23話 昭和戦前:大室財閥(16)
1925年の年末、元号が大正から昭和に移った。しかし、新しい時代の始まりは不安定なモノだった。
第一次世界大戦後の不況は長引き、その最中に関東大震災が発生した。これにより大きな被害が発生したが、一方で復興景気も訪れ多少の景気は良くなり、大戦の不良債権の先延ばしもされた事で、僅かな平穏が訪れた。尤も、これは嵐の前の静けさだった。
1927年3月14日、大蔵大臣片岡直温が議会で『東京渡辺銀行が破綻した』と発言した事から、全てが始まった。破綻していない(破綻しかけたが、当座の資金の当てが付いていた)銀行を『破綻した』と失言した事で、今まで燻っていた銀行に対する不安が爆発した。「危ない」と見られた中小の銀行に預金者が殺到し、預金を下ろそうとして銀行の前に長蛇の列が出来た。この取り付け騒ぎによって、資金不足によって臨時休業する銀行が大量に発生した。この休業した銀行の中には、有力銀行の一角を占めていた十五銀行も含まれていた事から、その規模が窺える。
また、この金融恐慌によって、第一次世界大戦以降経営不安が囁かれていた鈴木商店が完全に倒産、傘下の企業の多くは敵対していた三井財閥の軍門に下ったが、一部は後に三和銀行との繋がりを持った。
一方、金融恐慌は財閥系の銀行への預金の集中を招いた。これは、中小は潰れる可能性が高いが、財閥がバックに付いていればまず潰れないという安心感からだった。これにより、当時の6大銀行(三菱、三井、住友、安田、第一、大室)への預金の集中が起きた。
また、破綻した銀行の資産などの引き継ぎや、預金者や取引先の救済を目的に、日本興業銀行と6大銀行のシンジケート団によって「昭和銀行」が設立された。これとは別に、日本勧業銀行が音頭を取り、昭和銀行に参加しなかった有力銀行や有力地銀がシンジケート団を形成し、「東亜勧業銀行」を設立した。昭和銀行と東亜勧業銀行の違いは、昭和銀行は大都市に、東亜勧業銀行は地方都市に支店が集中している事にある、
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この金融恐慌は、大室財閥にとっては拡大の好機となった。銀行の破綻を懸念し預金を引き出した人が、その預金を大室銀行に預けてくれる事で預金量は急増した。また、休業・破綻した銀行を吸収または傘下に加える事で、店舗網の拡大も果たせた。この時期、大室銀行の預金量は恐慌前の5割増しとなり、店舗数も76から134に急増した。
そして、数多くの銀行を取り込んだ事で、被吸収銀行の取引先も大室銀行との繋がりを持つようになった。特に、今まで大室財閥の進出が進んでいなかった繊維や食品加工などの軽工業で多くの取引先を獲得する事に成功した。
大室銀行以外の大室財閥の金融機関も、経営不振に陥った同業他社を救済しては統合を行い拡大した。
特に、貯蓄銀行の築地貯蓄銀行は、第一次世界大戦後の不況によって経営破綻したり買収した貯蓄銀行を合併し、1924年に「東亜貯蓄銀行」と改称した。その後、普通銀行の貯蓄銀行業務の兼営が禁止されると、その受け皿としての機能も果たした。これにより、都道府県庁所在地全てに支店を持つ日本最大の貯蓄銀行となった(1928年時点の総支店数は267)。
それ以外の東亜生命保険、日本弱体生命保険、大室火災海上保険、大室倉庫保険の各保険会社や、第一次世界大戦中に設立した大室信託も、破綻したり譲渡された会社の契約を移転する事で、恐慌前の2倍の規模になった。
産業面でも、この恐慌で休業した銀行の取引先を引き継ぐ事で、多くの関連企業や子会社を抱える様になり、その後の合理化や企業の整理によって財閥に取り込まれた。これにより、繊維や食品加工だけでなく、鉱業や証券、倉庫など多くの業種を傘下に収めた。また、造船や電機など大室財閥が最初から持っていた業種については、吸収されるか、下請けに転換されるか、別業種に転換されるかのいずれかだった。
一方、拡大だけでなく、残っていた不良債権の処理も強力に行われた。これは、金融恐慌の初期に大きな損失を出した事で、それなりの額(当時の750万円程)の不良債権があった。これを、減資や遊休資産の売却、不採算部門の切り離しに人員の配置転換などあらゆる手段を取った結果、掠り傷程度の被害でこの恐慌を乗り切った。また、無理な首切りを行わなかった事や労使協調路線を重視した事から、右翼による襲撃が起きなかった。
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以前から兆候はあったものの、閣僚の失言が原因であった事、海外に目を向け過ぎていた事から、行動が後手後手に回った。その為、初動こそ躓いたものの、大室財閥は昭和金融恐慌を何とか乗り切った。しかし、この時海外に目を向けていた事から、ある出来事をいち早く予測、備える事が出来た。
1929年10月24日、アメリカ・ニューヨーク証券取引所で株価が下がった事を切欠に、株価が全面安となった(ブラックサーズデー)。その後も株価は下がり続け、1日平均10%近く下がる状況が1週間続いた。これにより、アメリカ経済は完全に冷え込み、その影響は世界各国に広がった。「世界恐慌」の始まりである。
この時傘下に収まった業種と企業
・金融:大室證券
・不動産:大室建物
・建設:東亜土木
・鉱業:大室鉱業
・製紙:大室製紙
・食品:大室食品産業、大室製粉、大室製糖、東亜水産
・繊維:日東繊維産業
上記以外にも、多くの企業が傘下に入った。また、大室化成産業はセメントとガラス、ゴムの製造にも進出した。




