19 しばしの別れ
一緒に遊園地で遊んだ週末以降、和海にはまた補習漬けの毎日が続いていた。
それでも、午前中で補習を終えた後はエイプリルたちと合流して遊びに行ったり、如月に勉強を見てもらったりと、和海はできるだけ彼らと過ごす時間をとった。
短いながらも充実した日々が過ぎ、やがて、如月の休暇が切れる日が近づいてきた。蒸し暑い真夏の日本の気候の中連日遊びまわったエイプリルの体調も心配され、早めの帰国となった。
如月たちが日本を発つ日。和海は一時間補習をサボり、昼前に彼らの見送りに駆けつけた。
人ごみの中に親友の姿を見つけ、如月は顔を輝かせた。受験生の和海は昼過ぎまで補習があるから多分自分たちの出発には間に合わないだろうと思っていたのだ。
「和海、来てくれたのか。ありがとう。でも、勉強の方は大丈夫?」
「お前がせっかく遠いところを来てくれたんだからさ、見送りは当然だ。勉強のほうは……聞くなって」
後半の言葉で渋い顔になる和海を見て笑いながら、如月はまた礼を繰り返した。
エリプリルも短い滞在のうちにすっかり和海が大好きになり、見送りに来てくれたことを喜んでいた。しかも、和海から、これ、おいしいから学校のみんなと食べな、と土産のお菓子を渡され、ますます嬉しそうな顔になった。
「エイプリル。手続きの前に、ちょっとこっちに来てください」
そう言ってライアンがエイプリルを休憩所の方へ連れていく。搭乗前に彼女の体調を確かめるのだろう。
二人を待つ間、如月は和海と一緒にベンチに腰掛けた。あ、そうそう、と言いながらかばんを下ろし、中をごそごそ探っている。やがて、目当てのものが見つかったのか、如月は顔中に笑顔を浮かべて顔を上げた。
「和海、いろいろ世話になった。これ……感謝のしるしに、もらってくれよ」
ちょっと得意そうに如月が取り出したのは、カラフルな模様の入った紙袋だった。中から、甘い匂いがする。
「これは?」
「あれ、和海、知らないのか? 有名なドーナツだぜ」
都心で一番有名で、手に入りにくいといわれる幻のスイーツ、『ハッピー・くりーむ・ドーナツ』の、一番人気商品、ハッピーパックである。大抵の女子高生なら泣いて喜びそうな貴重な手土産であるが、和海は生憎このドーナツに特別な思い入れはないようである。
「ふうん、ドーナツ? さんきゅ。でも、こんなのどこでも買えるんじゃ……」
「買えないって!」
和海ののんきな言葉に如月が過剰反応する。
「これを買うのは、素人には至難の業なんだぜ! まあ、俺はもうコツを掴んだけどな」
最後の方は、自慢げな口調で如月が言う。初めて店を訪れたときは、真昼間に、延々と続く余りに長い列に並ぶことになり眩暈がしたものだが、今や、如月はいつ並べば列が最短で、しかも商品の品切れを免れるのかなど、購入のポイントを知り尽くしていた。今では最初の三分の一の時間で目当てのものを確実に手にすることができるようになっている。
せっかくなので幾つか購入し、今回借りを作ってしまった高遠朗と、河野はるかの元にも昨日届けに行ってきたところだ。
「はい、これ。お兄さんと食べてくれよな」
さり気無く、刑事をしている兄の深町和洋にもごまをすっておくことも忘れない。和海は、はいはい、と苦笑しながら如月が差し出すカラフルな袋を受け取るのだった。
搭乗時刻が迫り、エイプリルとライアンが戻ってくるのが見えた。遠くから如月たちに手を振っている。それに軽く手を上げて応えた後、如月は和海の隣から立ち上がった。ゆっくりとかばんを取り上げ、和海の真正面に立つ。
「和海、俺この夏、すっげー楽しかったよ。ありがとう」
如月の、掛け値なしの本心だった。今回、和海に会うまでにいろいろあったし、ずいぶん時間を無駄にもした。だが、心の底から来てよかったと思う。多分、向こうに帰れば山のような仕事が如月を待っているのだろうが、それさえも難なく頑張れそうな気がしてくる。
そんな如月の真面目な顔を見上げ、和海は遊園地でライアンに言われた言葉を思い出していた。
ごく子どもの頃から重い責任を負い、特殊な生活を送ってきた如月が、年相応の少年に戻れる時間。それを与えることができるのは親友である和海だけ……。
和海はさっと立ち上がり、如月と目線を合わせた。
「ああ、俺も楽しかったよ。受験生と思えないくらい遊んだけど、その分、お前に勉強を教えてもらえたし、ほんと、助かったよ! 礼を言いたいのはこっちだって」
和海の言葉に、如月は笑顔を見せた。ところが、和海がその後、また来いよ、冬休みにでも……と言いかけると、ふと如月の顔が曇った。
「うん。行きたいんだけど、冬はなあ……」
クリスマス休暇の時期、店は結構忙しくなる。夏にこれだけまとまった休みをもらった手前、冬の忙しい時期にまた、というのはいくら如月でも言いにくい。だが、もちろん、和海が是非にと言えばどんな無理をしてでも休みをもぎ取るつもりだったが。
考え込むようにわずかに眉が寄った如月の顔を見て、和海が噴出した。
「くくっ。凌、なんて顔してんだよ。無理ならいいよ」
「ええっ。いや、行くよ、行く。大丈夫だって! 休みくらい、何とかなるから!」
思いがけない親友の言葉に、如月が慌てる。いや、俺は冬にも和海のところに遊びに来たいんだって、自分の脳みそをフル回転させればきっといい手が思いつくはずなんだ、だから……。
「凌、落ち着け。俺が言ったのはそういう意味じゃないんだけど」
「え?」
「今回はお前が来てくれたんだから、次はこっちの番だよな。お前が日本にくるのが無理なら、俺がそっちに遊びに行くよ!」
如月は、そのとき不思議な感動を覚えていた。
忙しくて、楽しかった夏の旅は終わろうとしている。楽しい時間が終わるのはいつだって寂しい。
けれども、次の約束を交わすだけで、また新しい楽しみがその先もずっと続いていくのか、と。
(冬か。和海が遊びに来てくれたら、どうしようかなあ。どこに連れて行こうか。エイプリルも休みになるから……)
楽しい計画に、如月の頭は一気に加速し、忙しく回転を始めるのだった。
― 了 ―
『忙しい夏』本編はこれで終了です。ここまで読んでくださってありがとうございました。
このあと、番外編として、クリスマスの短編を載せようと思っています。そちらも続けてお読みいただけると嬉しいです。