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臨界線のインフィアリアル  作者: 中田滝
四章
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四十二話「別れの詩:後編」



「リビィさん、、、、?」


自然と、そんな言葉が漏れた。

このタイミングで、リビィがいつもと違う本格的な魔装を羽織って、俺と同じ鞄を背負っている。

中にはおそらく格納袋が入っているんだろう。

一体なぜ、とは思わなかった。

リビィの口から直接聞いていないから真偽は定かではないが、十中八九俺と同じ逃げなければいけない立場、腐愚民という事で間違いない。


(リビィが腐愚民、、、?いや、そんなまさか、、、)


だが、リビィが腐愚民で無いと、魔人であると断定する事は何故か出来なかった。

顔立ちは東洋風ではないし、目の色や髪色も明るい。

魔装を羽織らずとも日常生活で魔術を使っている事はあった。

それなのに、リビィに感じていた思い出せない程小さな違和感達が、魔人だと断定させる事を拒んでいた。



「えっと、、。リビィ様とケイト様、今からお出掛けされるんでしょうか、、、?」



四人全員が席に着き、予想外の出来事で混乱に陥っている中で発されたセナリのそんな言葉に、心が痛んだ。

今まで騙していた事、これから話さなくてはならない事のせいで。



「今まで黙っていてすまなかった。リビィとケイトはこの世界の住人ではない」

「え、、、」



目を丸くして、口が薄く開いたままになるセナリ。

リビィが腐愚民であったという情報だけでさえ同じ表情をしたい心境の俺だからこそ、そうなってしまう気持ちは痛いほど分かる。

二人の秘密を同時に明かされたセナリが感じる驚きは、単純に考えても俺の倍だから。


リビィと過ごした時間は、長くはないが短くもない。

それなのに、何故俺は気付く事が出来なかったんだろうか、、。



「二人には今からリネリスを抜け出して、今は使われていない地下転移魔法陣を使ってメヒトの家まで行ってもらう。魔法陣の場所やメヒトの家までの行き方はリビィに伝えてある」



未だ上の空のセナリを置き去りにして、ウルがこれからの事を淡々と話す。

俺も考えを放棄したいのは山々なんだが、集中して聞いておかないといざという時に手間取って捕まってしまう可能性がある。

そうなれば、せっかく立ててもらった作戦が台無しだ。





「この先に行ってもらうところ、してもらう事については以上だ。何か分からないところはあるか?」

「いえ、大丈夫です」

「私も大丈夫」

「あ、あの、、、」


説明を終え、それを俺とリビィが理解し終えたところで、セナリが恐る恐る手を上げた。

その姿に見える恐れが、質問をする事自体に対してのものか、齎された事実に対してのものかは分からない。

ただ一つ分かるのは、真面目な話には普段口を挟まないようにしているセナリが、自分の意志で何かを聞こうとしているという事だけ。

俺も、おそらくウルとリビィも。

固唾を呑んで数秒の間、セナリの問いを待った。



「リビィ様とケイト様が腐愚民というのは本当なんでしょうか、、、?」

「ああ」



ウルが、いつもの様子で端的に答えた。

その声色には、セナリに対する申し訳なさのようなものが感じ取れる気がする。


(セナリ、、ごめん、、、)


俺とリビィの顔を交互に見て、泣きそうな表情になるセナリ。

その姿に、セナリと過ごした日々が走馬灯のように思い起こされて、心からの謝罪の言葉が溢れ出そうになった。

信じて懐いてくれてたのに、裏切ってしまったな、、、。

いつかこの状況になると思ってはいたけど、いざなってみると、想像以上に辛い。

心は、こうまで締め付けられるものなのか。

信頼していた相手が忌避されるべき存在だった事、幻滅するかな、、、。



「その名称のように、二人の事を幻滅して軽蔑するか?」


───バンッ!!


