番外編:この世界の太平洋戦争③
日本はFS作戦(フィジー・サモア・ニューカレドニア方面への侵攻作戦)の前段階として、ソロモン・ニューヘブリデス両諸島の攻略に取り掛かった。5月3日にソロモン諸島のツラギ島に上陸し、水上機基地が設けられた。この基地は、珊瑚海海戦の時は敵空母の攻撃によって破壊されたが、その後再建された。
その後、水上機だけでは制空権が取れない事、空母を使わずにFS作戦を行えないかと検討された事で、6月中頃にはガダルカナル島に上陸して飛行場の建設が行われた。建設工事には、内地やポートモレスビーで鹵獲した重機を数台持って来た事で急速に進み、7月末には完成が見込まれた。8月5日、ラバウルからガダルカナルへ2個飛行隊(24機)が進出し、現地の制空権を確保した。
日本軍のポートモレスビー占領、ガダルカナル島上陸と飛行場建設は、アメリカにとっては一大事だった。ポートモレスビーを失った事で、南太平洋から北上して日本本土を狙う作戦が根底から崩れ、このまま日本軍が南下すればオーストラリアが戦争から離脱する恐れがあった。
実際、ポートモレスビー陥落後から行われている珊瑚海方面での航空戦は消耗戦となり、機材やパイロットの練度で日本の方が優れている為、『日本機1機を堕とすのに10機必要』と言われる程、連合軍の被害は甚大だった。これにオーストラリアは悲鳴を上げ、『充分な支援が無い場合は日本と停戦する』と公式で発言する程だった。
これによって、アメリカとイギリスはオーストラリアを支援する事になったが、イギリスはドイツとの戦闘が佳境に入っている時期であり、地球の反対側という事もあって支援する余裕が無かった。その為、支援するのは事実上アメリカのみとなった。しかし、そのアメリカもミッドウェー海戦の敗北とそれに伴うハワイ方面の防備の強化、大西洋で暴れまわっているUボートへの対応などで、こちらも余裕が無かった。
それでも、このまま日本軍の進撃を見過ごす事は出来なかった上、これ以上負けが続くのは内政上見過ごせなかった。この頃の大統領支持率は5割強程度しか無く、戦争支持率も6割を維持しているのがやっとという状態だった。現状では講和は少数意見だが、このままいけば国内の大半が講和に傾きかねなかった。そして、民主党は下野して、大統領は弾劾されるかもしれなかった。そうなれば、ヨーロッパでの戦争も停戦となる可能性があり、連合国そのものの瓦解という最悪の可能性があった。
それを防ぐ為にも、何としても日本に一矢を報いて、来るべき反攻作戦の第一歩を築く必要があった。それが、ガダルカナル島への上陸作戦だった。
8月7日、アメリカ・オーストラリア連合軍はガダルカナル島、ツラギ島への攻撃を開始した。その戦力は、戦艦2、空母2、巡洋艦10以上という、当時アメリカが出せるほぼ全てだった。
しかし、日本は偵察によってこれを察知、航空隊に上空の警戒を当たらせた為、奇襲にならなかった。それ処か、艦載機部隊が戦闘機の妨害によって満足な攻撃を行えなかった。また、ガダルカナルからの連絡でラバウルから飛来した航空隊の攻撃によって、艦載機や輸送船団の一部が攻撃され、艦載機は3分の1が撃墜され、輸送船も2隻が撃沈された。また、この被害によって空母機動部隊が南方に撤退する事となった。
一方の日本側も、戦闘機7、攻撃機4損失と大きな損害を受けた。また、ラバウルとガダルカナルの間は1000㎞ある事から反復攻撃出来ず、戦果の拡大も難しかった。
昼間の空襲が終わった後、今度は夜間に艦隊の突撃を受けた。これは、ラバウルにいた第八艦隊であり、重巡洋艦「開聞」を旗艦に、重巡洋艦7(「開聞」、「穂高」、「大雪」、「古鷹」、「六甲」、「青葉」、「衣笠」)軽巡洋艦1(「夕張」)、駆逐艦3という艦隊だった。これの突撃によって、連合軍艦隊の前衛部隊は壊滅した。
その後、第八艦隊司令長官三川軍一は、輸送船団攻撃かラバウルへの帰還かの判断に迫られた。この海域の制空権は微妙であり、米空母の存在の可能性から留まる事は危険だった。
しかし、ブーゲンビル島の航空隊の存在や、第二航空艦隊司令長官角田覚治(珊瑚海海戦後、第三航空戦隊を中核に再編成)から『朝には海域で航空支援が可能』という連絡を受けた事で、輸送船団攻撃を決意した。これにより、輸送船団の大半は撃沈するか大破し、陸揚げされた物資にも砲撃した事で、アメリカ第一海兵師団の物資の大半が焼失した。その後、第二航空艦隊とブーゲンビル島に進出したラバウル攻撃隊による反復攻撃が行われ、周辺海域にいた敵艦艇や輸送船は軒並み撃沈し、上陸した敵部隊にも攻撃を加えた。
