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臨界線のインフィアリアル  作者: 中田滝
一章
15/104

間話「とある雪の日のこと」




凍える寒さのある日。

しんしんと降る雪が窓に映る中、一人の赤子が産声を上げた。

名を〝ヘンリー・アクレイト〟。

中級貴族であるアクレイト家にて生を享けたその少女は、綺麗な栗色の髪と、円らな白の瞳をその身に携えていた。




「はあ、、、、フレーメル。私が産めと言ったのは世継ぎよ?女を産んでもどうしようもないじゃない、、。」




アクレイト家当主の妻であるアルメルは、産まれた子供を見て溜め息交じりに侍女に苦言を呈した。

出産の苦労に対する労いの言葉を掛ける様子は微塵もない。



「も、申し訳ございません、、、」

「幸い同時期に産まれた子が男だったからそっちを世継ぎに出来るけれど、それでも貴女が無能だという事に変わりはないのよ?分かっているの?」

「はい。奥様の仰る通りでございます」

「そう。分かっているのならいいわ。そいつは精々嫁いで役に立てるように、最低限の教育はしておきなさい。無能な貴女にでも、それくらいの事は出来るでしょう」

「ご温情、感謝致します」



興味を失い、部屋を出るアルメルに深く頭を下げるフレーメル。

心に浮かぶのは、自分のせいで産まれた時点で必要のないものと切り捨てられてしまった事に対する、我が子への謝罪。

自身の置かれている立場を心の深くで理解していたフレーメルには、酷い事を言い捨てたアルメルに対する怒りのような感情が湧き上がってくる事はなかった。








それから、

アクレイト家の錆びれた離れでフレーメルとヘンリーの二人での生活が始まった。

一定の教養と礼儀作法を身に着け、母屋に入る事を許してもらうまでの二人きりの生活が。

乳離れが済む前から難しい本を読み聞かせ、離乳食を食べ始めた頃には立つ練習を始め、少しでも言葉が発せるようになればひたすらに言葉を教える。

ヘンリーは朝から晩までフレーメルに教えられ、一淑女として振る舞えるように様々なものを学んだ。

一般教養から礼儀作法、果ては花嫁修業まで。

中には、とても幼子が覚えられそうもないものもあった。






そんな生活を続けて五年。

フレーメルの懸命な指導の甲斐あって、ヘンリーは同年代の一般的なもの以上の教養を身に着け、淑女とはまだ呼べないもののそれなりの立ち居振る舞いが出来るようになっていた。



「お嬢様。そんな所で何をされているのですか?」

「フレーメルさんを少しでもお手伝いしようと思って、、」

「お気持ちは有難く頂戴しておきます。ですが、お嬢様の手を煩わせるような事ではございません。どうぞ読み書きの勉強にお戻りください」

「、、はい」



厳しく当たっているにも関わらず、ぐれる事もなく優しく育っているヘンリー。

その姿に、仕方ないとは思いつつも、フレーメルは自分をただの使用人と偽ってヘンリーに仕えている事への罪悪感を覚えた。

かといって、二人の関係に何か変化があるわけではないのだが。
























「もう生まれてから随分猶予を与えているけれど、そろそろ人目についても恥ずかしくないように教育は済んでいるんでしょうね?」


屋敷の母屋。

アルメルの私室で、フレーメルは土下座の形で頭を下げていた。

ヘンリーは離れで独り、言いつけられた読み書きの練習をしている。



「申し訳ございません。もう少しお待ちいただけないでしょうか、、。まだ5歳ですので、、」

「五年も掛かって貴女は何をしてきたの?教育にかまけて屋敷の雑用も碌に熟せていないと聞いたけれど。貴女を追い出して違う教育係をつける事も出来るのよ?」

「お願いします、それだけはご勘弁を、、」

「後二年ね。それを過ぎて碌な教育も出来ていないようなら、もう猶予を与える事はないと思っておきなさい。誰にも知られていない事であるとはいっても、親子が離れないで済む事を祈っているわ」

