番外編 クリスマス・ナイト(前編)
これも、微妙に季節外れですが、本編「忙しい夏」の数ヵ月後、クリスマスのお話です。
「なあ、ライアン、エイプリルの学校の寄宿舎って、確か、煙突あったよな?」
唐突に尋ねられ、看護師のライアン・ウィンターソン青年は面食らった。
尋ねてきたのは、自分より年下である元雇い主。以前、ライアンが勤めている病院に意識不明のエイプリルという少女が入院していたとき、彼女の専属看護師として彼を雇ったのが、この東洋人の青年だった。名前は如月凌。
如月は、エイプリルの保護者と言っても、彼女の父親というには若すぎるし、兄というには外見的特徴が違いすぎる。彼らの間に血縁関係はなく、何やら複雑な事情があることは付き合っていくうちに自然と察せられた。しかし、如月は肉親以上に少女に深い愛情を注ぎ、彼女を大切にしていた。だから、ライアンは詳しい事情など知らされなくても、喜んで少女の専属看護師を引き受けたのだった。
彼女が退院した今も、その関係は続いている。
未だ病院に勤務しながらも、週末にはエイプリルの様子を診がてら、彼女を遊びに連れ出すことが、ライアンに課せられた雇い主からの要望だった。
もちろん、体が空いているときには、如月本人がエイプリルを迎えに行き、週末を一緒に過ごす。サービス精神旺盛な彼は、毎回フレッシュな情報を仕入れてきて、少女を喜ばせようと涙ぐましい努力を続けている。
それでも、大抵一日全部を彼女と過ごすことができないくらい如月は忙しい男だった。その多忙な保護者に請われて、ライアンも二人の外出に同席することが多かった。
クリスマス休暇を目前に控えた今日だって、如月の代わりにエイプリルを寄宿舎まで迎えに行き、彼が合流するまで二人でお茶をしていたのだ。如月が仕事を片付けて合流した後は、最近の若者の人気スポットやおいしいケーキ屋さんを食べ歩き、エイプリルの寮の門限時刻まで、三人で楽しい週末のひと時を過ごしたのだった。
で、エイプリルを送っての帰り道。寄宿舎の方を振り返って、如月が告げた一言がさっきの言葉だった。
「なあライアン、ここからはちょっと見えにくいけど、確かにあるよな、煙突」
「はあ。そうですね……。ああ、確かに。あれは、煙突のようですね」
背の高いライアンが建物の屋根の奥まった部分に目を凝らすと、確かに大きな煙突が屋根の間にのぞいていた。
「でも、煙突がいったいどうしたってんです?」
そう問うと、彼の雇い主の青年は、何かとてつもなく面白いことを考え付いたという顔で、にや〜っと笑ったのだった。
***
「ええっ、そりゃちょっと無茶じゃないですか?」
ライアンの呆れた声を気にも留めず、如月は言い切った。
「クリスマスのお楽しみにはサンタが不可欠だ。ライアンは彼女を喜ばせたくないのか?」
「そりゃ……」
「だったら、反対なんてするなよ。俺は、今年のクリスマスはサンタになって彼女のプレゼントを届ける! 決めたぜ」
如月は頭が回る分、言い出したら引かないし、どんな説得も無意味だ。逆にこっちが言いくるめられてしまうことは目に見えていた。
だが、一つだけはどうしても考え直してもらわねばならない。ライアンはしつこく食い下がった。
「でも、あの学校はとても生活に厳しくて、寮だって夜間外出防止と不審者撃退のためにセキュリティが徹底していることで有名だそうですよ。うっかり忍び込んだら捕まっちゃいますよ」
ばあか、誰に物言ってんだよ、と如月は唇の端をにっと上げた。
「侵入ならお手ものもさ。心配要らない。しかも、もう今回の侵入経路は決まっている」
「え? ……なんか、嫌な予感がするんですけど。ひょっとして、それって」
「察しがいいな、ライアン。そうだ、サンタクロースの侵入経路といえば、煙突だよな♪」
この上なく嬉しげな声とともに、如月は怪しげな計画を練りつつ帰って行ったのだった。
***
クリスマスイブ。
その日、肝心のエイプリルは、浮かない顔で夕食をとっていた。
周りのテーブルでは、友人たちが今日までに届いたプレゼントの話題で盛り上がっている。だが、エイプリルはその話題に入れそうもない。何しろ、まだ彼女には一つもプレゼントが届いていなかったからだ。
施設出身のエイプリルには、肉親は一人もいない。それでも、保護者代わりの『凌おにいちゃん』や、優しい看護師のライアンさんがいるので寂しいなどと思ったことは一度もなかった。逆に、かっこいい二人の青年を週末のたびに独占している彼女は、友人たちから羨望の眼差しを向けられているほどだ。
だが、今日のように、当たり前のように家族からたくさんの贈り物が届いている友人たちを見ると、急にエイプリルの胸中に寂しさがこみ上げてくる。
イブの日の夕食に相応しい特別メニューを半分以上残して、エイプリルはこっそり部屋に戻った。
まだ時間は早いがベッドに入って毛布を頭から被る。泣きそうだったが、泣いてはいけない、と自分を戒める。
(だって、身寄りのないあたしに、本当の家族みたいに優しくしてくれる凌おにいちゃんや、素敵なライアンさんがいるってのに、泣いてちゃ罰が当たるわ。プレゼントが来ないくらい、なんなのよ。週末になればクリスマス休暇だわ。お兄ちゃんたちがきっと迎えに来てくれるもの……)
それでも、知らずこぼれた涙で頬を濡らしながら、エイプリルが眠りについたころ、屋根の上では彼女の大好きなお兄ちゃんが凍えそうな寒さの中、佇んでいた。
「は……はっぐじょんっ」
威勢のいいくしゃみの音が深夜の冷え切った空気を震わせる。
ずず、と鼻をすすり上げながら如月凌は、雪の吹き付ける真冬の夜空の下、由緒正しい有名寄宿学校の寮の屋根に立っていた。
氷点下にもなる外気温に、決して寒さに強くはなさそうな細身の体を晒してこんな場所に突っ立っているなんて、正気の沙汰とは思えない暴挙である。しかも、数刻前から雪が降り始め、今や、ホワイトクリスマスを通り越して、軽く吹雪いている状態だ。
如月は煙突に背を預けてもたれかかり、腕で体を抱えるようにしながら寒さに耐えていた。
彼曰く。
「くそっ。この煙突、飾りじゃなくて今でも現役選手だったとはな。寮の暖房に使ってんじゃないか。それじゃあ、ここから侵入なんてしようものなら大火傷しちまうよな」
せっかく用意して来たサンタのコスチュームが無駄になるなあ、とがっくりしていた如月だったが、もともと落ち込んでも瞬時に立ち直る、前向きな性格の彼は、すぐに代案を思いついた。
「煙突からの侵入は潔く諦めよう。でも、それ以外は変更の必要なし、だ。煙突にこだわらなけりゃ侵入路なんていくらでもある。待ってろよ、エイプリル!」




