三十四話「師として、家族として」
夢を、見ていた。
自分が優世界に産まれて、誰よりも優れた魔術の才があって、多くの人に頼られる。
そんな夢。
マレッタやリビィ、大きくなったベルを妻に迎えて、子宝にも恵まれて、お金にも困らない、そんな日々。
登場人物や身に起こる出来事が妙にリアルで、途中、これは夢じゃないんじゃないかと思う事が幾度もあった。
実際、意識が覚醒しかけている今に至るまで、街を歩けば群衆が沸く状況を自分の身に起こった事、又はこれから起こる事だと錯覚してしまっていた。
夢には願望が反映されると聞いた事がある。
もし本当にそうなら、俺は深層で英雄になりたがっていて、お気に入りの女性を何人も侍らせたいと思っているのだろうか。
周囲の音が聞こえるまでに覚醒した意識の中では、それらが劣世界の基準においては忌避される考え方である事は容易に理解出来た。
マレッタはともかく、人妻のリビィやまだ幼いベルにまで手を付けたい願望があったとは、、、。
意識して、自粛しておかないといけないな。
「んっ、、、」
「ケイト殿。気が付きましたか?」
ベッドに貼り付いているようにも感じる程重い体を少し捩って、ゆっくりと目を開ける。
深層の願望を詰め込んだ夢の余韻は強く、起きているのを気付かれまいと、無意識の内に瞼を長い間閉じてしまっていた。
そんな小さな葛藤をしながら開けた視界に飛び込んで来たのは、顔の左半分を包帯で覆い隠したホッジ。
包帯を巻いているという事は怪我が残っているという事。
救出した時のような酷い状況ではないと思うが、治癒魔術はかけてもらわなかっただろうか?
「ホッジさん、ご無事で良かったです」
「目覚めて第一声が私の心配ですか?ふふ。本当にお優しいですね。私が無事なのはケイト殿に助けていただいたお陰です。本当に感謝しています」
「でも、その顔、、」
「ああ、この包帯ですか?お気になさらず。高位の治癒師のところまで行かなければ部位欠損までは治りませんので、暫くは片目と片耳が無いだけです。その間は非番をいただく事になりましたので、心配には及びませんよ」
ホッジは作り物でない快活な笑顔を見せてそう言ったが、片目と片耳が無いというのはかなりの重症なのではないのだろうか、、。
話を聞く限りでは然るべき場所へ行けば治るのだろうけど、それにしてもこれだけの笑顔で言えるような事とは到底思えない。
命の危機もある保安官というものは相当な覚悟でないとなれないのだろうな、と。本当に何とも思っていない様子のホッジを見て、心からそう思った。
「ケイト殿、改めてお礼を言わせてください」
掛けていた椅子の上で背筋を伸ばして畏まるホッジへ、重力が倍になったのではと錯覚する程重くなった体を無理矢理動かして上半身だけを起こし、目眩を起こしながらも向き合う。
一度でも力を抜いてまた寝転んでしまったら、もうこの体勢に戻って来る事すら出来なさそうだ。
「此度の作戦への参加、保安官を代表して心よりの感謝を申し上げます。ケイト殿がいなければ、作戦が成功していなかっただけでなく、突入した保安官は私を含め全員が命を落としていたでしょう。本当に、本当にありがとうございます」
恭しく頭を下げられるのはむず痒くホッジへ頭を上げる様に願い出たが、〝もう少しだけこのままで〟といって暫く頭を下げ続けられた。
その時間は一分にも満たなかったと思う。
だが、遮るものもなく正面からぶつけられる感謝の念に慣れていない俺には、数分にも数十分にも感じられた。
最初から動けていれば、敵の動きや戦力の分析をきちんと聞いていれば、もっと被害を抑えられたかもしれない。
亡くなった保安官は、少なくないと思う。
それでも、ホッジは格別の感謝をくれている。
本心のみで頭を下げるホッジの姿に、知らぬ間に持っていた責任感から生じる罪悪感が、少しずつ解されていった。
俺が救えた人がいたんだ。
体が中々動かなくて参戦が遅れても、決心が出来なくて飛び込めなくても、変えられた未来があるんだ。
