四十話「異物」
「すぅ、、、。すぅ、、、」
「寝てるだけ、、、か」
茂みの中、直径1m程の草が生えてない場所で横たわっていたベル。
何かあったのかと心配したが、気持ちよさそうに寝息を立てているだけで何も問題はなさそうだ。
とはいえ、、、、。
なんでこんなところで寝てるんだ?
家を追い出されたのなら母親代わりだというフレーメルと一緒に来ているはずだし、、、。
「ベル」
「んうぅ、、、フレーメルさん、、?」
寝起きの女性は色気がある印象があるが、ベルはその年齢故か幼さが増している。
あくびをしながら目を擦るその様子を見ると、無遠慮に頭を撫でたくなってくるな。
だが、何となくマレッタへ申し訳ない気持ちになって、撫でようとした手を名残惜しくも引いた。
付き合っているわけでもないしベルはそういう対象にするには若過ぎるだろうから遠慮する必要はないと思うのだが、何となく今撫でてしまうとマレッタが不機嫌になってしまう気がした。
直感のようなものだろうか?
「フレーメルさんじゃなくてケイトだよ。こんなところで寝てたら風邪引くぞ?」
「んぁ?ケイト、、、さん?へ!?あ!?え!?!?」
「突然起こして悪かった。とりあえず落ち着いてくれ」
「え!?あ、えっと、えぇ!?」
ひとしきり驚いた後、寝顔を見られたのが余程恥ずかしかったのか、顔を隠しながら首が取れそうな勢いで頭を下げ続けるベル。
なんと声を掛けても落ち着く様子が無いから、これは暫く待つしかないか、、。
「落ち着いたか?」
「は、はい。すみません取り乱してしまって、、、」
数分後、漸く首の上下運動が終わって落ち着いたベル。
離れた位置で待機させていたマレッタも、既に呼んで横に居てもらっている。
少し距離が近い気がするがきっと気のせいだ。
意識してしまえば、女性慣れしていない俺はあからさまに顔に出る自信がある。
そうなってしまっては、せっかくベルが落ち着いたのに俺が変な言動になっていよいよ収集がつかなくなるしな。
(いつも通りの距離だとは思うが念の為、、、)
不自然にならないように体を捩って、気持ち程度マレッタから距離をおいた。
念の為だ。うんうん。念の為。
「どうしてこんなところで寝てたんだ?」
「あ、それはですね、、。フレーメルさんとレミリア王国へ引っ越す事になったので、お世話になったケイトさんにご挨拶をしようと街の暴動が収まった昨日の夜からここで待っていたんです。寝るつもりはなかったんですけど、、、。あぅ、、恥ずかしい、、」
驚いた事に、ベルも俺に会う目的でここへ来ていたらしい。
相思相愛とはこの事だろうか。
いや、多分違うな。
そう考えるだけですら、この年齢差であれば犯罪思考に思えてくる。
「ケイトさんは今日も魔術訓練ですか?」
「いや、マレッタさんとベルの安否を確認しに来たんだ」
「そ、そうだったんですね、、」
ベルは目を丸くして、マレッタはもじもじしてまた少し距離を詰めてきた。
こんな反応をされると、他意のないただの心配だった事が申し訳なくなってくる。
「あ、ありがとうございます。フレーメルさん以外にそんなに心配していただけると思っていなかったので、嬉しさと驚きで頭がこんがらがってます、、、」
目を丸くしたベルが、俯きがちにそう言った。
そうだ。
すっかり忘れかけていたが、ベルは俺と同じく、この世界で疎まれる存在だった。
ディベリア教徒に会わなければ大丈夫だと思うが、街中で教徒とそうでない人物を見分ける事など出来ない。
レミリア王国へ行くというのも、教会がなく、シルム王国より教徒に出会う可能性が少ないからかもしれない。
、、、ん?