「ありがとう、、ございます、、」



地面に擦り付けるかのように頭を深々と下げ、興味を失った様子のアルメルへ深々と頭を下げるフレーメル。

胸中には、決心と、溢れんばかりの謝罪が浮かんでいた。
















「お嬢様」

「はい!なんでしょうか、フレーメルさん!」


言いつけを守り、フレーメルが戻ってくるまでずっと読み書きの練習を続けていたヘンリー。

書き込んでいたノートから顔を上げてキラキラと輝かせる目には、一点の曇りもない。



「本日より、勉強と礼儀作法を学ぶ時間を倍にします。それに加え、空いた時間を魔術訓練に費やしましょう。睡眠時間を半分にすれば何とか間に合うでしょう」

「じゃ、じゃあ!お散歩やご本を読む時間は!」

「ありません」



ヘンリーの言葉を、フレーメルは短く切り捨てる。

飾り気のない、否定以外の何も含まない言葉。

そこに様々な感情、思いやりが含まれているなど、当人以外に誰が察せられるだろうか。



「フレーメルさんとお話する時間は、、?」

「ありません」

「じゃあ、じゃあ、、」

「お嬢様。これからは自由な時間は一切ありません。ご理解下さい」

「でも、、」

「ご理解下さい」

「、、、はい」



情け容赦などない。

強制的な決定事項。

そこに、罪悪感や思いやりなど邪魔だと言わんばかりの冷酷な通達。

様々な人物の様々な思惑に、ヘンリーとフレーメル、両名が踊らされていた。





それから、

来る日も来る日もフレーメルによる厳しさの増した教育が朝から晩まで続いた。

時に涙を流すヘンリーを見て、フレーメルは胸を締め付けられながらも決して甘やかす事はなかった。

それ以外の時間でも、優しく接する事はしなかった。

きっとこれがヘンリーの為になるからと。

これが正しいやり方なんだと。

もうやめていいんだよ、頑張らなくていいんだよ、と言って優しく抱きしめたくなる気持ちをぐっと堪え、フレーメルはヘンリーに厳しく当たり続けた。

来る日も来る日も。

ヘンリーの幸せな将来を願って。















「お嬢様。何度言えば分るんです?このままではいつまで経っても立派な淑女になれませんよ?」

「はあ、、、はあ、、、」

「お嬢様?聞いているのですかお嬢様?」


厳しい指導を続けていたある日。

いつもより覚えが遅く、不自然に息を切らすヘンリーに不安を覚えつつ、今日の分を教え切らなくてはならないと急かすフレーメル。

約束の二年までは後ひと月と少し。

少しの時間も無駄には出来ない。





────ドサッ。



「お嬢様!?」





日頃の過労が祟ってか、ヘンリーは礼儀作法を教わっている最中に倒れてしまった。

体は熱くなり、苦しそうに息が切れている。


スケジュールの管理が悪かったんだろうか。

そもそもこの年齢の子供に無理をさせ過ぎたのだろうか。

ヘンリーの容態を確認しながら、フレーメルは様々な角度から自分を責めた。

責めて責めて責め続けて、罪悪感が全身を覆ってフレーメルの体は重くなっていった。





「運ば、、、ないと、、」





重くなった体を引き摺って、まだ容易に持ち上げられるほど軽い体のヘンリーを背負って寝室へと運ぶ。

道中も、フレーメルの頭の中にはヘンリーに対する懺悔が溢れていた。

もっと効率的な教え方をしていれば、体調が悪いのを察して少し休ませていれば。

そもそも、男に産んであげていれば。

自分ではどうしようもない仕方のない事まで懺悔して、フレーメルは普段の厳しさなど微塵もない様子で、優しくヘンリーをベッドへ降ろした。

フレーメルの背中には、ヘンリーの尋常ではない熱の残滓が残っていた。





「お嬢様、、私のせいで、、、。ごめんなさい、、ごめんなさい、、。」





ベッドに寝転んで息を荒くするヘンリーの手を握って、フレーメルはただひたすらに謝り続けた。

何に対して、何を選択して。

そんな事を考える余裕など、フレーメルにはない。

ひたすらに全てを悔いて、懺悔の気持ちを消化するかのように言葉に変えて、綴り続けた。




「どうしたらいいの、、。こんなに体温が上がって、、、。お嬢様お願いです、、生きてください。お嬢様、、」




ヘンリーの体温はどんどん上がっていき、ついには生きているのが不思議な程の高さへとなっていった。

息はしている、脈もある。

それでも意識がなく、声も聞けず、フレーメルの不安は上がる体温に比例するように増していった。



「はあ、、はあ、、、、カハッ──!」

「お嬢様!?ご無事ですかお嬢様!?」



体温は下がっていない。

それでも意識は辛うじて戻った。

これを逃してはいけないと考え、フレーメルは必死にヘンリーへ呼びかける。

常に冷静に冷酷に接しなくてはならないという決意は、とうに消え去っていた。



「おかあ、、、さん?」

「ヘン、、、。お嬢様、私です。フレーメルです」

「フレーメル、、、さん?ごめんなさい、、。稽古、、しないと、、」

「いいえ。お嬢様、これは夢です。お嬢様は今眠っているのですよ。ですから、稽古はしなくて大丈夫です。ゆっくりお休みください」

「夢、、か、、。夢でも、久しぶりに優しいフレーメルさんに会えて嬉しいなあ、、。ふふ。フレーメルさんいつもありがとうございま、、、す、、」

「お嬢様、、」



少し言葉を発してすぐ、気を失うヘンリー。

何とかしなくては、、、。

フレーメルは必死に頭を捻った。


どうすればいい?

どうすればヘンリーを救える?

どうすれば、、、


二人が生活する離れには最低限の設備と食料しか置いておらず、薬は全て母屋に置いてある。

生きているのが不思議なくらいの高熱。

自然治癒は期待しないほうがいいだろう。

ということは、ヘンリーを救う為にはどうしても母屋に入る必要がある。

アルメルとフレーメルが約束した期日までは後ひと月と少し。

今の状況を説明すればまず間違いなくヘンリーは見放され、きっと自分も一緒に居られなくとフレーメルは考えた。

どうするべきか。

思い切ってヘンリーの自己治癒能力に頼ってみるべきか。

ぐるぐると、頭を回すフレーメル。





「うっ、、、はあ、、はあ、、」


「お嬢様、、」





大量の汗を流し、息を上げるヘンリー。

その姿を見ていられず、フレーメルは多種あった考えを放棄し、あることを決心した。





「勝手な判断をお許しください」





一言だけ告げ、最後にヘンリーの額に口付けを落としてフレーメルが向かうのは母屋。

そこにある、アルメルの私室だった。













「お願いがございます」

「突然何?こんなところで油を売っている暇があるのなら、少しでも教育に時間を割くべきなんじゃないかしら?」

「その事で奥様にご相談とご報告が、、、」


無理矢理時間を作ってもらい、不機嫌になったアルメルの前でフレーメルが言葉を詰まらせる。

故意にではなく無意識に。

この先の言葉を発してしまえば、おそらくもうヘンリーの顔を見る事すら叶わなくなってしまうから。

でも、今更後戻りなど出来ない事はとうの本人が一番分かっていた。



「なに?早く話してちょうだい。貴女に時間を割ける程私も暇じゃないのだけれど?大体こんな時間に突然押しかけてきて一体どういう────」

「お嬢様が突如倒れてしまい、現在意識がない状態です。どなたか治癒魔術の使える魔術師を離れに呼んでいただけないでしょうか」



主君の奥方の言葉を遮る。

それは罪に問われてもおかしくない程に、とってはいけない行動だった。

だが、今のフレーメルにヘンリー以外の事を考える余裕はなく、フレーメルが弁解の言葉を続ける事はない。

ただひたすらに、どうすれば苦しむヘンリーを救ってあげられるかという事だけを考え続けていた。



「今、何と言ったの?」

「どうか、お願いします。お嬢様を救う為に治癒魔術を、、」

「貴女、腐ってもアクレイト家の令嬢であるあの子を意識不明の状態にしたというの?その上立場も弁えず私に願い事を?」

「申し訳、、、ございません」

「謝罪など求めていないわ。自分が腹を痛めたからといって、我が子だとでも思っているの?貴女はただ全身を使ってアクレイト家に奉仕しただけ。ヘンリーはこの私、アルメル・アクレイトの子よ?考えを改めなさい」