「そんなわけないです!!!!!」



ウルの試すような言葉に、セナリは机を強く叩いて立ち上がり、顔に力を込めて必死に涙を堪えながら全力で否定してくれた。

幻滅されなかったという事に、胸中には分かり易い安堵が浮かぶ。

だがそれ以上に、心は一層締め付けられた。

正体を知って尚、主人であるウルに反論してまで軽蔑しないと力強く言い放ってくれるセナリを今まで騙していたという負い目のせいで。


罪悪感に似た何かによる締め付けは重量となって体にのしかかり、目線をテーブルに落とさせた。

申し訳なさで、セナリを直視する事が出来ない。



「それに、、、これからリネリスを出るってどういう事ですか、、、?」

「そうか。セナリはまだ知らないんだったな。実は───」



荒ぶる気持ちを抑えるようにゆっくりと椅子に掛け直したセナリに、ウルが腐愚民炙り出し計画の事を話し始めた。

まだ幼いセナリにも理解出来るように、真っすぐな気持ちに応える為に真摯に、一つずつ順を追いながら。

自分のせいで話させているというのにその姿から目を逸らす事など出来るはずもなく、テーブルに落としていた視線を上げて、セナリを見て丁寧に言葉を並べるウルを見据えた。

一言ずつ理解するごとに表情が重くなっていくセナリの事は、出来るだけ見ないように。



「そんな、、、本当、、ですか、、?」

「ああ」

「じゃ、じゃあもう、リビィ様にもケイト様にも会えないのでしょうか、、?」

「いつか会える、、かもしれない」



ウルは会えるとは、断定しなかった。

セナリは自分の身を守れない。

ウルは立場がある。

そして、二人は俺とリビィと違って、寿命に制限がある。

これから腐愚民の取り締まりが厳しくなっていく可能性が高い中、リスクを抱えて会う事は出来ない、、、いや、避けたほうがいいだろう。

誰かから俺とリビィが生きているという事が洩れてしまえば、それが齎すものは目に見えている。

会わない事が、全員の為になるんだ。


(俺一人の想いで簡単に、これからも会いたい、一緒に暮らしていきたいなんて、口が裂けても言えないよな、、、)


少なくとも、そう思いながらも今回の作戦を立ててくれたウルの前では。







「なんで、なんでですか、、なんでそんな突然、、えぐ。うえっぐ。そんなの、、嫌です、、、うわあああああああああああああああん!!!!」

「セナリ、、、」






俺と同じく沈黙を保っていたリビィが、セナリの泣き声に堪らずそう零した。

名前を言った、ただそれだけ。

それでも、その中には万感の思いが込められている気がする。


(あれ、、?)


セナリの泣き声に釣られて、頬に涙が一筋伝った。

申し訳ないという気持ちが零れ出したのか、セナリと離れたくないという思いが形となって漏れ出たのか、それは分からない。

だがどちらにせよ、この涙を拭う気にはなれなかった。

別れに対する悲しさや寂しさを余す事なく涙に変えてくれているセナリに対して、真摯でなくなる気がしたから。




「ぐすっ。リビィ様、、ケイト様、、お別れしたくないです、、、」

「セナリ、、、。こればっかりは仕方ないんだ」

「嫌、、嫌です、、嫌なものは嫌なんですッ!!!わああああああああん!!!」




ウルが宥めても、セナリは変わらず涙を流し続ける。

俺も、それにリビィも。

一緒に涙を流すだけで、泣き続けるセナリに何も出来ないでいた。

ウルもやがて宥める事を諦めていき、広い家の中には、ただただセナリの慟哭が響き続けた。

















「うぐっ。ぐすっ」


10分程経っただろうか。

そろそろ家を出なくてはいけないと立ち上がると、幾分か涙の勢いが弱まったセナリが抱きついてきた。

涙で服が濡れてしまうが、そんな事はどうでもいい。

俺はただ、意思を持った体に従って、セナリを強く抱きしめ返した。

いつかは会えるかもしれない。

でも、もしかすると会えないかもしれない。

そんな不確定な可能性達を、考えたくもないと振り払うように。



「リビィ。そろそろ出ないと拙い」

「そう、、、だね」



名残惜しそうに俺と離れた後、失った体の支えを探すように、フラつきながらリビィにも抱きついたセナリ。

その様子を暫く傍観していたウルだったが、時間を確認して、申し訳なさそうな顔をしながらリビィにそう告げた。


(もう、、、お別れか)


俯きながらこれ以上ない程ゆっくりとリビィから離れるセナリを見て、別れをより一層強く実感した。



「セナリ。今までお世話してくれたり、仲良くしてくれてありがとう。セナリと過ごす日々は本当に楽しくて、初めて会った時から今日までずっと、ずっとずーっと。大好きだったよ」

