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4 到着

 深町和海は、空港の到着ロビーから二人が出てくるのを待っていた。

 昨日夜遅く、疲れたような声の如月から電話があった。わけあって自分は遅れるので、先に発ったライアンとエイプリルを迎えに行ってやって欲しい、と。

(遅れるってことは、今日はまだ、凌とは会えないんだな)

 和海は自分でも意外なほどがっかりしていた。



 学校にたくさんの友人がいるが、その誰とも違い、和海にとって如月凌は特別な友達だった。

 十二歳で初めて出会った時から、自分には無い能力を持ち、誰にも頼らず何でもできた如月は、和海にとっては憧れの塊だった。それなのに自分のような普通の少年を大切な友人として扱ってくれる。それが和海には誇らしくてたまらなかった。

 一度別れた後、数年して、転校していった都会の高校で再会したときも、如月は変わらず大切な友人として和海に接してくれた。

 しかし、実は彼は和海たち普通の高校生とは違う、非日常的な世界を持つ人間だった。始めはそんなこと、考えもしなかった。だが、ほんの時々、友人が人とは違う何か重いものを背負っているような気配が感じられるときがあった。

 しかし、彼が本当に追い詰められて姿を消すまで和海は動こうとしなかった。

 ぎりぎりになって漸く行動を起こし、如月を追いかけていった和海は、それきり会えなくなるはずだった友人との絆を危ういところで結びなおすことができた。

 地中海に浮かぶ無人島で自分が言った一言。――普通に学校に戻って来いよ、凌。待ってるからさ……

 その言葉を、彼はどんな気持ちで受け取ったのだろうか。

 それから後、彼が窃盗の罪を重ねてきたことを知っている刑事(しかも、和海の兄貴だ)がいる日本に戻ることはできないまでも、如月は犯罪行為から足を洗い、普通の仕事を見つけて真っ当な生活を始めた。

 そして、今でも彼は和海を親友として扱ってくれる。もともと事情があって友人を作ることがなかった如月である。彼が初めて仲良くなった同年代の男だから、普通の高校生である自分でも彼にとっては特別な存在でいることができたのだろう。

 何にしても、和海にとって如月凌は、他のどんな人間関係の範疇にも当てはまらない特別な友人、親友なのである。



 つい考え込んでしまっていた和海の目に、足早に通り過ぎる旅行者の波の中を、見覚えのある二人が近づいてくるのが見えた。

 背の高い赤毛の青年と、彼に手を引かれてゆっくりと歩く金髪で色の白い、ほっそりとした少女。どちらもほんのちょっとの間だったが、以前、会ったことがある。

 青年の方が先に和海に気がついて少女に何やら耳打ちし、歩み寄ってくる。

「ハロー。Mr.カズミ・フカマチですね」

 青年は、片言ではあるが日本語が話せるようだったので、英語の成績が赤点ぎりぎりの和海はほっと胸を撫で下ろした。

「イエス。あなたは、確か……ライアン・ウィンターソンさんでしたね」

 青年が頷くのを見て、和海は身を屈め、目線を少女に合わせた。

「そして、君が凌の大事な、エイプリル、だね」

 少女の目が見開かれた。以前会ったときには、ベッドの上で硬く閉じられていたそれは、深く美しい蒼い色だった。


 ***


「ああ、疲れた……」

 如月凌はぎりぎりで乗り込んだ国際線の座席に深く背を沈めた。結局、パーティー前日の準備も含めて三十時間立ちっぱなしの働きづくめだった疲労が一気に押し寄せ、目の前がチカチカする。

 白く波打つような視界に気分が悪くなりそうだったので如月は目を閉じた。

 そして、そのまま、抵抗する間もなく一気に眠りの淵に飲み込まれていった。


 田舎町の片隅の大衆食堂で開かれた結婚祝いのパーティーは、前代未聞の盛り上がりを見せた。

 店内の飾りも、出される料理も、たった一日の準備期間とは思えないくらい見事なものだった。

 大皿料理は料理の腕に定評がある食堂のマスターと如月が腕を振るい、サラダやオードブルなどこまごまとしたものは他のコックが作った。器用な如月は、わずかな時間を見てこの食堂では未だかつて作られたことが無いウエディングケーキもこしらえた。飾りつけなどできる技術を持った人間がいなかったので、ウェイトレスの女の子を助手にして如月が細かく見事な細工を施した。

 常連客が担当してくれていた店の内装も、やる気はあってもセンスが覚束ない無骨な労働者の青年たちに泣きつかれて、結局如月が引っ張り出された。それでも、始めたからには何でも本気でやる男、如月は、天井に薄い布を渡したり、布ナフキンで作った白いバラを飾りに使ったり、窓に色セロファン紙でステンドグラスのような飾りを作ったりと休む暇もなく手を入れた。

 パーティーも終わりに近づき、これ以上追加料理を作る必要もない状況になったのを見届けてから、如月は慌てて店を出てきた。だから、パーティーの主役である二人が、今日の準備に関わった人みんなに心から感激して述べたお礼の言葉を、一番の功労者である彼が聞くことはなかった。

 できるだけ早く日本に着くために、なんとしても今夜の最終便に乗りたい! 適当に詰めたスポーツバッグを肩にかけ、如月は最寄の空港まで急いだのだった。


 ***


 結局、何度か出された機内サービスにも手をつけず、航程のほとんどを如月は寝て過ごした。

 日本に着いたのは朝だった。

 三日間ほとんど何も食べていなかった如月は、ふらふらになりながら日本の地を踏んだ。いや、踏んでいたかどうかも怪しい。妙にふわふわとした足取りで空港のロビーの片隅まで歩いた如月は、壁際にもたれ、とりあえず和海に電話をした。和海は携帯を持っていないから、家の電話だ。


 プルルル、プルルル、プルル、ガチャ


『はい、深町です』

 和海のものより、幾分低い声だった。

(やばい、これ、兄貴の方だ)

 そう思ったが、もう遅かった。ナンバーが表示されるタイプの深町家の電話は、うっかり何も手を打っていなかった如月の携帯番号を表示していた。

『……おい、お前、ひょっとして、如月凌か』

 驚いたような声が聞こえる。

「ひ、人違いです」

 とりあえず声色を使ってごまかそうとしたが無駄だった。

『ばかやろう、ばればれだ。お前、如月なんだろう。……空港のアナウンスが聞こえるな。日本に来ているのか。いったい何しに? ……そうか、あのことを聞いて来たのか』

 深町は勝手に納得をしている。なにか大口の裏取引の情報を聞いて盗みに来たとでも思っているのだろうか。

「いえいえ、ただのバカンスですって。ところで、お兄さん、和海君、います?」

 開き直って聞いてみる。電話の向こうの深町和洋刑事はしばらく沈黙したあと、低くうなるような声で言った。

『残念だな。和海は受験生だ。今は学校で夏休みの補習だよ。お前、万が一にも和海を下らないことに巻き込んだりしたら、ただじゃ置かないからな』

 こ、怖い……。思わず、はいわかりました、と言って電話を切ってしまった如月だった。


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