三十話「覚悟と前進」
「それじゃあ、行ってくるね!魔術訓練頑張って!」
三人でリネリスへ帰ってから、俺は読み書きの練習と魔術訓練を再開した。
読み書き練習は手法を少し変えて、本を複写しながら分からないところは確認して内容を理解しながら進めるというやり方へ。
魔術訓練は変わらず形成単語の習得と、それに加えてキュイの力を借りて空を飛ぶ練習を続けているが、魔力水が高い事もあり、一瓶で回復出来る魔力を2日で使い切るくらいの練習量に抑えている。
それのおかげか、ローブに充填した魔力の残量がどれくらいなのかある程度正確に分かるようになったのは、腐愚民である俺にとっては戦闘中に残量を見誤らない利点と言えるだろう。
出来る限り魔力が多量必要になるような場面に出くわしたくはないが、いつ何があるか分からない。
備えは出来るだけ多くしておくべきだ。
午前中は読み書きの練習、昼食後、午後からは一人でギルドに行って魔術訓練。
そんな生活を続けて形成単語の殆どを覚え、キュイの力の使い方にも慣れてきたある日。
リビィとセナリが朝から用事で出掛けている日があり、俺は読み書き練習をする事なく朝食後にすぐ魔術ギルドへ向かった。
妻と子供だけで出掛けて、一人寂しくとりあえず外出する父親のような気持ちになったが何て事はない。
忙しいのか最近ギルドへ顔を出していないが、きっと午前中に行けばベルに会える。
そうすれば仲間外れにされたような寂しさは紛れるだろう。
会える、、、よな?
「おはようございますケイトさん。今日は早いですね!」
到着したギルドでは少し前にまとめて貼り出された依頼を取り合う魔術師達でごった返していて、俺はそれをギルドの隅で静かに待って落ち着いてから、修練場を借りる為にマレッタに声を掛けた。
新人だろうか?マレッタの横には、見慣れない男性が積もる仕事への対応を追われている。
顔が整っている優男風のその人物に、心が少しささくれ立った。
(一体誰目線なんだ、、、)
マレッタを守るような甲斐性など無い癖に、都合の良い独占欲を掻き立ててしまった。
なるべくいつも通りに、言葉に棘が立たないように注意する。
「おはようございます。朝の用事がなくなったもので、早めに来てみました。屋外修練場は空いてますか?」
「はい。夕方から予約が入っているので、それまででしたら大丈夫です」
もう何度も利用しているのに、予約が出来るという事を知らなかった。
屋内、屋外どちらとも全て埋まっている事はないし予約無しでも問題はないんだが、念の為覚えておこう。
そう思って予約の仕方を聞いてみると、一度ここに来て受付で直接する予約必要があるらしく、近くに住んでいる人以外は直接来る事が殆どなんだそう。
俺が来る時間は空いている事が多い事から、今まで言わずにいたらしい。
若干ではあるが、クレーマーのようになってしまった。
反省だ。
「じゃあ、昼まで使わせてもらいます」
「はい。こちら、透過板です。頑張ってくださいね!」
両手を握り締めて胸の前に持ってきた状態で前屈みにそう言うマレッタ。
同性からはあざといと言われそうな仕草だが、万年モテない俺にはそんな事は関係ない。
今日もマレッタの可愛さで目の保養が出来たから、サボらず魔術訓練が頑張れそうだ。
『キュイ!』
キュイの鳴き声を合図に、浮かび上がって結界内を自在に飛び回る。
羽が生えたようとはまさしくこの事なんだろう。
自家魔術で飛んでいたときとは比べものにならない滑らかさで飛ぶ事が出来るし、消費魔力も大幅に抑える事が出来ている。
精霊魔術は消費魔力が多いようなイメージだったんだが、俺の思い過ごしだろうか。
ただ単に、キュイが特別なのかもしれないが。
予め持ち込んでおいた拳大の石を複数、風魔術で魔法陣のすぐ上を浮遊させながら、空けていた右手で指を鳴らして小爆破で正確に砕いていく。
右手と左手でジャンケンをしているような感覚だが、一緒に訓練出来る友達がいないのだから仕方ない。
それに、正確さに自信がつくまでは人が居る中で動きながら使うのは危険だろう。
実力か八百長か、無事に石を全て破壊し尽して、高度を落として一度降りる。
ウォーミングアップはこれで終わり。
後は形成単語だが、、、。
まだ覚えていないものは、聞いた範囲で想像するにその殆どが扱い方を間違えるとかなり危険そうなんだよな、、、。
それに、魔力総量が心許ない気もする。
今日はこの辺りで引き上げるのも有りか?
