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対峙する悪魔 1

口の中が酸っぱい。


異常な唾液の分泌を感じる。


これは、……嘔吐の前兆。

自身に起きた変調から、そう確信した。


ここからは胃が何度も収縮を繰り返し、内容物をぶち撒けるだけだ。

この言い得ぬ不快な感覚を味わったのはいつぶりだろうか?



――最後にリバースを決めたのは数年前、職場で行われた忘年会の時だった。



俺は自他共に認める超絶下戸である。

その日は両隣に酒豪が鎮座しており、浴びるように呑まされた。

嘔吐した瞬間、鼻に抜けるアルコールの不快な匂いと、食したピザであったであろう残骸。

その後も呑まされ続けた結果、俺は身体中の穴という穴から液体を滴らせるという芸当を披露した。


事件以後、俺に酒を呑ませる者は居なくなった。

アルハラという言葉を自身の犠牲により、その身で感じた苦い思い出である。


成人してから粗相をしたのはその時が3回目だ。

残り2回については割愛させていただくが、今この瞬間に4度目の危機を迎えているのは紛れもない事実である。



「……そろそろ限界かもしれん」


ガスが噴出され続けてどれぐらいの時が経っただろうか?


鳥頭はキョロキョロするのに飽きたのか、最上段で相変わらずクチバシの両端から煙を上げたまま椅子に座ってくつろぎ始めた。


コイツ……、ガスに耐えかねて姿を見せるのを待ってやがる。


相変わらず抜き身の剣は傍らの床に突き立てたままだ。

鞘を持ち歩くという発想はないのだろうか?


「選択肢は書庫から脱出するか、煙害の元をどうにかするかの二つしかないようだな」


「扉から出るとなると、遮蔽物は何も無くなるので姿は丸見えになりますね……」


「……あんな物騒な得物振り回すヤツを丸腰でどうにか出来る気はしないな。 お決まりの特殊能力とか超絶身体能力とかない限り。 ……俺に何か特別な力とかあったりするのか?」


残念ながら武器になりそうなものは何も所持していない。

手にしていたとしても、あの鳥頭と正面から切り結ぶなんて御免こうむりたいが。

ヤツを消し去るような特別な力じゃなくても良い。

時を止めたりとか、全ての攻撃を無効化したりとか、透明になるとか、そんなものでも良い。

異世界に来たらお決まりだろう、何か特殊な力を得るってのは。


「残念ですがありませんね。おいしさそのままの状態です」


俺の小さな期待をあっさりと否定するセリカ。

薄々は感じていた……、ホイール一つ持ち上げるだけでゼーゼーいう非力な体力なままである事は。


しかし、一つ引っかかることはこの窮地において、まだセリカには冗談を挟む余裕があるということだ。

俺を気遣ってという意味合いも含まれているのだろうが、それ以外の何かがあるように感じる。


体力無し、筋力無し、特殊能力無し、ついでに財力も無しな俺と違って彼女はどうだろうか。

このガスが充満していく空間の中、表情は一切歪むことなく涼しい顔である。

顔中のあらゆる場所から液体が噴出しそうなのを堪えている俺とは対照的に。


戦闘向きのものでは無いが、現に彼女が魔法を使う場面を目にしている。


「……貴方は私が守ります。そう誓いましたっ!」


ミシミシと何かが激しく軋む音がした。

そして巨大な本棚が宙に浮く。


そびえ立つ柱を囲むように並べられている本棚の一つが、段ボールで出来ているのかと見紛うような持ち上がり方をする。


持ち上げているのだ、目の前にいる細腕の少女が。

まるでトレーでも手に乗っけるかのように軽々と。



……あ、投げるんですね、それ。



「今のうちにここから脱出します!」



軋む音とバサバサと本が落下する音に気付いたのか、鳥頭の視線がこちらを捉える。

……その頭で二度見の動きされるとすごく気持ち悪いんですが。



空中に放たれた本棚が猛烈なスピードで縦に回転しながら飛んでいく様を、惚けたまま見送った

……放物線描いて飛んでいくとかじゃなくて、よりによってそんな凶悪な軌跡で飛んでいくんですね。



「少々手荒ですが、失礼します。」



投擲モーションからそのまま流れるような動きで、呆気に取られている俺を荷物の如くかかえ走り出すセリカ。



「そこに居たかァッッ!下界のた……、ガァァッッ!」



鳥頭が咆哮を上げ、床に突き刺した抜き身の剣を手に取り立ち上がると同時に姿を消した。

揺れる視界の中、ヤツが巨大な本棚の下敷きになる様子が見えた。


――当たった!