公式には、まだアルメルには娘がいない事になっている。

だがそれでも、数少ないヘンリーの事を知っている者達の中では、ヘンリーはアルメルの娘だという認識だった。

実の母親であるフレーメルでさえ、ヘンリーはアルメルの娘だと考えている。

自身の気持ちは別として。



「申し訳ございません」

「はあ、、、、。今すぐ屋敷を出てちょうだい。呆れて罪を償わせる気にもなれないわ、、。それでも突然貴女がいなくなった事に気付く人間が一人はいるでしょうから、その時は魔物に襲われて死んだ事にでもしておいてあげるわ」

「・・・・」

「何か言いたげね?」

「いえ、寛大な措置、痛み入ります」

「ええ。話はこれで終わりよ」

「立場を弁えず、数々の無礼を働き申し訳ございませんでした。失礼致します」

「、、ふんっ」



遠くで治癒師の手配をするアルメルの声を聞き、安堵を覚えつつも、それ以上の寂しさに包まれながらこそこそと屋敷の裏口へと回るフレーメル。


もう後戻りは出来ない。

もうヘンリーの成長を見届ける事も、何かしてあげる事も出来ない。


遠くに見える離れへ何度も振り返りながら、フレーメルはそんな後悔に似た何かに思考を支配されていた。



「情報だけでも何処かから得る事が出来れば、有事の際だけでも助けに来られるのに、、、」



大きな木で隠れて離れが見えなくなってしまう寸前、立ち止まって離れを見て、ぽつりとフレーメルが零す。

普段から何か出来なくとも、困った時だけでも自分が力になれれば、、、。

そんな想いを込めて。









「おや?こんな時間にお出かけですか?」



下を向いて考え事をしながら外へ出ようとしていたフレーメルに話し掛けたのは、裏口の門番をしていた守衛長。

店屋も閉まり始めている遅い時間に、大した荷物も持たずに外へ出ようとしている明らかに怪しいフレーメルに守衛長が向ける視線は訝しむものではなく、同情を孕んだものだった。

