番外編 クリスマス・ナイト(後編)
日付が変ろうとする頃。カラリ、と微かな音を立てて、エイプリルの部屋の扉が開いた。
この部屋はもともと二人部屋であるが、急な編入だったため相部屋の少女はおらず、今はエイプリルが一人で使っている。
部屋に入ってきた小柄な人影は、派手な赤い服とたっぷりした髭を持つ、よい子たちの憧れの人物だった。
その人影は、ことさら足音を忍ばせている風でもなさそうなのに、全く音を立てずにエイプリルのベッドに近づいていった。
ベッドのそばまで来ると、いったいどうやって持ち込んだのかというくらい大きな包みを、幾つも彼女のベッドの足下に並べていく。
(よし、任務完了)
ふうっと、一仕事終えた後の一息をついて、人影は立ち上がった。最後にちょっとだけ、と、大切な少女の寝顔を覗き込む。
途端に、柔和な表情をしていたおじいさんの顔がさっと曇った。
(涙のあと……。何か、あったのか?)
しばらく考えて、コスチュームをさっと脱ぎ去り、いつもの彼の服装になる。あっという間に、子どもたちのアイドルから、普段と変らぬ少女の保護者、如月凌に戻ると、とんとん、と肩を叩いてエイプリルを起こしにかかった。
優しく肩を叩かれる感触に、エイプリルは目覚めた。目を開くと、すぐ傍に、人の気配が感じられた。
(な……何、誰かいる。どろぼう!?)
焦ってパニックになりかけるエイプリルに、如月は声を潜めて、俺だよ、と告げる。その声を聞いた途端、エイプリルの頭から恐怖が払拭された。
枕元で彼女を心配そうな顔で覗き込んでいるのは、エイプリルの大好きな、凌おにいちゃんだったのだ。
如月は、そっと手を伸ばして、目を丸くしているエイプリルの目元を拭った。
「エイプリル、どうした? なにか学校で嫌なことでもあったのか」
心配そうに尋ねる青年に、エイプリルはかぶりを振った。
「ううん。何でもない。忘れちゃったけど、何だか夢を見て寂しい気持ちになっちゃってたみたい。でも、お兄ちゃんが来てくれたからもう平気よ」
ゆっくり起き上がったエイプリルに、如月は寒いから着ておきな、とカーディガンを羽織らせた。
それに、ありがとうと礼を言った後、エイプリルは漸く本来自分が言うべきことを思い出した。
「で、凌おにいちゃん、どうしてここに? こんなに夜遅くに、どうしたの?」
「う、それは……」
如月が珍しく言葉に詰まった。困ったように視線を逸らす如月を不思議そうに眺め、エイプリルは足元に視線を移した。
(あ!)
そこに見えたのは、彼女が一人ぼっちの寂しい気持ちのままで眠りにつく前にはなかった物。
色とりどりの紙でラッピングされた大小さまざまな大きさの箱ベッドの下にきちんと整列して並んでいる。これは、ひょっとして、自分へのクリスマスプレゼントではないのか。でも、誰が、いつの間に?
疑問を抱くまでもない。目の前で返事に窮している、青年にきまっている。エイプリルの大好きな凌おにいちゃんが持ってきてくれたのに違いなかった。
(……でも、何だかそこには触れられたくなさそうね。知らん振りしていた方がいいのかしら)
施設育ちで常に大人の顔色を伺うことに慣れているエイプリルは、相手の心情を読み取ることにかけては、かなりの自信があった。
一方、何でもできる万能人間の如月は、もちろん、他人を舌先三寸で丸め込む詐欺の類の能力にも秀でている。だが、彼の数少ないウィークポイントである少女の前では、その天才的な詐欺のテクニックも、せいぜい三流役者の演技力にまで落ちてしまうのだった。
如月は、誤魔化してしまおう、という気持ちがばればれの笑顔を浮かべた。
「俺は……そう、ちょっと通りかかっただけだよ」
こんな夜中にかよ、と、高遠当たりが即座に突っ込んできそうなベタな言い訳である。でも、エイプリルはそんな怪しげな話にもちゃんと頷いてみせる。
「……でさ、その前の通りから見ていたら、この寮の煙突から怪しいやつが侵入しようとしてたんだ。で、そいつを追いかけてたらここまで来てしまったってわけ。聖夜にうろつくなんて、非常識なやつだよな、ははは……」
「へえ。そうなんだ。イブの夜に煙突からやってくるなんて、その人ってもしかして……」
エイプリルも、嘘とわかりつつ、凌おにいちゃんの話に乗っかったのだった。
ひとしきり話した後、如月はベッドサイドから立ち上がった。
「じゃあ、また、週末に迎えに来るから」
そう言って、如月は部屋の窓を開けた。帰りは手っ取り早く窓から出て行くつもりである。
そんな如月の背に、エイプリルが声をかけた。
「ねえ、凌おにいちゃん。そのお迎えって、ひょっとして、ライアンさんもいっしょなの?」
途端に如月に憮然とした表情が浮かぶ。何で、彼女はいつもいつもライアンのことばかり話題に出すのだろう? 確かに彼はいいやつだ、でも……。面白くない顔で、如月は窓枠の外に飛び出した手すりの部分に足をかける。
「いや、俺だけ来る予定だけど、嫌か?」
「ううん、違うの。もしよかったら、そのとき、ちょっとだけ買い物に付き合って欲しいの」
「いいけど。……買い物?」
エイプリルははにかむように笑った。
「ええ。そのとき、一緒にライアンさんへのクリスマスプレゼントを選んで欲しいの」
