第一話『Molten steel of love』
暫くはこの『ロロ村』でのんびりしていく。キスティマックールはそう決め込んでいた。ロロ村があるのはリリッド州――新鮮な空気、豊富な鉱山、天然の水、それによる人工的技術が有名な鍛冶屋と錬金術師の州だった。
この州では近年『半月の都』と呼ばれる首都で画期的発明が事多く成されている。
恵まれた炭鉱区域に豊かな水源。他の州では得られない貴重な天然資源が、魔術と武器の融合にまで成果を伸ばし始めていた。
特に銃という武器は素晴らしいものだ。
鉄と木材で構成されるこの武器は、類いまれぬ威力の割に恐ろしいことに小型化が可能で、しかも安価で一般の警備団体が所持できるほど。この国に置いて武装のモットーは鉄製の剣または盾、そして槍と弓だけだった。
とある事情で急激な技術改新が行われ、リリッド州は大きく利益を伸ばし始めた。
その代表作が銃というわけである。
銃に装填される弾には不思議な『爆発』という現象を起こす魔法じみた粉が使用され、その爆発によって弾丸を撃ち出すらしい。製造方法は、半月の都に居を構えるアルケミスト達のみが所持している。
ああ、実に興味深い。キスティも滞在期間で製造方法までとは言わないが、存在がどのようなのか調べるぐらいはしたいものだった。噂によると筒状の鉄が炎を吐いて凄まじい速度で飛び出し、山のてっぺんを吹き飛ばした―――なんて心躍る報告まである。
あと自然にわき出る水の豊富さと言ったら、もうキスティは喉から手が出るほど羨ましい限りだった。しかし天然の湧き水など、リリッド州ではなんら珍しくない。だがキスティにとって、魔法や魔術で生み出す『まがいものの水』より断然いい。
自ら学んで生み出す水。けれどどこから沸いて何の水なのか自分自身よくわかってないのに、それを何ら疑わず飲み水として使用するのになぜ抵抗が沸かないのか。リリッド州の者達は、資源を無限に生み出せる【こちら側の州】を羨望するらしいが、全然わかってない。
豊富な天然資源が溢れるリリッド州。
数多くの秘術を究明するアルケミスト団体。
画期的技術促進を担う専属の鍛冶職人たち。
リリッド州が誇る三大要素は、求めたくとも手に入らない――そんな遊び心が擽られる要因がたくさん溢れかえっていた。
この機を逃したら、この先何年も機会が訪れるかわかったもんじゃない。特に手厳しい審査があるわけでもないし、別に他の州の住民も気軽に訪れられるのだが……問題なのは彼のほう。
キスティ・マックール当人がどうしようもない理由を抱えているのだ。
「キスティ! キスティマックール!」
「そう何度も呼ばなくても聞こえてるよ……」
今日はよく名を呼ばれる日だ。暖めたポットから一時も視線を逸らさず彼は心中で愚痴る。どこにいたって心安まる暇が無い。今日はお祝いすべき大手柄をあげたというのに、一人、祝杯の用意すらままならないとは。
「どこをみてるの! こっちをみなさい! 事件の報告は未だすんでないじゃない!」
金切りを上げるのは、木製の窓枠でせわしなく飛び跳ねる、一匹の小鳥だった。黄色一色のなんら普通の小鳥と見た目変わらない姿は、これでも、とある魔術によって生み出された特別な通話手段でもある。
相手先はここからそう遠く離れてもいない、近隣の州からである。
「だから、言ったとおりだってばミリサ。無事、事件はロロ村所属の自衛団のトップ、ジョフ・タルキンが首謀者だったとね」
カタカタと生成り色のポットが音を立て始める。沸いた水のにおいを鼻孔にためて、キスティは至福の表情を浮かべた。素晴らしい。沸騰したただの水がここまで瑞々しく芳醇な香りならば、このオリジナルブレンドで煎れた紅茶はどうなってしまうのだろう。