まるで、何かあったのかを見透かしているかのような、そんな視線。



「ええ、少し。もう戻ってくる事はありませんが、、、」

「何か、あったんですね、、、。あまり大きな声では言えませんが、きっとまた奥様の我儘なのでしょう?」

「我儘だなんてそんな、、、」

「ははは。なにもバラしたりはしませんよ。ご安心ください」



同情をするフリをして告げ口をする罠だろうか。

そんな事を考えてここにいないアルメルを気遣うフレーメルだったが、抑えた声で快活に笑った守衛長に、気勢を殺がれた。



「それで。何処か行く宛てはあるんですか?」

「、、、、ありません」

「宛てもなく何も持たず、ただ歩き回るのですか?」

「その予定です」

「はあ、、。現実的でない事は貴女が一番よく分かっているのでは?」

「分かっています。ですが、どうしようもない事も時にはあるんです。、、、それでは」

「一つ、提案があります」



長話をして見つかってしまってはいけないと、早々に話を切り上げて立ち去ろうとするフレーメルを、守衛長が人差し指を一本、自身の胸の前に突き立てて立ち止まらせる。

空気を読む気などない、無邪気な子供のような笑顔を携えて。



「提案、、、?」

「はい、ここから然程遠くないところに私の親族がやっている宿屋があります。紹介状をお渡ししますので、落ち着くまで暫くそこに滞在しませんか?」

「有り難うございます。ですが、今の私には宿屋の一泊分の宿賃どころか、一食の食費すらありません」

「勿論分かっています。それを知った上での提案ですから」

「そう、、でしたか。では、私は何をすれば?」

「何をすれば、とは?」

「泊めていただける代わりに私は貴方に何をすればよいのでしょう?」

「見返り、、、という事ですか?」

「そうです」

「ふむ、、、、考えていませんでしたね。どうしましょうか?」



自分の事などどうでもいい。

どこぞで野垂れ死のうと構わない。

フレーメルはそう考えていたが、生きなければヘンリーの無事を想う事すら出来ない事に気が付いた。

それならば、守衛長の提案に乗るべきだろう。

生きてさえいれば、いつかまた、ヘンリーの姿を見れる時が来るかもしれない。

成長を見る為なら、どんな犠牲を払っても構わない。

そんな気持ちで見返りは何だと聞いたにも関わらず、守衛長は素っ頓狂な表情を浮かべ、フレーメルに質問で返した。



「ははは。そんなに驚いた顔をしないでください。でも本当に考えていなかったんですよね、、。こういう時の見返りの相場というのは、どういうものなんでしょう?」

「第一がお金。それが無理なら労働。後は、女性なら体で支払う、、、といったところでしょうか。私のような貧相な体でご満足いただけるとは思いませんが」

「貧相なんてとんでもない。充分過ぎる程に魅力的な見返りだと思いますよ?」

「そうですか。でしたら、貴方に体で尽くす事をお約束致しましょう」

「あ、いえ。魅力的なお話ではありますが、それを受けるわけではありませんよ」

「では、何をすれば?」

「そうですね、、。では、労働とまではいきませんが、宿屋の仕事を少し手伝ってあげてもらえませんか?」



宿賃を払わずに住ませてもらう。

その時点でフレーメルは、言われずとも宿の仕事を手伝う気だった。

それが当然の事だと思ったから。

温情の対価はそれを踏まえた上での別のものだったが、守衛長は初めから、仕事を手伝わせるつもりなどなかったようだ。



「勿論構いませんが、その程度の事だけで大丈夫なのでしょうか?」

「どうなんでしょう?こういう時の相場が分かりませんからね、、。また何か思いついたらお願いするということで」

「承りました。恩に切ります」

「とんでもない。宿屋はこの先のトーチの町にあります。町に一軒しかありませんから、迷う事はないでしょう。くれぐれもお気を付けて」



優しく微笑む守衛長に溢れんばかりの感謝を込めて深々と頭を下げ、屋敷を出ようとするフレーメル。

だが、どうしても気掛かりな事があり、それが胸につっかえて門を潜ろうとするフレーメルの足を止めた。

振り返り、向けられる守衛長に視線が向けられる。

申し訳なさや決意、色々なものを含んだ視線が。



「どうかされました?」

「大変図々しい事だとは思いますが、一つお願いをしてもよろしいでしょうか?」

「?私に聞けることであれば勿論」

「ヘンリーお嬢様に何かあった時、私に教えていただけないでしょうか?屋敷を出た身で何が出来るわけでもないですが、安否は把握しておきたいのです、、」

「それくらいなら勿論構いませんよ。良い事でも悪い事でも、何かあればお伝えすると約束しましょう」

「ありがとう、、ございます。この御恩は必ず」

「お気になさらず。それでは、また」

「はい」



重ねて深く頭を下げ、最後に離れの方向を一瞥して門を潜るフレーメル。

行先を得て、宿を確保し、情報の提供も約束してもらった。

全て捨てる覚悟をしていたフレーメルからすれば、守衛長の与えてくれたそれらは充分過ぎる程のものだった。

一生掛かっても返せないような恩を覚えてしまうほどに。




「お嬢様。どうかご無事で、、」




転々と街灯に照らされる街で、屋敷を振り返り祈るように胸の前で手を握り、そう零すフレーメル。

その手には、読み書きの練習を始めたヘンリーが初めに書いた、自分の名前が書かれた紙が握られていた。












屋敷を出てからのフレーメルの生活は、今までと全く違ったものになった。

守衛長の親戚夫婦で経営している宿屋に住み込みで働く形になったが、夫婦は仕事を多く振るわけではなく、むしろ多くのものを失ったフレーメルを日々気遣ってくれている。

余っているからといってきちんとした部屋を与えてくれ、食事もきっちり三食与えてくれた。

そうなると、あまり積極的に外出する事の出来ないフレーメルに余ってくるのは時間だ。

時間を潰せる趣味もなく、フレーメルは余った時間の殆どをヘンリーの事を考えるのに費やした。

朝も昼も晩も。

少しでも時間が出来ればヘンリーの事を考える日々。

浮かぶのはいつも苦しむ顔で、その顔が笑顔で晴れる事はなかった。


大丈夫、、、なんだろうか。


フレーメルの胸中に不安が浮かぶ。

守衛長の事を信用していないわけではなかったが、あれから半月。

何も連絡がなかった。

良くも悪くも何も変化がないという事なんだろうが、やはり何も知る術がないとどんどん不安が募っていくものだ。

何も情報を得られない中、考える度に苦しむ顔が上塗りされて胸が痛くなって。

それの繰り返し。

それでも、フレーメルは考える事をやめなかった。

どんな姿であれ、ヘンリーが頭から離れてしまうのが嫌だったから。

考えるのをやめてしまえば、それこそ完全なる離別を果たしてしまう気がしたから。

























「奥様、半月続いていたお嬢様の熱も漸く治り、意識が戻りました」

「そう。少しぐらい顔を見てやろうかしらね」

「ですが、その、、」

「なに?」

「いえ、なんでもございません」

「行くわよ」



フレーメルが自室で窓の外を眺め、ヘンリーに想いを馳せていた頃。

治癒師でも治す事の出来なかった謎の高熱が治まり、漸くヘンリーの体調は快方へと向かっていた。



「入るわよ」



──ガチャッ。



「お母様、、、」

「貴女、、、その髪色、、」



すぐに動く事が出来ず、ベッドの上でやっとの思いで上体を起こしたヘンリーを見て、アルメルが驚愕の表情を浮かべる。

ガリガリに痩せていた事でも、自分が来たにも関わらず立ち上がろうともしない事に対してでもない。

髪の色が、元の面影を失っている事に対して。

ヘンリーの髪色は、元々の栗色の名残りなど微塵もない、透き通るような白髪へと変わっていた。



「お久しぶり、、、です。お母様。髪色は、、、。気が付いたらこうなっていました」

「そんな事あるわけ、、」

「いえ、奥様。お嬢様の仰っている事に偽りはございません。昨晩までは元の色でしたが、今朝方拝見するとこの髪色になっておりました」

「そう、、」



長い時間を掛けて多少の変色をする事はあれ、一晩でここまで色が変わる事があるだろうか?