「ぐすっ。リビィ、、、様」

「ウルも──」

「俺はいい。別れなら、もう済ませただろう」

「そうだね、、」



完全には納得していない様子のリビィだったが、譲る気の無さそうなウルを見て、早々に言おうとしていた別れの言葉を破棄した。

俺も、言葉を残しておきたい。



「ウルさん。本当にお世話になりました。ウルさんがこの家に居る事を許可してくれなかったら、魔術を教えてくれなかったら、天狗になっているところを諫めてくれなかったら、今の僕はきっとありません。心から、感謝しています」

「ああ。リビィを、、、いや、言わずとも分かってくれ」

「はい。任せてください」



ウルの気持ちは、聞かずとも察する事が出来た。

きっと、応えてみせる。

きっと。


後はセナリだな、、、。




「ケイト様、、、」




あれだけ泣いたというのに未だに目に涙を浮かべるセナリ。

その姿につい別れを濁したくなったが、そんな不誠実な考えは頭を振って追い出して、しゃがんでセナリと視線を合わせて濁さずに伝えた。

感謝と謝罪を含んだ別れの言葉を。



「一つずつ上げればキリが無いほど、感謝をしなければならない事も、好きなところもセナリには沢山ある。それを一つずつ言っていたら時間がないから、これだけはよく聞いてくれ」

「はいです」



俺の真剣な眼差しに充てられたのか、セナリは目に浮かべていた涙をごしごしと拭って、真っすぐに俺を見据えた。

うん。

強い男の子だ。

俺なんかよりよっぽど、、、。

いや、今は卑屈にならないでおこう。

最後くらい格好つけたいんだ。



「俺は、セナリの笑顔に何度も助けられた。辛い時、悲しい時、悩んでいる時。セナリの笑顔を見ると気分が楽になったんだ。それくらい、俺はセナリの笑顔が大好きなんだ。だから、、さ。もし我儘を聞いてくれるなら、セナリとは笑顔でお別れをしたい」



ついさっき慕っていた人が腐愚民である事を知らされて、更に、もう別れの時間が迫っている事も告げられた。

たった10歳のセナリには、その上で笑顔を見せてくれなんて、酷な頼みだと思う。

そう分かっていても、頼まずには居られなかった。

それ程までに、俺はセナリの笑顔が大好きだから。

記憶に残るであろう別れのシーンは、泣き顔でなく笑顔で締めくくりたい。



「はいです!」



泣きたいだろうに、辛いだろうに。

セナリは俺の意を汲んで、いつも通りの、いや、いつも以上の満面の笑みで元気に返事をしてくれた。

そんな姿を見せられたら、自分で願った事にも拘らず泣きそうになってしまう、、、。


(駄目だ。俺が泣いたら頑張ってくれているセナリに申し訳が立たない)