ワクワクが止まらなすぎて鼻血が出てしまいそう。
「ジョフ・タルキンが森の番人共の犯行だと偽り、事件解決を自ら行って、昇進したというのはわかった――けれど何故、貴方が手を出したの? 何が貴方をここまで突き動かしたというの?」
「我が家に掲げている看板を思い返せば良い」
「……、『魔法犯罪否定探偵、キスティマックール』……でしょう?」
その通り。ジャスト五分だ、素早く火元からポットを持ち上げて、使い込んだ革製のトランクから取り出したマイポットへ、上空高々から湯を注ぎ入れる。
「あぁっ! なんて! なんて! ……うううっ…!」
「…きも…」
もうたまらない。我が愛しいポットに天然由来の水が注ぎ込まれて、ただえさえ感性をびんびんに際立たせるオリジナルブレンドの茶葉が、信じられないぐらい幸せの香りが周囲へと広まっていく。いわばアロマ、控えめに言っても天国。大げさに言えば極楽浄土。
「――さて蒸そう。残り時間は二分、その間に話を済ませておくれ」
「こっちのセリフだけど、それ」
「他に何を報告することがある! 彼は罪状を認め、犯行を自供し、ゴブリンの足跡を模造するための装置、その物的証拠も提示した! そして、その身柄は君たち『満月の都』の魔術団体『薔薇十字団』へ引き渡し書類までまとめてる!」
なんら文句のない手引き。賞賛こそすれ長々説教される筋合いは無し。そう自負してやまないキスティンは憤慨して飛び跳ねる小鳥を一瞥。
小さな頭をかくかく上下させた小鳥はヒステリックに語り始める。
「貴方がまったく考え無しに行動するから文句も出るんじゃない! なによ、森の番人共のところへ本当に会いに行って怒らせる必要あったワケ!? あのゴブリン部族は、貴重な数少ない原住民! 保護対象だって貴方も知ってるでしょう!?」
「知っているとも。だから、怒らせる必要があった」
「意味がわからん! これは慎重に進めるべき案件だった! なのに、貴方が私たちが到着する前にしっちゃかめっちゃかにして…!」
「ああ、待ってくれ。説明すると長いから、この紅茶を飲んでから……」
「もういい聞きたくない! 余計な事後処理が増えそうだもの! 貴方が毎度引き起こす問題の中でもトップクラスで面倒くさい案件よ…! ゴブリン、あの蛮族で有名なゴブリンよ…!? どうやって事後処理すれば良いのよ…っ」
「意外と話せる奴らだから、素直に謝ってみれば良い」
「だれがゴブリン語を話せるのよ! あんなドマイナーで気持ち悪い言語、うちのデミヒューマン課の通訳だって習得してない! あなたもしやしゃべれるの? だったら変態ね! この変態変態! ばーか! ゴブリン好き! ゴブリン語で褒めるのってどうやるか教えなさいよ、こう? ガバビバ、バババ!?」
「ストップ、ストップだミリサ。すまないがそれ以上言わないであげてくれ、あの見た目だが案外傷つきやすい性格だと僕は思ってる……」
「うるさい! 意味分からないことをいうな!」
せっかちな奴だ、とキスティンは呆れて嘆息。ここではないどこか、察するに満月の都に建つ本部の一室で、乱暴にデスクを叩いているのだろう。あの泥のような真っ黒な飲み物を濁流のごとく胃に収めて神経を逆むけにさせているに違いない。
「今度、上等なハーブティを君に送ろう。是非、仲間達と嗜んでくれたまえ」
「うっさいわ! でもありがとう! あぁあ~~……もうっ……どうして、貴方は私たちが到着するのを待てないのよ……」
