11 偶然の再会
如月が買ったハッピーパックの一つは高遠に頼まれた美咲への贈り物、もう一つは如月から和海への土産である。
もともと如月は、これほど大変な思いをして土産を買うつもりはなかった。しかし、せっかくここまで並んだのだから買っておかなければなるまい。聞きしに勝る手に入り難さのこのドーナツを、苦労して買っていけばきっと和海は喜んでくれるだろう。だけど……
一つため息を吐いて、如月は店に戻った。
「おい、坊主たち」
手にしたハッピーパックのカラフルな袋のうちの一つを少年たちの前にポンと置く。
「これ、やるよ。お母さんに持って帰ってやりな」
この際、和海には別のものを買って行こう。彼は、この店を高遠にわざわざ指定したという美咲と違って、ここのドーナツに拘りはないはずだ。これは、炎天下の中一緒に長時間行列に並んだ少年たちの母親への土産にくれてやろう。如月はそう思った。
少年たちはもちろん大喜びだった。
「お兄ちゃんありがとう。これ持って帰ったらお母さん、きっと喜ぶよ」
「まーくん、いいなあ。じゃあ、こっちは僕がもらっていい?」
一人の少年が袋を受け取り、もう一人の少年が、如月が手にしている方の袋に手を伸ばす。
「一つでいいだろ? だってお前ら、兄弟なんだろ」
あわてて袋を死守する如月だったが、少年たちはそろって首を振った。どうやら、二人は仲のいい友人で、それぞれ自分の母親に土産を買いに来たらしい。お揃いの帽子なんか被りやがって、紛らわしいことこの上ない。
「……そーか。兄弟じゃなかったのか」
それなら、しかたがない。この場合、一人にだけ我慢させることなど如月にはできなかった。社長さん、ごめんな、と心で謝りつつ、結局両方の袋を手放すのだった。
「あーあ。手ぶらでゆりさんところに行くわけにはいかないよなあ。高遠社長になんて言おう」
なんといっても今日の如月は高遠に借りがある。
喜んで駆け去る少年たちと別れ、ゆっくりと店を後にする如月に、声がかけられた。
「ねえ……ひょっとして、如月君?」
「はい?」
かわいらしい女の子の声に、思わず振り返ると、そこには学校帰りらしい制服を着た女子高生が立っていた。
しかも、彼女には見覚えがある。黒くてつやつやした髪は、如月の記憶では肩より上のショートボブだったのだが、今は長くなった髪をポニーテールにして結んでいる。小柄で色白、かわいらしい眼鏡をかけている。
「……河野さん? 久しぶりだな」
それは、かつてのクラスメイト、河野はるかだった。
高校入学当初から不良の問題児と言われ、上級生と乱闘騒ぎを繰り広げ、無断遅刻に早退を重ねてサボりの常習犯だった如月は、クラスメイトはもちろん、教師からも敬遠されていた。そんな彼をいつも心配そうに見守り、和海が転校してくるまでクラスで唯一まともに接してくれたのが彼女だった。
と言っても、如月は、目的を遂げるまでの一時凌ぎに過ぎない高校生活で友人を作るつもりはなかった。彼にとって、自分を放って置いてくれる環境はそう居心地の悪いものではなかった。だからはるかがいくら話しかけようとも特に親しくなることはなかった。
でも、久しぶりに会うとやはり懐かしい気持ちが生まれ、如月は彼女に笑顔を向けた。
クラスメイトだった頃、教室ではほとんど見たことがなかった如月凌の笑顔が眩しく感じられ、はるかは思わず顔を赤くした。
***
彼女にとって、如月凌は入学当初の席順で隣同士になったときから妙に気になる存在だった。
もともと、やや小柄ながら整った顔立ちの如月は、ひそかに女生徒からの熱い視線をたっぷり受けていた。本来なら二、三日もすれば入学後の緊張も緩んだクラスでモテモテ状態になってもおかしくなかった。
