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架空の財閥を歴史に落とし込んでみる  作者: 常盤祥一
番外編:この世界の諸外国の状況
75/112

番外編:この世界での諸外国③(アフリカ・ヨーロッパ・オセアニア)

〈アフリカ〉

・ソマリランド(元イギリス領ソマリランド)が、ソマリア(元イタリア領ソマリランド)との統合を拒否して、「ソマリランド国」として独立を維持する。その後、ソ連と満州の工作により1966年に社会主義革命が発生、「ソマリランド社会主義共和国」となる。

・西サハラ(元スペイン領サハラ)も、満州の支援を受けて独立運動が発生、1976年に「サハラ・アラブ民主共和国」として独立する。


〈ヨーロッパ〉

・ソ連の西進がオーデル・ナイセ線でストップした為、ドイツが東西に分裂しない。また、オーデル川河口のシュテッティンとその東側はドイツ領のままで残る。


〈オセアニア〉

・パラオ、ミクロネシア連邦、北マリアナ諸島が一つの独立国家「南洋諸島連邦共和国」として独立する。


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〈アフリカ〉

・ソマリランド社会主義共和国ソマリランド

 領土はかつて存在したソマリランド国と同様(約15万5千㎢)。人口は約500万人。首都はハルゲイサ。


 現在のソマリアの成立前、北側はイギリス領ソマリランドに、南側はイタリア信託統治領ソマリア(1950年までは「イタリア領ソマリランド」だった)に分かれていた。1950年代後半に両地域が独立する事が決定した際、統一ソマリアを建国する事が決定した。1960年6月26日にイギリス領が「ソマリランド国」として独立し、5日後の7月1日にイタリア領も「ソマリア共和国」として独立し、同時にソマリランド国を統合した。


 この世界では、南部との統合を拒否する集団がイギリス領側の独立勢力の最大派閥となった。これは、人口比率や産業構想から、北部が南部に隷属すると考えられた為である。ソマリ族の氏族への帰属意識も合わさり、「隷属となるのであれば、個別に独立した方がマシ」という考えが大多数を占める様になった。

 これにより、北部においては南北統合は流れ、暫くはイギリス領として存在した。南部の独立から遅れる事2年、1962年8月1日にイギリス領ソマリランドも「ソマリランド国」として独立した。

 独立後も、ソマリアはソマリランドとの統合を諦めておらず、何度も統合を目的とした交渉が行われた。しかし、ソマリランドの指導部は多数決の原理によって自分達が排除される可能性を払拭出来ず、のらりくらりと交渉を躱していた。

 その間に、ソマリランドは独立を保つ為の後ろ盾として、ソ連に接近した。これにより、ソ連製の兵器の導入が進み、ソ連が連れてきた満州が主導して農業や漁業の発展が見られるなどして国力の拡大となったが、同時にソ連と満州のコントロールが強まった。特に、ソ連との繋がりが深い軍部や国営企業はその傾向が顕著であった。


 1964年5月、軍部と国営企業、及び親ソ派官僚によるクーデターが発生し現政権が崩壊した。同年6月には「ソマリランド社会主義共和国」と国号を変更し、国内の政党もソマリランド社会党に一本化された。新生ソマリランドをソ連が承認した事で、他の社会主義国も承認した。

 社会主義国となった事で、ソ連と満州からの支援も大きくなった。軍事ではソ連から、経済では満州からの支援によって拡大していった。それに伴い、国内の開発も進められ、農場開発や緑化事業、地下資源の開発に首都ハルゲイサや港湾都市ベルベラの機能強化など多岐に亘った。

 これにより、ソマリランドの経済は好調となり、ベルベラにはソ連海軍の寄港地の一つとなった。また、1974年にエチオピアで革命が発生し社会主義国となると、不安定だったエリトリア地域の使用が難しくなり、ベルベラがエチオピアの外港として活用される事となった。その輸送を円滑にする為、1978年から満州からの支援でジブチ・エチオピア鉄道の輸送力強化(1000㎜から1435㎜に改軌、重軌条化、一部複線化)、途中駅のディレ・ダワから分岐してハラール、ハルゲイサを経由してベルベラに至る路線も建設された(1984年に全て完成)。これにより、エチオピアとの関係が強まった。