でも確か、レミリア王国へ行った時、ウルから入信者が増えているって聞いた気が、、、。
それでも教会があるこの国よりはマシなんだろうか。
「出発はいつなんだ?」
「今日です!」
「それはまた随分急ぎだな、、、」
「昨日の暴動で今住んでいる家も少し壊れてしまったので、丁度良い機会だったのかなと思ってます。それに、この機会に精霊さんと契約出来るかなって、ちょっとワクワクしてるんです!」
魔力総量の多いベルが精霊魔術を手に入れたらどんな威力になるのか、、、。
屋外修練場の結界なんて、簡単に壊せてしまいそうだな。
「良い精霊が見つかるといいな」
「はい!」
元気よく返事をしたベルが浮かべるのは、俺が好きな満面の笑み。
この笑顔に何度癒された事か分からない。
もう暫く見られなくなると思うと寂しいな、、。
「ケイトさん。そろそろ」
「あ、はい。そうですね。ベル、俺とマレッタさんは今から保安所に行くんだが、良かったら付いて来てくれないか?まだ外を一人で出歩くのは危ないから、マレッタさんを家まで送り届けた後に、ベルを家まで送るよ。それでもいいですか?マレッタさん」
「はい。ベルちゃんとは暫く会えなくなりそうですから、最後に色々お話したいですし」
「ケイトさんマレッタさん、、、」
「さあ行こうベル」
「、、、はいッ!」
心配してもらえている事、別れを惜しまれている事。
おそらく今まで経験した事のなかったであろう事を経験して、感極まった様子でベルが一つ、強く頷いた。
レミリア王国へ行ってしまえば何かあった時にすぐに駆け付ける事が出来ないが、ベルならきっと大丈夫な気がする。
何となく、そう思わされた。
「お初にお目に掛かります。貴方様の事は、ベルから聞き及んでおります」
保安所に行った後にマレッタを家まで送ってからベルの家に向かうと、そんな仰々しい挨拶で迎え入れられた。
マレッタは俺の予想通り罪には問われず、保安所で過ごした時間は5分にも満たなかった。
どうやら、今回の暴動で自分の身の危険を感じた際、手を出されていない状況であれ武力行使を認めると、王都にある本部から通達があったそうだ。
きっとそうせざるを得ない程、壮絶な荒れ具合なのだと思う。
一つ一つ罪に問うていたら、保安官が倍居ても全く対処が追い付かないんだろう。
マレッタを連れて逃げる事にならなくてよかった。
「ケイト様、、?」
呆けてついさっきまでの事を回想していると、心配そうな顔で覗き込まれて、そう声を掛けられた。
なぜこんなにも丁寧な口調、しかも様付けで呼ばれるのかは分からないが、この人がフレーメルで間違いないだろう。
「すみません、少し考え事を。それと、様付けも丁寧な言葉遣いも出来れば無しのほうが有り難いです。緊張してしまうので、、」
「ですが、、、」
「フレーメルさん。緊張しなくてもケイトさんは大丈夫な人ですよ」
固い人なんだと思ったが、緊張していただけか。
あまり衆目に晒せないベルを一人で守りながら生活してきたんだ、初対面の人物に警戒して緊張してしまうのも仕方のない事なんだろう。
そうしなければ、ベルの安全を確保出来ないのだから。
この世界どころか元の世界の礼儀すら習得していない俺にきちんとした会話の応酬が出来るのかと不安になっていたが、ベルを守りたいという同じ気持ちを持っているという事が知れて、少しだけ、緊張が解れた。
「ベル、、。そうですね。ケイトさん。改めまして、フレーメルと申します。ベルを家まで送っていただいてありがとうございます」
まだ敬語は残っているが、このくらいならそれほど距離を置かれている感覚はない。
「フレーメルさん初めまして。ベルがいつも素敵な人だと言っていたのでお会いするのを楽しみにしていました。もう知っていただけているようですが、ベルの友人のケイトといいます」
すまし顔を保とうとしているが、ベルが褒めていると言った辺りで顔が緩むのを見逃さなかった。
ベルが知らないところで自分の事を自慢しているのが嬉しいのかもしれない。
それにしても、ベル曰く血が繋がっていないらしいが、何となく顔の雰囲気が似てる気がするんだよな、、。
案外本当の母親だったりしないんだろうか?