これにより、連合軍の被害は巡洋艦8、駆逐艦4、輸送船全てが撃沈され、兵員の損失も陸上と合わせて5千人近くに上った。
一方の日本側は、「加古」が集中砲火を浴びて大破し、ラバウルへの帰還中に潜水艦の攻撃によって沈没した。また、「青葉」も集中砲火によって中破し、特に艦橋に数発が直撃した事で艦長以下死傷者を多数出した。
この海戦後、海軍陸戦隊が上陸し、飛行場設営隊と合流した。これにより、兵力は約3千名となった。未だに海兵隊との戦力差は大きかったが、制空権がある事から戦闘は有利に進み、一度は奪われた飛行場を取り戻した。そして、早急に修理が行われ、ブーゲンビル島に退避していた航空隊が戻ってきた事で、ガダルカナル島の制空権は日本の手に戻った。
_________________________________________
ガダルカナル島攻略の第一歩で躓いたアメリカ軍は、その後の対策に迫られた。ガダルカナル島には、上陸した第一海兵師団の残りと沈没した艦艇から脱出して島に上陸した将兵が合計1万2千人程残っていた。
しかし、重機や戦車、食糧などの物資の多くは輸送船毎海に沈み、陸揚げされたものも艦砲射撃によって多くが焼失した。また、ガダルカナル島周辺の制空権・制海権は日本にあり、補給をするにも救援に向かうにも困難が付き纏った。実際、何度か高速輸送船団が組まれたものの、航空隊や現地の艦隊の攻撃によって撃退されている。これによって、島に残された部隊は深刻な飢餓状態にあった。
それでも、ここで撤退する様な事になれば、本当にオーストラリアは戦争から離脱しかねなかった。そうなれば、戦争スケジュールは大幅な変更を余儀無くされ、最悪の場合は戦争そのものを失う可能性があった。
それを避ける為にも、アメリカは再びガダルカナル島に兵力を向けた。一個師団の増援と大量の物資を満載した輸送船団を伴って、8月20日にはソロモン諸島沖に進出した。
これに対し日本は、増援の川口支隊を第三艦隊(第一航空艦隊を再編成したもの)の護衛の下、ガダルカナル島に向かっていた。ガダルカナル島にアメリカ軍機はいないものの、近隣のニューヘブリデス諸島やニューカレドニアには進出しており、時折長距離爆撃機が進出して妨害してくる為、海上警備総隊単独では不安視された為である。
8月23日、日本の偵察機が米機動部隊を発見した。しかし、発見が午後を回っており距離もあった事から、この日の会敵は無かった。翌日、両軍の偵察機がほぼ同時に機動部隊を発見し、攻撃隊を放った。
海戦の結果だが、戦力の差から日本の勝利だった。アメリカは、この海戦に参加した2隻の空母(「レンジャー」、「ディスカバリー」)を失っただけで無く、巡洋艦3、駆逐艦2を失い、戦艦1(「ノースカロライナ」)と巡洋艦2が中破した。また、後方にいた輸送船団も空襲を受け、8割が沈むという大損害を受けた。
日本の方も無傷では無く、「翔鶴」が中破、「高雄」が小破した。この程度で済んだのは、直掩機の多さや敵攻撃隊の少なさに救われた為だった。
この海戦により、アメリカの救援作戦は失敗した。当然、第一海兵師団は増援や補給を受けられず、今度こそ降伏をせざるを得ない状況になった。その為、今度は第一海兵師団を撤退させる為の作戦が検討される事となった。
日本も、機動部隊の損傷によって後方に下がる事となったが、増援が送られた為、敵を降伏若しくは殲滅する用意が整った。実際、8月末から敵陸上部隊と戦闘を行ったが、戦力の見誤りや重装備の不足などから手詰まりとなり、これを受けて、本来ならFS作戦で投入する筈の師団規模の戦力を投入する事となった。
_________________________________________
2度のソロモン海での戦闘によって、アメリカ海軍は多くの戦力を失った。特に、虎の子の空母を全てと、艦隊のワークホースである巡洋艦を多数失った事は、艦隊編制に支障を来たす程だった。また、高速輸送船も多数失った事で、輸送能力の低下にもなった。
戦力の穴埋めは、アメリカの工業力をいかんなく発揮して再建中であり、東海岸の造船所ではエセックス級空母、ボルティモア級重巡洋艦、クリーブランド級軽巡洋艦の大量建造が行われており、輸送船(リバティ船やT2タンカー)も大量建造中だった。
しかし、短期間で大量の戦力を損失する事は想定しておらず、開戦時並みの戦力になるには1年近く掛かると見られた。また、艦艇と同時に失ったセイラーも多数(現在まで2万5千人程)であり、そちらの補充も行わなければならなかったが、セイラーは技術職であり簡単に補充出来るものでは無かった。その為、前線からベテランが新兵教育の為に相次いで引き抜かれたり、新兵のまま前線に出すなど相次いだ。これにより、アメリカ海軍全体の練度の低下が発生し、そのまま戦線に出した事で損害が拡大するという悪循環になった。
