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架空の財閥を歴史に落とし込んでみる  作者: 常盤祥一
3章 昭和時代(戦前):暗雲の到来
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28話 昭和戦前⑥:日林財閥(6)

 満州事変以降、日林財閥の基幹事業は林業・木材加工から化学に移行した。日林自体は、祖業を重視する姿勢や、木材からの加工品の製造・販売を強化している事から、完全に化学に頼っている訳では無かった。

 しかし、満州事変以降、重化学工業の発展や軍拡による火薬や薬品の需要の増大、化学部門における国産化の推奨などから、日本全体で化学産業の発展は著しかった。

 昭和恐慌と満州事変によって再編された日林財閥も、この流れに乗った。祖業の強化と共に、金融事業や化学事業の強化、軍需関係への進出などが行われた。これにより、日林財閥は日窒コンツェルンや森コンツェルンに並ぶ化学の大手となった。


 また、化学への注力を行うと同時に、他の事業の強化も行われた。それは、製紙業と電力事業の2つである。

 製紙業の強化は、木材の利用が可能な事、化学と密接に関係する事(製紙の製造過程で硫酸が必要になる)、設備の更新が必要だった事が理由だった。3番目の理由は、日林製紙が中小の製紙会社を統合して設立された会社である為、工場が日本各地に分散しており、設備も小規模だった。その為、設備の老朽化が早く、利益効率の悪い運営を行わざるを得なかった。また、ある事情がこれを後押しした。それは、製紙業最大手の3社が合併した事である。

 当時、製紙業は供給過剰によって苦しい状況だった。その様な中、以前からカルテルを組んでいた王子製紙・富士製紙・樺太工業の3社が1933年に合併し、新・王子製紙(通称、「大王子製紙」)が誕生した。

 これに対して日林製紙は、規模の拡大では無く、利益効率の向上による競争力の獲得を目指した。相手は、当時の日本の製紙における生産高の7割を保有していた巨大企業である。拡大した所で勝てる訳が無い。

 一方、王子製紙は合併によってシェアを拡大させたが、異なる会社を合併した為、設備の更新などは先の事と見られた。そして、その間は製造効率はやや落ちると見られた。日林製紙に勝機があるとすれば、製造効率を上げて競争力を得る事と考えられた。

 その為、日林製紙は現在稼働している日本各地に分散している古い工場を整理して、他の地域に新しく工場を設立する事とした。これならば、利益効率の悪い古い工場を整理出来、過剰気味な人員も整理出来る。そして、利益効率の良い新しい工場での生産ならば、製造コストの削減も出来、王子製紙との競争力が多少付くのではとされた。


 時は少し遡るが、日林の電力事業への進出は1920年代から始まった。電力事業への進出の理由は、保有する山林の開発に加え、発展する重化学工業への対応にあった。日林が注力する製紙業や化学などの重化学工業には大量の電力が必要であり、電力の安定供給が出来なければ生産にも支障を来たす恐れがあった。それを解消する為には、発電所の増設が必要だった。

 当時の発電方法は、火力発電と水力発電があった。火力発電だと、燃料(石炭や重油)の安定供給が必要であり、煤煙の解消も難しかった為、都市の近くには置けなかった。

 一方、水力発電ならその様な心配は無く、日林が保有する山林の開発を行えるとして、水力発電の積極的な開発が進められた。

 しかし、既に多くの電力事業者が参入している上、単独での参入はリスクが大きい事から、日鉄との合弁会社を設立する事となった。これは、日林は日本各地に山林を保有しているが、大きな売電先が無い事、日鉄は日本各地に電鉄会社を保有しているが、大規模な発電所を保有していない事から、双方にメリットが大きかった。こうして、1928年に両財閥の合弁で「日林電力」が設立した。

 同時に、日林・日鉄共に影響圏が日本各地に分散している事から、1社での参入は非効率だとして、地域毎に電力会社を設立する事となった。日林電力の傘下として、北海道に「北邦日林電力」、東北に「奥羽日林電力」、関東に「関東日林電力」、東海地方と山梨県、長野県に「東海日林電力」、北陸地方と新潟県に「北越日林電力」、近畿に「近畿日林電力」、中国地方に「中国日林電力」、四国に「南海日林電力」、九州に「筑紫日林電力」を設立した。