顔にグッと力を込め、外に出たいと願う涙を強引に抑えた。



「うん。ありがとうセナリ。それと、これ」

「ブレスレット、、ですか?」

「ああ」



泣きそうになるのを必死で堪えて笑顔を作り、ローブのポケットに入れていた淡い緑のブレスレットをセナリに渡した。

金属のような光沢を持っているが、これは淡い緑のカランコエという鉱物を削り出して作った物。

鉱石一つで作るという事に拘っているのか、金具は一切付いていない。

細く薄い輪の一部が開いていて、そこから腕に嵌める形だ。



「少し前にセナリの為に買ってたんだ。確かもう少しで11歳だったからそのお祝いにな」



これは、マレッタとデートしている時に立ち寄った宝飾店で購入した物だ。

最近色々あり過ぎて、今日部屋で荷物をまとめるまで買った事を忘れていた。


元の世界にあった花言葉のように、この世界には鉱物の殆どに〖鉱物言葉〗というものが付けられている。

カランコエの鉱物言葉は、〖幸福を告げる、沢山の小さな幸せ、あなたを守る〗の三つ。

三つ目は叶える事が出来ないが、それ以外は、きっとこれからのセナリの人生を豊かにする助けになるだろう。



「ありがとう、、ございますです、、」



渡したブレスレットを大事そうに腕に嵌めて泣きそうになりながらそう言った後、目元をごしごしと擦って、浮かべ直した笑顔で俺の目を真っすぐに見るセナリ。



「大事にしますです!!」



セナリは、どこまでも相手の事を考えられる優しい子だ。

改めてそれを理解する事が出来たのは、別れという事実の悲しい要素を少しは和らげてくれるだろうか。







「じゃあ、行こっかケイト」

「はい。ウルさん、セナリ。行ってきます」

「ウル、セナリ。行ってきます」

「ああ。後は任せろ」

「行ってらっしゃいませです!」


出発の言葉は、自然といつも言っているものになった。

もう帰ってこない事など微塵も感じられない、いつも通りの短い言葉。

最後だと分かっていても、本心がそれを最良だと判断したんだと思う。

俺も、リビィも。












ギイィィィィィ────バタン。













リビィと二人で家を出て扉を閉める。

ウルもセナリも扉の向こうに居てもう見えないのに、どちらかが言い出したわけでもなく、お互い無言で扉の前に留まった。

合理的な考えをする人が見れば、何の意味も無い、無駄な行動。

そう分かっていても無駄だと切り捨てる事は出来ずに、何の変哲もない、それでいて特別な扉の前で暫く、二人で並んでじっとしていた。

ここを通った幾度もの記憶を、この扉を隔てた外と中で今まで経験してきた事を各々辿りながら。








「うぐっ。えっぐ。うわあああああああああああん」








じっとしていたのは1分にも満たない時間だったと思う。

その短い時間であっても、二か月程の記憶を辿っているともっと長く濃密な時間に感じられた。

そんな濃密な時間を断ち切ったのは、扉越しに聞こえたセナリの慟哭。

決して防音性の低くないこの扉を隔てた上でここまではっきりと聞こえるのは、きっとセナリが扉に縋り付く程近くで泣き叫んでいるからだろう。

別れてすぐ泣き叫ぶなんて、どれだけ無理をしてあの笑顔を作っていたのか、、、、。

無理をさせた謝罪と頼みを聞いてくれた感謝を、静かに、それでいて強く心の中で浮かべた。



「行かないと、、、ね」

「はい」



俺と同じくセナリの慟哭で回想から帰って来たリビィが、一度扉に優しく添えた手をそっと離して、求めるものとは反対の言葉を告げた。

リビィがここで生活した月日は俺よりもっと長い。

二か月に満たない期間過ごしただけの俺ですら、名残惜しさに後ろ髪引かれるんだ。

リビィが表情を暗く落とし、扉を出る前に拭ったはずの涙をまた流すのも仕方のない事だろう。











「ここ、、、だね」


人目を気にしつつ時に立ち止まりながら小走りで二時間程移動すると、リネリスをぐるりと覆う、高さ5m程の塀に辿り着いた。

塀に沿わせるように、木箱が十数個置かれている。

感知結界は暗闇に紛れているからか、その姿を視認する事は出来なかった。



「誰もいないみたい。ケイト、この木箱動かすの手伝って」



リビィに言われ、木箱を重力魔術を使って音を立てずに移動する。

手で持ち上げる事も出来そうだったが、ここへ来るまでに蓄積された疲労がそれを拒ませた。



「もうそんなに使い熟せるようになったんだね」



皮肉ではない、溜め息混じりの素直な称賛をリビィから受け取る。

もしかすると魔力を無駄遣いするなと咎められるかもしれないと思ったが、そんな心配は杞憂に終わった。



「あれが感知結界を無効化する杭ですかね、、?」

「うん。そうみたいだね」



木箱の陰に隠れていたのは、塀に開いたしゃがめば通れそうな穴と、その向こう側、穴と同じくらいの幅に打ち立てられた白い2本の杭。

先に抜けたリビィを追いかけて俺も穴を潜ろうと近付いてしゃがむと、うっすらとだが杭から離れた位置で揺らめく空気の膜のようなものが見えた。

これがおそらく感知結界なのだろう。

杭の周囲は、その空気の膜が無い。



「これで良し」



念の為に穴を木箱で塞ぎ直して、木箱の向こう側が見えなくなった事を確認してから、2本の杭の間を通る。



「あ、ちょっと待って」



外へ出てすぐ、杭を抜いて回収しようとしたところをリビィに止められる。

抜き方に手順があるんだろうか?



「今からする事あるから、良いって言うまでケイトはこの腕輪嵌めてて。キュイはこのブレスレットを首に掛けておくから、外さないでね」



言われるがまま、銀色ベースに、所々に白い鉱物が埋め込まれた腕輪を嵌める。

キュイにはリビィが手ずから掛けてくれた。

そういえば、自分の事でいっぱいいっぱいで今日はキュイの存在を忘れてたな、、、。

ちゃんと付いて来てくれててよかった。



『キュキュイッ♪』



何故貰ったのか分からずとも、綺麗な装飾品にキュイは喜んでいるようだ。






「ごめんね」






俺とキュイが渡された物を身に着けたのを確認したリビィは、消え入るような声でそう零した後、杭のすぐ側で、穴の向こうに向き直った。

何か、嫌な予感がする。

止めたほうが良い気がする。

せめて、何か実行する前に説明だけでもしてもらうべきだと思った。

だがそれでも、暗く沈んだまま決意の表情を浮かべるリビィを、本気で止めようと行動に移す事は出来なかった。

それをするには、リビィを止めたいと思う俺自身の意思が、あまりにも弱い気がしたから。


(何を、、する気なんだろうか、、)