齎されたそんな事実が、解された罪悪感が、形となって頬を伝った。
「ケ、ケイト、、、、殿?」
「至らなかったところがあります、足手まといになってしまった場面があります、救えなかった命があります。それでも、誇っていいんでしょうか、、、?」
言葉は自然と、零れ落ちた。
独白にも似たその言葉達が、本来の形を保ったまま届くのかは不安だった。
それでも、情けない男の独り言のようなそれらをホッジは余す事なく、一つずつ丁寧に拾ってくれている。
全て拾い終えて嚥下するまでに至ったのだろう、ホッジは一つ心を落ち着けて、変わらずに涙を流し続ける俺の目をしっかりと見据えた。
「ええ、勿論です」
たった数文字の言葉。
それだけで俺の心は驚く程に満たされて、晴れていった。
にも拘らず、涙は変わらず流れている。
今までした事がないから分からないが、これが嬉し泣きというものなんだろうか。
涙を流す程心情を揺さぶられているのに、心には悪い感情が微塵も積もっていない。
初めての感覚に戸惑いつつも抵抗はせず、ただ静かに涙を流し続けた。
抱いていた罪悪感と共に。
ぐぅ~。
涙が落ち着いてきた頃、どこからかそんな音が響いた。
いや、誤魔化すのはよそう。
俺のお腹が、足りなくなった血と栄養分の補給を催促している音だろう。
動けないからすぐに家に帰ってご飯を食べにもいけないな、、、。
どうしようか。
「ふふふ。体はもうすっかり元気そうですね。そのままで少しお待ちください」
楽しそうにそう言って、ホッジは一度部屋を出た。
少しふらついていたのは、きっとまだ片目だけの視界に慣れていないからだと思う。
高位の治癒師に掛かれば治せるという事だったが、ウルの治癒魔術では無理なんだろうか?
、、、いや、それこそいつになるか分からないし、あれだけ慌ただしく動くウルを頼るのは流石に気が引ける。
痛々しいが、当人が毅然としているのだから外野は黙っておこう。
「ケイト殿、お待たせしました。こちら、今朝来ていただいた保安所から持ってきておいたんです」
「あ、それは、、」
そうだ。
色々な事が重なり過ぎてすっかり忘れていた。
朝から魔術訓練に行くからとセナリにお弁当を持たせてもらっていたという事を。
ホッジに渡された一人前にしてはかなり大きい弁当箱を受け取って、詰まりそうになりながらも必死で掻き込む。
盛大にお腹の音が鳴ってしまうような空腹の状態でのセナリが作った料理は、あまりにも美味しすぎて手を止める事が出来なかった。
そもそも、止めようなどとは微塵も思っていないのだが。
微笑ましいものを見るような表情で俺の事を愛でたり、かと思えば喉に料理を詰まらせた俺を見てあたふたするホッジを見て楽しみながら、あっという間に重箱と見紛うサイズのお弁当をたいらげた。
(重箱二段分くらいは食べたのに、まだ腹八分くらいだな、、、)
優世界に来てからの自分の食欲が恐ろしくなってくる。
この世界に体重計というものが無い事を祈ろう。
「ケイト殿。まだ完全には回復していないでしょうが、他にもお礼を言いたいという者達が治癒院に押しかけておりまして、、、。良ければこちらに通して、その後に報酬等の話も纏めてさせていただいてよろしいでしょうか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「感謝します」
先程の夢も、あながち間違った事ばかりではなかったのかもしれない。
扉から雪崩れ込むようにやってきた保安官達から口々にお礼を言われる俺の姿は、傍から見れば英雄の姿をしていたと思うから。
その中には見知らぬ顔ぶれもあったが、俺に助けられたのだという状況を聞いてみると、ああ、あの保安官か、と納得する事が出来た。
皆一様に顔を輝かせて、中にはその顔のまま涙で顔を歪ませて溢れんばかりの感謝を包み隠さず伝えてくれる人もいる。