そう言われても、何の疑いもなく信じてしまいそうだ。
「それなら、転移塔まで護衛しますよ。代金は僕が持ちますから」
荷物を荷車に乗せる作業を手伝いながら他愛ない会話をしていると、二人がレミリア王国へと向かう手段についての話になった。
てっきり転移塔を使って行くと思っていたのだが、シルム王国の端、テートレイポットの転移塔までは、金銭的な問題で馬車を乗り継いで行く予定なんだそう。
女性二人で長期間の旅。
それも魔物が出るかもしれない道を。
それはいけないと、俺は余分に持ってきていたお金を二人に差し出した。
レミリア王国まで足りるかどうかは微妙なところだが、少なくともテートレイポットまでは行けるはずだ。
「ケ、ケイトさん!それは!」
「いいんだよベル。護衛の付く馬車だとは言っても、道中どんな魔物に襲われるか分からない。二人の安全を買えるならこれくらい安いもんだよ」
「でも、、」
「ベル。俺はベルに何かあったら耐えられる自信がない。だからさ。俺の為だと思って受け取ってくれ」
「ケイトさん、、、」
「ケイトさん、お気遣いありがとうございます。厚かましいお願いだとは思いますが、ベル一人分の転移代のみ、いただいてもいいでしょうか?」
フレーメルは、自分の身を犠牲にしてもベルを守ろうとする人物なのだろう。
ベルを守る為の施しなら受けるが、自分を守ろうとしてくれる施しは受けないと、そういう気持ちなのだと思う。
「いえ。僕がお渡しするのはあくまで二人分です。ベルに何かあれば僕が悲しむように、フレーメルさんに何かあればベルが悲しみます。そうだよな?ベル」
「勿論です!ぼ、僕は!フレーメルさんと一緒に居たいです!」
「ベル、、、」
ベルの言葉に、フレーメルは目頭を熱くしている。
俺も将来娘が出来てこんな事を言われたら泣いてしまうんだろうな、と思いながら、温かく感動的な二人の様子を、じっと眺めた。
「受け取っていただけますか?」
「、、はい。ありがとうございます。このご恩はいつか必ず」
「気にしないでください」
二人分の転移代とはいえ、家にはまだ一軒屋が買える程のお金が余ってるしな。
闘技会の優勝賞金ですら、まだ底をつきそうもない。
「ケイトさん。お礼といってはなんですけどこれを」
お金を渡してさあ行こうという段になった時、ベルがズボンのポケットから取り出した小さな包みを受け取る。
布で簡単に包まれたそれは、薄く小さい。
「栞、、?」
包んでいた布を開けると、その中には少し大きめの栞があった。
薄く透ける紙越しに、小さな押し花が一つ入っている挟まれているのが見える。
「はい。その花、僕が魔術で作り出したものなんです。ケイトさんに綺麗って言ってもらえて凄く嬉しかったので、少しでも今までのお礼になればって用意してたんです」
ベルが慣れない中で作ったであろう栞はとても綺麗で、今まで見てきた有象無象の量産品とは形こそ同じであれ、全く違うものに見えた。
どちらかといえば俺がベルに与えたものより、ベルが俺に与えてくれたもののほうが多い気がするが、せっかく作ってくれたんだ。
これを貰わない道理はないよな。
「ありがとうベル。大事にするよ」
「はい!」
俺は、もう一度大事に栞を包み直して、無くさないようにローブの内ポケットへしまい込んだ。
栞としての役割を果たしてあげたほうがいいんだろうが、何となくこれを使う気にはなれない。
帰ったらどこかへ大事に仕舞っておこう。
転移塔へと向かう道中、手作りの栞を貰った喜びの余韻を引き摺りながら、これからの使い道に思いを馳せた。
「凄い人の数ですね、、、」
リネリスを出てセプタ領外縁部に向かう為に通る門の手前。
大きく開けた門前広場に到着した時にベルが零した言葉がそれだった。
街中はあれだけ閑散としていたのに、ここは多くの人がごった返している。
前に来た時はこんなに混んでいなかったのに、何故だろうか、、、、。
「セプタ領を出る者は検問を行う!受付にて番号札を受け取り、呼ばれるまでその場で待て!」
人が多く、何処へ行けばいいか分からずに三人で途方に暮れていると、簡素な西洋の神官服風の服を来た男がそう声を張り上げた。
神官服、、?