リビィの一挙手一投足を注視する。

すると、鞄から何やら角張った透明の鉱物を複数取り出して、両手の手の平を繋げて作った器にその全てを乗せているのが見えた。

元の世界の既視感に沿わせるのであれば石英のように見えるが、、、。


(あれは、、、魔水晶、、?)


一つ一つのサイズこそリビィが持つもののほうが大きいが、おそらく監視者の自治領で転移塔の職員が持っていた物と同じだろう。

一つでも魔力水数本分は蓄えられそうな大きさの魔水晶をざっと見ただけで10個以上。

そんなに大量に用意して、一体何をするつもりなんだ、、。

俺の中の嫌な予感は、目に見えて形を作り始めた。



「ふぅー、、、」



魔水晶を全て手の平に乗せ終えたリビィが一つ、深く息を吐く。

単なる呼吸以上の用途として吐かれたのは明白だ。





「【王よ。偉大なる精霊の王、フラディウス・キングスフォードよ】」





リビィがその透き通る声で詠唱を始めると、手に持っていた魔水晶が全て淡い光を放ち始めた。

暗闇では随分目立つが、これくらいなら塀の向こうから見つけられる事もないだろう。

でも、このまま光の強さが増していけば、、、。

そんな心配は、一瞬でどこかへ行ってしまった。


どんな精霊魔術を使うかは分からないが、止めないといけない。

そんな意思も、本当に作られたのかと疑う程あっさり、霧散した。


どんな考えでさえ、今のこの神秘的な光景の前では、あまりに無粋過ぎる気がしたから。


透き通る声で詠唱をし、ローブをはためかせて魔水晶の一つ一つを淡く輝かせるリビィの姿は、その容姿も相まって、溜め息を吐く程の美しさをもっていた。






「【その偉大なる力の一端を、契約者である我にお貸しください。供物としたる魔力を媒体に、(しん)から願いしこの想い、今、聞き届け給へ。 〝消失(クリア)〟 】」






淡い光が一度強まってリビィの全身を包み、内側に吸い込まれるように静かに収まっていった。

光が増して、静かに消えた。

ただそれだけの事。

それなのに、一瞬たりとも目を離す事は出来ず、見惚れる事しか出来なかった。




パキンッ─────!




何かが割れる音で我に返り、音の発生源、腕輪へと視線を落とす。



「割れてる、、、」



腕輪自体はそのままの形を保っていたが、嵌めこまれた白い鉱物が一つの例外もなく割れている。

キュイの首に掛かっているブレスレットに付いていた同じ鉱物も一つ残らず割れて、俺の肩を経由した後に地面へと落ちていった。

リビィが精霊魔術を使ったであろう事と、おそらくその影響で割れてしまったのであろう事は分かる。

だが、あれだけの魔水晶を必要とする精霊魔術だったにも関わらず、その威力の一端すら俺に届いていない。

リビィが腐愚民であったという衝撃の事実も含めて、聞かなければいけない事が多過ぎるな、、、。

その全てを移動した先まで聞かずにいる事は、到底出来そうもなかった。



「リビィさん、、今のは、、」

「今使ったのは、精霊王の魔術。記憶魔術っていうらしいんだけどね、それを使って魔人域から、私とケイト、それにキュイの記憶と関連する情報を消したの。文章とかからも、もう名前は消えた。今まで私達の事を見聞きした人達、ウルやセナリも勿論、今頃何の疑問もなく私達の事を忘れてる。楽しかった事も辛かった事も、一つの例外もなくッ!」



