『そのままでいてよ。』
「離して。」
聞いちゃいない。僕の手首を掴んでいた左手をそのまま首へ移す。その冷たい指先から彼女にやめる気が無いのが伝わってくる。部屋の角に取り付けられた小汚い鏡に僕らが写ってる。自分のこんな姿、見たくなかった。鏡の中で彼女が目を合わせてくる。彼女の口角がつり上がる。ゾッとした。
冷め切った身体を交え終わると彼女はスッと起き上がり、一服し始めた。僕の目は天井を見つめたまま動かなかった。泣いていた。何故か。理由はいくらでも思いつく。彼女に気付かれぬようシーツで涙を拭くと跡が見えないように、その部分を折り返した。僕には一目もくれず煙を吹き続ける。そうやって口の中に残った僕の味を消しているのだろうか。後悔しているのだろうか。ふん、僕の知ったことか。いったいどうしてこの期に及んで、僕がこの女を気遣わなきゃならないんだ。
「泊まってく?」彼女があの微笑を浮かべて聞いてきた。
何を言ってるんだ。僕は一秒でも早くこの部屋を出たいんだ。
「いや、今日はやめとくよ。」
「そう、わかった。でも、こないだ一緒に借りた映画はどうする?明日返さなきゃいけないんだけど。このまま観ずに返しちゃう?」
何故なんだ。何故、あのとき帰らなかったんだ。映画を観ながら後悔し始めた。バレるなよ。なにげなく彼女の顔を見てみる。テレビから発せられる光で照らされた彼女の顔は言葉にできないくらい美しかった。つい数時間前に鏡に映ってたあの顔とは大違いだ。常にこのままでいてくれたらいいのに。
「そのままでいてよ。」
気づけば声になっていた。
「…無理よ。人は誰しも、自分じゃどうにもできない一面を持っているものよ。」
少し間を置いた後、彼女は画面を見つめたまま答えた。彼女を抱きしめ、押し倒した。僕らは、しばらくそのまま動かなかった。ただテレビの画面だけが延々と動いていた。