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架空の財閥を歴史に落とし込んでみる  作者: 常盤祥一
1章 幕末・明治時代:財閥の形成
6/112

6話 明治初期:大室財閥(6)

 兄の死後、大室家の体制は、実家は農業を継ぎ、彦兵衛は商業を継いで独立という事になった。兄の死を切欠に、彦兵衛も後継ぎについて考えた。

彦兵衛は横浜に出店した年に結婚しており、1871年当時、3人の子供(2男1女)を儲けており、現在夫人のはやが4人目を身籠っていた。しかし、この子供達が無事に成人する保障は無く(一番上の男子が9歳だった)、無事成人したとしても後継者たる才覚を持ち合わせているかどうか分からなかった。

 彦兵衛も、家業を実子に継がせたいと考えていた。その為、後継者教育の方針をこの時期に固めた。それは、「元服後、実家とは別の商店で働き、暫くしてから実家に戻り家業の手伝いをする」事だった。これは、実家で働かせた場合、「経営者の息子」である事を理由に従業員や取引相手に横暴な態度を取る事が考えられた為だった。その点、関係が無い他の商店ならその様な態度を取る事は無く、送り先も遠慮無く指導してくれるだろうと考えた。勿論、送り先の商店のスパイになって戻ってくる事も考えたが、別の視点や角度から考えられる人物を欲していた事から、メリットの方が大きいと判断した。

 この方針が彦兵衛のみならず、彦兵衛の家計の家訓として代々継がれる事となった。


_________________________________________


 1874年、ついに念願だった東京・築地への本拠地移転が行われた。築地となった理由は、外国人居留地が近い事、鉄道の駅(新橋駅、後の汐留駅)に近い事があった。本拠地の建物は擬洋風建築の3階建てであり、周辺にある商館や公的施設に負けない様に、日本の城郭風の屋根が乗っている事から、周辺からの注目を集めた。

 この数年間で、彦兵衛商店は急速に拡大した。その動きを新聞、銀行、商社、海運の順に見てみよう。


 まずは、新聞であるが、これは同時に出版・広告代理店への起点でもあった。

 前話で、彦兵衛商店が洋書の取引を始めた事、同時に現状の取引に不満を覚えた事は述べた。そして、洋書を取引した事である事を考えるようになった。それは、『この本の内容を日本語にすれば、より売れるのではないか』と。

そう考えた彦兵衛は、洋書と同時に外国語辞典も購入し、自ら和訳したものを販売するようになった。これは、洋書の購入を減らす事による支出の低下を狙ったものだった。

 しかし、これは当初は上手く行かなかった。当時、満足な和英・英和辞典が無かった為、1冊訳すのに多くの時間が掛かった。その為、コストも洋書を購入するよりかは抑えられたもののそれでも高かった。

 それでも、この事が切欠で独自に和英・英和辞典が編纂される事となった。また、和訳された洋書を出版・販売出来る事が受けて、土木・産業・交通などの書物を内務省から、教育関係の書物を文部省からそれぞれ製作・発注の依頼を受ける様になった。この依頼によって、彦兵衛商店は両省との関係を深化させていく事となった。

 加えて、ある出来事が出版コストを大きく下げる事となった。それは、新聞社の購入だった。

 当時、無数の出版社が出てきては消えていく時代だった。これを見た彦兵衛は、経営が苦しい新聞社に『ウチが支援します。その代わりに、洋書の翻訳や出版、ウチの広告を出して下さい』と持ち掛けた。

勿論、新聞社の中には『金持ちの言いなりになりなりたくない』という理由で門前払いされることもあった。しかし、全ての新聞社がそうであった訳ではなく、財政的理由でこの話に乗ったところも多かった。都合、東京・横浜・京都・大阪・神戸で合わせて30社がこの話に乗り、その後もこの話に乗る新聞社が現れた。


 この話が纏まった事で、各社への資金援助と同時に、各新聞社による彦兵衛商店の広告の開始と、出版・翻訳業務への参入が行われた。当初こそ、慣れない業務への参入による不手際や、新聞社と彦兵衛商店との意見対立があったものの、次第に資金面で優位に立ち人材も送ってくるようになった彦兵衛商店側が主導権を握った。

 後に、彦兵衛商店系の新聞社が大合同し「大日新聞」となり、出版部門と広告部門もそれぞれ「大日出版」「大日堂」として再編された。また、通信部門として「大日通信社」も保有しており、他の通信社を統合していった事で、日本電報通信社・新聞聯合に並ぶ通信社となったが、1936年に全業務・人材を同盟通信社に譲渡して解散となった。

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