そう考えたアルメルだったが、髪の色など重要ではないかと考えを放棄し、蔑む目でヘンリーを見た。



「まあいいわ。ひと月もただただ寝ていたんだもの。もうすっかり回復しているのでしょう?そんなところにいないで早く礼儀作法でも学んでらっしゃい」

「、、、はい」



言われた通りにベッドから降り、別室へ行こうと立ち上がろうとするヘンリー。

だが、ひと月寝込んでいた代償は大きく、筋力の弱っていたヘンリーは中々立ち上がる事が出来なかった。



「ぐずぐずと、、、。いつまでそうしているの?そこの貴女、引き摺ってでもいいから、早く連れて行きなさい」

「ですが、、」

「早くなさい」

「、、はい」



側にいた侍女を睨め付け、命令するアルメル。

命令された侍女は一言、〝失礼します〟と言ってヘンリーをベッドから引きずり下ろした。

苦しそうな表情のヘンリーと、申し訳なさそうな表情の侍女。

それを苦々しげな表情でねめつけるアルメル。


侍女に肩を借りて何とか立ち上がれたヘンリーがアルメルの横を通り過ぎるようとすると、空いていた窓から一つ風が入ってきて、ヘンリーの長く伸びた前髪をふわりと持ち上げた。

隠された右目を、露わにするように。



「貴女、、!その目の色、、!」

「奥様!これは!」

「退きなさい!」



ヘンリーの目の色を見た途端、アルメルの様相が一変する。

信じられないような物を見る目でヘンリーを視界に捉え、駆け寄って髪を掻き上げるアルメル。

その動作には、病み上がりのヘンリーに対する情け容赦など、一切感じられなかった。



「お母様、、!痛い、、、です!」

「じっとしていなさい。、、これは、、、」



アルメルの目に映ったのは、左右で色の違う目。

それを見てアルメルは、自らの信仰する宗教の古くからの言い伝えを思い出していた。




〝双眼の色違う者、歪を好んで喰らう〟




まさか自分の子がそうだなんて、、。

得られた事実にアルメルが歯噛みした。

この目の色になってしまったからには、何処かへ嫁ぐのは不可能。

それどころか、厄災の象徴がいると知られれば、アクレイト家存続すら危ぶまれる。


どうすればいい?

どうすれば身を守れる?