 一方で、ソマリランドの経済が好調な事は、ソマリアとの対立を強める要因となった。1970年にソマリアも社会主義国となったが、両者の関係は好転する処か悪化した。ソ連からソマリアへの支援が少なかった事もあるが、ソマリランドの経済が好調で内政状況が良好と自国とは真逆である事も理由だった。

 その為、ソマリランドの経済力を手に入れようと「大ソマリ主義」を名目に両国の統合が再度提案されたものの、ソマリランドにその思惑を見透かされた為拒否された。その結果、1977年にソマリアから攻撃を仕掛けられ、一時は南部が占拠されたものの、ソマリアがエチオピアとも戦闘をしている事、ソ連からの支援を受けられた事でこれを撃退した。以降、両国との関係は最悪なものとなっていく一方、共通の敵が出来た事でエチオピアとの関係は好転していった。

 

 冷戦後は、ソ連からの支援の減少から経済危機を迎えたものの、満州からの支援があった事、経済の自由化を行うなどして存続した。また、ソマリア内戦の基地として多国籍軍の基地化、ソマリア沖の海賊対策としてベルベラを解放するなどして、周辺地域における治安維持の為の基地として現在も活用されている。

 現在では、農業や漁業などの一次産業に加え、食品加工や皮革製品などの製造・輸出も盛んに行われている。地下資源の開発も進められ、石油や天然ガスの生産も少量ながら行われている。サービス業では、観光業だけでなく通信業の拡大が進んでいる。

 経済は好調ながら、雇用が多くない事から失業率も高い。その為、中東や満州、アメリカへの出稼ぎも多く、そこからの送金も重要となっている。


 軍事面では、冷戦中はソマリアに対抗する為、人口や国力と比較して大きな戦力を有していた。現在はソマリアの脅威の減少とテロの増加から、兵力の削減と非対称戦に対応した装備への変更が行われている。

 陸軍は、戦車を全廃しており、装甲車の増備を進めている。また、戦闘ヘリ・輸送ヘリの増備も進んでいる。

 海軍は、海上警備程度となっている。ソ連製や満州製の中古コルベット艦が少数と複数の哨戒艇、ミサイル艇が戦力となっている。

 空軍は、MiG-21が主力戦闘機ながらアビオニクスは満州製を採用しており、戦闘面では後れていない。これ以外にも、地上攻撃機としてSu-25やSu-17が配備されている。


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・サハラ・アラブ民主共和国(西サハラ)

 現実の西サハラとモロッコ南部のタルファヤ地方(旧・スペイン領モロッコの南部)を足した土地が領土となる。総面積は約27万㎢。人口は約170万人。首都はアイウン。


 史実では、西サハラは領土の多くをモロッコが領有しているが、「不法占拠」として多くの国からは認められていない。1975年にスペインがスペイン領サハラの統治権を放棄して以来、独立国家となったのか何処の国の一部になったのかが名目上決まっていない状態にある。

 

 この世界では、1957年にスペインはモロッコにセウタとメリリャを除いたスペイン領モロッコの北部、スペイン領モロッコの飛び地であるイフニーを返還した。同時に、残るスペイン領サハラとスペイン領モロッコの南部を再編して海外州「スペイン領サハラ州」として統治力を強化した。これは、一か所に固めて防衛しやすくすると同時に、モロッコからの返還要求を先延ばしさせる目的があった。また、フランスからの支援によって統治力を強化すると共に、フランスからの投資による地域開発も行われた。

 この政策は上手く行き、モロッコから何度も返還要求が来たが、フランスからの抗議によって退ける事が出来た。一方で、サハラ州でのフランスの影響力が強まり、特に経済ではフランスの存在が無ければ回らない程となった。また、植民地支配そのものが時代遅れになった事もあり、フランスはいずれ独立させる必要があると考えていた。


 1970年以降、サハラ州での独立運動は活発となった。その後、スペインが武力で鎮圧した事、周辺国やソ連からの支援が来た事で武力闘争へと発展した。フランスはスペインと共同して、武力闘争を鎮圧させると同時に、権益を保持した上で独立させる事とした。モロッコとモーリタニアに介入の隙を与えない様にする為、鎮圧は速やかに行う事とされた。

