13 バスケ少年の後悔
運動部の三年生は、夏の大会を最後に引退することになっている。バスケ部は夏の全国大会出場権を後わずかのところで逃したため、夏休みの練習は既に一、二年を中心にした、秋季大会に向けてのものにシフトしようとしている。
それにも関わらず、心底部活好きの熱血バスケ少年吉村篤志は、三年生のほぼ全員が参加する夏季補習に出席した後で、二日にいっぺんは必ず部活に顔を出していた。
今日もうだるような暑さの中、参考書と格闘した後、気分転換も兼ねて体育館に行った。部長でもある吉村は、次期部長候補の二年生から練習メニューについての相談を受けた後、ついでに、と試合形式の練習にも参加していた。
カッターシャツを脱いで下に着ていたTシャツと学ランのズボンという軽装になった頼れる部長の姿に、三年生引退後は主力となる二年生もすっかり張り切っていた。二年生のレギュラーチームに対して一年生を混ぜた吉村たちの即席チームが試合を挑む。ゲームが始まると、経験もテクニックもある吉村がいるため、一年生チームも二年生の主力チームと互角の戦いとなった。
そして、すっかり熱くなった二年生の島村がプレーの途中で吉村と接触した際に怪我をしたのだった。
吉村は、怪我人を連れて訪れた保健室で思いがけない人物と再会して驚いていた。
教師用の机の横に置かれた観葉植物の鉢の陰。入り口からは姿が見えない位置に、ひっそりと座っていたのは自分より幾分小柄な少年。それは、元クラスメイトの如月凌だった。
二年の終わりに突然転校していった如月に、吉村はずっと言いたかったことがあった。
しかし、彼の行き先は結局誰も知らなかった。親友と言われていた深町和海だけはきっと知っていたのだろうと思うが、如月がどこの高校に行っているのか何度聞いても困ったように笑うだけで教えてくれなかった。その彼がなぜ、この学校の保健室になどいるのだろうか。
色褪せたジーンズに綿のシャツという如月の私服姿は始めて目にする。それは制服姿よりずっと彼に似合っている気がした。吉村は懐かしさでいっぱいになりながら近づいた。
「久しぶりだな、如月。元気か?」
「ああ。ほんと、久しぶりだな」
吉村、まだ相変わらずバスケやってんだな、と如月が苦笑を向ける。そういえば、二年の冬のクラスマッチのとき、如月とバスケの特訓をしたことがあったな、と吉村は思い出した。
バスケをそれまでやったことがなかったという如月は、しかし、抜群の運動神経でぐんぐん上達していった。飲み込みも早く、教えたことはほぼ完璧にマスターするので、指導する吉村も、つい熱が入った。クラスマッチ直前には朝練、昼練はもちろん、休み時間もほぼ毎回練習をしていたっけ。
「さ、これでいいわ。今日はもう部活を休んで安静にしていなさい」
美咲ゆりの声がし、バスケ部員の島村が礼を言う声が聞こえた。見ると、もう治療が終わったようで、島村が足をかばうようにして立ち上がるところだった。足首には大きめのシップが貼ってある。
吉村はあわてて駆け寄り、後輩が立ち上がるのに手を貸しながら、美咲に不満そうな顔を向けた。
「先生。俺のときみたいにあの、足首をぐりぐり回す治療はしないんですか? あれすると続けて部活ができるんだけどなあ」
吉村は、如月が唯一参加した二年の時のクラスマッチで足を捻挫し、どうしても試合に出たかったため、美咲にかなり乱暴な治療を施してもらったのだ。
「あの時は特別よ。島村くんの怪我は、あのときのあなたほどひどくはないから今日一日我慢すれば明日からは部活に参加できるわよ」
だいたい、あんな乱暴な治療に耐えられるのはあなたくらいよ、と美咲があきれたように言う。しかし、吉村はまだ不満そうだ。
「でも、明日は一日中マーク模試があるから、俺、部活に参加できないんですよ。試合、せっかくいいところだったのに」
