ないな、、。
実力の上に胡坐を掻いているという点では変わらない。
「くくくく、、。はーっはっは!!!」
バンッ───!
「猊下!一体何が──ぐッ、、」
「邪魔をするな。下がっていろ、ベクラディン」
「お前!何故仲間に攻撃をした!?」
「あぁ?頭を下げ続けなくていいのか?ウル」
「、、、くっ」
クラムドが風魔術に乗せて放ったナイフは、間違いなくベクラディンの腹部に深く刺さっていた。
放置すれば、手遅れになる事は確実。
俺なら治癒魔術を使えるが、、。
「安心しろ。外にいる別の聖魔術師が、治癒魔術を扱える」
「、、そうか」
そういう問題ではない、と言いたかったが、強く口の端を結んで声に出す事は防いだ。
先程はつい激情に身を任せてしまったが、今はクラムドの機嫌を取る事を専念しなくてはならない。
何としてでも、手紙を書き終えるまで、セナリの荷作りが終わるまでの時間は稼がなくては。
「いいだろう。お前のその滑稽な様子に免じて、今から5分の猶予をやろう」
「、、、感謝する」
「よい。くっくっく、、、あーはっはっは!!!」
クラムドの愉悦に浸った笑い声に、いちいち反応している暇はない。
今は、一刻でも早くセナリに持たせる手紙を書き上げる事に集中する。
短い文章で、相手が取り合ってくれるような文章を。
「───出来た」
「ご主人様!準備終わりましたです!!」
何とか、何とか間に合わせる事が出来た。
字は汚く、文章を見返している時間もなかったが、おそらく伝えるべき事は全て書く事が出来ただろう。
これだけでは心許ないが、これが今用意出来る精一杯だ。
後は別れを済ませるのみだが、、、、
「ご主人様」
格納袋の入った鞄を背負ったセナリが、扉の前で真剣な顔をして俺を見据える。
クラムドには、再度頭を下げて外で待ってもらった。
俺の頭一つでセナリとの別れの時間を作れるのであれば安いものだ。
誰にでも下げるのは憚られるが、少なからず認めているクラムド相手であるなら、数度くらいは目を瞑ろう。
(こんな風に考えているから、傲慢に映ってしまっていたんだろうな、、)
俺は学生時代から、一つも成長を出来ていないようだ。
「今まで本当に、本当にお世話になりましたです。ご主人様に拾ってもらわなければ、今頃セナリは──」
「やめてくれ、セナリ。俺はお前に本当に感謝しているんだ。最後くらい、家族として別れてくれ」
「ご主人様、、、」
リビィとケイトが順調に打ち解けていく中、俺だけはいつまでもセナリと同じ距離感が開き続けていた。
二人の記憶が無くなった今、セナリの中で俺との距離がどんなものになっているかは分からないが、おそらく縮まってはいないんじゃないかと思う。
家族として別れるというのが自分で言ったにも拘らずどういうものなのかよく分かっていないが、元々話すのが得意ではない俺ではそれ以上の言葉が見つからない。
だがそれでも、いつも俺の意を汲んでくれていたセナリなら、分かってくれているのだと思う。
実際、言葉を受けてからセナリの表情は作り変えられたような気がする。
リビィのように表情から心情を読み取る力があればな、、。
「セナリは、一人で生きていけるでしょうか、、、」
「ああ。保証する」
セナリなら、何処へ行っても大丈夫だ。
もし一人で越えられない壁が立ちはだかったとしても、セナリなら必ず味方を作る事が出来る。
「ご主人様のような格好良くて大好きになれる相手と、出会えるでしょうか、、」
「必ず」
リビィには情けない姿を見せた事もあったが、セナリへは格好良い姿のままであれたようだ。
少しだけ、自分が誇らしくなった。
「また、ご主人様と一緒に暮らせるでしょうか、、、」
もう暮らせない。
そう断定する事は簡単だった。
だが、王都の仕事で俺の後釜が見つかれば、神王様に心変わりがあれば。
また一緒に暮らせるようになるかもしれないという淡い希望が、セナリを突き放したくないという思いが、簡潔に否定する事を拒ませた。
(これから一人で生きて行かなくてはならないセナリには、希望を持たせる事なんて言えそうにもないが、、)
「だ、だって。セナリはッ、まだご主人様とッ。ひっく。えぐっ──」
「泣くな」
「えっぐ。ご主人、、様?」
「男なら、泣くな。三賢者である俺に、ユリティス王の右腕である俺に、一人で生きていけると、一人前だと認められたのなら、人前で泣く事は許さん」
酷な言い付けだっただろうか。
突き放されたように感じただろうか。
これだから、言葉で何かを伝えるのは苦手だ。
相手の反応を待っているこの状況が、何より居心地が悪い。
「ずびっ。はいです!!!!」
セナリは堪えてるつもりなんだろうが、力の込めた顔には、目尻から溢れ出た雫が伝っている。
だが、今はこれで充分だ。
セナリは、これからきっと強くなる。
手紙は渡した、荷物も持たせた。
しかしそれ以外にも、これから一人で強くなっていくセナリに、強くなると決意をしたセナリに、ケイトがブレスレットをあげたように何かを与えてやりたい。
(あれしかないか、、)
口頭で与えられるもので悪いが、今頭に思い浮かんでいるこれで許してもらおう。
「セナリ。いや、これからはセナリ・ドルトンの名を名乗れ。文句を言う奴がいれば、俺の名を出せ」
「で、でもっ!!」
「異論は認めん」
俺に今与えられるのはこれくらいだ。
文句を言わず、受け取ってもらわなくては困る。
「はいです!」
「お前の名前はなんだ?」
「セナリ・ドルトンです!」
これでいい。
これで、与えられるものは全て与えた。
ドルトンの名を与えておけば、セナリの裏には俺がいるという目印にもなるだろう。
少なくとも魔人域では、悪い扱いは受けまい。
「ご主人様!本当にお世話になりましたです!!」
「ああ。気を付けて行ってこい」
「はいです!!」
ギイィィィィ────バタン。
リビィとケイトを見送った扉が、セナリと俺の間で嫌にゆっくりと閉まる。
鍵は、、、、閉めなくてもいいか。