 しかし、早急な鎮圧に失敗し、1974年には隣国ポルトガルでカーネーション革命、全植民地を放棄する事が決定した事もあり、スペイン側が大混乱となり自然に休戦状態となった。1975年にはスペイン・フランスと独立勢力とで交渉の場が設けられ、交渉の結果、3年以内に独立させる事、域内のスペイン・フランスの利権は引き継がれる事が決定した。

 独立勢力側の大勝利だったが、これを快く思わなかったのが隣国のモロッコとモーリタニアだった。両国は西サハラを合併しようとしたが、国連に止められた上、ソ連の支援を受けた独立勢力の妨害にあって失敗した。

 その間に、政府の設立準備などが進められ、当初の予定よりやや早い1977年6月1日に「サハラ・アラブ民主共和国(西サハラ)」として独立した。


 西サハラは、宗主国スペイン、経済的利権を有するフランス、独立時に支援したソ連との関係が深かった。その後、モロッコからの妨害を躱す意味から親ソ化が進んでいったが、国内の外国企業の国有化、農業の集団化などは行われなかった。その為、西サハラは東西両地域における緩衝地帯としての役割を果たしていた。

 また、ソ連との関係が深い事から満州との関係も強化され、国内産業の育成が行われた。特に、水産業と水産加工業の育成に力が入れられた。他にも、地下資源の開発、各種インフラの整備、緑化事業などが進められた。これらの労働力が現地だけでは不足する為、友好国であるイエメンやソマリランド、イラクにシリアなどの移民で対応した。


 現在では、各種産業の育成が進み、農業(柑橘類、イチジク、ナツメヤシ、コルクガシ、オリーブ、野菜)、水産業(タコ・イカ、カツオなど)、畜産業ラクダ、それらの加工業が雇用・輸出で大部分を占めている。輸出先としては、満州やロシアなど旧東側諸国、フランスとスペインで7割以上を占めているが、冷戦後は日本への輸出が増加している。

 鉱業の発達も進んでおり、特にリン鉱石が最大のものとなっている。近年では、リンを活用した化学産業の発展も見られる。これ以外にも、石油や天然ガス、鉄鉱石にマンガンの採掘も行われているが、共に少量だったり開発が進んでいないなどして、主要輸出品とはなっていないか国内需要を満たす分しか採掘されていない。

 それ以外にも、教育の拡大に伴う金融や通信、IT関連の拡大、便宜置籍船国となる、カジノの誘致などが積極的に行われている。これらの政策が功を奏し、獲得する外貨の拡大や観光客の増加に繋がっている。


 軍事面では、モロッコの侵攻を防ぐ目的から陸軍が最優先された。それだけでは不足の為、ソ連やキューバから軍事顧問を派遣してもらうなどして、練度や技能の向上に努めた。

 冷戦後は、大規模な軍事衝突が発生する可能性が減少した事、テロ活動の増加から、軍を解体する代わりに準軍事組織の強化が行われた。これに伴い、軍と警察が統合して「サハラ警察軍」となり、特に武装警備隊(陸軍の事実上の後身)と国境警備隊の強化が行われた。

 武装警備隊と国境警備隊が、陸での武装組織となる。主要装備として、BTRシリーズやソフトスキンなどの装輪車両、小銃に対戦車ロケットなどとなる。戦車については、国軍解体まではT-54/55を保有していたが、国軍解体時に全て破棄された。

 沿岸警備隊は、海軍を合併した。尤も、装備が共通だった事、人員交流も進んでいた事から、大きな変化は無かった。装備は、オーサ型ミサイル艇を基とした哨戒艇が複数、シージャック対策用の特殊部隊が数個となっている。

 空軍は、国軍解体後は武装警備隊航空隊として再編された。かつては戦闘機を保有していたが、国軍解体で戦闘機・戦闘攻撃機は全て破棄された。その代わり、輸送機とヘリコプターの増備が進み、特に戦闘ヘリの強化が見られた。


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〈ヨーロッパ〉

・ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)

