四十七話「上位世界」
チュンチュン───
大自然の中、ぽつんと建てられた一軒屋の一室で目が覚める。
昨夜とは打って変わってきちんとした室内であるのに、大きい窓から取り入れられる採光のおかげで室内特有の狭苦しさは微塵も感じられない。
『キュゥイ、、、、』
「これが噂の朝チュンか、、、」
身動ぎするキュイの姿を見ながら益体もない事を呟いて、陽光に目を細めながら上体を起こして伸びをする。
初めて訪れた家だというのに、ストレスなくぐっすり眠る事が出来た。
ずっと野宿だったから、漸く室内で落ち着いて眠れるという事に安心させられたのかもしれない。
昨日刺されたばかりなのに寝て起きたら警戒より安心感のほうが勝っているのだから、どこまでも平和ボケが抜けない自分が嫌になってくる。
改善をしようという気は起きないのだが。
「ふむ。精霊といえども睡眠は人間同様取るようだね」
この人は、どんな些細な事でも逃さず拾って研究をしていたい人のようだ。
いつの間にか部屋に居たメヒトの第一声は、観察対象であるキュイに対するものだった。
ドアを開ける音は聞こえなかったから、おそらく起きる前からじっと見ていたんだろう。
キュイに危害を加えてるわけではないからいいんだが、、、。
「やあ、おはよう。よく眠れたかい?」
「おはようございます。おかげさまで」
キュイを見たまま掛けられた声に、俺も気持ちよさそうに眠るキュイを見て頭を撫でながら返す。
明日からは侵入出来ないように扉の前に土壁でも作っておこうかな。
いや、流石に居候の身でそれは失礼か、、、。
「朝食の前に一つ聞いておきたくてね。君はこの本を見た事があるかい?」
メヒトが懐から出した本、それは俺がセナリに読み聞かせたのと同じものだった。
何の用途で作られたのか分からない、腐愚民にしか読めない本。
ウルが持っていたものとは違う、かなり読み込まれた形跡がある。
ミシェを助ける前に自分なりに解読したのかもしれない。
分からない事があるのがどれだけ嫌なんだ、、。
見た事があるかどうかというメヒトの問いに、首を縦に振って答えた。
「これが腐愚民にしか読めないという事は知っているよね?」
「はい」
「なるほどなるほど」
そう言ってメヒトは、パラパラと捲って最後のページを開く。
開かれたそこに描かれていたのは、一度この本を読んだ時に見た既視感のある地図だった。
「この地図に見覚えは?」
「あります。でも、それがなんだったか、、」
おそらく、俺が既視感を覚えている対象とは若干形が違う。
その違いのせいで、二つを頭の中で結び付けられないでいるんだ。
誰でも知っているようなものだったはずなんだが、、、。
「それ、地球の世界地図だよ」
この師弟は音を立てずに他人の部屋に忍び込む趣味でもあるのか、、、。
いつの間にか開いてた扉の近くの壁に凭れ掛かっていたミシェが、既視感の正体を教えてくれた。
そうか、これは世界地図に似ているんだ。
ユーラシア大陸が魔人域。
アフリカ大陸が精霊域。
北アメリカ大陸が武人域。
南アメリカ大陸が獣人域。
六大陸の残り二つオーストラリア大陸と南極大陸、それに北極や細かな島々はないが、大まかな形は元居た世界の地図に酷似している。
ユーラシア大陸と北アメリカ大陸の間が本来の何倍も離れていて、その間に神王が住む正円形の大陸、聖域がある。
この違いのせいで、きっと今まで世界地図と結びつける事が出来なかったんだ。
「ミシェ、よくこの地図で分かったな」
「所々無いし、聖域なんていう馬鹿でかい大陸はあるけどね。それでもそれ以外の形は殆ど一緒だからさ。何回か見ないと理解出来なかったけど」
ミシェは天才肌で頭が柔らかそうだし、凡夫の俺とは何か違うものを感じる。
メヒトの元へ引き取られるべくして引き取られたのかもしれないな。
「この本の内容は覚えているよね?」
「はい。確か、巨人達が滅びゆく話だったと」
「その通り。細かく言うと、神の叡智を自らに取り込もうとした巨人達が、神の怒りを買って滅ぼされた話、だね。私はね、この話が実話なんじゃないかと思うんだ」
メヒトが、そんな突飛もない話をした。
無いと思っていた魔術があったから、巨人が居たとしてもおかしくはないと思うが、その上神なんて存在までいるとなると、、、。
それに実話だとして、巨人達が滅んだのであればこの本の内容を誰が見て書き記したというのか。
謎が多く俄かには信じ難いが、絶対に有り得ないと断定出来ない自分も居た。
「神の鉄槌が落とされたという位置が、この聖域。裁きを受けた巨人達の肉片が落ちて行った遥か下の台地は、おそらく劣世界なんじゃないかな」
本の内容を思い出す為に読み返してから聞いたメヒトの仮設は、なるほどと思わされるものだった。
劣世界の人間は一人一人が死ぬまでの道筋を決められているらしい。
だがそれに抗った時、朽ちない体を与えられる。
その時に何故この世界に飛ばされるのかは分からないが、、。
ん?待てよ?