アルメルは必死に、そう考えた。

ヘンリーの心配などない、保身の事ばかりを。

痛がるヘンリーの声も、それを止めようとする侍女の声も耳に入らない程集中して。


思考がある程度深くまで落ちた時、アルメルの脳裏に一つの考えが過った。


〝コレは私の物であって私の娘でない〟


産んだのはアルメルではなくフレーメル。

周りが誰を親と認識しているかなど、どうでもいい。

公式にヘンリーという娘がいるという事を発表していないのも、アルメルにとっては好都合だった。



「貴女」

「はい」

「守衛長を呼んできなさい」

「畏まりました」



掴まれていた髪を離され、その場で崩れ落ちるヘンリー。

指示を受け、守衛長を呼びに行く侍女。

そのどちらにも、アルメルが視線や興味を向ける事はなかった。



「お呼びでしょうか?奥様」

「まずはコレの目を見て頂戴」

「これは、、、」

「ええ。まあ幸い、コレは私の子ではないわ」

「そんな、、!お母様、、!」



アルメルが母親だとフレーメルに言い聞かされてきたヘンリーの表情に、絶望と驚愕が浮かぶ。

長い苦しみから解放され、漸く起き上がれた矢先に母親に突き放される。

いくら同年代よりしっかりしているとはいえ、唯一縋れる対象であるフレーメルも居ない中、7歳のヘンリーにはあまりにも酷なものだった。



「世間に知られれば、アクレイト家の品位が下がるわ。そこで貴方に提案があるのだけれど?」

「なんでしょう?」

「いなかった事にしましょう。私の子は同時期に産まれたビグロだけ。コレを元々いなかった事にすればいいのよ」

「ですが。それは、、」

「コレの存在を知っている者は数少ないわ。噂が広まるような事があれば、、、、。賢い貴方ならその先は言わずとも分かるわよね?」



何かを言おうとして途中でやめ、開いた口を苦々しげに閉じる守衛長。

その表情には、悔しさや苦痛、様々な感情が綯い交ぜになって浮かんでいた。



「何か言いたげな顔ね。まあ、私はもう微塵も興味のない事だわ。するべき事は当然、分かっているわよね?」

「、、、はい」

「いまいちな返事だけどまあいいわ。明日までにコレの足跡を全て消しておくこと。この離れは気味が悪いから処分してしまいましょう」

「お母様、、、、!」



悲痛を孕んだヘンリーの叫びがアルメルへ届く事はなかった。

アルメルと侍女が出た後、非情に閉まる扉を見て、ヘンリーは絶望に苛まれて涙を流した。

助けを求めて思い浮かべるのはフレーメルの姿。

意識が戻った時、フレーメルはいなかった。

それに、今この時も部屋にやって来る気配がない。

覚えが悪いから見捨てられてしまったんだろうか、、、。

ヘンリーは項垂れて、自責の念に捉われる。

部屋の中に守衛長がいる事も忘れて。



「さて、お嬢様」

「、、、、!」



あからさまに怯え、立ち上がれないながらも後退るヘンリー。

すぐにベッドへ肘がぶつかり、意味がないと分かっていながらも枕を急いで掴み取り、三角座りの体勢で胸に掻き抱いた。



「警戒は分かります。ですが安心してください。私は貴女様の味方です」

「味方、、、、?」



安心させる為に一歩下がり、その場で視線の高さを合わせるように座り込む守衛長に、ヘンリーは警戒を緩める。

この人は敵ではない。

この人は私を害さない。

本能で、ヘンリーはそう理解していた。



「はい。故に、心配されているような事は何も起こりません。ですがこのままここにいるというわけにもいきません」

「私はどうすれば、、、」

「ひとまずここを出ましょうか。どうぞ私の背に」

「ありがとう、、、ございます」

「いえ。さあ、急ぎましょう」



アルメルと侍女が屋敷に戻ったのを目と耳で確認してから、ヘンリーを背負って裏口から出る守衛長。

守衛長は屋敷を出ても足を止めず、そのまま大回りでその場を離れ、街の外れの馬車乗り場まで休まず駆けて行った。

息が切れる事も厭わずに。



「守衛長さん、、。大丈夫ですか?」

「はあ、、はあ、、、心配に、、及びません。少し体力が落ちてしまいましたが、これぐらいの運動であれば問題はないです。お嬢様は大丈夫ですか?」

「私は乗っているだけなので、、」

「良かった、、」



ディベリア教の教徒しか住む事を許されないディベリア神聖国の教区の一つ、ベリア。

その中心より少し南に位置する街に、アクレイト家の屋敷はある。

そこから徒歩で暫く東に行った街の外れにある馬車乗り場で一度ヘンリーを下した守衛長は、周囲を警戒しつつ、息を整えていた。



「守衛長さん。何処へ向かうんですか?」

「トーチの街へ向かいます。そこに貴女様を待っている人がいますので」

「私を、、ですか?誰でしょう、、」

「着いてからのお楽しみにしましょう。今は急ぎます」

「分かり、、、ました」



気になりつつも、口を噤むヘンリー。

下手を打って見つかれば、アルメル直々に手を下されるかもしれない。

そうならない為には、自分一人では何も出来ない今、守衛長に全てを委ねるしかなかった。



「トーチの街までお願いします」

「あいよ!二人か?」

「はい」

「こっちだ。乗りな」



御者の男に案内されて、まだ少し席に余裕のある馬車に乗り込む二人。

客の一人一人を警戒する守衛長と状況を理解しつつも初めての状況にわくわくしてしまうヘンリーの様子は、傍目に見ても相反しているのが分かり得る程のものだった。



「ほいよ。さっき頼まれたマントだ。代金丁度で用意しといてやったぜ」



何かを察したのか御者の補助の男が何気ない様子で、頼んでもいないフード付きのマントを二人に渡してくる。

何が何だか分かっていないヘンリーを尻目に守衛長は深々と頭を下げ、少し多めに乗車賃を払った。

多めに乗車賃を貰ってニヤけていた御者の補助は、タイミングよく走り出した馬車の中でバランスを取れずにコケてしまった。






「ゆっくり、お眠りください」



がたがたと揺れ、お世辞にも寝心地が良いとは言えない車内。

色々な事が同時に起こり過ぎて疲れていたヘンリーは、守衛長に凭れ掛かって眠りについた。

無意識の内に、頬に一筋の水の痕を作って。






「お嬢様。ヘンリーお嬢様。トーチに着きましたよ」


トーチの町に着いてすぐ、周囲に誰もいない事を確認してからヘンリーを小声で起こす守衛長。

名前や身分が知れ渡ってしまわないように、屋敷を抜け出した意味がなくなってしまわないように、細心の注意を払っていた。



「ここからどこへ向かうんですか?」

「近くに私の親族が営んでいる宿屋があります。そこが目的地です」

「そこに私に会いたいという人がいるんですか?」

「はい」

「信用、、、出来る人でしょうか、、?」



守衛長という味方を付けたとはいえ、ヘンリーの胸中は不安で溢れていた。

起きたら一番信頼していたフレーメルがおらず、母親に捨てられ、あまつさえ殺されそうになってしまったから。

ここまで連れてきてくれた守衛長相手でさえ、僅かな疑心を持って接していた。



「勿論信用出来る人物ですよ。その点は保証します」

「分かり、、、ました」

「きっと、喜んでいただけると思います。さあ、到着しました。ここが目的地です」



そう言って守衛長が足を止めたのは、周りの家と然程大きさの変わらない宿屋。

看板も出ておらず、言われなければ宿屋と分からない外観であるのは、一重に主人が宿屋の繁栄をそこまで望んでいないからだった。

〝贅沢は望まない〟

それが、このトーチの町に唯一ある宿屋の主人の口癖だった。






ちりんちりんっ───。


「はーい」






守衛長が慣れた手付きで受付のベルを鳴らすと、奥から女性の声と、そのすぐ後に近付いて来る足音が聞こえてくる。

聞き慣れない声に、ヘンリーは守衛長の背で少し、隠れるように身を縮こませた。



「ああ!あんたかい。その背中の子は?」

「立ち話は後にしよう。今あの人は何処に?」

「今は部屋で休んでるよ。随分働き者でねぇ。無理にでも休ませないと一日中働いてるよ。そうそうこの前なんか───」

「ゾフィさん」

「ははは!悪い悪い。久しぶりにあんたに会えて嬉しくてね。元気そうで何よりだ。仕事は上手くいってるのかい?」

「まあ、そこそこは」

「そうかい。ならよかった。さ、案内するよ」



背負われたヘンリーの隠し切れていない頭を見てゾフィが一度にっこりと笑い、すぐに振り返って廊下を奥へ奥へとゆっくり進んでいった。

廊下の突き当りの扉を開けて、すぐ左にあった階段を登って、また少し廊下を歩いて。

木の床をぎしぎしと鳴らす三人分の足音は、奥から三番目の扉の前でピタリと止まった。




コンコンッ───。



「お客さんが来たよ、入っても大丈夫かい?」

「はい」

「この声、、は、、、」




聞こえてきた声に、ヘンリーは隠していた顔を守衛長の肩口から覗かせ、驚愕の表情を浮かべる。

姿を確認出来なくても分かる。

赤子の頃から、一番多く聞いてきた声だったから。

何年も会っていないかのような懐かしさと嬉しさと安堵と。

様々な感情が、ゆっくりと開かれる扉をじっと見つめるヘンリーの中に沸き上がる。





ガチャッ──。



「フレーメルさん!!!」





暗く落ち込んでいたヘンリーの目は、扉を開けてすぐに見えた人影によって、一瞬で輝きを取り戻した。

見えたフレーメルに飛び付こうと背中で体に力を入れてバタバタともがくヘンリーを気遣って、膝を曲げて降りられるように助力する守衛長。

一度膝から崩れ落ちてコケながらも必死に二本の足で立ったヘンリーは、椅子に座って両手で口を覆うフレーメルに倒れ込む形で抱きついた。


驚いた表情を隠せないフレーメル。

漸く心から安堵する事が出来て、声は上げずに泣き出すヘンリー。


何が何だか分からないゾフィには後から事情を説明すると部屋を出てもらい、守衛長は部屋の隅でただ窓の外を眺め、感動の再会のシーンを視界の外で感じた。



「フレーメルさん!何処へ行っていたんですか!目を覚ましたらいなくなってて違う侍女さんがお世話をしてくれているし、、、、、。私の事、嫌いになってしまったんですか、、、?」