「ケイトさん!お疲れ様です!」
帰ろうか継続しようかで頭を悩ませていると、結界の外からマレッタの快活な声が届いた。
もう、お昼休憩の時間だったか。
慌ただしそうなセナリに遠慮して、昼食はマレッタと約束してるからお弁当は大丈夫って言ってしまったんだよな、、。
今日に限って作り過ぎてるなんて都合の良い話はないだろうか。
そんな淡い期待を抱いて、声のする方へキュイと一緒に透過板を持って結界をすり抜けた。
「お疲れ様ですマレッタさん。お昼休憩ですか?」
「いえ!今日は珍しくお昼上がりで、今から着替えて帰るところなんです」
という事は昼食を一緒に食べられるかどうかどころか、お弁当すら持ってきていないだろう。
久し振りにマレッタの手料理が食べたかった。
好きな人でなくとも、可愛い女の子の手料理というだけで気持ちは跳ねるものだ。
「それで、ですね、、、」
なんだろう。
マレッタがもじもじしている。
部屋の前で扉の隙間から様子を窺っている時のセナリみたいだ。
「ケイトさんさえ良ければなんですが、この後二人で出掛けませんか?ほ、ほら!お弁当も持ってきていないようですし!」
これは、俗に言うデートの誘いというものと思ってもいいんだろうか。
今まで自分から誘う事はあれど、誘われた事はなかった。
モテない独り身男の自惚れかもしれないが、頬を少し染めて上目遣いで誘ってくるマレッタには少し期待してしまう。
努めて冷静に、女性慣れしていないのを悟られないようにいつもの表情を意識して。
「じぇっ、是非」
噛んだ、、、。
自惚れでなければ、初めてのデートの誘いだ。
それがこんな可愛い子ならそれは緊張してしまっても仕方ない。
自分の失態を恥じて額に噴き出る汗を、そんな言葉で慰めた。
「ふふふっ。ありがとうございます。着替えてくるのでここで待っててください」
「いえ、一段落したのでギルドの入口で待ってますよ」
「ありがとうございます。すみませんお気を遣わせてしまったみたいで」
「とんでもないです。丁度お腹空いてたので助かりました」
そう言うと、マレッタは満面の笑みを噛み締めるように口を結んでギルド内へと戻って行った。
俺が肉食系のモテ男なら、あの表情を見れば今日はいけるとでも思ったんだろうが、生憎心を落ち着ける為に財布の中身を何度も確かめるだけで必死だ。
肩の上で羽で頬を押さえて腰をくねらせているキュイには反応したら負けだと思う。
随分人間臭い精霊だ。
「お待たせしました!」
「とんでもないです。早かったですね」
「はい!時間が勿体無いので急いで来ました!」
微笑みながらそのセリフは反則だと思う。
でもそうか、急いだのか。
だから髪の毛が数本触手のように跳ねているんだな。
「少し失礼しますね」
「え、あ、えっと」
おどおどするマレッタは出来るだけ見ないようにして、跳ねた髪に手を近付ける。
近付けてすぐ、近くに感じる女性特有の甘い香りに心臓が飛び出さないように、手から温風を出してドライヤーの要領で跳ねた髪を押さえた。
好意を持たれているかもしれないと期待を持っているからといって、いきなり頭を撫でられるほど異性に接し慣れていないんだ。
だからマレッタ。
そんな弄ばれたような目を向けるのはやめてくれ。
キュイ!
呆れたように鳴かない!
ヤレヤレみたいな動きもしない!