窓枠で項垂れるようにチチチと愚痴をこぼす小鳥。キスティンは可哀想な小鳥に目もくれず、香り立つ紅茶をカップへと注いでいく。その顔は真剣そのもので、まるで一滴でもミスれば世界が滅んでしまうと信じ切っているかのよう。
「ミリサ・グラウンドレイス。薔薇十字団『違魔法取り締まり課』のボスである君の気苦労は察して止まない。テイマーとして小鳥をリリッド州に送るだけで膨大な書類検査を通過したのだろうね」
「……なによ」
「何時間かかった?」
小鳥はここに来て始めて、急速に押し黙る。カップへ口を付ける前に深くソファーへ座り込んだキスティンは、至福のため息を吐く。
「素晴らしい匂いだ。この匂いは熱を失っていくほど、雑多なものへ変わっていく。何事も早急な解決こそが最高の展開を生み出すわけだが、しかし、より時間と労力をかけても、味わうのは一瞬だけ。またその逆もしかりだ」
存分に香りを楽しんだ後、キスティンはカップに口を付けた。ほんの少しなめる程度に。すると舌の上に慣れた味がせせらぎのように流れていく。
「どういう意味よ」
「リリッド州では【私刑行為】が問題になっている。この国で二番目に膨大な土地を有しているのに移動手段が限られている為、首都から役人が到着する前に、事件の容疑者が殺害されていた―――なんてことがザラなんだ」
「………」
「そして君たちも、ゴブリン部族という【魔術に関する部族保護】を遂行するために、わざわざリリッド州の事件に首を突っ込んだワケだが。…どう思う?」
敢えて端的に疑問を提示したキスティンを、小鳥は器用に翼を、まるで肩を落とすように落胆させて見せ、答える。
「我々が到着する前に、ジョフ・タルキンは村人全員に殺されていた?」
「その妻、ジョフ・ミラーレッドもね」
カップの中の紅茶を一気に煽る。適温な紅茶は口内を通り身体の中へ通り過ぎていく。キスティンは呆然と固まった小鳥を一瞥し、穏やかに語り始める。
「だから僕が行動を起こしたわけなんだ。誰よりも早く、一番にロロ村に訪れられると知っていたからね。君たちRCよりも、リリッド州の『黄金の夜明け団』よりもさ。…それにゴブリン族を【嘘では無く実際に】関わらせることによって、RCに身柄を受け渡すことも可能。欲しいだろう? 貴重なゴブリン族を怒らせた重要参考人だ、君の手柄に出来れば昇進だって夢じゃあない」
あどけなく両手を広げるキスティン。呆れてものも言えないで居る小鳥によしと言わんばかりにキスティンは口を開く。
「リリッド州の住人は、魔術を羨望しつつ同時に、心から恐れてる。如何なる屈強な現実も真っ向から否定できる力は大きな抑止力だ。つまり、RCに身柄を確保されれば村人全員が手出しできず――そしてゴールデンドーンも手出しできない」
愉しそうに笑う彼を、またもや無言で見つめる小鳥。
一体、一体いつからそこまで考えついていたのだろう。彼はロロ村に訪れてから三日も経っていないはず。何処からジョフ・タルキンの偽り事件を知り、村の状況を察し、事件解決の手立てを企てたのか。
それに彼の行いは重大な契約違反スレスレだった。彼だけが背負わされている【神から直接下された判決】の中で、キスティン・マックールは己の主張を突き通したのだ。
「…キスティン、貴方、それは一歩間違えれば処罰が下されるわよ…?」
「何を今さら。僕は神なんて信じない、くそくらえ」
「キスティン!」
「あーはいはい。神への冒涜は許されないね、恐いなぁ宗教者は。あのねミリサ、この程度で恐がってたら探偵なんてやってられないから。三年前に下された判決も実にお笑い草だよまったく。なにが『その血をすべて神に捧げよ』だ。僕のような優秀な『魔法使い』を殺すことに惜しんだ君たちの片割れが、影ながら生み出したちっぽけな嘘偽りの――失礼、お客人だ。無駄話はここまで」