ズルッ
彼女の言葉を聞いた途端、窓枠にかけた如月の靴底が滑った。
どうやら、夕方、エイプリルが窓際の花に水をやったとき、水がこぼれて、それがそのまま凍ってしまっていたようだ。
体勢を立て直そうとしたところへ、ビュウ、と雪混じりの風がまともに吹きつけてくる。不意を衝かれて踏みとどまることができず、吹雪の中に投げ出された如月の身体は、五階下の地面にある雪の吹き溜まり目がけて落ちていった。
「あれ、お兄ちゃん?」
窓から舞い込んできた風に、思わずぎゅっと瞑ってしまっていた目を開けると、急に視界から消えたおにいちゃんの姿を探してエイプリルはきょろきょろと辺りを見回した。
窓の外は風と雪で視界が悪い。いくら目を凝らしても如月の姿が見当たらない。きっともう帰ったのだろうと思い、エイプリルはそっと窓を閉めた。
(あーあ、せっかくイブの夜に凌おにいちゃんが来てくれたっていうのに、あたしったら肝心のものがまだできていないなんて)
心の中で呟きつつ、エイプリルは机の引き出しから、編みかけのマフラーを取り出した。綺麗なブルーの毛糸を使ったそれは、以前如月が来られなかった週末に、ライアンに付き合ってもらって買ってきたものだ。きっと凌おにいちゃんに似合うだろう、と、エイプリルが散々迷って見立てたものだ。
そして、寮の友達の助けを借りて、編み方を習い、ここまでコツコツと編み進めたのだ。何とか今週末に間に合わせるつもりでいたのだが、まさか今日彼が会いにくるなんて思っていなかった。
(本当は、イブの日の今日に渡せたらよかったんだけど……。でも、仕方ないわ。何とか週末に間に合わせるようにしようっと。凌おにいちゃん、喜んでくれるかな)
そんなことを考えながら、今度こそ、安らかに眠りについたエイプリルだった。
***
一方、そうとは知らない如月は、雪の積もった場所にずぼっと嵌まり込み、外からは全く姿が見えない状態になっていた。
(畜生、何で、俺がライアンのプレゼント選びに付き合わなきゃならないんだ……)
胸中で不満を呟きつつ、寒さで凍え、動きが鈍くなった四肢を動かして、何とか、埋まっていた穴からの脱出に成功する。
雪だらけの身体を払い、既に閉まっているエイプリルの部屋の窓をもう一度見上げてから、その場から姿を消した。
(あーあ。クリスマスだってのに、なんか俺、いいところなしだよな)
せっかく遥々やってきたというのに、予定していたサンタクロース作戦は不発に終わるし、肝心のエイプリルはライアンのことばかり気にかけているしで、如月としては踏んだり蹴ったりである。
「まあ、明日エイプリルがプレゼントに気づいて喜んでくれればそれでいいけどさ」
無理に明るい声を出し、家路に着こうとした如月の懐で、携帯の着信を知らせる振動が起こった。
ピ、と通話ボタンを押し、ろくに相手を確認もせず、はいはい、もしもし、と電話に出る。途端に、如月の耳に懐かしい声が聞こえてきた。
『あ、凌か? 俺、和海だけど』
突然聞こえてきた、遠い日本にいる親友の声に、如月は携帯を持ったまま固まった。
『……おい? 凌、凌なんだろ? 聞いてるか』
電波の状況が悪いのかな、と、通話を切られそうになり、慌てて電話に向かって怒鳴った。
「ああ、聞いてる、聞いてる!」
何だ、ちゃんと通じてるんだ、よかった、という安堵の声が携帯の機械を通して聞こえてくる。
如月の大事な親友、深町和海は現在、追い込み時期にある受験生である。そのため、時には話もしたいが、彼の勉強の邪魔にならないようにと、最近連絡を取ることも自粛していた如月である。久しぶりに聞いた親友の声に如月は嬉しさを隠しきれない。
「和海、久しぶりだな。元気か?」
『ああ。まあ、勉強のしすぎで、今は半分死んでるけど』
「ははは。じゃあ、今話してるのはゾンビかよ。……で、今日はいったいどうしたんだ?」
如月の問いに、和海は言いにくそうにしながら要件を告げた。
『それが、実は、お前の力を借りたくて。……頼む! どうしてもわからない問題があるんだ。電話でいいから、俺に教えてくれ!』
結局、如月は、四十分ほど和海の勉強に付き合ってやった。賢い如月は教え方もうまい。和海が一人で三十分間も悪戦苦闘していた問題が、彼の説明を聞くとすんなりと解けるようになった。
『凌、ありがとうな』
「いいよ、これくらい。俺でよけりゃ、いつでも言ってくれ」
明るく請け負う如月に、和海はふと思い出したように言った。
『今、そっちは夜中だろ。確か、まだクリスマスイブの夜なんだよな』
「うん。そうだけど」
『じゃあ、メリークリスマス! 俺の分もクリスマスを楽しんでくれよな、凌』
その言葉を最後に、通話は終了した。
携帯電話を懐にしまいながら、如月は、はあっと白い息を吐き出しながら空を見上げた。いつの間にか吹雪は止んでいて、空からは音もなく、ちらちらと雪が舞っていた。
親友からの電話で一気に気分が浮上した如月は、軽い足取りで家路に着いたのだった。
本編「BLUE WIND」の続編として、自分の好きなように楽しく書きました。ここまで読んでくださってありがとうございました。