あれはもしかして、、。
「や、やめろ!俺は腐愚民じゃない!違うんだああああ!!!」
騒がしい広場が、一人の男のそんな声で一瞬静まり返った。
男の叫び声は、無理矢理口を押えられたせいで一瞬で聞こえなくなってしまっている。
引き摺られて連れて行かれた門の横にある詰め所の中は、勢いよく閉められた扉のせいで見る事が出来ない。
「おいおい。セプタ領に腐愚民が紛れ込んでたのかよ、、」
「きっと誰かが匿ってたのよ。これでその匿ってた人達諸共罪に問われるわね。良い気味よ」
そんな会話が、静まり返った広場で俺の耳に届いた。
「次!番号札126番から135番!」
騒がしさを取り戻した広場で、何事も無かったかのように検問が行われ、無事に終えた人達がまとめて門を通っていく。
検問で腐愚民が炙り出され、その検問を行っているのは神官服風の男達。
嫌な予感が頭を過った。
「あれはディベリア教の下級神官達ですね、、、。どういう意図かは分かりませんが、セプタ領から出ようとする腐愚民を検問で炙りだしているようです」
「ディベリア教、、。ベルは大丈夫なんでしょうか、、?」
「問題ありません。見たところ流れ作業のように腐愚民だけを選別しているようですし、何より、ベルの姿を知っている人物が神聖国内から出る事はあり得ません」
「そう、、、なんですね。それならよかった。そんな流れ作業で、どうやって腐愚民を選別しているんでしょう」
きっとウルが言っていた、腐愚民を見分ける装置があるのだろう。
そう分かっていながらも、忙しなく脈動する心臓を落ち着ける為に、答えを聞かなくてもいい問いを投げ掛けて少しでも時間を稼いだ。
この後の対応を、少しでも落ち着いて考える為に。
「ディベリア教には腐愚民を見分ける装置がありますから、それを運んできているのでしょう。炙り出して何をするつもりかは分かりませんが、きっと碌でもない事に違いありません」
俺は、リネリスを出て外縁部の転移塔まで二人を送るつもりでここまで着いて来た。
だが、腐愚民を見分ける装置の仕組みを分からない限り、検問されてしまえば間違いなく捕まって碌でもない目に合わされるだろう。
もしかすると、、、。
ウルと見たあの見世物のように、どれだけの重症を負っても戦う事を強要される奴隷になるかもしれない。
ぞわっ───。
背筋を冷たいものが駆け抜けた。
同時に、どちらかといえば涼しい気温だというのに、全身から脂汗が噴き出してくる。
たった100m程先にただ死ぬより辛いものがあるという事実に、胸は強く締め付けられた。
(あの炙り出された腐愚民がいなければ、俺は今頃、、、)
「ケイトさん?」
「、、、どうした?」
心配している様子のベルに、精一杯平常を装って、辛うじて捻り出した言葉を返す。
「今から受付に番号札を取りに行こうって、フレーメルさんと話してたんです。体調が優れないように見えますけど、大丈夫でしょうか、、?」
俺がこのまま二人に付いて行くという選択肢は無い。
そんな事をしてしまえば、俺の身だけでなく、ウルやリビィやセナリまで巻き込んでしまう事になるから。
気分を悪くさせてしまうかもしれないが、何とかして断るしかないよな、、。
「悪いベル。やっぱり送れるのはここまでだ」
「やっぱり体調が、、」
「いや、それは大丈夫なんだけど、用事を入れてたのを忘れててさ、、、。本当にごめん」
「い、いえそんな!顔を上げてください!ここまで送ってもらえただけで有り難いですから!」
「そうですよ、ケイトさん。貴方のような心優しい友人がベルに出来て、本当に良かったです」
苦しい言い訳にも拘らず二人は疑う事なく、そんな優しい言葉で擁護してくれた。
罵倒されるのも辛いが、優しくされるのもそれはそれで心が痛むな、、、。
「ありがとうございます。またいつかレミリア王国へ遊びに行きます」
「勿論です!到着したらお手紙出しますね」