そんな状況に少し気恥ずかしくなりながらも、一人ずつ丁寧に、お礼の言葉を、時には物品を受け取った。
一通り感謝の言葉を言い終えた保安官達は満足して帰り、残ったホッジとレオノーラを介抱していた男の保安官、セムオンによって大まかな報酬や俺が気を失ってからの事の顛末を聞かされた。
曰く、あの後勢いを失った敵勢力は俺の意を汲んで生きたままの捕縛となり、今は収容所へと連行中らしい。
首魁であるロウロウや幹部達は奴隷へと落ちる予定で、攫ってきた人達を働かせていた鉱山での採掘の人手にされるのだという。
その鉱山は多少の被害が出たもののつい先程制圧が完了し、セムオンの父親の無事も確認出来たのだそう。
「本当に、本当にありがとうございます。ケイト殿にはなんとお礼を申し上げたらいいか、、、。今はまだ、何も形としてお渡しする事は出来ませんが、いずれ必ず、何らかの形で恩を返します」
他の保安官達と雪崩れ込んで来た時は沈黙を保っていたセムオンは、報告の途中で堰を切ったようにそう言って男らしい涙を流した。
すぐに拭ってしまったのできちんと見る事は出来なかったが、その顔は少し前の俺の表情に酷似していたと思う。
泣きながらも晴れやかで、悪い感情は微塵も見られなかった。
「いやあ、それにしてもあの極悪犯のアビーチェまで倒してしまわれるとは。ケイト殿の実力には驚かされましたね」
アビーチェというのは、地下の部屋で対峙した双剣使いの男。
人を殺して愉悦に浸る快楽殺人犯らしく、数年前にシェリルによって捕縛されたらしい。
正面から対峙すれば負けていたかもしれない相手。
確かに強かったが、シェリルと比べるとどうしても劣ってしまうだろう。
捕縛されてからは死刑執行までの間奴隷として労働に従事していたそうなのだが、その間にロウロウの手引きによって脱走し、用心棒としてあの人攫いグループで働いていたのだそう。
わざわざリスクのある脱走の手引きをするくらいだから、相当な実力者なのだろうな。
実際、俺も命が危ぶまれたわけだし。
まああれは、心情に体を硬化されたせいでもあるが、、、。
いや、詮無い事を言うのは止めておこう。
あの場では、全員が必死に戦っていたんだ。
少しの行き違いに苦言を呈するのは、無粋というものだろう。
脱走犯であるアビーチェを仕留めたのは作戦成功の功労とはまた別の扱いになるらしく、別で報酬が出るそうだ。
詳しくは細かく計算した後という事になるそうだが、聞かせてもらった低く見積もった金額は、人気で地価の高いリネリスで一軒屋を建てられる程。
日本円に換算すると一億まではいかずとも、数千万にはなるんじゃないだろうか。
しかも、低く見積もってもその金額。
桁が一つか二つ間違っているんじゃないかとも疑ったが、ホッジ曰く俺が成した事はそれだけ大きな事らしい。
受け取りは数日先だが、これならウルやリビィに与えてもらった分を還元出来るだろう。
死にそうな思いをしたにも関わらず俺の心情は軽く、何の苦労もなく宝くじで一等が当たったような気分で頬を緩ませた。
(ほんの少しくらい、自分の欲を満たす為に使ってもいいよな、、、)
そんな画策を浮かべながら。
───コンコンッ。
「入るぞ」
「ウルさん、、、?」
談笑をしつつ少しずつ体を負荷なく動かせるようになってきた頃、仕事に勤しんでいるはずのウルが部屋に入って来た。
その表情はどこか暗く、冷たい。
「これはこれは。三賢者のドルトン殿、、でお間違いないでしょうか?」
「そうだ」
「ケイト殿に何か御用でしょうか、、?」
体を震わせながらも、おずおずとホッジがそう尋ねた。
仕事をせずに談笑していて大丈夫なのだろうかと思っていたが、おそらく動けない俺の護衛自体がこの二人の仕事だったんだろう。
それを証明するかのように、ウルと俺の間にホッジとセムオンが割って入った。
俺からすれば全員が見知った顔だというのに、場の空気はどこかひりついている。
「ケイトを連れ帰りに来た。そいつは俺の弟子だ」
「で、弟子ですか!?」
