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架空の財閥を歴史に落とし込んでみる  作者: 常盤祥一
1章 幕末・明治時代:財閥の形成
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2話 幕末:大室財閥(2)

 横浜で商いをする事となった彦兵衛、取り扱ったものは茶・染料・絵の3つだった。

 彦兵衛の実家は豪農であり、そこで茶や藍や紅花といった染料の栽培をしていた。茶は、京に近い事から江戸程ではないにしろ大きな需要があり、染料についても京友禅による需要があった。また、藍や紅花などを染料に加工する紺屋も兼ねていた。その為、茶や染料を扱うのは自然だった。

 一方の絵は、彦兵衛の趣味であり、実家が紺屋である事から染料を入手し易く、自ら絵を描く事があった。また、コレクターという一面も持っており、他の人が描いた絵を集める事も多かった。加えて、1860年頃からヨーロッパで浮世絵などの日本美術が流行した所謂ジャポニズムが生まれた事から、需要が発生した。


 彦兵衛商店は、上記3品目を扱う現在でいう商社としてスタートした。しかし、開業して数年間は思う様に利益を上げられなかった。その理由として、仕入れにあった。

 茶や染料は実家から仕入れるが、実家は京の近郊であり、商売の場所は横浜である。船で運べれば良かったのだが、生憎彦兵衛は船を所有しておらず、物品は全て東海道経由での輸送となった。距離にして約500㎞、運ばれるのに約2週間掛かる。そして、道中には追い剥ぎ(山賊)がいた事から、金品などを運ぶのにも苦労する事となった。

 その為、納品の遅れや仕入れ元への支払いが出来なくなるという問題に悩まされる様になった。一方、この問題によって彦兵衛は、仕入れ元から納品先へ早く運ぶ方法や、万が一物品が被害を受けた時の損失を少なくする方法を考える事となるが、その成果が出るまでには暫く時間が掛かる事となる。


 一方、取引相手である海外の商人との取引は比較的順調だった。当時の日本の貨幣問題に、日本と欧米での金と銀のレートの差を利用した金の流出問題があった。しかし、彦兵衛が金(小判)を用いず、銀(洋銀)と銭で取引をしていた事から、その被害は比較的少なかった。勿論、無傷では無かったが、他の商人と比較して傷が浅かった事が、この後の拡大を容易に出来たと言えるだろう。


 出店当初は利益が出ない事もあったが、何とか経営が軌道に乗った矢先、世間を揺るがす大事件が立て続けに起きた。旧暦1867年10月14日大政奉還、同年12月9日大政復古の大号令布告、翌年1月3日鳥羽・伏見の戦いを発端として戊辰戦争勃発。徳川幕府が無くなり、天皇を中心とした政権の発足が謳われた直後に、新政府側と徳川幕府側との対立が発生した。戦争の経緯は省略するが、その中で彦兵衛はどう動いたのか。

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