受験生のはずなのにあくまでバスケ中心の発言をする吉村が、あまりにも記憶の中の姿と変わっていないので如月は思わず笑ってしまった。
その如月の笑顔に、吉村がびっくりしたような顔を向ける。二年間同じクラスで過ごしたはずなのに、吉村は彼の、こんな無防備な笑顔にはお目にかかったことがなかった。
不良の問題児として同級生から恐れられていた如月だったが、クラスマッチを境に彼のクラスでの立ち位置は吉村たちとぐんと近くなった。しかし、クラスマッチが終わるとすぐに如月は何も告げずに学校を去り、これでやっと普通のクラスメイトとして付き合っていける、と期待していた吉村の思いは霧散したのだった。
だが、久しぶりに再会してみると、あの時あれほど彼を敬遠していたのが馬鹿らしくなるほど、如月は屈託ない表情を見せてくる。
「笑うなよ、如月」
後輩に肩を貸したまま、吉村は元クラスメイトを軽く睨む。その隣で、後輩の息を飲む声が聞こえた。
「先輩、如月さんって、あの、如月さんですか」
不良の、とは言わなかったが、吉村にはその意味が伝わった。在学中、如月は何度も上級生との暴力沙汰に関わり、不良の問題児として有名だった。二年の島村は、昨年その噂をたっぷり聞いてきたはずである。彼の反応は、以前の如月を知る者としては当然のものだった。
しかし、吉村はその言葉を聞き流せなかった。如月自身は自分がどう言われようと気にしないかもしれない。今だって、島村の声が聞こえたのかどうかわからないが、表情一つ変えない。でも、バスケを通して如月と多少とも関わりを持つことができた吉村は、普段見えていなかった彼の一面を知った。
二年目にして初めて話した如月は、決して乱暴なやつではなかったし、案外気さくでさっぱりしたやつだった。そして転校生の深町和海と話すときの彼は普通の高校生と全く変わりがなかった。
「島村、失礼なこと言うな」
厳しい顔で言う先輩の声に、バスケ部員の島村は素直にはい、と返事をするが、如月の方を見ようとしない。怖くて見られないと言った様子だ。
如月を前に、妙におどおどする様子の後輩の姿は、かつての自分と重なるものがあった。吉村はずっと後悔し続けていた以前の出来事を思いだしていた。
***
如月が活躍したクラスマッチの後、クラスでの祝勝会に参加しなかった彼を、吉村はクラスの有志とともに自主的な打ち上げに連れ出した。その日、なぜか恨みを買っていたバスケ部の先輩に呼び出され、吉村は柄の悪い三年生に囲まれることとなった。リンチを受ける寸前だった吉村を助けてくれたのは如月だった。
その時、如月はいっさい手を出さなかったが、札付きの三年生をひと睨みし、脅し文句を吐いただけで相手を黙らせてしまった。その迫力に、助けてもらった吉村自身も怖気づいていた。
結局満足に礼も言えず、それどころか一瞬ではあるが助けてくれた如月を怯えた目で見てしまった。そんな吉村の様子を見たときの如月の、諦めたよう陰りを帯びた表情が吉村は忘れられなかった。結局その後彼は遠くに行ってしまい、謝る機会も逸したままだった。
そのことが、ずっと吉村の心に引っかかっていたのだ。
「……如月。俺、あの時さ……」
荷物を取りに行くと言う後輩を見送って、吉村は如月の隣に立った。なんとなく顔が見られず視線を逸らせて口を開く。
「あの時?」
怪訝そうに見上げてくる如月に、説明をすると、ああ、という風に彼の方も決まり悪げな顔になる。
「あの時、ね。いいよ……もう。吉村を怖がらせちゃったのは俺の普段の行いのせいだ。自業自得ってやつだよ。今、吉村は普通に話してくれるじゃん。だから、もういいよ」
それを聞いて、ずっと胸につかえていたものが今漸く取れた気持ちの吉村は、彼らしい満面の笑顔を浮かべたのだった。