「えーと、すみません。髪の毛が少しだけ跳ねていたので」
「そ、そうなんですね!突然だったので驚いてしまいました!ありがとうございます!」
マレッタは分かり易く目を回している。
何だか居た堪れない気持ちになってきた。
早く話題を転換しよう。
「ここで話すのもなんですし、早速お昼食べに行きましょうか。マレッタさん、どこかお薦めのお店はありますか?」
こんな時、スマートにお洒落なお店に連れて行くなんて事は俺には出来ない。
まだこの世界に来てから日が浅いという言い訳はすぐに思い浮かんだが、所詮言い訳だ。
元の世界でも女性と二人で行くような小洒落たお店は知らなかった。
分かり易い話題転換に乗ってくれたマレッタの後ろを、情けない自分を叱責しながら付いて行った。
(女子だ、、、、)
マレッタに連れてきてもらったお店に抱いた感想がそれだった。
パンクイックというパンケーキを発音よく言ったような料理を主として出すお店で、出て来た料理は名前の通りパンケーキの見た目をしていた。
だが、生地は甘くなく、中にはサラダや肉、魚などと一緒に、それに合うソースが挟まれている。
言うなれば、見た目と触感がパンケーキのハンバーガーといったところだろうか。
見た目こそファンシーな料理屋だが、他のテーブルを見る限りサイズはかなり大ぶりで、この世界の女性の胃袋事情が気になった。
そう言えば、マレッタはよく食べていた気がする。
着痩せするタイプなんだろうかという失礼な考えが頭を過ったが、うっかり口に出してしまいそうだったのですぐに振り払った。
友情か恋情かは分からないが、せっかく好かれているのにわざわざ地雷を探るような真似をするわけにはいかない。
「ケイトさん、良ければ半分こしませんか?」
「半分こ、、、ですか?」
「はい。頑張ったら一人で食べられない気がしなくもないんですけど、食べ終えたら暫く動けなくなりそうなので、、」
良かった、胃袋は女子だったと安心し掛けたが、隣のテーブルに置かれているパンクイックを見て認識を改めた。
半分でも成人の一食分くらいありそうだ。
(ご馳走様でした)
食べ終えて空になった料理の皿を見て、心の中でそう言う。
この世界にはいただきますに似たような言葉はあっても、ご馳走様に似た言葉はないし、食後に手を合わせるという習慣もない。
それら二つを合わせて、食前に食材への感謝を捧げるのだろう。
うっかり手を合わせてしまうという事はないが、食事に関しては厳しい家庭で育てられた俺は、心の中でご馳走様と言う習慣を捨てられずにいた。
「ケイトさん。次、何か行きたいところありますか?」
こういう時、なんと言えばいいんだろうか。
今すぐ携帯で〖デート 昼食後〗で調べたい。
(今度、モテる為の本でも探してみるか、、、)
そう考えながらマレッタに無難な答えを返した。
「買い物か、食後ですし甘い物でも食べに行きますか?」
甘い物と言った瞬間にマレッタの目が輝いた。
そういえば、いつも昼食が入ったお弁当とは別に小さいデザート用の箱を持ってきていたな、、。
懐事情を考えれば、買い物よりも喫茶店なんかで腰を落ち着けるほうが有り難い。
聞かずとも分かる程甘い物へと想いを馳せるマレッタを眺めながら、二人分の会計を済ませて外へ出た。
「すみません、ご馳走していただいて、、」
「何度も美味しいお弁当を分けてもらったお礼です。気にしないでください」
「それじゃあ、こうしてデートしてもらう為にまたお弁当沢山作ってこないと駄目ですね」
「マレッタさんとデート出来るなら、何の借りがなくても時間の許す限り付き合いますよ」
マレッタの可愛い言動と仕草に、つい調子に乗ってそんなキザな事を言ってしまった。
これくらいなら、勘違いして気持ち悪いと思われないはずだ。
思われない、、、、よな?