「そんなことは───」

「じゃあなんでですか!?凄く、、、。凄く心細かったんです、、、」

「お嬢様、、、、」



もう離さない。

そんな意思を示すかのようにフレーメルの首に抱き着き、体重の全てを預けるヘンリー。

対するフレーメルは状況がいまいち飲み込めず、加えて自身の使用人という立場もあり、抱きしめ返す事が出来ずにいた。



「もう、、、離れないでください。これからはずっと一緒に居られるんですよ、、ね、、?」

「それは、、」

「お嬢様、ご安心を。これからは二人一緒に居る事が出来ますよ。私はその事をお話する為にここに留まっているのですから」

「そういえば、どうしてお嬢様と貴方がここに、、、。お嬢様の髪の色も変わっているし、私には何が何だか、、」

「順を追って説明していきましょうか───」



対照的な反応を示す二人に、フレーメルがここに居る理由、ヘンリーの髪色の訳、ここに来た理由を一つずつ丁寧に説明する守衛長。

途中、知らなかった事実を知り、驚いた表情を何度も浮かべる二人。

だが、話が終わると何処か腑に落ちた様子になり、ヘンリーの涙もすっかり渇いていた。



「そんな事が、、、。お嬢様、失礼ですが目の色を見せていただいてもよろしいでしょうか?」

「、、、はい」



ヘンリーは恐る恐る前髪を横にずらして、隠れていた目を見せる。

フレーメルなら酷い事は言わない。

そう分かっていても、アルメルに捨てられた記憶が脳裏に焼き付いていて、何も思わずに無邪気に見せびらかす事はどうしても出来なかった。

透き通るような白の髪と、ほぼ同色の右目が、徐々に徐々に。

ヘンリーの手に隠れながらも姿を現す。

その様子を、フレーメルと守衛長は、何も言わずにただじっと見つめた。






「綺麗な色、、、」

「え?」






目を見てフレーメルが言い放った一言目は、ヘンリーが全く予想もしていなかったものだった。


綺麗、、?

忌み嫌われるべきこの目が、、?


ヘンリーの胸中に、大量の疑問符が浮かぶ。

通常の反応であれば罵倒。

良くて気遣う言葉程度だと思っていたから。

フレーメルの口から漏れ出た言葉は、紛れもなく本心から出るもの。

幼いヘンリーでさえそう分かる事が出来たからこそ、拭い切れない疑問符が浮かぶのだった。



「とても綺麗な瞳ですよ。お嬢様」

「でも、お母様が、、、」

「確かに、ディベリア教の古くからの言い伝えで、両目の色が違う者は災いの元だなどと言われています。ですがそれは、あくまで迷信だと私は思っているのです。それに、心優しいお嬢様が何か災いを起こすなど、私には到底考えられませんから」

「フレーメルさん、、、」



説明をしながら守衛長が用意してくれたフレーメルと隣り合った位置にある椅子に掛け、ヘンリーはフレーメルの言葉に目を潤ませる。

目に溜まった涙は溢れる寸前だ。



「貴方もきっと、そう思ってここまで連れてきてくださったのでしょう?」

「ええ。きっと目の色が変わったのは、長く続いた熱のせいですよ」

「守衛長さん、、、」

「お嬢様、ご安心ください。もう貴女様の側を離れる事はありませんし、目の色が違うからといって差別をする事もございません。他の誰が何と言おうと、私はずっと貴女様のお側におります」



我慢出来ないと言わんばかりの勢いで溢れ出すヘンリーの涙。

嬉しくて、言葉にしたいのに纏まらず。

その分また涙が溢れてくる。

とめどなく溢れる涙が収まるまで、二人はただ温かく、ヘンリーの事を見守った。








「お嬢様、落ち着きましたか?」

「、、、はい。ごめんなさい。取り乱してしまって」

「いえ。お気になさらず」


ヘンリーの涙が止まったのは数分後。

まだ完全に落ち着いたというわけではなかったが、守衛長が長く居られないという事を察していたフレーメルが悪いとは思いつつも話を切り出し、その代わりとばかりに震えるヘンリーの手を握った。