これを受けて、アメリカは当初の方針を撤回し、ガダルカナル島からの一時撤退、ニューヘブリデス諸島やニューカレドニアの防備を固め、時機を見て再度ガダルカナル島に侵攻する事を決定した。その為に、ガダルカナル島にある日本軍の飛行場(ルンガ飛行場)を艦砲射撃で一時的に機能を停止させ、その間に将兵を救出する作戦が立案された。
9月17日、戦艦「アラバマ」(史実の第二次世界大戦中に竣工したサウスダコタ級戦艦。この世界では、ダニエルズプランのサウスダコタ級戦艦の「サウスダコタ」と「インディアナ」が完成)と「ノースカロライナ」を主力とする打撃部隊と、将兵を救出する輸送部隊がニューカレドニアを出撃した。
一方、日本は南太平洋方面でのアメリカの通信の増加や潜水艦からの情報でこの艦隊を確認したが、輸送船団を伴っている事から大規模な増援と考えた。実際は違うのだが、敵が出てきたのだからこれを叩くのが常道として、当時トラックにいた第一戦隊(「加賀」、「土佐」、「長門」、「陸奥」)を含む艦隊とラバウルの第八艦隊をガダルカナル方面に出撃させた。
両軍共に、空母を伴わない艦隊編制だった。これは、アメリカ軍は運用可能な高速空母がいない事、日本軍は航空隊の再編成や整備で内地に帰投していた為だった。その為、艦隊決戦で決まる古風な戦闘になった。
両軍の激突は9月20日の夜だった。両軍のレーダーがほぼ同時に相手を捉え、方角や反応の大きさから味方では無いと判断し、主砲が火を噴いたのはそれから2分後の事だった。
艦隊戦は日本の優位に進んだ。数では日本の方が有利であり、目的も日本の方が単純(アメリカは飛行場の砲撃、日本は敵艦隊の迎撃)である事、夜戦を重視した訓練などから、5斉射目で「アラバマ」を夾叉している。
アメリカ側も応戦し、レーダー技術ではアメリカの方が進んでいる為、夜間戦闘でも充分に効果を発揮した。こちらも、6斉射目で先頭を行く「加賀」と最後尾の「陸奥」を夾叉している。また、戦艦同士の砲撃戦の最中に、水雷戦隊が突撃を開始し、魚雷を発射しており、内2本が「陸奥」に命中してる。
しかし、数の差はどうにもならず、砲撃開始30分で「アラバマ」と「ノースカロライナ」は沈黙した。特に「ノースカロライナ」は、装甲が対40㎝防御に対応していなかった為、煙突部や後部砲塔に直撃弾を喰らい、速力減少と後部砲塔使用不可となった。火薬庫に火災が回らなかったのはアメリカの高いダメコン能力の賜物だが、速力の低下によって更に被弾する事となり、1発の水中弾が命中して完全に行き足が止まり、その後は2発が主砲塔を貫通して弾薬庫に直撃し轟沈した。「アラバマ」も、「ノースカロライナ」の被弾後に集中砲火を喰らい、主要区画は破られなかったものの、それ以外の区画では火災によって使用不可能となった。その中で、突入してきた「鳥海」、「摩耶」以下の水雷戦隊を阻止出来ず、3発の魚雷を喰らった事で横転沈没した。これ以外にも、巡洋艦2と駆逐艦1を失っている。
これに対して日本の被害は、集中砲火を浴びた「加賀」が大破し、魚雷が命中後に「アラバマ」の最後の抵抗で「陸奥」も数発被弾して大破した。「加賀」の方は1930年代の大改装で装甲を強化していた事から、消火さえ完了すれば曳航可能な状況だった。実際、海戦後に消火が完了し、「土佐」に曳航されトラックに戻っている。
「陸奥」の方は、魚雷を喰らって浸水が酷く、曳航は無理と判断された。また、火災も酷く、消火出来るか不明だった。その為、自沈するしかないと判断され、生存者を全員収容後、駆逐艦の魚雷によって自沈処分となった。これにより、「陸奥」が太平洋戦争で初めて日本海軍が失った戦艦となった。
このまま救援作戦が成功すれば、アメリカとしては「犠牲は大きかったが、作戦の目的は果たした」と言えたのだが、残念ながら、救援作戦の方も失敗に終わった。これは、第八艦隊が輸送部隊に突撃をした為だった。これにより、輸送部隊は大損害を受け、特に輸送船については全て沈没するか大破して輸送に使えなくなった。
帰る手段を失った第一海兵師団は、海戦の翌日に日本の航空隊や艦隊からの攻撃に晒され、その後のガダルカナル島守備隊の突撃に耐えられずに降伏した。これにより、アメリカの作戦は失敗し、ただでさえ数が少ない巡洋艦や輸送船、セイラーを大量に失った。また、将校の損失も大きく、アメリカ海軍の人材面での枯渇は、戦争そのものを揺るがしかねない大問題となった。