(良かった。大丈夫そうだ)
マレッタの反応を確認して、好感度の程は把握出来なかったが、嫌悪感は抱いてなさそうだという事は理解する事が出来た。
調子に乗ってこれ以上余計な発言をしない内に、早く移動しよう。
そうしてマレッタお薦めの甘味巡りをして、休憩しようと飲み物片手にやってきた噴水広場で、俺とマレッタはベンチに座ってお面を被ったピエロのような見た目をした人の大道芸を見ていた。
魔術を使った大道芸は見事の一言に尽きるが、見慣れているのか、その凄さの割に観客は少ないように感じる。
俺はまだ自分が魔術を使うのも人が魔術を使っているのも新鮮に感じるが、この世界の魔人域に住む人達にとってはありふれた光景だもんな。
そう考えると、大道芸で客の目を引くのは魔術のない元の世界より難しいのかもしれない。
大玉の上で転んだフリをしてそのまま空中で留まるなんて、どこまでも道化が似合うピエロだ。
「あの人凄いですね。そこまで難しい魔術を使っていないはずなのに、何だか引き寄せられます」
それはきっと、発想とそれをそつなく熟す技術や努力故なんだろう。
どれだけ手先が器用なマジシャンでも、見せ方を知らなければ観客を魅了する事は出来ない。
「リネリスはああいった人達が沢山いるんですか?」
「よくいるという程でもありませんが、珍しくはないと思います。魔術師でなくても出来ますしね」
稼ぎはよくなさそうだが、これなら素性もバレず消費魔力も少なく、戦闘をする必要もない。
この仕事、中々良いんじゃないだろうか?
「ケイトさんは大道芸人に興味があるんですか?」
「そうですね。ああして沢山の方を笑顔に出来る仕事はやりがいがありそうだなって思います」
中々良い回答だと思ったが、マレッタの顔は無理に笑顔を作りながら少し曇った。
大道芸人に嫌な思い出でもあるのだろうか。
「ケイトさんは、あれだけ魔術を使えて、精霊と契約もして、殆どの魔物に負けないような実力を持つ魔術師なのに、どうして魔物を始めとした脅威に立ち向かおうとはしないんですか?」
捉え方によっては挑発や煽り文句にも取れるマレッタの言葉だったが、俺はどうにもそう決めつける事が出来なかった。
微笑みすら失われたマレッタの顔は下に向けられて、膝の上に置かれた手は緩くロングスカートを掴んでいる。
心を読めるわけではないから確信を持てるわけじゃないが、自分の中の何かに正解を欲しているような、そんな気がした。
「大切な人、仲の良い人を失う事が怖いんです」
盛り上がりを増す大道芸をぼんやりと眺めながら、マレッタのほうは見ずにそう零した。
時折上がる歓声は、まるでテレビの中で起こっている事のように遠くに感じる。
「それなら、尚更その脅威となるものを排除したほうがいいんじゃないですか、、、?」
おずおずと尋ねてくるマレッタの目を見据えて、ゆっくりと首を横に振る。
考え方自体を否定するわけではない。
あくまで俺の考え方と違う事を理解してもらう為に。
「交友関係こそ少ないですが、失いたくない大切な人、仲の良い人がいるんです。マレッタさんもそうですし、ウルさんの奥さんであるリビィさん、一緒に住んで世話をしてくれているセナリ、仲良くしてくれているベル。それ以外にも守りたい、失いたくないと思う人達がいるんです。僕の魔術は魔物や悪者であっても積極的に命を刈り取るものではなく、大切な人が困っている時に助けるもので有りたいんです。尊敬する師匠のように」
真面目に語った事が少し恥ずかしくなって、最後は微笑み混じりにお道化てみせた。
マレッタの反応はいまいちだ。
お気に召さなかっただろうか?