落とされた位置が地球なのだとすれば、、。
「この大陸から飛び降りれば、地球に辿り着けるんじゃないですか?」
「一つ、劣世界とは空間のずれが生じていて真っすぐ落ちたところで辿り着く見込みはない。二つ、魔力が持たない、又は劣世界近くでは魔術が使えない恐れがある。三つ、大陸から飛び出た時点で竜の餌食になる。この三点をクリア出来るというのなら、試してみる価値は充分にあると思うよ」
「無理ですね、、、」
形ばかりの笑顔を作って課題を指折り教えてくれるメヒト。
そんな風に諭されては、希望に濡れた口を噤まざるを得なかった。
「この世界の人間が魔人、武人問わず、絶対に70歳になると死ぬというのは知っているかい?」
「初めて、、、聞きました」
「日本の平均寿命以下だよ?早いよね」
70歳まで生きられるならいいかと思う反面、それ以上生きたくても生きられないのだなと、複雑な気持ちになった。
90歳を回っても元気に人生を楽しんでいた実家の隣に住んでいたお爺ちゃんを思い浮かべて、終わり際が決められているという事の優良性に疑問を覚える。
「これは仮説の仮説だけれど、優世界では劣世界のように死ぬまでの物語が決められていないんじゃないかと思っているんだ。だからこそ、寿命のない存在の腐愚民は、人生という物語を予め細かに設計された劣世界ではなく、優世界での生活を強いられるんじゃないかな?寿命がないという事と、死ぬまでの物語が決まっているという事は相反して決して同居出来ないものだからね」
そういう事か、、。
まだ仮説段階らしいが、もしその説が本当なら胸にすとんと落とし込める。
この世界でも腐愚民というのは異端な存在ではあるが、元の世界では世界の理を揺るがす、異端という言葉で納め切れないくらいの存在なんだ。
だからこそ、寿命が無くなるという事と、異世界に転移するという事がセットになっているのだろう。
転移者達が腐愚民と呼ばれ蔑まれるようになるのは、その制度を作った神の予想外の範疇だったと思いたいところだ。
狙ってやっていれば、これほど悪趣味な事はない。
「それともう一つ。これはもう確定で良いのではないかなと思っているのだけれど、君はミシェとリビィ君以外に腐愚民を見た事があるかい?」
二人以外に腐愚民を見たといえば、あの時ウルに連れて行ってもらったところで見た三人と、門前広場で連行されていた男か。
どれも思い出したくない光景ではあるが、質問に答える為に嫌悪感を覚えながら思い起こした。
「それらは全て同じ国の人物じゃなかったかい?確か、日本だったかな?」
「近くで見れたわけではないので確証はありませんけど、多分全員日本人だったと思います」
「ふむ、、。やはり」
メヒトは顎に手を当てて何か悩んだ後、魔装であろうマントの内側から数冊の薄い本を取り出して俺に渡してきた。
何も言われないがおそらく読めという事だろう。
この人は貴重な資料なんかも気軽に出してきそうだから、勝手に触るのが怖いんだよな、、、。
渡された本も、かなり古びたものばかりで年代を感じさせられる重厚な見た目だ。
(なんの本だろう、、、)
間違えて破損させてしまわないように慎重に開いてみると、中には色々な人の顔や情報がただひたすらに書かれていた。
履歴書を何枚も集めて一つの冊子にしたようにも見える。
「それは、過去に確認された腐愚民の容姿、特徴を纏めたものだよ。かなり古いものだけどね」
それってかなり貴重なものなんじゃないだろうか、、、。
持っていた本をベッドへ降ろして、出来るだけ負荷の掛からないようにゆっくりとページを捲っていった。
「これは、、、。日本人だけではないんですね、、」
「過去は、ね」
随分含みのある言い方をする。
腐愚民が日本人ばかりになっている事が何か問題なのだろうか。
「今の神王様は魔人から排出されているのは知っているよね?」
「はい」
「神王様を輩出出来る権利、聖域を使える権利は、百年に一度行われる聖戦によって決まるんだよ。前回の聖戦ではバオジャイ女史が勝ったおかげで、次の聖戦までは魔人から神王が排出されるんだ。それまでは長く武人から神王様が輩出されていたんだよ」
魔人と武人の代表で戦って、勝ったほうがその後百年神王を輩出出来るし、聖域を自分達の領土とする事が出来るってところかな?