 この頃の日林財閥は、国内の工業化が遅れている地域への進出を積極的に行っていた。それらの地域に進出して、手付かずの森林資源の開発や電源開発だけで無く、雇用の創出による地域経済や内地の経済の強化を図ろうとした。特に強力に進出したのは北海道、東北、四国、南九州だった。

 これらの地域は主要工業地帯から離れている事から、工業生産額が非常に低かった。産業の主体は農業や林業などの第一次産業であり、第二次産業があったとしても鉱業が主体であった。つまり、現地からは運び出されるだけであり、そこで生産される事が少なかった。それらの地域で、その地域の産物を活用した産業の発展を行う事が、日本の経済力そのものの底上げに繋がるとして、日林財閥はこれらの地域への進出を強化した。


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 当時、日鉄財閥が札幌の外港と北海道の工業化を目的に、石狩川の河口部で港の整備・開発を行っていた(『番外編:日鉄財閥が支援・設立した鉄道会社(北海道・東北)』を参照)。日鉄は、整備した港への工場誘致を行った。これにより、日鉄系の企業だけでなく、大室財閥や三井財閥、三菱財閥などの企業が進出した。

 日林もこの流れに乗り、日林化学と日林製紙を置く事となった。石狩港は、石狩川の水運や石狩鉄道を利用して内陸部から原料の輸送が容易であり、港に隣接している事から搬出も容易であるなどの利点が多かった。


 石狩工場の計画は、石狩港の第一期工事が完了した1928年から進められた。当時は、まだ金融恐慌の影響が残っていた事もあり、懸念の声も多かった。中には、他の財閥が朝鮮に進出している事から、我々もそちらに進出しようという意見もあった。

 しかし、内地には未だに開発が遅れている地域があるのに、そこの開発をせずに外に出るとは何事かという意見が幹部の統一意見として出されると、外地への進出という意見はピタリと止んだ。これにより、内部の意見は統一され、石狩工場の計画は進行し、1930年には建設が開始した。

 尤も、工事が始まったのが昭和恐慌の時期と重なり、間が悪い事に日本林商銀行の経営危機もこの頃の為、石狩工場の計画は一時中止となった。しかし、鎮静化が早かった事から、翌年には工事が再開した。

 また、工場で使用する電力の安定供給を目的に、石狩川の支流である当別川の上流の電源開発も同時に行われた。川沿いの道は悪路であり、物資の搬入には利用しずらいとして、札沼線の石狩当別から分岐して、当別川沿いに鉄道を走らせて、物資の搬入や沿線からの木材輸送などに活用する事が計画された。

 工事は1929年から行われ、翌年には当別川の上流まで開業した。開業と同時に、以前から計画されていたダムの建設も開始した。これは、石狩港の工業地帯だけで無く、札幌市への電力供給も検討していた事から、たとえ恐慌によってダメージを受けたとしても、急ピッチで行う必要があると判断された為であった。それでも、恐慌によるダメージによって工事の速度が緩められ、当初予定では1935年に完成だったが、1年遅れの1936年に完成となった。


 発電所の完成と工場の新設によって、北海道における工業生産額は急増した。加えて、発電所が置かれた事で、工場設置のネックであった電力の安定供給が克服され、他の財閥系企業の進出も促進した。


 また、日林の発電所設立は、2つの副産物を生みだした。一つは、現地の既存電力事業者の発電能力の強化である。これにより、更なる工場の進出が行われようとしていた。もう一つは、北海道から満州への移住者の減少である。北海道内で雇用が創出された事で、余剰人口が労働者として吸収された。


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 日林の石狩港進出を見て、他の企業が石狩港に進出した様に、北海道の他の地域でも工場の設置や発電所の建設が行われた。その多くが、以前から北海道の主要工業地帯である室蘭や苫小牧、釧路に進出した。

 室蘭では製鉄所の設備強化や造船所、機械工場の新設、苫小牧でも機械工場が置かれた。釧路も製紙工場や食品加工工場の施設強化に加え、周辺から産出される豊富な石炭を利用した化学工業も進出した。


 上記に挙げなかった地域でも、小規模ながら工場の新設が行われた。これらの動きによって、日本各地の余剰人口が北海道に移住したり、逆に北海道の住民が満州への移住が鈍化する事となった。

中途半端なところで終わっていますが、後半は日鉄財閥による東北、四国、南九州の進出・開発状況を書きます。1つにまとめると長くなりすぎると考え、2つに分割しました。

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