「ああ」
扉の外で聞き耳を立てていたのだろう。
弟子と言った瞬間にガタガタと数人分の物音が聞こえた。
ベポの一件でかなり広まったと思っていたが、まだあまり知られていなかったらしい。
ホッジとセムオンも驚いた表情で目を剥いている。
「ケイト殿、本当ですか、、?」
「ええ」
「行くぞ、ケイト」
「はい」
端的に促すウルに従って、まだ少しふらつく体を引き摺ってベッドから降りる。
「ケイト殿!まだ体が!!」
「大丈夫です」
ふらつく体を支えようとしてくるホッジを安心させる為に、笑顔で断る。
自分も完全にはバランスを取れないというのに、どこまでも職務に徹底する人だ。
それに、付いて行く事を拒否しても、無理矢理連れて行かれそうな気がする。
今のウルの表情は、それだけ冷たく容赦のなさそうなものだったから。
強制的に連行されそうになれば、それこそ護衛の二人や扉の向こうにいる保安官達がウルを敵対視してしまうだろう。
立場上は保安官よりもウルのほうが上だとしても、俺はつい数時間前まで一緒に戦っていた仲間だから。
そうなる前に、無理矢理にでも体を動かして付いて行くのが一番の良策だ。
「それと。この作戦にケイトが参加した事は既に知っている者、報告の為に話す必要がある者以外には決して漏らさないように注力してくれ。これは正式な命令ではなく、三賢者である俺の一個人としての頼みだ」
俺が身支度を整えたのを確認してから踵を返したウルが、警戒を解いたホッジに向かって背中越しにそう言った。
おそらく、俺が有名にならないようにする為や、今後同じような事に巻き込まれないようにする為のものだと思う。
今回のように後々の自分やリビィに被害が出そうだと分かっているものでなければ、そもそも頼まれても断るが。
狭い廊下に溢れかえる保安官を、モーセのように割って通り抜けて外へと出る。
夕暮れの茜に染められたそこは、既視感のない場所。
治癒院に来るのが初めてだからそれは当然の事なのだが、実際に外に出てみるまではその考えが浮かばなかった。
ウルが迎えに来てくれなければ、一人では帰れなかったな、、。
「ウルさん、迎えに来ていただいてありがとうございます」
「ああ」
怖いとも思えるような冷たさで、ウルがたった一言でそう返事した。
端的な返答しかしないのはいつもの事だが、今日はいつも以上に冷たい気がする。
気のせいだろうか?
「お仕事は大丈夫なんですか?」
「ああ」
うん。
気のせいではなかった。
やはりいつもより冷たい。
これは、怒っているのだろうか、、、?
前を歩くウルの表情は見えない。
直接聞こうにも聞けないその雰囲気を耐えながら、夕暮れの街でただただウルの後ろを付いて行った。
「ここだ。これを顔に着けておけ」
ウルに連れられて来たのは王都の闘技場に似た見た目の、それでいて一回りほど小さい建物。
渡された白い仮面を何も言わずに着けて、受付を済ませて中に入っていくウルの後ろを付いて行く。
(家に帰るんじゃなかったのか、、、)
道中ずっと知っている道が一つもなく不安になったが、そもそも知らない場所からスタートした帰路だ、分からなくて当然だろう。と、特に気に留める事もなく家に帰るのだという事を疑わなかったのに。
家に帰ると言われていたわけでもないし、特に文句が不平不満があるわけではないのだが。
足元に置かれた照明で照らされる階段を登り、客席の最上段へ腰掛ける。
八割程埋まった席に座る観客達は、仕様こそ様々であるものの、皆一様に仮面や布で顔を隠していた。
それが何を意味するのか、これからここで何が行われるのか。
俺はいつもと違う雰囲気を持つウルに聞けずにいた。
おそらくの予想としては、お偉いさん方が身分を忍んで楽しむ為の何かが始まるのではないかと、そう考えている。
顔を隠しているのは、ここに居るのがバレてはいけない何かしらの事情があるからだろう。