「ああ、ありがとうベル。それではここで。お気を付けて」
「ケイトさん!本当にありがとうございました!」
「色々と、ありがとうございました。また貴方に会える事を願っています」
和やかで感動的になるだろうと思っていたベルとの別れは、予期せぬ焦燥で心が乱された事により、何ともすっきりしないものになってしまった。
もっと色々話して、笑顔で送り出したかった。
あんな作り物の笑顔じゃなくて、心からの笑顔で。
この広場も、人混みをこんなに早足で引き返すつもりじゃなかったのに、、、。
俺に向けられる視線が、内容を理解出来ない程小さな声での会話が、早足で群衆を抜けようとする俺に全て向けられているんじゃないだろうかと、気が気でなかった。
自意識過剰な事は分かっている。
だが、腐愚民がこの世界で異物であり、疎まれる存在である事を再認識した。
少しでも時間がずれていればまんまとディベリア神聖国へ捕まってしまっていた可能性があった。
そんな二つの認識が、可能性が、俺の衆目へ対する感度を敏感にさせていた。
(とりあえずここじゃない何処かへ、、、人の居ないところへ、、、)
そんな思いで、焦りで力が籠る体を引き摺って群衆を抜けた。
「はぁ、、、はぁ、、、、」
広場を抜けて少し進んだ先。
薄暗い路地裏で地べたに座って息を整えた。
大して早い速度でもなかったにも関わらず、呼吸は激しく乱れている。
ここに来るまでの間、無意識に息を止めては吐いてを繰り返していたようだ。
いつもより早く刻まれ続ける心臓の音が煩く、乱れた呼吸を整えるのを遅くさせられる。
座り込んだはいいけど、こんな薄暗い路地裏ではいつまで経っても力んだ体を緩められそうにないな、、。
早く家に帰らないと。
「おいお前。そんなとこで何してやがんだぁ?あぁ??」
呼吸をほんの少しだけ整えたところで、家に帰ろうと立ち上がって来た道へ歩き出してすぐ、背後から嗄がれた声の男に声を掛けられた。
こんな時に面倒事はやめてくれよ、、、。
「あん?聞こえてねえのかおめえ??」
振り返ってすぐ、いつの間にか近付いてきていた男に胸倉を掴まれ、悪態を吐かれる。
飛び散る唾には嫌悪感しか覚えない。
(酔っぱらいか、、。面倒だな)
悪態を吐いてきたその口は酒臭く、視線を落とした先にある男の左手には、酒瓶が握られている。
おそらく、昨日から夜通しで飲んでいたのだろう。
俺が広場から逃げて来たのが見えていて、追いかけて声を掛けたのかもしれないとも思ったが、それは考え過ぎだったようだ。
きっと、向けられていたと思っていた群衆の視線も会話も、全て俺の気のせいだ。
「無視してんじゃねえぞ!」
(とりあえずこいつを片付けないと、、)
「おらっ────へぶッ!」
ドンッ───。
「な、何すんだてめぇ、、、うっぷ!おえええええ」
(汚い、、)
魔術師でもないだろう男一人無力化するなど、どうという事はなかった。
むしろ、出来るだけ怪我をさせないように威力を調整するのが面倒だったくらいだ。
いや、確か絡まれたら相手を怪我させても殺してしまっても罪に問われないんだったか?
まあどうせ、体を強く打ち付けて胃の内容物を全て吐き出しているあの様子では、追撃してくる事はないだろう。
今は一刻も早く家に帰って休みたいんだ。
構っている暇なんてない。
ああ。
家が遠い、、、。
面倒事に巻き込まれて余計に重くなった足を引き摺りながら、来た道を戻って漸く家に辿り着いた。
「ケイト様!おかえりなさいませです!」
いつも通りの笑顔で出迎えてくれたのはセナリ。
台所から香ってくる嗅ぎ慣れた料理の良い匂いが、心を落ち着けてくれる。
途中何度も休憩しなくては碌に歩けないという有様だったが、何とか無事に家に辿り着く事が出来た。
(疲れた、、、)
心配を掛けると思って声には出さず、心の中でだけ盛大な溜め息と共にそう零した。
昼食が出来ているという事は、時刻は昼過ぎくらいだろうか?