聖域にも転移塔があってそこは使えるらしいが、それ以外は神王とそのお付きの人物達しか使えないらしいから、領土になってもあまり意味は無い気がするが、、、。
まあ、神王というのは全生命のトップらしいし、使い道はなくとも誇りにはなるのかもしれないな。
、、今までの話から何の脈絡もない気がするが、何か関係があるんだろうか?
「聖域の使用権が魔人に移ってから、腐愚民は魔人域にしか観測されていないんだよ。この意味が分かるかい?」
「聖域の使用権を持っている側にしか臨界線が開かない、という事ですか?」
「その通り。もっと言えば、おそらくだけれど臨界線を開いて世界間を繋げる為に、聖域を中継地点に使ってるんじゃないかと私は踏んでいるんだ」
ん?
つまりどういう事だ?
「腐愚民は聖域を通ってから、聖域の使用権を持つ地域に転移してくるって事だよ」
「少し意味合いは違ってくるけれど、その考え方で間違いではないかな。更に言うと、この位置」
話ながらメヒトが指差したのは、この世界の地図、聖域の左下辺り。
元の世界の地図であれば、日本がある辺りだ。
「聖域のこの位置には、始まりの木と呼ばれるとても大きな神聖な木があるんだよ。私の見解としては、この木の根を通って腐愚民はやってくるんじゃないかと思っている」
始まりの木。
確かこの本の冒頭に出てきていたはずだ。
その木の根を通って腐愚民は転移してきている。
そして、木がある位置は日本のすぐ近く。
という事は、、、。
俺は自力で、一つの仮説に辿り着いた。
また否定されるのは怖かったが、何となく自分の見解を伝えてみたくなって、気付いた頃には口が開いて、言葉を紡ぎ始めていた。
「日本は始まりの木と同じくらいの位置にあるから、この世界に転移し易い、、、という事ですか?」
我ながら、凄いドヤ顔をしていたと思う。
「うわあ、凄いドヤ顔だね」
悪かったから、そんなに引かないでくれミシェ。
メヒトの生暖かい笑顔微笑みもじんわりと精神を抉る。
、、、ドヤ顔なんてするんじゃなかった。
「では何故、過去は他の国からも腐愚民が来ていたと思う?」
「それは、、」
そうか。
手元にせっかく資料があるのに、すっかりその事を忘れていた。
「始まりの木が中継地点としての役割を果たす力が弱まっている、、とかですかね?だからこそ、近くにある日本からしか腐愚民を連れてこられない」
「ほう。そこまで辿り着くなんて君は中々見込みがあるね。頭の固いウルとは大違いだよ。ははは」
俺の答えに満足したのか、メヒトはころころと楽しそうに笑った。
「聖域には流石に勝手に入る事は出来ないから分からないけれど、おそらくその答えで正しいと私は踏んでいるんだ。元々は劣世界のどこからでも転移させる力を持っていた始まりの木が、何らかの原因で衰退していて、今は根のすぐ近くにある日本からしか転移させられないのかもしれないね。もしくは、今でもそれ以外の国で臨界線は開いているが人が通れるサイズのものは無い、という見解も一応は持っているよ」
何だか、一気に賢くなった気分だ。
実際はそんな事ないんだろうが、知り得なかった事が短時間でいくつも解決していくと、そう分かっていながらも自分の頭の良さを見誤ってしまう。
「私の目標はね。生きている間に劣世界へ行く事なんだ。夢ではなく目標。この世界にはもう知りたい事は少ないから、更なる知識を求めて転移をしたいんだよ」
飄々と言ってはいたが、話している間のメヒトの目は真剣そのものだった。
出来ないかもしれないという可能性を内包している夢なんかじゃない、必ず叶えるという目標。
その言葉に、メヒトの決意が見え隠れしているような気がした。
「目標の達成には、君達のようなサンプルはいくらあっても足りないんだ。ここに置いておける時間はあまり無いし、実験や知識のすり合わせには強制的に協力してもらうよ」
口角を嫌らしく吊り上げてそう宣言するメヒト。
どんな実験をされるんだろうか。嫌な予感しかしない。
だがまあ、命の危機があるような事は最初限りだろう、、、。
二年メヒトと一緒に生活しているミシェは怪我もなく元気に生きているし。
「まあ、その、何て言ったらいいか分かんないけど、頑張って?」
ちょっと待てミシェ。
その含みのある言い方はなんだ。
おい、ちょっと。
おーい!ミシェ―!
