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17話 闇の中で

 走る、走る、走る。


 背後からはおぞましい怪物の咆哮が聞こえてくる。


 恐ろしさにガクガクと膝が笑い、足場の悪さが走るのをより一層困難なものとさせる。


「おい伊野。もう少し早く走ってくれ!このままじゃ追い付かれちまう!」


「これ・・以上・・早くは・・・・走れないよ・・」


 ゼイゼイと荒く息をつき、途切れ途切れに坂岡の問いに答える伊野。


 ラーク隊長による訓練は相当積んでいるはずだが、元々運動することが苦手な伊野にはやはりこたえたのだろう。


「ちきしょオ、なら俺がッ」


 追い付かれる前に殺ってやるとばかりに坂岡が自信の専用武器サーヴェイジヴォルトを構えようとする。


「いいや、やめろ坂岡。今は逃げるのが最優先だ。今の俺らじゃ、勝ち目は無い」


 そんな坂岡の腕をぐいと引っ張り、田中が冷静に撤退し続ける事を奨める。


「・・ああ。そうするしか、無さそうだ」

 



「どう・・・・にか、逃げ切った・・・・」


 荒く息をつき両手を膝につく建二、そして彼ごぼりと咳をすると血の塊が落ちる。


 彼の体のいたるところには噛み傷や砕けた牙や爪やらが突き刺さり、ケロイド状になった傷が生々しく体に刻まれている。


 皮膚の一部のうちあるいは溶け落ち、あるいは灰色の石のようになり、ささらに砕けている。


 それら全てが、常人ではくぐり抜けることのできない土壇場を彼が通ってきた事をものがたっている。


 痛みを全く感じていない訳ではない、痛みを我慢しているわけではない。


 傷を負い、逃亡し続けてから五時間が経過、手に余る魔物から休むことなく逃げ続け、常に激痛が身体中に走り続けた結果。


 彼は痛みをほぼ感じなくなってしまった。


 その理由は彼自信が痛みに慣れてしまった、それが一番大きいところだろう。


 体に食い込んでいる異物を無理矢理、かろうじて残っている右手で抜き取る。


「くくきき・・ぎぎぎぎぎ・・・・がががが」


 除去時に激痛が伴うためか、彼の笑いに歪んだ口から苦悶に満ちた声が時折漏れ出てきている。

 

「どうにか・・休む場所は・・ない・・か・・」


 気を抜けばすぐにでも折れてぶっ倒れそうな、足に余力を注ぎ何とか一歩一歩。よろよろと進んで行く。


 さながらその姿は手負いの獣に等しかった。

 