観客全員が仮面を着けているという異様な光景と、それに準ずるように不気味さを帯びた雰囲気に酔いそうになりながらも何とか正気を保って、これから始まるであろう何かを静かに待った。
「それでは大変長らくお待たせ致しました!本日のショー開演でございます!!」
「「「うおおおおおおおおお!!!!」」」
声のするほう、中央にある楕円形に窪んだ地上に視線を向けると、スポットライトで照らされた仮面をつけた人物がいた。
あの人物が闘技会でのボンのような立ち位置の人物であろう事は、発言や周囲の反応を見れば理解する事が出来る。
でもそれ以外には、中性的な声、体の凹凸の分かりにくい服のせいで、性別すらも判断出来ない。
そもそも、最上段のこの位置からはかなり遠く、小さく見える。
この世界に双眼鏡があればな、、、。
「本日の第一幕は、、、【剣闘士VSバッファリオ】!!」
司会の掛け声の後、熱気が上がる会場中の視線が向けられた大きな扉から出てきたのは、バッファローを大きく、それでいて引き締めて筋肉を浮き立たせたような動物。
近くの観客の会話を聞くに、あれは魔物らしい。
「さあ、スタートだッッッ!!!!」
「ブモォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!!!」
開始の合図と共に観客席にある解説席のような場所へと司会者が飛び上がると、バッファリオがけたたましい雄叫びを上げてその場で地面を掘るように数度足を後ろへ滑らせた。
全力のスタートを切る為に、足を慣らしているように見える。
それに対峙するのは身長180センチ程の偉丈夫。
皮鎧を身に着けて、持ち上げるだけでも大変そうな厳つい見た目の大剣の剣先を、雄叫びを上げるバッファリオに怯えながらも必死に向けている。
小さくてよく見えないが、心なしか日本人のような顔立ちをしている気がする。
武器を持っているし、あれが武人なのだろうか。
ザッ───ザッ───ザザッ───ドシンッ──!!!!!
そんな見解を頭の中で浮かべている内に、バッファリオが暴走した自動車のようなスピードで剣闘士へと向かっていき、避けられても尚勢いを止めずに頑強そうな壁へとぶち当たった。
かなりの衝撃音だったのに、観客席へは少しの振動も届いていない。
いや、直撃した壁の直上に居た客は、少し体を揺らしているように見える。
ぶつかった壁は相当頑丈な造りに見えるが、流石に勢いを全て殺せたわけではないようだ。
「ブモォォォォォォォ!!!!!」
ドシンッ───!!!!!
反転したバッファリオは、逆再生かのように来た道を同じ速度で突進して戻っていった。
今度こそ当たるかに見えた剣闘士は寸前で躱し、すかさずバッファリオに近付いて行って反転する前に攻撃を嗾けようとしている。
あれだけの質量の生物が自動車並の速度で突進してきたら怖いはずなのに、たった二回の突進で反撃する術を見つけ出してそれを実行するとは、、、。
武人であろう剣闘士の肝っ玉が据わっているのか、ただ単に俺が臆病なだけなのか。
前者だとすれば、武人域へ行くのは控えたいな。
シェリルのような好戦的な人物が山ほどいそうだ。
剣闘士の必死の追従も叶わず、大剣が届きそうだという段になって、反転したバッファリオが幾分か速度を落とした突進をした。
それを辛うじて躱す剣闘士。
今度は向かいの壁には当たらず、会場の中央辺りで制止し、反転して向かってくるバッファリオ。
それを追いかけずに壁にぶつかった隙を伺う剣闘士。
俺は戦闘のプロではないが、中々懸命な判断なんじゃないかと思う。
壁の近くで待ち伏せて、避けた後に壁にぶつかって動けなくなった相手に攻撃を加える。
卑怯にも見えるが、動く速度が圧倒的に違う相手には、遠距離攻撃手段が無いのであれば一番効果的だろう。
ドシンッ───!!!
助走距離が無いとは思えない速度でバッファリオが壁へぶつかる。
すぐ近くで紙一重で攻撃を躱した剣闘士が大剣を振り被り攻撃を────
「〝土壁〟」
ガギィィィィィィンッ!!!!