魔術を使って風のような速さで部屋を出て行ったミシェに、嫌が応にも不安が駆り立てられる。
俺、無事に生きていられるかな、、、。
セプタ領を出てから一番と言っていいほど、ウルの家が恋しくなった。
「ミシェ、これは?」
「それは~、、、違うかな。その横のが採集するやつだよ」
寝起きの唐突な授業を終えて各自の部屋で朝食を摂った後、俺はメヒトのお使いでミシェと植物の採集に来ていた。
リビィとキュイはメヒトの実験の手伝いに残っている。
大丈夫だろうか、、。
「この植物、、ハルティナ草だっけ?これは何に使うやつなんだ?」
「さあ?師匠は実験の内容をあまり教えてくれないからね。仮定の段階で話すのが嫌いみたい」
そんな人物がまだ仮説の状態の劣世界、腐愚民についての話をしてくれたのは、きっとこの世界の住人であるメヒトだけでは解読出来ない部分があるからなんだろう。
知りたい事の為なら苦手な事でも出来る人のようだ。
「さあ!次の場所へ行くよ」
「ちょ、早い、、」
闘技会の時のような動きで、木々の隙間を抜けていくミシェ。
久し振りに見たその動きは相変わらず綺麗で、一切の無駄が無かった。
魔力温存したいんだけどなぁ、、、。
そんな文句を心の中で独り言ちながらも、後ろを振り向かずに自分のペースで進んでいくミシェに食らいついて行った。
「到着。いやあ、早いね?今のペースに付いて来れるなんて」
置き去りにする予定だったのか、、、。
「魔力水に限りがあるから、出来る限り魔術を使わないで行きたいんだけど、、」
「それなら心配しなくていいよ。家に大量にストックがあるから、師匠に言ったら貰えるはず」
「わざわざ街に買いに行ってるだろうに、いいのか?」
「買いには行ってないね」
「え?じゃあどうやって、、」
「汲みに行ってるよ」
いつだったか、魔力水が流れる神授川の周辺には、魔力水を欲している強力な魔物が蠢いていると聞いた事がある。
そんな魔物の巣窟に汲みに、、、?
「全部相手にしてたら流石に後れを取るよ。でも、全速力で最小限の動きで行けば問題なく汲めるからね。タダで手に入るのに買うなんて勿体無いじゃないか」
きっと、ウルであれば全ての魔物を蹴散らしながらでも魔力水を汲んでくる事は出来るんだろう。
それでも購入した物を持たせてくれたのは、旦に時間が無かったからか、俺が馬鹿な考えを起こさないように簡単には汲みに行けないと刷り込ませてくれたのか。
後者であれば、魔力の残量が拙くなった時に思いやりを無碍にしてしまいそうだ。
キュイが居れば、俺もミシェと同等かそれ以上の速度で移動出来るだろうし、街中に買いに行くリスクを背負うよりは幾分かマシだから。
「ミシェ、神授川ってすぐ近くにあるのか?」
「近くはないね、、。また家に帰ったら魔人域の詳細な地図あげるよ」
「助かる。ありがと───」
「ストップ!!!」
「え!?急にどうした、、、」
「その右足の近くのキノコ。踏まない方がいいよ。踏んだら臭いガスが一帯に充満するから」
言われて右足の辺りを見てみる。
(あっ、ぶなかったぁ、、、)
右足のすぐ横、もう少しで触れそうな位置に、あまり綺麗でない黄色の、お手本のような形をしたキノコが生えていた。
その色だけで、踏んだら出てくるというガスの匂いが想像出来るようだ。
周囲を見回してみると、点々と同じキノコが生えているのが見て取れた。
出来れば、もうちょっと早く知らせてほしかったな、、、。
そんな思いを持ちながら、キノコを必死に回避してハルティナ草の採集に勤しんだ。
「そういえばミシェは、どうしてこの世界に来たんだ?」
一通り採集を終えて休憩中、話題作りの為にそんな事を聞いてみた。
死へ抗ったから転移してきたというのは分かっているのだが、何故若くしてそんな事になったのかと、ふと疑問を感じていたから。
