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架空の財閥を歴史に落とし込んでみる  作者: 常盤祥一
2章 大正時代:拡大と停滞と
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番外編:ここまでの財閥の状況と人物紹介(大正時代まで)

〈大室財閥〉

 日本の準大手財閥。彦兵衛商店から始まり、商社・海運・金融・重工業に進出。これらを核としつつ、第一次世界大戦後に電機・化学などに進出し多角化を進める。その為、中核企業と言えるものは存在しない(商社・海運・造船・製鉄・金融と重要セグメントが多い為)が、彦兵衛商店を源流とする大室物産(商社)と大室船舶(海運)が中心的存在となっている。

 主要拠点は東京と大阪に置かれ、それ以外にも横浜・京都・神戸に支店が置かれている。主要製造拠点は横浜・千葉・堺に置かれ、特に造船所や製鉄所が置かれている堺は、京都や神戸以上に重要と目されている(重要度的に東京>大阪・横浜>堺>京都・神戸)。


・大室彦兵衛(1832~1913)

 大室財閥の創設者。その手腕により一代で巨大財閥を形成したが、日露戦争に心を痛め、晩年は弱者救済などに心血を注いだ。1913年に81歳で亡くなる。


・大室忠彦(1862~)

 大室財閥の創設者、大室彦兵衛の長男であり、大室財閥の持株会社である「大室本店」の総帥。

 一時、父との関係が悪化し独立した事があった。父を見返そうとして株取引をしたが、日清戦争後の反動不況の時期と重なり大きな損失を出す。これにより、父の持論だった「情報の重要性」を痛感し、以降父との寄りを戻し、財閥の経営に参加した。この時、一度失敗した事で大胆な行動を取る事が出来る胆力を持った事、情報を精査する能力を開花させた事から、財閥の後継者と目される様になり、彦兵衛の死後、大室財閥の総帥に任命された。

 第一次世界大戦中の多角化や新事業への進出も彼の情報処理能力や優れた予測によるもので、戦後多くの企業が傾く中で、大室財閥の傷を最小限に食い止めたのは彼の予測が正しかった事によるものだった。

 

・大室匡彦(1866~)

 彦兵衛の次男であり、大室物産の社長。彼も兄程では無いが情報処理能力は高く、時局を読む力は兄以上だった。戦後の不景気を警戒し、1917年頃から輸出量を少しずつ減少させ、内部留保を多く貯めてその後に備えた。


・大室淳彦(1872~)

 彦兵衛の三男であり、大室船舶の社長。彼は兄2人と比べると平凡だったが、勉強への熱心さや収益を出す方法は高かった。実際、この頃の大室船舶は新型船や優秀船を大量に導入し収益性を高め、その後の不況を乗り切る為の手段を構築した。



〈日林財閥〉

 「日本林産」を中核とする財閥。中核事業は林業と木材加工だが、多角化により金融・化学などに進出、第一次世界大戦の好景気によって食品・商社・繊維・鉱業などにも進出した。

 また、大室本家が設立・出資した企業を吸収する事で、大室財閥とのパイプを作る事に成功した。


・高田博久(1860~)

 日本林産2代目社長。日本林産を「日林財閥」に拡大したのは、彼の手腕があっての事である。彼の代で食品(畜産・食品加工)・造船に進出し、父の代からの悲願であった化学にも(イギリスとの合弁という形ではあるが)進出した。また、第一次世界大戦による拡大や出資先の吸収などで、商社と鉱業にも進出した。

 これは、「多角化によって一事業の赤字をカバーする」という彼の考えによるものだった。

 大正が終わる頃までに、彼は妻・ヒロとの間に2人の息子と6人の娘を持ち、2人の息子はそれぞれ日林化学工業と日本林商銀行の取締役に就任している。6人の娘達も、日林財閥や他の財閥の有力者やその子息に嫁いでいる。


・大室長緒(1854~)

 長兵衛の長男であり、大室本家の家長。彦兵衛商店の発展を見て、農業から発展した産業(食品や繊維など)を興す。第一次世界大戦までは順調だったものの、戦後不況をモロに被った結果、全ての事業を日本林産に譲渡した上に、財産の大半を放出する羽目になった。経営からも追われ、家長の座も破棄、その後は仏門に入った。

 

・大室長作(1856~)

 長兵衛の次男。長緒と共同で事業を興すが、大戦後の再編による責任を問われ引退する。


・大室長治(1862~)

 長兵衛の三男。しかし、問題が多かった事から、一族から追い出された。


・大室マサ(1859~)

 長兵衛の一人娘。有力者の子息に嫁いだ事から、彼女だけは大室本家の離散に殆ど巻き込まれなかった。


・大室一仲(1861~)

 仲兵衛の長男。長緒と共同で事業を興すが、大戦後の再編による責任を問われ引退する。


・大室次仲(1864~)

 仲兵衛の次男。しかし、問題が多かった事から、一族から追い出された。



〈日鉄財閥〉

 「日本鉄道興業」を中核とする財閥。中核事業は金融と重工業であり、第一次世界大戦によって商社に進出し、傘下企業に鉱業・繊維などがある。また、多くの鉄道会社を子会社・関連会社としており、地方への進出も多い。

 本店は東京にあるが、前身会社の関係から各地方には拠点が存在する。


・大内輝常(1861~)

 日本鉄道興業の初代社長であり現会長。


・佐田幸甫(1858~)

 日本鉄道興業の2代目社長。大室財閥との連携を蹴ったのは彼だが、その後の大室財閥との関係改善を図る為、子会社の相模中央鉄道社長に降りた。


・阪田孝右衛門(1863~)

 元・日本鉄道銀行金融部部長であり、現在は日本鉄道銀行頭取と日鉄證券社長を兼務する。一応、日本鉄道興業の取締役も兼務しているが、基本的に銀行と證券で活動している。日鉄財閥の金融力を高めた。


・文田清喜(1859~)

 日本鉄道興業の3代目社長。彼の指揮の元、重工業の強化や造船業への参入が行われた。


・加西清兵衛(1860~)

 元・日本鉄道興業の倉庫部部長兼荷物部部長であり、現在は日鉄倉庫社長と日鉄運送社長を兼務する。


・田川清助(1865~)

 元・日本鉄道興業の土木部部長であり、現在は日本鉄道興業副社長と日鉄土木社長を兼務する。


・広瀬允行(1874~)

 日本鉄道興業電気部部長。


・永田修(1870~)

 日本鉄道興業車輛部部長。


・星克嗣(1869~)

 日本鉄道興業機械部部長。元海軍技官。


・岩田実(1879~)

 日本鉄道興業造船部部長。元海軍技官。


・勝田博武(1885~)

 日本鉄道興業商業部部長。元々、独立商人だったが、第一次世界大戦中の囲い込みの中で頭角を現し、商社部門の責任者に抜擢された。

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