「くっそッ!!!」
剣闘士が直上に剣先を向けた状態で振りかぶったその時。
観客の内の誰かが形成単語を唱えて硬質化させた土壁を剣闘士の前に作り出し、振り下ろした大剣を弾いて剣闘士を後ろへよろめかせた。
誰が唱えたか特定までは出来ない。
出来ないが、観客が唱えたという事は声が聞こえた方向からして間違いない。
それなのに、剣闘士は悪態を吐きこそすれ不平を唱える事は無いし、司会者は盛り上げる為の実況すらせず、ただ静観に徹している。
その態度は、顔こそ見えないがどこか愉悦に浸っているようにも見える。
「ブモォォォォォォォ!!!!!」
ガインッッ───!!
「ぐっ!!」
体勢を崩された状態でバッファリオの攻撃を躱せるはずもなく、辛うじて直撃は避けながらも、剣闘士は大剣と左腕の機能を失った。
遠目からでも怯えているのは明らかだというのに、剣闘士は懸命に大剣を拾って、バッファリオの攻撃を躱していく。
だが、その体は少しずつ、少しずつ傷を増やしていく。
壁に突撃したバッファリオを追いかける気力も残っていない。
突進を完全に躱す事も出来ない。
剣先もだらんと下がっている。
それでも、剣闘士は必死にバッファリオと対峙していた。
何故こんな勝ち目のない戦いにそんなに必死になるのかとも思ったが、バッファリオの突進をそのまま受けて命を落とす事を考えれば、生き残る為に必死になるのは頷ける。
俺は、傷付いていく剣闘士から目を逸らしたい気持ちをぐっと堪え、目に全ての神経を注いで戦いの行く末を見守った。
結末など、とうに見えているというのに。
「避けてばっかでつまんねーぞコラ!!!!戦えよッ!」
観客席の何処かからか、そんな声が発せられた。
既に満身創痍の状態で必死に命を守っている剣闘士へのあまりにも侮辱的な言葉。
これは見世物なのだろうから仕方のない事だと思うが、懸命に生きようとする剣闘士に感情移入していた俺は、嫌悪感を抱かざるを得なかった。
だからといって、何が出来るわけでもないのだけど。
ガランッ───ドサッ。
「ブモォォォォォォォ!!!!!」
ついに立っている事すら出来なくなった剣闘士は、意地でも握っていた大剣を手から零して膝をついた。
その体は、これから来る死に対する恐怖で震えているように見える。
剣闘士の命が奪われるまで後数秒。
勢いを付けようとその場で足を滑らせているバッファリオが動き出せば、瞬きの間に跳ね飛ばされてその威力の餌食になるだろう。
繰り広げられるであろう光景に背筋が震え、両腕を交差して体を掻き抱き、力の限りに目を瞑る。
さっき別の観客がしたように形成単語を唱えて助けてあげられればいいんだが、ここからでは届かないしそもそも魔力の足りない今の状態では足手まといになり兼ねない。
今出来るのは、助けに入る事が出来ない自分を言い訳で擁護して、恐怖から目を逸らす事だけだ。
ザッ───
バッファリオが走り出す音が耳に届き、俺は一層目を瞑る力を強めた。
「最後まで見ておけ」
ウルのそんな言葉に、反射的に目を開けてしまった。
映った光景は、膝をついた剣闘士に向かってバッファリオが動き出した場面。
目を閉じたいのに、変わらず力が籠った瞼は、再度合わさる事を強く嫌った。
後数歩。
数歩で命が一つ散ってしまう。
そうだというのに、俺は視線を逸らす事すらも出来ず、ただただ一点を集中して見続けた。
剣闘士にバッファリオがぶつかる、その瞬間を待って。
「〝瀑布〟」
「ブ、、モォォォォ、、、」
その声と魔術は、剣闘士にぶつかる直前、バッファリオの直上から降り注いだ。
何が起こったのか分からずに頭に疑問符を浮かべる俺とは違って、観客のほとんどは驚かずにただただ溜め息を深く吐いている。
「勝者、バッファリオ!!!」
上から局所的な重力を掛けられてて動けないバッファリオの背に立ち、司会者が大声でそう告げる。
戦闘が開始した時とはまた違った形で、会場内は騒がしくなった。
全力で戦った剣闘士に対する、侮辱的なブーイング。
それに呼応するように、担架を持ってきた救護班は剣闘士を雑な扱いで舞台裏へと運んで行った。
バッファリオか剣闘士、どちらかが死ぬ結末を観客は望んでいたのだろうか?