「学校の帰り道に上から振ってきた看板の下敷きになったんだよ。その日は風が強くてさ」
二年前。
確か全国的に大型台風が猛威を振るって、多くの死傷者が出ていたはずだ。
おそらくだが、その時に被害にあった内の一人なんだろう。
致死性の傷を負わせる程の看板の下敷きになって生きていたのも驚きだが、俺はそれ以上に、この飄々としたミシェが生への執着が強かったという事のほうが驚きだった。
失礼かもしれないが、何の感慨もなく色んなものを切り捨てるように見えるから。
死ぬ間際になれば、生きる事を容易に諦めてしまいそうだ。
「全身が痛くて、頭から垂れてきた血で視界も制限されてさ、これはもう駄目だなって正直思ったよ。元々暑苦しい性格でもないからさ、諦めて楽になろうって、その時は思ったんだ」
「じゃあなんで臨界線が、、」
「笑わないかい?」
生きたいと必死になった理由を、笑うわけがない。
嗤えるわけがない。
ミシェの問いに、首を縦に振った。
「視線の先にさ、一万円札が何枚かふわって落ちてきたからなんだ」
「、、、え?」
自分の耳を疑った。
目の前に数万円落ちてきた。
それはしっかりと理解出来た。
だが、何でそれが生への執着に繋がるんだ?
「頭から血を流し過ぎて思考力が低下してたからだと思うんだけどさ、それを見た瞬間に自分が死にかけてる事なんてすっぱり忘れて、必死に這いずってたんだ。あのお金を取るぞって、その気持ちだけで前に前に進んでたら、臨界線が開いてたよ」
つまり、ミシェは死に掛けているにも拘らず、目の前に落ちてきたお金を拾う事を優先した、という事か。
聞いた話を頭の中で整理しても、何言ってるんだこいつと思ってしまうが、解釈は間違っていないだろう。
お金は大事だと思うが、死んでしまっては使う事も出来ないだろうに。
「ぷっ。ふはは」
ミシェがこっちへ来た理由を聞いて、それを理解して、笑わないと決めていたのに堪えきれずに笑いが零れてしまった。
「笑わないって言ったじゃないか」
「いや、ごめん。ふふっ。あまりにも理由がさ。ふふふっ」
「高校生にとって数万円って大きいんだよ?アルバイトが出来ない学校だったし、当時欲しいゲームもあったしさ」
それは分かる。
学生時代は千円ですら手元にあるのと無いのとでは大違いだった。
それは分かるが、、、。
「それでも命よりお金を優先するとはなぁ、、」
「もう人に言うのはやめとこう、、。まあ、そのおかげでこんな剣と魔法の世界に来れたから、死にかけたのも悪くなかったなって、今は思うけどね」
「前向きだな」
「それだけが取り柄だよ」
何も悩まないわけではないんだろうが、それでもミシェはそんな様子を一切見せなさそうだ。
飄々としているようで、色々考えてるのかもしてない。
「ミシェは日本に帰りたいとは思わないのか?」
リビィとお互いに問い合った質問を、ミシェに投げ掛けてみた。
「日本食を作ったりはしてるけど、それでも帰りたいとは思えないかな。魔術を使えるのは楽しいし、のんびり気ままに暮らせるからね。変な人だけど、師匠の下に居ればとりあえず安心だし」
リビィとは理由が違ったが、ミシェも帰りたいとは思えないらしい。
帰りたいと思う俺のほうが異常なんだろうか。
俺も、この世界にとって異物でなければ残りたい気持ちは山々なんだが、、、。
いや、それでも命を絶とうとしない限り永遠に生き続けるのは嫌だな。
時間は有限でいい。
「ケイト君は帰るのかい?」
「一応その予定ではいる。帰る方法なんて検討もつかないけど」
「狂気的な程に頭の良い師匠ですら、まだ異世界に渡る術は見つけられてないからね。この世界は嫌い?」
「いや、男なら魔術を自在に操れるこの世界を嫌う道理はない」
「それもそうだね」
「俺はこの世界が嫌いなんじゃなくて、寿命に限りがあってほしいし、どこまでいってもこの世界にとって異物である事が嫌なんだ。後は、元の世界の自堕落で便利な生活が恋しいかな」