 人工物だったはずの壁、それも山肌の巌とさほど変わらぬ場所に腰をどっかと腰を下ろし寄りかかる。


 ひんやりとした感触が背を伝わり、骨の髄まで体温が奪われる。今までの緊張がほどけたせいか、一気に疲れや恐ろしさにのし掛かられているような気もする。


「とりあえず、よっとな」


 ポンと寄りかかっている巌に正常に動かすことのできる右腕で錬金術による、物質の形の変換を行う。


 粘土をぐにぐにと形を変えるようにして岩石の形状を変え、なかに潜り込みまた進む。

 なるべく自由に動けるように周囲の余裕を持たせつつ、彼はうろを形成する。


 うろの中はやや湿り気があり、入って行くのに不安を彼は感じたが余裕が無かったと見えて、こらえていた。


 外敵の侵入を考慮し時折カーブなどをつけるなどの工夫をしつつ、掘り進んで行くとそれに建二はぶち当たってしまった。


「うわっなにこれ冷た、ゴボゴボボバババ」


 地中を通る小さな水脈に接触し、水路に誤って穴を開けてしまったのだ。

 噴水を間近に浴びたような感触と共に建二が水圧によりうろの壁に押し当てられる。


 それの水温は8月終わりの秋らしさがほどなく出てきた曇りの日の一時間目、小学校の野外でのプール活動時に殺菌をするために入れられる消毒槽のくそ冷たい水温に似ていた。


 溺死するのは御免とばかりに周囲の岩を広げ、スペースを確保する。


 水は今まで建二が掘ってきた通路を下って外へと流れ出て行く。


「ううぁ、さっむいさっむい」


 服も肌もずぶ濡れになり、ガタガタと震える建二。


 より先へ、より先へと掘り進めた所で通路の幅を広げ一つの部屋のようにした。


 ほっと一息着いたとたんに。


「ゲッがっうぼぼぁ・・ゲッ・・な」


 喉が溶かされているような感覚と共に建二の口から銀色の水銀のようなものが溢れ出てくる。


 それはまるでバケツに入った水をおもいっきりぶちまけたように拡がり鏡のように彼を映し出した。


 建二はふらふらとよろめき、膝をつき前のめり倒れた。




「おい、おい、大丈夫か」 



 魔物の攻撃をモロに受け、田中は左腕を吹き飛ばされ、瞳孔が開ききりぐったりとしていた。

 魔術の灯りの中で彼に寄り添い、安否を確かめているのは坂岡。


 そして、止血帯を巻く伊野の姿があった。


 逃走の途中、魔物に奇襲をかけられ抵抗むなしく。


 坂岡、伊野が軽傷、田中が重傷を負い、今現在は運良く見つけたそれなりの大きさの自然洞窟に潜んでいる。


 時折洞窟が激しく揺すぶられ、生きた心地もしない。


「これから、どうする?」


「・・・・、少し休んだ方が良いと思う。僕はもう正直、色々こんがらがっちゃって少し整理する時間が欲しい」


「ああ、・・そうだな」


 クラスから突然突きつけられた生死が関与する悪意。


 日本で生きていた彼らには生まれて初めてとも言える、自分の命に関わるほど危険な状況。


 彼らの頭の中では最悪の結果が始終付きまとい、次第に瞳に陰りが生じていった。


 そんな中、カランと洞窟に反響する音が一つ、響き渡った。


 それはどうやら田中の破けた服の内側から出てきたようだ。

「・・なんだ、これ?」


 魔術で産み出した光の下にキラリと光るものが。


 よくよく見てみると緋色の石ころが一つ、洞窟の地べたに転がっていた。


「・・おう、何見つけたんだよ」


 伊野の手の内にある物をまじまじと見つめていた坂岡、二人が言葉をこぼす。


「───宝石?」


 デパートで並んでいるような精巧にカットされ角張った宝石ではないものの、明らかに人の手がそれに加えられていた。


 表面に多少のでこぼこが目立つものの、滑らかな肌触りのある物だった。


「偶然田中の服の中に入ってたって訳じゃなさそうだな」


「うん、見るからに怪しい」


 聞きなれぬ恐ろしい咆哮が、遠くから洞窟の中に潜む彼らの所まで反響してくる。


「寝ず番は俺が引き受けとく、伊野は先に休んでいてくれ」


「それじゃあ、お願い」


 魔力灯の光が小さくなり、光が及ぶ範囲が小さくなった。


 伊野は念のため、田中の近くに丸くなった。


 あとには、坂岡がその狼のような目を光らせ、鼻を引くつかせ、辺りを警戒していた。




 はっと目が覚める、微弱な光を発する魔力で構成された明かりが優しい光を投げ掛けてくる。


「ああ、そうか・・ここは・・」


 クラスメイトからの突然の裏切り、下半身を魔物に食いちぎられた激痛、決死の逃走からの魔物の追い討ち。


 次々に嫌になるような光景がぐるぐると狂った録画のように流され時々気まぐれに止まっては早送りのように動きだす。


 動悸が激しくなり肩がなぜか今さら震えてくる。何度も死ぬような目に遭って、それでもそれでも死なない、たった一回の苦痛で死ねるなら、それで良かったのかもしれない。


 そしてはたと、彼は自分が倒れ込んでいる銀色の水面に気づく。 

 

 それと同時に彼は浸かっている部分全てから激痛を感じとった。


「ぐゃあああああぐぐがぎぎぐ」


 叫んだと同時に手を頬に当てれば、シュウシュウと音を立てて皮膚が溶解し、筋肉の繊維がそこから覗いていた。


(何だこりゃあ!こんなもん聞いたことも見たこともねぇ!ましてや、なぜ私の口、いや体から出てくる?)


 頭からスッと血が引くような感覚と共に景色が反転すれば、痛みが体を駆け抜ける。


「ッあ・・」


 腹から、足から、腕から、体中から力が抜けていく。


 脱力して、脱力して、脱力して。


 なぜか彼は目頭が熱くなってきていることに気が付いた。


(ああ、ああ、ああ。くそったれがァァァァァ。何で泣いてんだよ、何でだ何でだよぉぉぉぉ、くそ腹立つッ)


 足に力を入れる。動かず。


 指に力を入れる。動かず。


 腹に力を入れる。動かず。


(火を、火を、火を、火を。心に火をッ。血潮を、克己を、悔しさを、憎しみを。なぁにまだ殺れるさ、わしはわしは私は私は私は私はまだ動ける。いつもそうやって足掻いてきた、生きてきた・・)


 ほろりと目尻から一筋の涙がこぼれ落ちてゆく。


 こんな体格をしてなんとみっともないと彼は思う。


(このボンクラめッ。今の今さら何を、何を泣いていやがる、ゴミ野郎が。動け動け動け動け動け動け、動きやがれぇぇぇぇ)