流暢に愚弄していたキスティンが借り拠点にするドアを、誰かがノックしている。
「ちょ、ちょっと待ちなさいってば!」
「最後に面白いことを一つ。…ゴブリン達が銃を所持していた」
「…は?」
思わぬ爆弾発言に頭真っ白になった鳥は、すぐさま取り直して叫び返す。
「か、彼らは森の番人であり『クリーパー』とも呼ばれてるじゃない……! リリッド州の住人、もしくはなにかしら悪いことして森に逃げて、それを拾っただけの可能性も…」
「ゴブリンは自分たちに見合ったものしか所持しない。身丈以上の、実力以上の【攻撃性】を秘めた武器を使用するなんて有り得ない」
彼が今日の明朝、山小屋での出来事を思い返す。槍や盾、剣と兜。ボスであっても豚に乗っていた。その中で数体、きちんと引き金に指を掛けながら銃口をこちらに向けていたゴブリンが居た。彼らは森の掃除人。森に不法投棄された理解不能なモノは、住処で一カ所に集められ、山のように積み重なっている。
時に好奇心溢れる若いゴブリンがおもちゃ感覚で持ち出すことも記録に残っているが――あれは違う、ちゃんと武器と理解した扱いだった。
「だ、だれかがゴブリン達に銃の扱い方を説明した…?」
「きちんと武器の性能を伝えてね。はて、それも気になるが、僕としてはゴブリン族へ何の対価を求めたのかが重要だと思う」
未だか弱いノック音が響く中。小鳥とキスティンはしばし互いに思考を巡らせる。ま、それはそれ。といち早く切り替えたキスティンは「静かにしてて」と小鳥に一言し、ドアノブへと手を掛けた。
「ジョフ・ミラーレッドさん?」
「…あ、え、ええ、そうですわ…」
開けた木製のドアの向こうに一人の女性が立っていた。頬はすこし痩けて、目元には重たい隈が浮かんでいる。顔を確認せず名を当てられたことに驚いた様子のミラーレッドは、少しおかしそうに笑って、ため息を吐く。
「やはり満月の都の魔法使いさんは凄いのですね。魔法でなんだって出来るみたい」
「いえ。今のは単なる勘ですよ、貴女のノック音は意外と特徴的だ。意識されてないでしょうけれど、独特のテンポがある。あと僕はもう魔法使いじゃあ無い、元魔法使いです。今じゃ魔術師にも劣る」
堂々と意味不明なことを言い放つキスティンに呆気にとられたミラーレッドは、不思議な人、と思いながらもここへ訪れた理由を語ろうと口を開くが、
「ミラーレッドさん。すまないが君をジョフタルキンには会わせることは出来ない」
「………っ」
無残にも彼の言葉で遮られる。
ミラーレッドが一瞬、絶望に染まった表情の元に俯いた拍子、一滴の涙がこぼれ落ちた。
「…声を聞くことも…ダメなのかしら…」
「駄目だ。彼は既にリリッド州での自由は一切認められていない。そのたった一言、二言で此方側の州の判決が可決されてしまう可能性すらある。貴女も、彼の行いを憎みもしろ―――いまだ愛する夫ならば、今は口を閉じ、黙って見送ることをお奨めする」
「わ、私の夫よ…!? 憎むなんて有り得ないっ、私は…! ただ彼と会話して、どうしてあんなことを……何故、なにもいってくれなかったのか……」
「茶番はそこまでにしたらどうです? ミセス、ミラーレッド」
キスティンの言葉に、ミラーレッドの思考が停止。ただ真っ直ぐに彼女を透き通るような無垢な瞳で見つめる彼は、事実のみを口にする。
「ジョフ・ミラーレッド。貴女の夫の犯行――畑を荒らし、家畜を毒殺し、その所行を森の番人たちになすりつけた。己の昇進評価を上げるために。しかし、それはなんとも稚拙な犯行だったために、ほぼ村人全員が彼の犯行だったと理解していたはず」