 領土は樺太南部、千島列島を領有していない事を除けば史実通り。人口も史実通り。


 この世界でもソ連は崩壊したが、史実と比較するとマシな状況だった。というのも、国内の農業が壊滅しなかった事、流通網の整備が進んだ事、先端技術における西側との遅れが史実よりも縮まっている事、核兵器の保有量が史実の半分程度だった事、アフガニスタンへの介入が無かった事である。


 1番目の「国内の農業が壊滅しなかった事」は、スターリン批判まで遡る。この世界では、朝鮮戦争中に原子爆弾が使用されたが、それがスターリンの独断であった事が問題となった。米軍の報復でソ連極東部が壊滅した事、がソ連が初めて実戦で原爆を使用した事が国際的に非難され、インドやイランなどとのパイプ形成に失敗した事を受けて、史実以上に批判される事となった。

 その影響で、スターリンと親しかった主要人物の追放が行われ、その中でも農学者トロフィム・ルイセンコの追放が大きかった。彼の追放で、史実では停滞した農学・遺伝子工学などの部門で大きく変化し、その後もソ連における主要分野となっていった。

 また、満州からの提案で生産責任制の導入や作物の自由な作付けを限定的に開放するなどの農業改革が行われた。ここでの成果により農業生産が大きく落ち込む事が無くなり、農業国でありながらコムギを大量輸入して外貨を減らす事とならなかった。実際、これ以降のソ連における穀物や食糧の生産量は大きく落ち込む事は無かった。


 2番目の「流通網の整備が進んだ事」は、非効率な構造を改めた事となる。フルシチョフからブレジネフの間に、コスイギン主導の下、改革の一環として流通網の効率化が進められた。具体的には、鉄道網や道路網の整備、手続きの簡略化、倉庫機能の強化である。

 これらの施策は成功し、収穫した穀物や生産した食糧を倉庫で腐らせるといった事は無くなった。また、食料品の流通が滞らなくなった事は、市場に出回る食料品の量が増加した事となり、食料品に限っては不足は見られなくなった。

 同時に、この改革の一環で国営企業の改革も進められ、技術革新や設備更新を進めれば奨励金が出る事となった。これにより、3番目の「先端技術における西側との遅れが史実よりも縮まっている事」に繋がり、また生産性も向上していった。因みに、設備更新で出た古い生産設備については、無償や格安で同盟国に輸出された。

 一方で、これらの改革は満州にいた日系官僚のアドバイスがあって成功した面もあった。その為、ソ連を始めとした東側圏では、満州における農業や製造業などの経済部門の発言権が拡大していく事となった。


 4番目の「核兵器の保有量が史実の半分程度だった事」は、朝鮮戦争中に核兵器の応酬が起きた事から、米ソ両国は核兵器の危険性について改めて認識した。その為、核兵器の保有量を自主制限した結果、史実の最盛期の半分程度となった。

 核兵器の保有量が減った代わりに、通常兵器の保有量が増加した。核兵器の製造予算及び保守費用が、通常兵器に流れた為である。この結果、この世界の米ソ英仏の軍隊の編制が変化した。

 特に変化したのが、ソ連海軍だった。ソ連海軍は、通常兵器で米海軍に対抗する為、空母機動部隊の整備が急がれた。その結果、モスクワ級ヘリコプター巡洋艦が史実のキエフ級として完成した。その後、キエフ級が最初からスキージャンプ甲板を持つ空母(史実の「ヴィクラマーディティヤ」相当)として完成し、トビリシ級(史実アドミラル・クズネツォフ級)も1143.5設計が2隻建造された(史実では、1143.5設計のクズネツォフと、1143.6設計のヴァリアーグが建造された。この世界では、名称こそ「1143.5設計」だが、1143.6設計相当となっている)。また、ウリヤノフスク級空母もソ連崩壊前に1隻が完成してソ連海軍に所属した。

 現在、ロシア海軍が保有している空母は、キエフ級の後期型2隻(ノヴォロシースク、アドミラル・ゴルシコフ(旧・バクー))、トビリシ級2隻(アドミラル・クズネツォフ(旧・トビリシ)、ヴァリヤーグ(旧・リガ))、ウリヤノフスク級1ウリヤノフスクの5隻が籍を置いている。この内、ノヴォロシースクとヴァリヤーグが太平洋艦隊、アドミラル・ゴルシコフとアドミラル・クズネツォフ、ウリヤノフスクが北海艦隊に所属しているが、キエフ級については予備艦扱いとなっており、新型空母が完成した暁には退役する予定となっている。