だとすれば、こんなにも胸糞が悪いものはない。
(人の命を弄ぶなんて、、、)
そんな想いと共に、脳裏には保安官をいたぶるアビーチェの姿が浮かんだ。
趣味嗜好は多種多様で良いとは思うが、こればかりは受け入れられない。
俺は、快楽殺人犯にはなれない。
ブーイングが響く会場内でそんな考えを持ちながら、殺人を容易に受け入れられるようになっていなかった事を、心の隅で安堵した。
「それではお待ちかねの第二幕!!!!」
その後、何度も目を瞑りたくなる光景が繰り返される演目が二つ続いた。
第二幕は足元に炎の海を広げた状態での綱渡り。
途中、明らかにおかしい方向から突風が吹いて、ただでさえ頼りない足場を大きく揺らしていた。
誰かが自家魔術で綱渡りを阻害した事は間違いないだろう。
第三幕は手足を拘束した状態の男を、司会者が中空で上下に動かしながらの、観客参加型の炎弾、水弾当て。
魔術の発動を補助してくれる杖を持って一列目の観客達が中空で上下に動く男へ魔術を放ち、終われば二列目の観客と交代する。
それを男が瀕死の状態になるまで繰り返し、最終的には前から五列目まで順番が回って来ていた。
参加出来なかった観客達は不平を唱えていたが、大っぴらに参加型だと宣言されたこの催しが一番盛り上がった気がする。
人を傷付けて愉悦に浸る催し物などウルは好みそうじゃないのに、なんで連れて来られたんだろうか、、、、。
その答えは全ての演目が終わった後。
帰り道に強制的に連れて行かれた時計塔の屋根の上で聞かされた。
立ち入り禁止の場所らしいが、バレなければどうとでもないとはウルの言葉だ。
自力で降りて途中で魔力が切れたら生き延びられる気がしない。
素直に従ってウルが下してくれるのを待とう。
「さっきの出場者達、全員首輪を着けていた事に気が付いたか?」
日が暮れたリネリスの古い時計塔の上で、開口一番にウルがそう言った。
胸糞の悪さを抑えるのに必死でその時は気にも留めなかったが、確かに思い返してみれば全員頑強そうな首輪を着けていた印象が残っている。
「あれが証だ」
証、、、、?
聞き覚えがある。
だが、それが何だったのかが思い出せない。
俺にとって、重要なものであったはずなのに。
「捕まった腐愚民の、奴隷の証。永続的に自害する事もなく行動を制限される呪いの首輪だ。ここまで言えば、俺が伝えようとしている事は分かるだろう?」
伝えようとしている事までは正直なところ分からなかった。
それでも、あの出場者達が誰なのかは分かった。
個人名を知っているわけではない、交流があるわけではない。
ただ、腐愚民という共通点だけは理解する事が出来た。
あの三人全てが腐愚民、、、。
奴隷として意志を操られているのであれば、きっとバッファリオと戦ったのも、火炎の海の上で綱渡りをしたのも、観客達の魔術の的になったのも、全て彼らの意志ではないのだろう。
その事実を理解した途端、体中を冷たいものが駆け抜けた。
操られて無理矢理させられていると分かった状態で、観客達はあんなにも狂った様に熱狂していたのか、、、、。
腐愚民というのは、それほどまでに蔑むべき対象なのだろうか?
