転移門 3
歩く度にガチャガチャと物々しい音を立てながら、エオストレは転移門の前まで進んでいく。
鎧の擦れる音が止むことで彼女が歩を止めたことがわかる。
比較対象が前に立ち、円形のモニュメントといった装いをした転移門の巨大さが際立つ。
人以外の荷物も転移の対象であれば、それなりに大きくないと用を成さないのだろう。
立ち止まったかと思うと、エオストレはいきなりその場に這い蹲る。
遠目に見てもわかるくらいにプルプルと身体を震わせながら、土台の隙間に腕を差し入れ手探りで何かを探している様子だ。
「なぁ、あれ何してるんだ?」
「さぁ? わたしの目には探し物をしてるようにしか見えないけどっ」
自販機の下のお金を漁る人のポーズを取り続けるエオストレを眺めながらルヒエルが言う。
「だよな、鎧脱げば良いのに」
「あなたの腕ならあんな隙間大したことないでしょ? 困ってるみたいだし、手伝ってあげなさいよっ」
「そうですね、従者さんがお手伝いしたほうが自然な気もしますけど」
「さっさと行きなさいよ、あんまりふざけてるとぶん殴るからっ」
あの、ルヒエルさん、言う前にもう殴ってます。
俺の横腹に鋭いフックを放つと、手でシッシッと追い払うジェスチャーをするルヒエル。
あぁ、でも後ろ着いてくるんですね。
「お困りのように見受けられるのですが、お手伝いいたしましょうか?」
「いえいえ、とんでもないです。 鍵穴が少々奥まったところにありまして……」
束ねられた金色の長い髪が床に着くことにもお構いなしといった様子でエオストレは地面に伏せったまま答える。
おい、製作者、何故そんな不便な場所に鍵穴を作った?
「これを鍵穴に差し込めば良いのですね?」
「聖騎士ともあろう者が、修道女の方にこんな格好をさせてしまうなんて……」
そんな気遣いが出来るというのに何故、鎧を脱ぐという簡単な解決方法を思いつかないのか。
俺はエオストレの横に跪くと、彼女と同じようにして隙間を覗き込んだ。
思わぬ至近距離で顔を衝き合わせる形になり、ドキっとしたが表情に出ないように注意を払う。
そうだ、今は女同士なんだ、そう、女同士なんだ……。
自分に言い聞かせ、心を落ち着けるとエオストレの手に収まった鍵を横から受け取り鍵穴を探す。
隙間は狭い上に、よりにもよって鍵穴は上向きに設けられていた。
もう一度言う、製作者よ、何故こんな不便な場所に鍵穴を作った?
鍵穴に差し込んだ鍵をどっちに回せば良いかわからなかったので、左右にグリグリ動かしてみると鍵は左回りに一回転した。
鍵は抜けることなく鍵穴に刺さったままだ。
始まりの色。
何故そう呼ばれているのかは忘れたが、赤という色がそう呼ばれていると聞いたことがある。
心拍数の上昇や体温の上昇といった身体的な効果を持つ、生命力に満ち溢れた色。
色から連想されるイメージ、情熱や愛情といったものを思い浮かべる人が多いだろう。
赤色という色が持つ重要な目的、それは赤く発光することで危機が迫っていることを主張すること。
緊急性の高い警告を知らせる目的で使途する色。
赤く光る転移門を見つめながら、俺はそんなことを考えていた。
車のボディーや女性の下着の色としてはエロさを感じさせる非常に魅力的な色なのだが、警告色としての赤には不安を駆り立てられる。
「この赤い光は何なのですか?」
「この光はイルミンズールが非常時にあることを知らせるための光です。 今頃はルルド側の転移門も同じく発光して、観光客や商人には転移制限がかけられているはずです」
「そうなのですか、この光を発するために鍵が必要だったわけですね」
「日に一度、それも決められた時間しか開くことがないですからね。 任務で他国に赴いている仲間に危機を知らせる、同盟国に支援を要請するといった意味合いも大きいのですよ」
淡々と俺の疑問に答えるエオストレ。
赤い光に照らされながら無表情のままで発せられる、非常時や危機といったキーワードに不安を煽られるように感じた。
「それほどまでに非常事態なのですね、結界の消失は……」
「一部の損壊で先日の騒動ですからね。 それが全て無くなってしまうとなれば、最悪の事態も想定し備えなければならないということです」