キスティンがロロ村に訪れたときは、それはもう凄惨な状況だった。
光あるところでジョフタルキンを褒め称え、
影なるところはジョフタルキンを殺害するため会議が毎夜と行われていたらしい。
この二面性。ロロ村やリリッド州全土における私刑問題の象徴たる部分だろう。
人が人を裁く。
この主張が大手を振って罷り通るリリッド州は、異様に悪に対して攻撃性が強い。無論、この行為が州の役人――『黄金の夜明け団』が認めてなどいない。歴とした犯罪と裁かれる違法行為だ。でも、なお州の住人は我が手で悪を断じようとする。
「リリッド州はその歴史の浅さ故に、場の調和を乱す存在に対し異常な敵対心を持つ。…と、これは僕の単なる考察だが。しかし、何故だろうねジョフ・ミラーレッド? 僕たちは同じ人間で、誰だって何かしら間違いを起こすはずなのに。どうして人間が人間を裁くことを君たちは認めることが出来るのだろう?」
「な、何をいって…」
「はっきりいってあげよう。それは君たちが馬鹿だからだ、稚拙で、幼稚で、図体だけは大人になって頭は未だぱーぷりんの子供のまま。精神的成長は一切せず、そこらの畑で泥団子を作ってはつぶし、作ってはつぶしを繰り返す―――まあ頭がイッてるからだよ?」
トントン、と己の額を指先で叩くキスティン。唖然と言葉も無いミラーレッドは、ショックを受けたかのように首を振り、なにか、言いかけようとして顔を伏せる。
「貴女は夫の行為が許せなかった。悪に手を染めた彼を殺してやりたいと思った」
「違う…違う…っ」
「君はジョフタルキン殺害計画の首謀者であり、村人全員に彼の犯行のミスをそれとなく伝え、反旗を促し、殺害意欲を煽った。他の例を見ないほどの重犯罪者だ」
否定に首を振る彼女をなんら感情を絡めず責め立てるキスティン。哀れな妻の立場は一転して邪悪に満ちた首謀者に成り代わる。己が手を染めず、善人と呼べやしないが、なんら罪の無い人を殺害計画に荷担させた行為は許されざれない。
「―――貴女の夫の口癖ですよ。やられたらやりかえす、夫の行為は貴女への裏切り。ならばそれそうとの裏切りを彼に与えなければならない」
「私はっ!! なにも、やってない…!! 違います!」
「そうとも君は馬鹿じゃあない! 弱くもなく、そしてしたたかな女性だ! 貴女はなにもやってない!! その通り! 貴女はなにもせずして夫を殺そうとした!」
ミラーレッドは、突然の彼の喜びの爆発に一歩仰け反る。ここにきて始めてキスティンは己の感情をあらわにさせた。おもちゃを手にした子供のようにあどけなく。餌を目にくらいつく猫のように大胆に。本能で顔を昂揚させた彼は、心からの賞賛を彼女へ告げる。
「貴女はまさに完璧だった! ジョフタルキンを森で追い詰めるまで、僕も貴女を最後の最後まで疑えなかった! けれどゴブリンに追い詰められた時タルキンは、上っ面だけの強気を捨て神へと祈った! …神にすがる者が『ゴブリンによる偽装犯行』を思いつくとは思わない。僕はそう思う。彼は人間としての強さを捨てたんだ。では、このロロ村で一番【人間的強さ】を持つ者は誰だろう?」
「――――」
「それは君だ。偽装犯行すら夫にやらせたんだ、ジョフミラーレッド。するとどうだろう? 畑を荒らし、家畜を毒殺したのは一体誰なんだろうねえ! いやいやいや、まったく素晴らしい限りだよ。その口八丁は一体どこから得たスキルなんだい? まさか過去に冒険者としてギルド入りしてた? それとも詐欺師としてデミヒューマン相手に麻薬を取引してたのかい?」
「――さい」