随分遅くなってしまった。
「ケイト、おかえり。大丈夫だった?」
セナリの後方から、若奥様風のエプロン姿のリビィがやってきて、出迎えてくれた。
こんな美人と新婚の気分を味わえたというのに、気分は完全に晴れてはくれない。
自分が思っている以上に、同郷の人が捉えられる姿というのは堪えたのかもしれないな、、。
「はい。でも、外はまだ荒れているので、数日は外に出ない方がいいですね」
「そっか。ありが、、、、、あれ?ケイト、ほっぺた怪我してるよ?」
リビィが自分の左頬を指差して教えてくれる。
俺も自分の左頬を触ってみると、確かに少量ではあるが、手に血が付いた。
痛みは感じなかったが、いつの間に怪我したんだろうか。
「はわわ!だ、大丈夫でしょうかケイト様!」
「これくらいどうって事ないよ。痛みも無いし」
「リビングで待ってて。薬持ってくるから」
「すみません。ありがとうございます」
「ううん。こちらこそ、外が危険だって確認して来てくれてありがとうね。そういえば、どこまで行ってきたの?」
「ギルドまで行ってました。マレッタさんとベルの無事を確認しに。二人とも無事でしたよ」
マレッタの精神が病みかけていた事は、特に言う必要もないだろうと言わずにおいた。
家に送って別れる頃にはある程度復調している様子だったし、あと数日もすれば元気になっているだろう。
ギルドは三日間臨時休業する事になったそうだから、その間にゆっくり心と体を休めてほしい。
「ふぅ~ん」
「な、なんですか、、、」
塗り薬を持ってきたリビィが、俺の頬に薬を塗りながら揶揄うような視線を向けてきた。
「随分マレッタさんって子と仲良くなったな~って。ウルから聞いたよ?同い年で、よくお昼も一緒に食べる仲なんだって?」
ウル、、、。
何勝手に話してるんだ、、、。
別にやましい事はないが、こうしていじられるのはむず痒い。
「その通りですけど、特に何もないですよ」
「そっかそっか。何にもないかー。そういう事にしておくね」
「ちょ、ちょっとリビィさん」
どうやら女の勘というのは中々に侮れないらしい。
会話の途中でマレッタとしたデートの事が頭に浮かんだのが拙かったのだろうか、リビィは俺の誤魔化しなど簡単に見抜いている様子だ。
にやついた顔を向けられるのは嫌悪感こそないが居心地は悪い、、、。
「そ、そういえば。ベルがレミリア王国へ引っ越すみたいなんです」
「それはまた急な話だね、、、。いつ出発なの?」
無理な話題転換かと思ったが、問題なく乗ってきてくれた。
まだ若干。
顔にはにやけた表情の名残りがあるが。
「さっき門前広場まで送ってきたところなので、もうそろそろセプタ領を出ている頃かと」
「そっか、、。お別れ言いたかったな、、」
「また会えますよ」
「うん。そうだね。ケイトに何もされてないか聞かないと」
「リビィさん、、、」
リビィはどこまでもそういった類の話が好きなようだ。
出来るだけ女性の話はしないでおこう。
「ご飯出来上がりましたです!」
「よし!じゃあ食べよっか!」
「そうですね」
「「「食に感謝を。魔力の源に感謝を。変わらぬ大地の恩恵に此度も授かります」」」
確認出来る範囲の知人の無事は確認出来た。
奇跡的なタイミングだったが、腐愚民とバレる事もなかった。
市民が落ち着くまでの数日、外に出ずに家で大人しく過ごしていれば、これ以上何か騒動に巻き込まれる事はないだろう。
あまりにも立て続けに色々と起こり過ぎてゆっくりと心を休める間がなく、俺の許容量の少ない頭は、後一つでも何か騒動に巻き込まれれば思考停止してしまいそうだ。
(きっと一気に色々あった分、これからは暫く平穏に違いないさ)
そんな、フラグにしか聞こえない願望とも取れる発言を無意識に心の中で吐いてしまい、楽しいはずの食事の最中にも関わらず、気が滅入ってしまった。
「お料理。お口に合わなかったでしょうか、、、?」
心情が表面に出てきてしまっていた。
落ち込んだ様子で食事の手を止める姿をセナリに見られて心配させてしまった。
「そんな事ないよ。美味し過ぎて動きが止まってただけだ」
「あ、えと、あ、ありがとうございますです!!」
椅子から立ち上がって背筋を張り、恥ずかしそうにお礼を言うセナリを見て、暗くなっていた心情は少しだけ明るくなった。
フラグなんていちいち気にしてられないよな。
何かあったら、その時に対処すればいい。
今はただ、目の前の美味しい料理に集中しよう。
心の中で独り、そう宣言して、三人の和やかな食事を楽しんだ。
思い付く限りのこれからの災難からは、一時的に目を逸らして。




