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架空の財閥を歴史に落とし込んでみる  作者: 常盤祥一
1章 幕末・明治時代:財閥の形成
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4話 明治初頭②:大室財閥(4)

 戊辰戦争中の旧暦1868年10月に、帝が東京(江戸から改称)への行幸が行われ、翌年3月に再度行われた為、東京への遷都はほぼ確実と言われた。

 彦兵衛にとって、これは絶好の機会と考えた。その理由は、東京の人口の増加と京都の地位低下だった。

 都が東京に移るという事は、中央官庁の機能も東京に移る事を意味する。そうなれば、官僚が東京に移動してくる為、その分人口が増加する。そして、人口が増加した分だけ、商売相手も増加する事になる。

 それと連動して、今まで都だった京都は中央省庁とそこに仕えていた官僚が東京に移動する事で、京都の人口は減少、特に官僚や公家などのお金持ちの多くが東京に移る事となる。「都」という特別な地位を手放すだけで無く、お金持ちの多くがいなくなってしまう事は、権威と経済的地位が低下する事を意味する。

 この2つの出来事から彦兵衛は、幾つかの考えを実行した。それは、


  ・本拠地を東京に移動。ただし、暫くは横浜を本拠地とし、東京での整備が出来次第移る。

  ・京都にいる商人の取り込み。取引相手の公家が居なくなった事で困窮している可能性がある為、保護の形で傘下に入れ、規模や取引相手を拡大する。

  ・京都、大阪、神戸への拠点増設。横浜や東京だけでは、大阪や西日本の情報を得られにくい。尚、これは「京都にいる商人の取り込み」が進み次第、人の異動という形で行う。


の3つであった。

 特に重視したのは、3つ目の「京都、大阪、神戸への拠点増設」だった。その理由は、戊辰戦争での経験だった。あの時は情勢を上手く掴めなかった事で、後に勝利する新政府への支援を行えなかった為、政商路線を採れなくなった。彦兵衛自身は、政府との癒着によって政府に振り回される事を心配したが、政府と結び付く事で拡大を図れる事も考えていた為、『あの時、支援していれば・・・』という念を多少持っていた。この決断を下せなかった理由の一つに「正確な情報を持っていなかった為」と考え、勢力拡大と情報収集を目的とした新拠点の設立を模索した。

 そんな中での東京遷都であった。商店の他の人(当時、彦兵衛商店は十数人を抱えていた)は、『勢力拡大には賛成だが、地位が下がった京や大阪からの情報は必要なのか』という疑問があったが、彦兵衛は『未だに大阪の地位は衰えていない。それに、西の情報を得るのなら、西に拠点を持つ以外に無い』と答えた。一部の者はこれに賛成したが、まだ疑問に持つ人はいた。彼らに対し彦兵衛は、『これで失敗したのならば、私を殺しても構わない』と言い放ち、彦兵衛の覚悟を見誤ったと自らを恥じた事で、全体の一致で西の拠点を設ける事が決まった。


彦兵衛が京都に拠点を設けようとした理由の中に、極めて個人的な理由もあった。それは、実家で後継者と目されていた長兄の伯兵衛が亡くなった事だった。

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