少しでも、心を落ち着ける事に助力出来るようにと想いを込めて。



「それで、守衛長さん。私とお嬢様はこれからどうすればいいのでしょう?お嬢様が生きている事が屋敷の人間に知られるわけにはいかないでしょう?」

「そうですね。それについてはもうゾフィさんに手筈を頼んであります」

「聞かせていただけますか?」

「勿論。お嬢様もよく聞いておいていただけますか?」



目尻に残っていた涙を拭い、頷くヘンリー。

その姿を確認してから、守衛長は柔らかく微笑んで口を開いた。



「私は明日朝一番の馬車で屋敷へ戻り、奥様へ報告します。お嬢様には大変申し訳ございませんが、亡くなったという事にして」

「そうするしかないでしょうね、、、」

「私は、大丈夫です」



死んだという事にされようとも、実際に生きていれば何でもいい。

本当に殺されかけたヘンリーだからこそ、躊躇いなく出せる返答だった。



「私とお嬢様はどうすれば?」

「今から馬車で出立していただきます。ここから2日程行ったところに転移塔がありますから、そこから乗り継いでセプタ領のリネリスへ向かっていただこうかと」

「なぜリネリスへ、、?」

「貴女の生まれ育った故郷であるというのもありますが、あの街は多種多様な人種、宗教に捉われない思想の方々が沢山います。紛れるのには最適かと」

「フレーメルさん。リネリスってどこなんでしょう?」

「シルム王国のセプタ領に位置する都市ですよお嬢様。とても貿易が盛んで、武人や獣人もよく街を歩いています」

「凄く面白そう!」

「ええ、きっと気に入っていただけると思います」

「お嬢様。国を出るお覚悟はありますか?」

「はい。私はフレーメルさんと一緒に国を出ます」



フレーメルの手をぎゅっと握り、力の籠った強い目をするヘンリー。

その目は、これから自分が歩んでいく未来を見据えていた。



「では、今から出立の準備をしていただこうと思うのですが、その前に一つ」

「なんでしょう?」

「いくらここから遠く離れたセプタ領とはいえ、お嬢様の身分がバレてしまう可能性が充分にある事は分かりますよね?」

「それは重々、、、」

「ですので、名前。呼び方を変える必要性があるんです」

「名前、、、ですか?」



排他的な思想を持つディベリア神聖国とはいえ、教徒以外を国に住ませないだけであって、他国との関わりが一切ないわけではない。

つまり、遠くへ行ったからといって、油断が出来るわけではない。

あくまで、国内にいるよりも安全というだけだ。



「はい。目は片目だけ髪で隠しておけばいいでしょうし、名前さえ変えてしまえばそうそうバレる事はないでしょう。目立つ行動を取らない限り、ですけどね」

「そう、、ですね、、、。お嬢様、ご自身で名前を付けるとすればどういった名前がよろしいですか?」

「自分で付けるんですか?」

「ええ。名付けは当人より身分の高い者がする事ですから。お嬢様の名を、奥様が付けたように」

「名前、、、、」



今まで読んできた本の登場人物の名前をうんうんと唸りながら必死に思い浮かべるヘンリー。

だが、高熱から復帰したばかりのヘンリーは、今まで読んだ本の登場人物の名前の殆どを思い出す事が出来なかった。



「思い付かないです、、。フレーメルさん、私の名前付けてもらえませんか?」

「私がですか?」

「はい。もう死んだ事になっている身ですから、身分も何もないですよ」

「ですが、、」

「嫌ですか?」

「いえ、そういうわけでは、、、」



煮え切らない様子のフレーメルに痺れを切らしたヘンリーが、そんなに立場を気にするなら、逆にその立場を利用してやろうと決意する。

掴んでいた手を離して震える足を叱責して立ち上がり、肩幅に足を開いてスカートを両手できゅっと握り締め、その態勢で一つ大きく息を吸った。

決意の籠った目は、真っすぐにフレーメルを見据えている。



「汝、ヘンリー・アクレイトの名の元に命ずる。今すぐにヘンリーに次ぐ新しい名を考えなさい」

「お嬢様、、、?」

「フレーメル。これは命令です。貴女は仕える者の命令も聞けないのですか?」

「いえ!そんな!」



いつも穏やかなヘンリー。

だが今は、今だけは違う。

フレーメルを強い目で瞬き一つせずにじっと見つめるその姿は、正しく貴族の当主といった様だった。

そんなヘンリーの成長に涙ぐみ、それを隠す様に片膝を着くフレーメル。

娘にここまでさせておいて、親である自分がもじもじと優柔不断な様を見せるわけにはいかない。

そう考えて、フレーメルは忠誠を示しつつ、ヘンリーを産んだ時に自分で考えていてずっと心の奥底に封印していた名前を告げる事を決意した。

墓場まで持って行こうとしていた、その名を。



「では、無礼とは承知の上で名を付けさせていただきます」

「聞かせなさい」

「貴女様のお名前は、〝ベル〟と致しましょう。家名も外すべきかと」

「ベル、、、、。良いでしょう。気に入りました」

「ははっ!有り難きお言葉!」

「あっ、、、、」



ドサッ──。



「お嬢様!?」



名前が決まってすぐ、張っていた緊張の糸が切れたのか、その場に膝から崩れ落ちるヘンリー。

崩れている途中からそれに気付いていたフレーメルはすぐさま跪く体勢を解き、倒れたヘンリーの背中に腕を回して支えとなる。

息を切らしているもののヘンリーは意識を失わず、支えてくれるフレーメルの顔を見て緩やかに笑みを浮かべた。



「お嬢様!大丈夫ですかお嬢様!」

「だい、、、じょうぶ、、です。ちょっとフラフラしてしまっただけなので、、。それよりフレーメルさん。お嬢様じゃないですよ?せっかく名前決めてくれたんですから、そっちで呼んで欲しいです、、」

「おじょうさ、、、、いえ。失礼しましたベル様」

「様も付けないでください」

「ですが、それは、、」

「今だけは素直に聞いてください。もうさっきみたいに虚勢を張る体力はないんです」



いつも通り柔らかく、ニヘラと笑ってそう言うヘンリー。

言葉通り、そこにはさっきまでのような虚勢を張る余裕などありそうになかった。



「畏まりました。ではベル。これからもよろしくお願いしますね」

「はい。よろしくお願いしますフレーメルさん」



もう一度、返答の意味も込めてニヘラと笑みを零すヘンリー。

その表情には、フレーメルの腕に抱かれているという安堵と、これからに対する期待が浮かんでいた。



















この日、ヘンリー・アクレイトは約七年の生涯を終えた。

同時に、入れ替わりで新たにこの世に産声を上げたのは〝ベル〟。

僅かな人物しか知らないその少女の物語は、七年経った今も何処か続いているらしい。

人目に付かずに、ひっそりと。

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