「え? なにかいった?」
彼女の気配が尋常じゃ無い。
瞬間、この危険性を肌に感じた者は即座に反撃の手段を手に取った。
窓際で戦々恐々と彼らの会話を聞いていた小鳥は、テイマーから魔力が通され、風も切り裂くたいあたりの実行を始め、近隣の住人は彼らの会話を耳にして、思い当たる節を胸に握った槍をミラーレッドへ突き刺そうと飛び出し、ミラーレッドは懐に隠していた夫の銃を音も無く引き抜きトリガーに指をかける。
そして当の本人であるキスティン・マックールは、彼女が構える銃口を暢気に見つめ返した。
「おっと?」
「死ね」
憎々しく歪んだ笑みでミラーレッドは引き金を絞りきる。
耳を突き刺す発砲音。
周囲の空気は一瞬だけ揺れて、嗅ぎ慣れない独特な匂いがあっというまに部屋中に充満していく。
ドサリと床へ倒れる音。使い獣である小鳥で状況を観察していたミリサ・グラウンドレイスは咄嗟に両手でふさいでしまった指の間から、恐る恐る状況を見直してみせる。
「……え?」
その場の床に倒れていたのは彼では無く、銃を手放し蹲ったミラーレッドだった。
「黄金の夜明け団『ゴールデンドーン』よ! 今すぐ槍を捨て、後ろを向いて両手を頭の上に! 容疑者確保! 未だ銃が側にあるから警戒して取り押さえるように!」
突如として出てきたのは、見慣れない近代的な服装の者達。
その鎧のようで単なる服にも見えるジャケットを着込んだ数人は、よく訓練されてる部隊のようで、あっというまに蹲るミラーレッドを取り押さえ、槍を持っていた住人を拘束し終わった。凶器の銃を回収し、ミラーレッドに跨がる女性―――髪をサイドテールに纏めた者が部隊のボスだろうか。
ミリサはしばらく観察を続ける。
彼らの着る軽量の黒い鎧は、彼女が機密書類で読んだ『防弾チョッキ』と推測。手には小型の黒い銃を所持。見事に鮮麗されたフォルムは、同じ書類で読んだ銃系統より高性能に思えた。こんなものまで量産化させていたなんて。しばし絶句して、すぐにキスティンのことを思い返し使い獣ごし呼びかける。
「キスティン!? キスティン大丈夫なの!?」
「わぁーー……凄い、こりゃ凄い、少し離れた場所でここまで鼓膜を揺らすなんて……素晴らしい、いやあ素晴らしい……!」
恍惚に己の両耳を撫でて、香しいものを嗅ぐかのように発砲煙を鼻孔に溜める男がそこには居た。
小鳥は両翼を器用に落とし、けれど安堵にため息を吐く。
しかし安心するにはまだ早かった。
「九時十五分。ジョフ・ミラーレッドの身柄を拘束、あとそれと」
金色の髪色に、きっちり纏められた髪型の女性。
屈強な男達で構成されてる部隊のボスにしては華があり過ぎる出で立ち。キスティンは印象はまるで刈り取られて並べられる稲穂のようだと思った。まだ若々しい穂は成長の兆しが十分に感じられ、けれど律儀な並列は彼女の真面目さを感じさせる。
美しい女性は髪型でわかる。キスティンが常に思う女性に対する印象だった。初めての銃の発砲と犯人逮捕の高揚で気分が浮き浮きだった彼は、不用意に彼女へと近づき、
「その髪型は自分で? それともお婆ちゃんっこで毎朝纏めて貰ってぷごげっ!?」
「――通報通り、違法な移動手段でリリッド州に入り込んだ容疑者を拘束」
問答無用に床へと押さえ込まれてしまう。まさに達人の域だった。ミリサに至っては彼が勝手に転んだようにも見えてしまった。
「お、おっと……これは手荒い歓迎だ……! もうちょっと優しい手ほどきを願いたいんだがね…!」
「貴方には黙秘権がある。担当の弁護人を付ける義務もある」
「え? なんだって? 銃声で耳が遠くなってるんだ、もう一度言って?」
「……。貴方には、」