半歩後ろで黙ったまま聞き耳を立てていたルヒエルの肩がピクリと動いたのが目に入った。
最悪の事態という言葉で何かを思い浮かべたのであろう。
ルヒエルが何を思い浮かべたのは判りかねたが、俺の脳裏に真っ先に思い浮かんだのは神殿の書庫で起こった出来事であった。
赤く光る転移門が、あの血のように赤い双眸をフラッシュバックさせた。
「もっとも、この付近に出没する魔物はアンデットやグレイブディガー程度ですので、結界が無くても壁を突破出来るとは思えません。 あまり考えたくはないですが、飛行出来る魔物や先日のように上位種が現れた場合は別です」
エオストレは一瞬だけ曇った表情を浮かべたが、すぐに何事も無かったように無表情に戻るとまた淡々と口にする。
「仮にここを突破出来る魔物が現れたとしても、私が斬り伏せるまでですけど」
鎧の胸をドンっと叩き、にっこりと俺に向って微笑みかけるエオストレ。
俺の表情が変化したのを見て、少しでも不安が和らげばという彼女なりの配慮なのだろう。
だからそういう気遣いが出来るというのに何故、鍵穴を探すのに鎧を脱ぐという方法を思いつかなかったのか。
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シーカーズ協会へと向わなければならない用向きがあることを伝えたが、評議会はすぐには終わらないだろうから少し休んでいけとエオストレから勧めを受ける。
俺達二人は階段を昇った先にある応接室のような場所に通された。
応接室はこの砦の最上部に位置しており、窓からは外の様子が一望出来る。
緑の絨毯のように終わりなく続く広大な平原が目に飛び込んできた。
晴れていればさぞ良い眺めであろう。
真下に見える無数の骸骨が壁を叩いている光景を除けば。
「お引き留めしてしまって申し訳ない、神殿の方と一度お話してみたかったのです」
「私なんかで宜しければお相手しますよ」
「平素より安心してこの街で過ごせるのは偏に大天使様のお陰です。 幾度か直接お礼を申し上げたいと神殿を訪れたのですが、いつも突風に阻まれて神殿に近寄ることさえままならず……」
ねぇ、ルヒエルさん、あなたの仕業ですよね?
エオストレの話から、神殿へ全く来客がない理由の一角を垣間見た。
「そうなのですね。 大神殿は神域故、近付く者を退ける護りの息吹に覆われているのです」
「警護の天使が見境無く来訪者を魔法で追い返してます」と、ルヒエルの蛮行を正直に打ち明けるわけにもいかず、適当にそれらしい話をでっち上げ答える。
答えながら横目でルヒエルに視線を送ったのだが、我関せずとルヒエルはそっぽを向く。
ルヒエルさん、露骨に俺を視界に入れまいとしてやがるのがバレバレです。
「そのような理由がお有りだったとは。 ところで、ルヒエラ殿は外の様子が随分と気になるみたいですがいかがされましたか?」
「え、えぇ……まぁ。 あれは、……そのままにしといて良いのかしら?」
唐突なエオストレの問い掛けに、ルヒエルは窓の外を親指で指差すとそう口にした。
「あれ、……とは? あぁ、スケルトンでしたら、いつものことなので問題有りませんよ。 指揮官が存在しない限りは各個でウロウロしているだけですので」
「そう、でも……、その指揮官ってのは、……あれのことじゃないかしら?」
ルヒエルが親指で差すその先には、壁を叩く無数の骸骨達とは違い、明らかに整った列を組み進んでくる骸骨の一党が見える。
壁殴りに勤しむ奴らは全員素手なのだが、一党は装いはまちまちであるが武器や防具を手にしているようだ。
その骸骨達が組む隊列の最後尾には、他と比べ体躯の発達した影が二つ。
片方はツルハシを、もう片方はシャベルを担いでいる。
シルエットこそ人間と近いものだが、包帯に覆われた身体からところどころ覗く肉体はどす黒く、それが生きた人間で無いことは聞かなくても視覚的に判別できた。
「グレイブディガーと、……あぁ、不味いですね。 一番後ろに居るリッチ、……あれがあの集団の指揮官で間違いないです」