あの速度と回転力で重量物が直撃すれば多少のダメージはあるだろう。

しかし、相手は人間ではない。

血に飢えた怪物だ。


「……やったか?」


「知ってますか、ご主人さま? それも、フラグって言うんですよ」




中毒死を免れた俺は、広大な石畳の拡がる空間に居た。

噴水に反射して輝く沈みかけた夕陽の光が眩しかった。



アンドラスというあの鳥頭がブチ抜いた壁の外は中庭だった。

書庫外への被害拡大と俺を抱えながら扉を開く手間を考えたのか、崩れて穴の開いた場所から外へ抜け出たのだ。


中庭の中央には巨大な噴水が設けられており、洗顔とうがいをするにはちょうど良い。

胃液が込み上げてくる感覚は落ち着いたものの、下半身に力が入らず地面にへたりこんでいた。

抱きかかえられてこの場に連れてきて貰う役立たずぶりに、我ながら己の無様さに嫌悪感を覚える。



「……すまない、格好つけといて何も出来なかった。しかし、とんでもないパワーだな」



「ご無事でなによりです。百九十馬力は伊達じゃありませんよ」



肘を曲げて上腕二頭筋を強調するポーズをするセリカ。

しかし、ポーズに反して力こぶの全く出来ない細い二の腕が目に入った。



あの馬鹿力は馬力うんぬんじゃないと思うんだが……。



「それはそうと、先程の攻撃程度でどうにか出来たとは思えません。多少の時間稼ぎにはなったはずですが、再び襲ってくるでしょうね……」


「こんなだだっ広い場所じゃ、俺は良い標的だろうな」


「どの程度戦えるかは判りませんが、ご主人さまは全力でお守りします。こんな武器一つでどうにかなりそうな相手では無さそうですけど」


腕を組んだ状態で、右手に持ったペーパーナイフをヒラヒラと弄びながらセリカはそう言った。

純銀製だろうか、長さ二十センチ程度の豪華な装飾の入った品だ。

脱出時に書庫の中にあった物を拝借してきたのであろう。


そして、今しがた生命の危機に遭遇したというのに、胸の強調されるそのポーズについ視線を送ってしまうのであった。


「……下界の民にここまで辛酸を嘗めさせられるとは、許せぬッッ!」



――お目覚めか。


穴の向こうから再び怒号が聞こえてきた。


「爆発四散させても良かったのだが、この地の英知を集約した此処を消し炭に変えては些か勿体無いのでなァァ……。 さぁ、どうやって殺して欲しい?答えろッッッ!!」


ガラガラと金属と地面の擦れる音が響く。

剣を引き摺りながら鳥頭がゆっくりとこちらに向かってくる。


その姿は、鎧がところどころ破壊されているようだが、大きなダメージを負っているようには見えない。

やはり、損傷軽微か……。



「来ますっ、備えて下さいっ!」


鳥頭が数歩踏み出したところで強く地面を蹴ると、地面から若干浮いた状態でそのまま水平移動してくる。

引き摺られた剣が激しく火花を散らす。


「アレキサンドライト級だろうがサファイア級だろうが、所詮は人族ッッ!」


一気に距離を詰めると、移動のスピードを乗せて横薙ぎに剣を振るってきた。



ガキィィッッッ!



金属と金属のぶつかり合う音が響き渡った。


力任せに振るわれた剣をセリカが打ち払い受け流した。

相当な衝撃だったのだろう、払いのけた右腕が小刻みに震えている。


折れなかったペーパーナイフの強度にも驚いたが、ピンポイントに剣だけを捉える反射神経は驚異的だった。

あまりの速さで俺にはよく視認が出来なかったが、切っ先が滑るように反れていくのは見えた。

あんな貧弱なペーパーナイフでは、さすがに斬撃をまともにいなしきれない。


「そのような粗末な武器で我が一撃を防ぐとは、下界の民にしては上出来だッッ! しかし、どれだけ足掻こうが無駄な事ッッッ!」


そう息巻くと今度は、払われた剣を反動で後ろに担ぎ、袈裟懸けに振り下ろして来た。



ガキィィィィィンッッッッッッ!



左手を右手首に沿え、再び鳥頭の放つ斬撃を受けるセリカ。

鍔迫り合いのような状態になり両肩が震えている。


見ていることしか出来ない自分に対する、侮蔑の感情がふつふつと沸く。


そしてついに限界を迎えたペーパーナイフが真っ二つに折れる。

折れると同時に身をよじり、攻撃はかろうじて回避出来た。

空振りに終わった切っ先が地面に突き刺さる。


それより少し遅れて、カランカランと折れたペーパーナイフが地面に転がる音が響く。


……金属音が鳴り止むと同時に、眼前で起こった出来事に喫驚した。




――――真っ白く輝く光芒がアンドラスの脇腹を引き裂いたのだ。

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