 5番目の「アフガニスタンへの介入が無かった事」は、『番外編:この世界での諸外国②(東南アジア・南アジア・西アジア)』にもあるが、早い時期から親ソ国家となり社会主義政策を進めた事で、大規模な内戦状態とならなかった。ソ連軍の進駐こそあったものの、小規模であり「圧力を掛ける」以上の意味は無かった。

 その結果、アフガンで浪費した軍事費が抑えられる事となった。


 これらの変化があった事で、ソ連の財政状況は史実よりも良かったが、過剰な軍事費や経済の遅れによって財政状況の悪化は避けられなかった。結局、史実と同じタイミングで崩壊する事となった。

 それでも、経済の崩壊は抑えられた事で治安の悪化も大きなものとならなかった。また、旧ソ連構成国の離反が最小限だった事、満州経済の拡大や日本との関係改善もあり、1990年代中頃には経済は回復傾向にあった。1998年のロシア通貨危機も何とか乗り切り、21世紀に入ってロシアは復活傾向を見せている。


 戦後、ドイツから賠償として戦艦グナイゼナウと空母グラーフ・ツェッペリン(未成)を獲得したソ連は、それらとイギリスから貸与された戦艦アルハンゲリスク(リヴェンジ級ロイヤル・サブリン)のデータを基に、ソヴィエツキー・ソユーズ級戦艦2隻とクロンシュタット級巡洋艦(実際には3万トン近い船体を持つ巡洋戦艦)4隻の建造再開が「指示」された。ドイツからの賠償や米英との裏取引で獲得した各種治具や人材を活用して、造船所の拡大や船体の建設が行われた。これらの作業が急ピッチで行われた結果、1949年にはクロンシュタット級巡洋艦2隻が完成し(主砲は40㎝連装砲に変更)、早速他の保有する戦艦と共に太平洋艦隊に回した。翌年にはソヴィエツキー・ソユーズ級戦艦2隻が、更に翌年には残るクロンシュタット級巡洋艦2隻が完成した。

 太平洋に回航されたクロンシュタット級だが、朝鮮戦争中に援朝ソ連義勇軍の一因として参戦したが、復活した日本海軍との海戦に敗れて2隻共撃沈された。戦争後、改めてソヴィエツキー・ソユーズ級2番艦「ソヴィエツカヤ・ロシア」とクロンシュタット級4番艦「スモレンスク」が太平洋に回航された。

 因みに、これら大型艦艇を建造する為、セヴェロドヴィンスクには大型艦(戦艦、空母クラス)が建造可能な造船所が建造され、セヴェロモルスクには整備用のドックが建造された。朝鮮戦争後には、ウラジオストクの再建に合わせて大型艦の整備用ドックが建造された。これにより、北方艦隊と太平洋艦隊で大型艦が活動可能な状況が造られ、後の空母機動部隊の建設にも繋がる。


_________________________________________

・ドイツ連邦共和国ドイツ

 史実の東西統一したドイツにポーランドのシュチェチン県(現・西ポモージェ県の西側)を加えた領土が、この世界のドイツの領土となる。人口は約8200万人。


 第二次大戦中、独ソ戦における最大規模の戦闘となったクルスクの戦いにおいて、ドイツ軍が勝利した。これにより、ソ連軍の主力部隊が壊滅状態となり、その再編に時間が取られた。バグラチオン作戦による西進も遅れがちとなり、ドイツ中心部への侵攻が難しいと判断されると、チェコ・オーストリア方面への侵攻が主力となるなどして、更にドイツへの侵攻が遅れた。その結果、オーデル・ナイセ線とシュテッティン以東のドイツ領しか獲得出来なかった(その代わり、ソ連への「賠償」として海軍の大型艦艇や各種治具、先端技術などが取られた上、東欧に残っていたドイツ人の半数がソ連に連行された)。