「ケイトさんは、凄いですね。ほんとに」
本来なら、俺が腐愚民で、気軽に魔力を回復出来ず戦闘に慣れていないという理由もあるのだが、それは言わずもがなマレッタに伝えるわけにはいかない。
真っすぐな性格のマレッタに隠し事をするのはベル同様心が痛むが、こればかりは仕方のない事だ。
「臆病で保守的なだけですよ」
「そんな事ないです!」
思っていたより大きな声が出たのか、勢いよくそう言ったマレッタは、周囲の反応を見回して恥ずかしげに俯いた。
大声に驚いて向けられた周囲の視線が元に戻って少し。
マレッタは一つずつ並べるように丁寧に言葉を零した。
「私の父は、魔術師だったんです。並外れた才能や知識があるわけでもない、平凡な父だったんですが、それでも魔力が回復しては魔物の討伐や盗賊退治などの依頼を熟して、魔力が無い時はそれでも出来る、魔術師でなくても受けられる依頼に精力的に手を出していました。休みが殆ど無くとも、困っている人がいるなら自分の全力を持って助けるという立派な考えの父で、当時住んでいた町中で人気の自慢の父でした」
ぽつりぽつりと語られるマレッタの話へ耳を傾ける。
広場の喧騒は、不思議と耳に入ってこなかった。
「そんな父の仕事を手伝おうと、私も幼い頃から魔術の訓練や体作りに励みました。ですが、そんなある日。忘れもしません、雪が降っていた日です。父は魔物に畑が荒らされて困っているという村から依頼を受け、一泊二日の出張に行きました」
マレッタの言葉が詰まる。
きっと、この先に言いにくい事、思い出したくない事があるんだと思う。
それでも、マレッタが自分から止めない限りは、俺から声を掛ける事はしないでおこうと決意をした。
いや、マレッタの弱々しくも強い目にそうさせられたのかもしれない。
「予定より遅い三日後に帰って来たのは、依頼完了の書類と達成料。それと、棺に入れられた父でした」
依頼が完了しているという事は魔物は討伐出来ているはず。
それなのに遺体で帰って来たという事は、相打ちになったんだろうか。
そう思いもしたが、おそらくその時の情景を思い出しているであろうマレッタが小刻みに震えているのを見て、何か別の要因があるのではと続く言葉を待った。
「父の棺と一緒にやってきたのは依頼をした町の町長で、町長曰く、父は魔力が枯渇しそうになりながらも魔物の討伐に成功したそうなんです。ですが、魔物の遺体を火が燃え移らないところで燃やそうとロープで引き摺って町の外へ出ようとしている時に、町民である男に後ろから斧で背中を切りつけられて、そのまま息絶えたそうです」
「町民が、、、?」
依頼をしたのが町長であるとしても、町民にとっても畑を荒らす魔物を倒してくれたマレッタの父親は英雄だったはずだ。
魔物を引き摺っていたのであれば、遅い時間で視界が悪かったとしても討伐してくれた魔術師だと判断する事が出来るだろう。
間違えても盗賊と勘違いして後ろから攻撃を仕掛けるような事はないと思う。
なら何故、、、、
「はい。町長から聞かされたその男の動機は、自分が好きだった町娘が、魔物を討伐した父に惚れて町を出ると言い出したから、だそうです。ずっと好きだった子が横取りされて腹が立ったと。それだけの理由で、自分達を守ってくれた父を手に掛けたんです。魔力枯渇寸前で両手が塞がっているところを後ろから襲うという卑怯な方法で、、、、、」
マレッタの頬を伝った一筋の雫を、慌ててローブの裾で拭う。
慣れない異性との接触でも、不思議と恥ずかしいという気持ちは湧いてこなかった。
「父の背中に憧れて、困っている人達を助ける魔術師になりたいって気持ちは今でもまだ少しあるんですけど、守った人の手に掛けられた父の最後を思い出して、誰かの為に魔術を使うのが絶対に正しいと言い切れない自分がいるんです。おかしいですよね。困っている人を自分の力で助ける事が悪い事なはずないのに」
相談とは、実際のところ自分の中に答えがある状態で、誰かに後押しをしてほしくてするものだと聞いた事がある。
もしそれが本当なら、マレッタのこれは相談ではない。
誰かの力になりたいと思っても、その相手がトラウマのせいでみんな敵に見えてしまうんだろう。
父の命を自分勝手な理由で奪った、町民の姿と重なって。
俺だって、守った人に背後から襲われてもし命が助かっても、きっと自分を守る為だけに力を振るうようになる。
いや、それ以上に何も信じられなくなって、魔術を使う事すら怖くなってしまうのかもしれない。