ただ別の世界から来ただけなのに、魔力を持たないだけなのに。
「一歩間違えれば、お前があの出場者達になっていた可能性もあるんだ。リビィに拾われなければ、何処かで腐愚民とバレていれば。あれほど酷い扱いは受けなくとも、それに近しい労働を課せられる事は確実だ。それも自分の意志関係なく、一生な。さっきの出場者達も死ぬ寸前に止められていただろう?あの後強制的に回復させられて、どれだけ嫌がろうとまた晒し者にさせられる。延々と、それの繰り返しだ」
どれだけ拒否しても、強制的に命の危機を何度も味わわされる。
その苦しみは、たったの二回死にかけただけの俺には分かりようも無かった。
いや、二回であっても死にかけるのは珍しい事なのかもしれないが、その二回とも自分から行動を起こしての結果だったから仕方のない事だったと思える。
だが、あの出場者達はそうではない。
嬲られると、野次られると分かっていてもあの場に立たなくては、戦わなくてはいけないんだ。
平和な日本出身であろうあの偉丈夫が、バッファリオの攻撃をあれだけ避けられるようになるのにどれだけの対戦を繰り返したかなど、想像もしたくない、、、。
その訓練でさえ、操られて強制的にさせられているのだろうけど。
「ケイト」
ウルが俺を見据えてこの世界での名前を呼んだ。
暗くなった状態ではっきり見えなくても分かった。
ウルが一際真剣な表情をしている事は。
「普段の行動、闘技会への出場、優勝。今回の事件。お前の行動は日に日に目立つものになってきている。中には避ける事の出来なかったものもあるだろう。それでも、その全てに於いてお前は目立ってはいけないという最重要項目を念頭に置く事が出来ていたと言えるか?」
その問いかけに、俺は首を縦に振る事が出来なかった。
闘技会で優勝を避ける事は出来た。
ミシェでなくとも、わざと手を抜いて負ける事などいくらでも出来た。
それ以前に、バリオン戦で負ける事も出来た。
でも俺は、決勝まで行って最後まで力の限り抵抗する事を選んだ。
優勝すれば目立ってしまうという事を理解していたはずなのに。
今日の件も、リビィとセナリをウルの元か王城へ預けに行くという選択肢も選べたはずだ。
何も無理に作戦に参加する必要は無かった。
それでも、俺は自分自身の力に酔い痴れて参加を表明した。
ホッジから話を聞いた時、心のどこかで俺がいれば戦力になるし解決に進むだろうという考えを持ってしまっていた。
自分の実力に自信を持っていなければ、名が知れる事への恐怖を理解していれば、おそらくリネリスを離れて安全な場所へ行くという選択をしていたと思う。
選ぶしかなかったと思っていた設問の答え達は、その殆どが自分の浮ついた意志が捉えたものだったんだ。
その事実を、腐愚民というものの扱いを自分の目で見て、漸く理解する事が出来た。
「俺はもう、どうなってもいいと思える程お前に無関心ではない。一人では力が及ばない事があれば手を貸そう。守る為であれば、身を粉にして奔走しよう。自分一人で抱えている命だという認識は、改めてくれ」
てっきり迷惑を掛けないでくれと、冷たくそう言われるのだと思っていた。
もう流石にウルが優しい人物であるという事は理解しているが、それでも俺の起こした行動達はお世話になっているウル達にも危険が及ぶ可能性のあるものだったから。
匿っているのにも関わらず勝手に目立って自分の身分や命が危険に晒されたとあれば、散々罵詈雑言を浴びせた後に家から出さないように処置しても何ら不思議な事ではない。
それでもウルは、荒々しいやり方にも見えるが腐愚民が捕まった場合の危険性を説いてくれて、その上で俺がどうでもいい存在ではなくなっていると、そう正直に思いの丈を伝えてくれた。
不器用なウルの飾り気のないそんな言葉に、俺は強く胸を締め付けられた。
魔術の才だけでない、人としての在り方もそうだ。
俺に、この人を守る事が出来る時なんて来るのだろうか。
今はまだ、何の打算もなく親身になってくれるウルに甘える事しか出来なさそうだ。
「はい、ありがとうございます、、。これからは気を付けます」
「ああ」
治癒院に来た時と同じく、短い返事。
だがそれでも、肯定の意を示す二文字だけであっても、相好を崩して零されたそれは目に見える程の温かさを含んでいた。
愛情でも、友情でもない。
もっと柔らかく、温かいもの。
そんなウルの言葉の余韻を全身に行き渡らせながら、暫く、時計塔の上で涼しい夜風を浴びた。
(これだけきちんと心情を話してくれたんだ。俺も、少しずつになるだろうけどウルへ気を許していこう)
そんな事を心の中で独り言ちて。