 その後の流れはほぼ史実通りだが、東西に分かれていない為、シュタージが絡んだ事件やベルリンの壁関係のイベントは発生しない。また、一部のドイツ企業の名前が変更となるが(例:ドイツ連邦鉄道(DB)→ドイツ国営鉄道(DR)、ドイツ寝台車食堂車会社(DSG)→中央ヨーロッパ寝台・食堂車ミトローパ)、これは東ドイツが使用していた社名が使用出来た為である(東ドイツは「ドイツとしての正当性」を目的に、帝国時代の社名を使用していた)。同様に、史実では東ドイツの企業がドイツの企業として成立した例もある(例:ドイツ国際航空インターフルークがルフトハンザに次ぐ航空会社となる)。


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〈オセアニア〉

・南洋諸島連邦共和国(南洋諸島)

 史実のパラオ、ミクロネシア連邦、北マリアナ諸島から成り、面積は1,638㎢。首都はサイパン島のガラパン。


 史実では、南洋諸島は敗戦によってアメリカの信託統治領(太平洋諸島信託統治領)となった。その後、マーシャル諸島とパラオは独立し、マリアナ諸島はアメリカの保護領となった。残るトラック諸島やヤップ島などはミクロネシア連邦として独立した。


 この世界では、南洋諸島がアメリカの信託統治領となった事は同じだが、マーシャル諸島以外では日本は影響力を残していた。これは、戦争の終わり方が停戦で終わった事と関係してた。日米間の取り決めで、旧日本領だった地域の内、アメリカが統治する場所においては日本の影響力を保持する事が決められた。その結果、マーシャル諸島とそれ以外で分割された。

 因みに、マーシャル諸島における日本の影響力が無くなった理由として、先に占領された事、日本から最も遠い事などが挙げられる。

 その後、政治はアメリカに、経済は日米両国に握られる状態が続いた。この間、日本統治時代と同じ様に、サトウキビやコーヒーなど商品作物の栽培とそれらの加工業、水産業とその加工業、リン鉱石の採掘業の振興が行われた。日本統治時代と異なるのは、日米両国による観光開発も進められた事である。これにより、サイパンやテニアン、パラオ、トラックは日米本土からの航空便が多数設立された。

 日米両国による投資の結果、南洋諸島の経済は活気付いた。特に、日本資本が現地人による運営を重視した事で、雇用の創出や現金収入の増加など良性の状況が創られたのも大きかった。

 その一方、トラック諸島やテニアン島、ペリリュー島には米軍基地や海上保安隊の基地が設置されている。基地設置に伴う租借料は南洋諸島における主要な外貨獲得源であり、基地に駐屯する兵を対象としたサービス業も主要産業となっており、それは現在まで続いている。


 1965年に議会が設置され、将来的な独立が示唆された。アメリカとしては、親ソ国家になりさえしなければ特に問題は無いと判断し、日本も同じ意見だった。1978年に住民投票が行われた結果、全地域で統一国家としての独立を支持する事が多数派となった。この結果を受けて、1979年5月にアメリカは全地域を独立させ「南洋諸島連邦共和国」が樹立した。

 独立後も、以前と変わりなく日米の経済進出が行われ、観光を主体とした産業形成が行われた。変わったところとしては、一部が自国資本になった事で税収が増加した事ぐらいである(日米が、独立祝いとして一部企業の株や利権を譲渡した)。

 現在では、観光業が主体であり、次いで農業や漁業とそれらの加工業が主要産業となる。食品加工品は日本向けが主力であり、ブランド化も進んでおり競争力は高い。近年では、便宜置籍船国となるなどして産業の多角化を行っている。

 一方で、観光地の多角化や施設の陳腐化などによって旅行客、特に日本人客の減少が見られている。その為、他の地域からの観光客の増加を図る為、観光案内に力を注いでいる。その結果、日系社会のある満州からの旅行客が急速に伸びており、ロシアや北東アジア諸国からの旅行客も近年増加している。


 軍事面だが、国防は米軍に依存している為、軍隊そのものを保有していない。

 警察も存在しているが、規模は小さい。基本的に、各有人島に駐在所が置かれ、主要な島には警察署が置かれている程度である。

 水上警察は比較的規模があるが、周辺地域の治安が良い事から、海域の広さから見ると少ない。ただ、進出している海上保安隊からの指導によって練度は高い。

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