呼吸を乱しながら独白のようにそう言ったリビィは、話の最後で声を荒げた。

冷静に話そうとしていたんだろうが、堪えきれなかったんだろう。

泣きながら呼吸を荒げて話すリビィを見てしまっては、記憶を全て消された言われても何も責める気にはなれない。

この行動が辛く胸を締め付ける事になるなど、リビィが一番よく分かっているはずだから。

自分以上に苦しんでいる人を責めるなんて、そんな事は出来なかった。



「うっ、、ぐすっ、、。感知結界に穴が開いている状況じゃないと、万が一魔術の行使を感知されたら追いつかれるかもしれないからさ。どうしてもここでやっておきたかったの。それと、腕輪とキュイのブレスレット、もう外してもいいよ。付いてた白い鉱物は、装備者が受けた魔術を代わりに受け止めるものだから、記憶魔術の影響がケイトにもキュイにも及んでないの」



正直、今はそんな説明どうでも良かった。

この世界での今までの記憶を振り返るのに必死で、リビィの説明を聞く事に身を入れる事が出来なかった。

ウルもセナリもベルもマレッタも。

それ以外にも今まで出会った人みんな、俺の事を忘れてしまったのか、、、。

変わった人も多かったけど、もっと仲良くなりたいと、一緒に居て楽しいと、そう思える人達ばかりだったのに、、、。


(俺の存在は、もうこの世界で無かった事になってしまったんだな、、)


それを理解すると、これからの事を考えて魔術を使ってくれたリビィに対してお門違いな怒りをぶつけたくなってしまった。

いつどこから情報が洩れて、俺達に関わった人達が不幸な目に合うか分からない。

それを防ぐ為には、記憶を丸ごと失くすというのが最善だろう。

そんな事は分かっている。

分かっていても尚、これまでの思い出を捨てられたという悲しみを怒りに変換する事を止める事は出来なかった。


(駄目だ。理不尽だと分かっていても、一言言わないと気が済まない)


体の中心を這いあがってきた怒りは、胸を越え喉を越え、ついに口まで辿り着いてしまった。



「リビィさ───」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、、、!!、ケイトの幸せを奪ってごめんなさい、、、何も言わずに実行してごめんなさい、、、今まで騙していてごめんなさい、、、、」



ぶつけようと思っていた怒りは、連綿と続くリビィの謝罪によって中和され、まるで元からなかったかのように心の中から消えていった。

気を遣ったわけではない。

無理して抑え込んだわけでもない。

本当に一瞬で、怒りは霧散した。

そうだ。

この選択で一番苦しむのはリビィなんだ。

俺が持っている何倍も、色んな人と深く関わってきたであろうリビィは悲しみを抱えているはず。

そんな当たり前の事を理解したおかげで、すんでのところではあったが、悲しみに暮れるリビィに追い打ちをかける事を回避出来た。


(現状唯一の味方である俺に、感情に身を任せて怒りをぶつけられていれば、、、)


あるかもしれなかったそんな未来を思い浮かべてぞっとした。

俺がリビィの立場なら、そんな事をされれば信用をする事が出来なくなるだろう。

唯一の味方を信用出来なくなった世界で生きていかなくてはならないなど、どれだけの苦痛を伴うのか。

のうのうと生きてきた俺には、その一端を想像するだけで精一杯だ。



「大丈夫。大丈夫ですから」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、、、、、」



膝から崩れ落ちて俺を、正しくは俺が居る方向を茫然と眺めたまま謝罪を零し続けるリビィに、責任を全てなすりつけようとしてしまったすぐ後で罪悪感を持ちながら掛けられる言葉など、無いに等しかった。

それでも何もしないわけにはいかない。

これから一緒に苦難を乗り越えて行かなくてはならないんだ。

不興を買う可能性が充分にあると分かった上で最善策を選び取ってくれたリビィを、ただ見ているだけなんて出来ない。

掛けられる言葉が殆ど無い中で、謝り続けるリビィに俺はただひたすら〝大丈夫〟と、声を掛け続けた。













「リビィさん。そろそろ行きましょう。案内、出来そうですか?」


謝罪を止めて泣き止んだリビィに俺がそう言うと、涙を拭って小さく首を縦に振ってくれた。

心が乱れているであろう今急かすのは気が引けたが、こればかりは仕方ない。

こんな事なら俺も予めウルに地下転移魔法陣の場所の詳細を聞いておけばよかったと思ったが、一度聞いただけでは覚えられないだろうし、ウルもリビィの行動を読む事は出来なかっただろうからな、、、。


(幸先は悪い、が、何とかするしかないか、、、)


遅いながらもしっかりと自分の足で歩くリビィの後ろで、独り、そんな事を考えた。

これから先訪れるであろう災難が、ほんの少しでも俺達の心を逸れてくれる事を願って。

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