「自由に行き来出来るようになったら?」
「それが一番ベストだな」
歳の近いミシェとそんな事を話しながら、少し長めの休憩をした。
久し振りの同郷の、それでいて同性と話すのは話題が合う事もあって、久しぶりに心から笑えた気がする。
リビィは同郷とはいえ女性だし、綺麗過ぎて未だに緊張するんだよな、、。
「楽し過ぎてついつい話し込んでしまったね。そろそろ戻らないと」
「そうだな───」
───パキュッ
「何の音、、、くさっ!」
「あれだけ気を付けてって言ったのになあ」
足元にあったキノコの存在を忘れて、立ち上がった拍子に踏み潰してしまった。
呆れ顔で鼻を摘まむミシェと併せて、黄色く悪臭のするガスに包まれる。
ブワッ───
ミシェが片腕を一振りすると、起こった突風によってガスは遠くへと流されていった。
流石風魔術のミシェ。
流す方向、ガスの集め方、どれをとっても繊細なコントロールをしている。
「流石だな」
「ほら、早く行かないと。風向きはこっちだから、このままここに居たらまたガスを被る事になってしまうよ」
「急ごう」
もうあんな臭いガスを被るのは嫌だ。
あの一瞬でローブについてしまった匂いでさえ、少し動くだけで漂ってきて困っているというのに。
(こんな時消臭スプレーがあれば、、、)
頭の中で有名な某消臭スプレーの姿を浮かべて、自身の失態を反省しながら帰路に着いた。
「おかえり~。ってあれ?変な匂いするけど、その植物?」
「いや、実は、、、」
メヒトの家、結界を抜けてすぐ、洗濯をしていたリビィが駆け寄ってくる。
ラフな格好で袖捲りをして髪を後ろで結ぶリビィは新妻のようで、その端整な顔立ちとのギャップからくる魅力に圧倒された。
「ぷっ。ふふふっ。ケイトが踏んだキノコってファートキノコでしょ?」
「リビィちゃんは知ってるのかい?」
「うん。前にリネリスの街中で破裂させた人が居てね。大騒ぎになった事があったんだ」
あれを街中で、、、、。
今回は森の中だったからガスを遠くへ流すだけで回避出来たけど、街中であればそういうわけにもいかない。
迷惑どころの話じゃないな、、。
「今洗濯の途中だし、ついでにローブ洗っておこうか?今日は天気良いからきっとすぐに乾くよ」
「じゃあお願いしておこうかな。ありがとうリビィちゃん」
「すみません洗濯物増やしてしまって、、、。お願い出来ると助かります、、」
「全然大丈夫だよ。メヒトさんが作った魔道装置を貸してもらえたから、洗濯も楽だしね」
この世界では当然洗濯機はなく、おそらくどの家庭でも手洗いで洗濯をしているはずだ。
魔道装置というのは一体、、。
「あ、それは僕が制作に協力した装置だね。手洗いが面倒だったから、水と洗剤を入れたら中が回転して洗濯物が洗えるように───」
『キュイイイイイイイ!!』
「キュイ、、、?」
キュイは今家の中。
いつものキュイの声の大きさなら、全力で出してもこんなところまで届かないはず。
まさか、、、。
メヒトとの初対面を思い出し、背中を冷たいものが駆ける。
キュイに何か害が与えられたんじゃないだろうか、、。
嫌な予感に駆られるように、玄関で躓きながらも、必死に足を交互に動かして声が聞こえたほうへと走った。
(キュイに何かしてたら、今度は絶対許さない。ローブは、、、、。あ、くそ。リビィに渡したままだ)
辿り着いたメヒトの研究室の前で魔力の供給源がない事を理解して、届かないであろうと分かっていながらも、握り拳を作ってから扉を勢いよく開けた。
「キュイ!!!」
『キュキュキュイ!♪』
「いやあ、素晴らしい成果だよ。まさかこれほどまでとは」
「、、、、、、、キュイ?」
研究室の扉の向こう。
部屋の中央に置かれた台に座っていたのは、鷲のような、キュイによく似た色合いの鳥だった。