ガタイのでかい二体がグレイブディガーってやつなのだろう。
目を凝らして見ると二体の影の後ろには、杖を持ち全身を真っ赤なボロ布に包んだひょろっとしたミイラのような姿が見えた。
それしかインプットされていないかの如くただひたすら壁を叩いていた一団も、引き寄せられるかのように整列した一党に呼応して集まり始める。
ぱっと見では正確な数までは把握出来ないが、その数は百とも二百ともつかない。
その光景はまるで、緑の絨毯に大きな白い染みが出来たかのように見えた。
「申し訳ありませんが、少し席を外させていただきます。 用が済みましたら戻って参りますので、お二方はここでお待ち下さい」
そう言い終わると俺達二人に向って深々と礼をしてから、エオストレは携えた長剣の柄をグッと握り占め足早に部屋を去っていく。
「戦いに行った、……のか?」
「そうでしょうね。 下の人達も異変に気付いたみたいだけど、スケルトン達さっきの動きとまるで違うわ」
壁の下を覗き込むと、そこには骨の梯子が完成しつつあった。
壁殴りを中断した骸骨達はその身を呈して、武装した一党を壁の上へと導くための足場へと自身を構築したのである。
表情などあるはず無い骨だけの頭蓋だったが、俺にはそれが薄ら笑いを浮かべているように映った。
「もうっ、数が多すぎる。 あれじゃとても間に合わないわっ」
落下すれば間違いなく命を落としそうな高さの壁に、瞬く間の内に取り付き始める骸骨達。
骸骨達の組体操を阻止しようと、投石をする者や矢を射掛ける者、足場の上に見える人影は十数名といったところだろう。
投石が命中した骸骨はガラガラと地面に崩れ落ちて行く、だが、それをお構い無しに次の骸骨が足場へと変貌する。
骸の山が次々に折り重なっていく、日常では決して目にする機会が訪れることのないであろう光景に俺は絶句していた。
「石も矢も限りがあるでしょうに……、仕方ないわね」
歯がゆそうにルヒエルはそう言うと、目を閉じ両手を組んで祈るようなポーズを取った。
彼女の背中が眩しく光ったかと思うと、その背中に隠れていた翼が姿を現す。
「もうっ、こんなの見てらんないわっ!」
ルヒエルは力を籠めて拳を高く掲げる。
その渾身の力で振りかぶった拳を窓の外目掛けて勢い良く振り下ろした。
地震が起こったのかと思うくらいに部屋全体がガタガタと揺れ出す。
振り下ろされたと同時に、骨の梯子が渦を巻くように天高く巻き上げられる。
グルグルと廻りながら飛翔していく無数の頭蓋は巻き上がった後、垂直に落下してバラバラに砕け散った。
まるで陶器を床に落とした時のような砕け方で。
「おぉ、さすが神殿に訪れた人を全員追っ払うだけはあるな」
セラに助けられた時もそうだったが、天使の力というものがこれ程までに圧倒的なものであるということをまざまざと見せ付けられる一撃。
目の前で拡がる光景の異様さに言葉を失っていたが、ルヒエルの放った一撃は俺が冗談を口にする余裕を取り戻すに足る熾烈な一撃であった。
「あれはちょっとした威嚇よ、威嚇っ! これは攻撃なんだから別よ、別っ!」
肩で息をしながら、そう息巻くルヒエル。
骨の集団は壊滅と言って差し支えない程の打撃を受けたようだ。
草原に立つのは、武器を持つ骸骨数体とグレイブディガー、そして指揮官のリッチだけ。
下で迎撃していた人々は何が起きたのか理解出来ないといった様子で立ち尽くしている。
一人が歓声を上げると、その声をきっかけに湧くように次々と歓声が挙がった。
「はぁ……、今のはちょっと疲れたわ。 あとはあの人達にまかせても大丈夫なはずよっ」
「あぁ、さすがは俺の先生だ。 外の様子は俺が見とくから座って休んでくれ」
エオストレの用意してくれた飲み物を手渡し、ルヒエルに座るよう促した。
「あなたを教え子にした覚えなんて無いんだけどっ。 まぁ、良いわ、危なくなったら教えてよね」
俺の手渡した飲み物を一息で飲み干すと、ドカッとソファーに腰を降ろすルヒエル。
「なぁ、……今がその危ない時かもしれないんだが」
窓から見下ろす平原には、長大な両手剣を掲げてただ一人で、敵陣目掛けまっしぐらに突っ込んでいく白い鎧が見えた。