マレッタは、その一件があってから魔術を上手く練る事が出来なくなってしまったそうだ。
考えても詮無い事ではあるが、当時のマレッタの力になってあげられなかった事を、バレないように顔を逸らして歯噛みした。
「そんな事があったので、自分で守る人達を決めて、その人達の為に力をつけ続けるケイトさんは凄いなって思うんです。私はあの時に止まって、一つも前に進めないままなので」
努めて明るく、マレッタがそう言った。
無理に作られた笑顔には、涙のような分かり易い材料こそなくとも、悲哀が漂っているのが感じられた。
心優しいマレッタが、誰かの力になる事自体を敬遠するわけがない。
本人もそれが分かっているからこそ、きっぱり忘れようとも忘れられず、こうして独りで苦しみ続けているんだろう。
(俺に出来る事は、、)
マレッタのトラウマの原因である事件の時は救えなかったが、向き合っている今なら救う事が出来る。
俺は、なけなしの気遣いの言葉達の中から必死に選んで、憂うマレッタを救う為に口を開いた。
「マレッタさん。僕の事は信用してくれていますか?」
「ケイトさんの事ですか、、、?」
「はい」
「勿論、信用してます!こうしてお誘いするのもかなり時間が掛かってしまいましたが、、」
口の中で甘酸っぱいものをもごもごするマレッタを気にせず、続けて話す。
「なら、僕の事を守る為に魔術を覚えてみませんか?」
プロポーズをしているような気分になったが、何とか噛まずに言う事が出来た。
意味が分からなかったのだろう、マレッタは口を開けて呆けている。
説明するのは何となく気恥ずかしいんだが、、、
「きっと、自分が守るだけだといつ裏切られるかと怖いと思うんです。それが知り合いであってもそうでなくても。でも、信用した相手と守り合うのであれば、少しは恐怖心が薄れませんか?僕はマレッタさんを守ります。その代わり、マレッタさんは僕を守ってください」
最後まで言い終えて、漸く意味を理解したマレッタは微笑んで頬に涙を浮かべた。
言いたい事は伝わっただろうか。
男が女性に守ってほしいと言うのは情けないとも思ったが、少なくとも、悪い感情は抱かれてないと思う。
「ふふふ。ケイトさんは本当にお人好しですね」
「そうですかね?」
「ええ。ケイトさんみたいな凄い魔術師の事、魔術を碌に使えない私が守れるわけないのに」
「これから覚えていきましょう。僕で教えられる範囲なら教えますから」
「じゃあ、これからお願いしますね先生」
立ち上がって涙を拭った後、満面の笑みでそう言うマレッタの姿に、どきりとさせられた。
にやけそうになる頬に目一杯力を入れて表情を引き締め、すっかり悲哀が消えたマレッタと他愛ない会話をしながら、家の近くまで送った。
「今日はお付き合いいただいてありがとうございました!」
「こちらこそありがとうございました。それじゃあ、帰りますね」
「あ、あの!」
家に帰ろうと踵を返したところで、マレッタに後ろから声を掛けられた。
立ち止まって振り返ると、そこにはネックレスの先に付けられたロケットを握り締めるマレッタの姿が。
空いた左手は、ロングスカートを掴んだり離したりを繰り返している。
「今、一つの気持ちが溢れそうになっているんです。でも怖くてどうしても言葉に出来そうになくて、、、。いつになるかは分からないですけど、いつか勇気が出たら、その時は聞いてもらえますか、、、?」
自惚れでなければ、これは告白なんじゃないだろうか。
でも流石に、それを直接聞ける程男としての魅力に自信はない。
情けない自分へ心の中で溜め息を吐いて、上目遣いで見つめてくるマレッタの目を見据えた。
「分かりました。その時を楽しみにしてますね」
「、、、はい!」
可愛くて明るく、性格が良いと断定出来るマレッタが彼女になってくれるというのであれば、断る理由などない。
むしろ大歓迎だ。
俺は、確定していない未来へ夢を馳せながら帰路に着いた。
魔術も読み書きも順調に覚えて、確定ではないが自分の事を好いてくれる人も現れて。
中々に順風満帆な異世界生活になってきたんじゃないだろうか。
そんな事を考えて、自然、足取りは軽やかにさせられた。
「いやっ、やめて、、、」
(リビィ、、、?)
聞こえてきた声に、軽やかな足取りは一瞬で重くなった。
夕暮れで暗くなってきた人気のない路地裏から聞こえてきたのは、聞き間違いでなければリビィのものだと思われる。
嫌な予感しかしない声だったが、、、。
俺の異世界生活は、どうやら平穏に愛されていないらしい。