拘束の手を緩めて、キスティンの耳元へと口を近づける女性隊員。遂行すべき義務は果たすべき。そんな生真面目な彼女を見透かしたように、彼はちょびっとだけ女性隊員のほうへ頬を寄せる。
偶然か必然か。軽く唇の先がキスティンの頬に触れ、愕いた女性隊員が目を見開いて距離をとった。
「おっと、これは嬉しい事故。それともわざと? これも義務? 僕にとってはどっちにしろありがたいけれど」
「っ! れ、連行しろ! 早急に!」
ゴシゴシと口元を乱暴に拭う彼女を眺め、眉をハの字にして残念そうに連行されるキスティン。そのいささか感情的な連れて行かれ方になんら同情もわかないミリサは、部隊の隊長である女性隊員へと視線を移す。
そして隊長の足下で蹲るミラーレッドを。
「私は悪くない…私は悪く、ない…」
呪詛のように呟く自己中心的な慰め。誰もが彼女の在り方を認めやしない。ミラーレッドが行ったことは神すら懺悔の余地を残さないだろう。
人が人を裁いてはならない。
ミリサが所属するRC――満月の都『薔薇十字団』【も】掲げる最大の掟だ。
リリッド州では殺人は重罪である。未然に防がれた殺害計画も同じく重罪であるが、ミリサが住まう州での殺人は【時に罪では無い。むしろ推奨されている。】
とある理由で【人を殺していい】と容認される部分すらあるのだ。
だがしかし、魔術師たちが納める我が州は【人の手によっての殺害は極刑である】。
論議の余地無し。人が人を直接殺害した場合のみ、判決は必ず死刑。
では【人の手によってじゃない殺人】とは如何なるものか?
「……良かったなジョフ・ミラーレッド。夫と一緒に連行されていれば、あちらの州じゃ裁判無しの死刑勧告だった」
金髪の女性隊員は蹲る彼女に淡々と告げる。
「あっちの州では、魔術によっての人殺しが褒められるんだよ。【魔術が均衡した世界で計画的魔術殺人は称えるべき魔法だと、カミサマから頂いた偉大なる魔法だと言ってね】。ほんっと頭のイッてる奴らだ。アンタの夫も、貴重なゴブリン共を怒らせたから無罪ですぐに帰ってくるだろう。存分に魔術漬けされたあとにな。…それが気に食わなかったのか? どっちにしろ、お前は二度と夫とは会えないだろうに」
皮肉たっぷりに口の端を歪めて、整った顔立ちが醜悪に染まっていく。
「お前の馬鹿な行いは、リリッド州では死刑だ。判決を聞くまでも無い。私の手で刑を執行してやりたいが―――これでも役人でね、身勝手な行いは身を滅ぼす。ああ、そうさ、お前が見せてくれたとおりのことだよ。ミラーレッド」
耳元で優しく囁く呪いのように闇染まった言葉。彼女もまたリリッド州の住民が陥りやすい悪人に対する異常な攻撃性を窺えた。
その様子をミリサは固唾をのんで、魔力パスを使い獣へ。
いつでも彼女へと一撃を喰らわせられるように、動向をうかがい続ける。
「セクシィード隊長! 護送列車の準備が整いました、容疑者の確保は?」
「――今連行する。牢屋の鍵を開けておけ」
どうやら何事も起こらず済むらしい。安堵に息を吐くミリサ。すると連行しようとしていた彼女が歩みが唐突に止まり、
「誰だ?」
「………!」
寿命が縮んだと思った。まさか念話を聞き取る者がリリッド州に居るとは。魔力を持つ者しか念話を送信、または受信できないはず。キスティンとの会話も実際には口を使って行われていなかった。
遠く離れたミリサの心臓をも穿ちそうな鋭い視線に、意を決して行動を移す。
「ぴ、ぴよぴよ」
「? なんだ小鳥か…」
奇策は功を奏したらしい。一瞬、あどけない表情を浮かべかけた彼女は、すぐさま顔を引き締めてミラーレッドを連行していった。