でも彼は、入学直後に難癖をつけてきた上級生の不良グループに対して、売られた喧嘩を受けて立ち、あっさりと、当時幅をきかせていた三年生を何人も病院送りにした。異様に腕っ節の強い新入生の噂は、尾ひれ背びれがついてあっという間に校内に広がり、彼は平穏な生活を望むまともな生徒たちからは敬遠され、孤立することになったのである。
だが、はるかは一人ぼっちの如月のことをどうしても放っておけなかった。彼本人は、孤独な立場を苦に感じている様子は微塵もなかった。それでも、はるかは朝会えばどきどきしながら彼に挨拶をしたものだった。
不良の問題児というレッテルを勝手に貼られ、ほとんど学校に寝に来ていた如月凌だったが、二年の冬に、転校生の深町和海が現れてから彼は一気に変った。
驚くべきことに、毎日のようだった遅刻、早退が一切なくなった。纏う雰囲気がどことなく親しみやすいものになり、なんとなく無気力に学校生活を送っていた彼が、楽しそうにしている様子も見られるようになった。和海と他愛のないことを話す如月は、普通のクラスメイトとなんら変わりなく見えた。
こんなにも如月凌を変えた深町和海を、始めは羨ましく思った。全く普通の高校生の彼にどうしてそんなことができたのか、疑問に思うこともあった。
けれど、和海と話し、付き合っていく中で、はるかは、彼の決して人を分け隔てしないまっすぐな性質、優しく素直な性格、そして人にすぐに心を開き、相手にも無理強いをするでもなく自然と心を開かせていく才能に気づいた。彼だからこそ如月と対等に友達関係を築くことができるのだろうと納得できた。
三年生になる前に突然転校していった如月が、この町に来ているということは、恐らく夏休みを利用して親友に会いに来たに違いない。そう、はるかは確信を持った。だとすれば、彼がこの人気のドーナツ屋を訪れたわけは……
「如月君。深町君へのお土産を買いに来たんでしょ」
そう聞いたはるかの言葉に、如月は現在の自分の状況を思い出し、大きなため息を吐いた。
「そうなんだ……けど」
店から出たばかりだというのに、ドーナツの袋を持っておらず、今の彼は手ぶらである。
はるかはくすっと笑った。実は、もともと店内のテーブル席にいた彼女は、如月と少年たちとのやり取りを目にしていた。自分が買った分を後ろの少年たちに、情けなさそうな顔で譲ってやった如月。彼のことを、なぜ当時の自分たちは危険な問題児だなどと思ったのだろう。
「私、ここ、よく来るのよ。今日も店のお勧めを食べたばかりなの。弟のお土産にこれ、買ったんだけど、よかったら、如月君にあげるわ」
はるかは学校指定の手提げかばんからハッピーパックのカラフルな袋を取り出した。
「え……。いいのか?」
ありがたい申し出に、元クラスメイトに手を合わせつつ、如月は何度も礼を言ってそれを受け取った。
必ず、同じものを買って返すよ、といいかけた如月だったが、自分が休暇中で来ていることを思い出した。いろいろな事情が重なり、もう余り休みが残っていない。帰りの路程も考えると、五日後には日本を発たねばならない。その間にもう一度この行列に並べるだろうか……。
「あ、別に返さなくていいからね。気にしないで。私が如月君にあげたかっただけだから」
はるかはそう言ってくれるが、そうもいかない。
「できるだけ、このドーナツを買って返す。もし、無理だったら、俺の住んでるところから何か送るよ」
ヨーロッパの田舎町とはいえ、何かしら日本の女子高生が喜びそうなものはあるだろう。店の女の子にでも聞けばいい。
ここで別れればもう彼との関わりはなくなるのだろう。そう思っていたはるかは、如月からの、思ってもみなかった申し出に驚き、その後、嬉しそうに、うん、と頷いたのだった。