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架空の財閥を歴史に落とし込んでみる  作者: 常盤祥一
1章 幕末・明治時代:財閥の形成
10/112

10話 明治中期②:日林財閥(1)

ここから、大室財閥とは別の財閥になります。時系列的に書く予定の為、流れが途切れる事となります。しかし、この財閥のこの時期が過ぎれば、再び大室財閥に戻ります。


本来であればこちらを先に投稿したかったのですが、大室財閥の1880年代から90年代までの流れを途切れさせない方が良いと考えた事、当初は1880年代に入れようと考えましたが、設定を考えると1890年代になってしまう事から投稿が遅れました。

申し訳ありませんでした。

 日林財閥は、日本の中小財閥の1つである。「日林」という名前から分かる様に林業を主体としていたが、林業だけでなく農業や畜産といった一次産業、木材加工や家具製造、製糸業など木材を使用した工業が日林財閥の主要産業となる。

 戦後、日林財閥は財閥解体の流れで解体されるも、旧大室財閥と共に中外グループを形成した。これは、日林財閥の銀行部門である「日本林商銀行」が、戦時統合で大室銀行に吸収された為である。


_________________________________________


 日林財閥の創設者は、高田邦久という。彼は1832年生まれの広島藩の藩士であった。明治維新後、彼は明治新政府の下級官僚として活躍していた。

 しかし、東北視察の為、1888年に仙台まで開業したばかりの日本鉄道(後の東北本線)に乗車した際、その沿線風景を見て彼は思った。『山に木々が見当たらない。そして、誰もそれに危機感を持っていない。これではこの国の行く先は危ういのではないか』と。彼は武士出身ではあったが、広島藩時代に植林事業に携わっていた経験から農業や林業に明るかった。新政府に入ってからも、広島藩時代の経験を活かし林政部門で活躍していた。彼から見れば、日本は現在は近代化に邁進しているが、いずれ足元から掬われるのではと考えた。

 不幸な事に、この考えは杞憂に終わらなかった。明治以降、日本各地で鉱山の開発が進んだが、それによって山が消滅したり、鉱石を精錬する際に出る煙によって山が禿山になるなどして川の氾濫が相次いだ。

 彼はすぐさま官僚を辞め、植林と伐採を行う事を決意した。


 邦彦の第一歩は、苗木の育成からだった。植える木が無ければ植林自体が出来ない為である。彼が目を付けたのは、栗や各種どんぐり、マツとキリの4つだった。これらは、里山に生えており種子の確保がしやすかった事と成長が早い事から選ばれた。彼は、自分と自分と志を同じくする者達でそれらの種子を各地から集め、自宅の近く空き地で育てた後、一定程度まで育ったら、鉱山とその周辺部や鉄道沿線の荒地に植林した。これは、鉄道会社に対しては『枕木用の木材を提供する』、鉱山会社に対しては『木材の売却益の一部を渡す』という条件で協力してくれた事が大きかった。

 植林事業は数年、長ければ十数年の時間が掛かる事業の為、直ぐに結果が出ない。同士の中には痺れを切らす者もいた。それでも、鉱山を経営している会社や個人との営業を積極的に行った結果、足尾や小坂、伊豆など多くの植林先を獲得出来た事、最初に植樹した木が伐採可能になった事から、僅かながら利益を出す事が出来た。


 日清戦争後の1898年、邦彦は「日本林産」を設立し、今まで同士らと行っていた植林・伐採事業をそちらに移した。つまり、個人事業から法人化したのである。これは、経営範囲が拡大した事で個人活動では限界に差し掛かった事、外部資本を導入する事で事業の大規模化を狙った事にあった。

 同士の中には、金目当て目的になる事を嫌った者も出た。邦彦自身もその考えに反対しなかったが、同時に『お前らを養う事、そして日本全国で行おうと考えると、この方法しかない』と反論した。これにより、法人化反対派が抜ける事となったが、その数は少なくなかった。抜けた人達の意見としては、『金儲け主義になりたくない』『営利目的になる事から、逆に山を禿山にする』というものだった。邦彦もこの意見を聞き、会社の精神に『十年、二十年、百年先の事を考えよ。目先の利益に囚われるな』と加えた。林業は長いスパンで行うのであって、その事を忘れたら林業では無くなるという戒めであった。


 反対派の離脱もあって、日本林産のスタートは細やかなものとなった。しかし、株主を見るとそうとは言えなかった。なぜなら、主要株主に日本鉄道や古河本店、藤田組などが名を連ねていた為であった。日本鉄道については何度か出ている事から説明は省くが、古河本店と藤田組については少し説明する。

 古河本店は、古河市兵衛が設立した会社であり、鉱山と精錬を行っていた。古河本店は後に古河鉱業と改称し、日本の準大手財閥の一つである古河財閥の中核企業となる。日本林産との繋がりは、足尾銅山での植林事業に助力してくれた恩から来ている。もう一つの藤田組は、藤田伝三郎が設立した会社であり、日本林産との繋がりは、小坂鉱山と市ノ川鉱山での植林事業を手伝ってくれた事だった。


 巨大鉄道会社と2つの有力鉱山会社がバックに就いた事で、日本林産の信用力は比較的高かった。実際、この信用力を担保にして資金を借りたり、営業を行ったりするなどして、規模の拡大に勤しんだ。日本林産は設立したばかりで規模が小さく、このままではジリ貧になると見られた為であった。

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