 されど止めどなく涙があとからあとから流れてゆく、決壊したダムのごとく流れていった。


 それを感じる度に自分は泣いているのだと言うことをじっくり自覚してゆく。そしてまた彼は己を惨めだと思う。


 皮膚が再生し始め、赤い血の通った筋肉を覆ってゆく。


(ああ・・・・わかっていた、わかりきっていたさ。弟が私よりも優れていることも、私が弟よりも劣っていることも・・弟に比べれば三下だってことも・・・・)


 建二の脳裏に、弟の顔が浮かんでくる。



 顔は整っておりやや美形のそれ、髪は短く切られ、繊細な印象を受ける。


 極めて対極的、としか言いようが無いほどに弟と自分の体も性格、趣味、思考も異なっていた。


 勉強はでき成績優秀、将来への夢は確立されており、それはそれは順風満帆な人生そのものだった。


 それに比べ自分はどうだろうか。


 不器用で勉強も人一倍せねばろくな点数は取れず、運動に関してもあと一歩のところで必ず弟に負ける。


 それだけならばまだ良かった、何よりも辛かったのは親からの比較であった。


 テストの点から日常的な事、何から何までふるいにかけたようにきっちりと弟と比較されなじられる。


 心底うんざりした、正直に言って。


 悔しくて、妬ましくて、羨ましくて、憎たらしくて、そんなことを思ってる自分が何よりも心底腹がたった。


 努力をせども、努力をせども弟には追い付かず、ただただ歴然の差が開いて行く日々。


 焦燥感を感じない日などなかった。


 けれど、けれども。


 自分は努力をする事しか、能がなかった。


 もう少し別の才能ものがあれば良かったなと思うこともある。


 ただただ貪欲に目の前のものを踏破して踏破して、つまずいて転んで起き上がって、また転んで。

 倒れて(失敗)、つまづいて(誤り)、怪我をして(喪失)、虚しくて(憧れ)、悩み(切望)、泣きたくて(憂い)、苦しくて(失望)・・・・。


 何の変わりもなく、それは続いていた。


 そして悟った。


この世は所詮はそんな物だ。


 人が必然として死ぬように、全ては夢幻。およそ全てに意味は無い、命に、自分に意味は無い。

 ───なんと滑稽だ。


 ───こんな物に頭をさんざん悩まされていたとは。


 ───こんな下らない物に。


 気づけば笑いが漏れていたのを私は覚えている。


 心の中にわだかまっていた渦はそう思えた時、静かになった。


 波紋もさざ波ひとつ無く、文字通りの静かな海のようだった。


 ああ、だがしかし。


 思い出す。


 その思いが再び再燃する。忘れ去られたそれが、今。


 彼の心に燃え広がる。


 もっと違う答えを探すべきだと叫ぶ自分がいた。


 きっとそれだけではないと、もっと期待して良いと思う自分が。


 自分は未熟者であるし、若年者である。


 まだ、道のりは長く、終わりもまだ遠いと思えた。


 ──ならば探そう。


 ──我が人生を以て証明したい。


 ──私の果てが来る時まで、悔いなく精一杯探してみよう。


 ──そこに答えがなくても、その答えがなくても。


 ──少し生意気だろうか傲慢だろうか。


 ──少なくとも私の生きる意味はそこに見いだせていたのかもしれない。

 

 そして、渇きの日々は終わりを迎えた。


 あの鐘の音が響いた時に。


 この世界に渡り、自己の中にあると言う《能力》を解放。


 後に聞いた話では故郷では決して発現することの叶わなかった力だと言う。


 とてつもなく腹がたった。


 なんと都合が良いのだろうか、自分の今までの努力は何だったのだろうか。

 

 理由は不確かで影のように揺らめき手をすり抜ける。

  

 だが、《能力》の《神の右腕》とやらのお陰で今、生きている。


 いや、生きていて死んでいるのかも。


 一緒に落下してきた友の居場所はまだわからない。


 ただわかっていることが一つだけ。


 故郷でもこちらでも、生活する場所が変わろうと、文明が違っても、それだけは違わなかった。

 

 前へ進む。


 ただそれだけのようで難しく、常に隣り合わせだった事。


 わかりきっていているようで、疎かにしてしまう事。


 やはりこちらでも、私と言う者は何一つ変わっていなかったようだ。


 良い意味でも悪い意味でも。


 ただひとつ違っていたのはやはり、生存競争と言うものが目につきやすいと言うことだろうか。

 


 さあ、休息は終わり。


 

 動かなかった建二の体が動き出す、活力を取り戻した生物のように、油のさされた機械のように。


 晴々とした気分の中、彼は自らが穿ってきたトンネルを抜け出る。


 しかし、彼は気づいていただろうか。


 己の胸部から生えた数枚の爬虫類のような鱗を。


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