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16話 第一の願いを以て、力と代償を


 意識が形を持ち始め、そっと建二は目を開けた。

 それは自然に目が覚めた朝のようだった、目覚まし時計によってたたき起こされた訳でもなく、起きねばならないと心に決めて起きた訳でもない。

 ただ、ごく自然に目が覚め、起きた。ただそれだけ。

 耳に小鳥のさえずる声と爽やかな風にそよぐ草と樹の音が入ってくる、それ以外には何一つ感じられない。

 穏やかな場所と言うものがあれば、まさにそこだったのだろう。

 草木に囲まれた家に彼は寝ていた、和風のような西洋のようなはっきりとしない建物の縁側に。

 しかし、あまりにも穏やかだったので彼は少し警戒心を抱かずにはいられなかった。

 

 キョロキョロと辺りを見渡した後、あるものを見つける。

 西洋風の庭園の一角に水を貯めるような浅い深さを持つ金色の入れ物を見つけた。

 何気なくそれを覗く、普段彼ならばそうはしなかっただろう。1日の大半を過ごす学校おいて暇な時間は全て自主勉強につぎ込んでいたため、私生活から暇な時間、無駄な時間を省く事が多くなっていた。


 ぼんやりと水鏡に映る自身の顔を眺める。

 潰れた左目に走る古傷と清々しい精悍な若者の顔と言うよりもしかめっ面一点張りの益荒男ますらおのような顔。

 目付きも悪く、常にどこかを睨み付けているように見えるため、近寄りがたい印象を受ける。

 

 すると突然、驚いたことに水鏡の鉄面皮が柔かくにかりと笑った。建二は顔の筋肉を一つも動かしていないにも関わらず。

「ハアァぁ?」

 驚きのあまりドスの聞いた声が口からこぼれ落ちる。

 そんな建二をよそに水鏡の中の建二はありありとした人間が作り出す様々な表情に顔を変える。

 苛立たし気に建二は問う。

「誰だ貴様は」

 すると不自然な程急に笑い顔を変化させ真顔になった水鏡の建二は答える。

「わしはわしだ、君はわし、わしは君。しかし、こちらのわしの一人称は私が良いかな?」

「からかってるか?」

 ニタニタと笑いかける水鏡の中の建二にため息をつき、そうしてくれとあきらめがちに建二が言い放つ。

「それじゃあ、そう言うことで。まぁ私の名前は《神》とでも呼んでもらおうか」

「ハッ、わしの像を借りた神?とんでもなくナンセンスな神様なんだろうな、そのしかめっ面が好みだったのか?もっとハンサムな人間の像を借りるべきだったんじゃないか?」

 イライラしながらキリキリと歯ぎしりをする建二を《神》を自称する胡散臭すぎる建二がなだめる。

「まぁまぁ怒るなよ、さて話を変えようか。今自分の状態がわかっているよな」

「モズの早贄みたいに串刺しにされて出血多量で死んだ。違うか?」

 再びニヤニヤし始めた自称《神》が口を開く。

 

「いいや、厳密には死にかけているといった方が良い。このままじゃ、君も君のお友達も危ないんじゃないかな?」

「解決策でもあるのかなぁ《神》様ぁぁぁ」

 皮肉そうに言い放つ建二を置いていくように立て続けに《神》が続ける。

「うむさ。君の能力の《神の右腕》と言うものがあるだろう?」

「ああ、それがどうかしたのか」

「君は不思議だと思わなかったかい?なぜ《神の右腕》と呼ばれているか。発揮できる力を見た感じ、どうせなら《破壊の豪腕》って感じの名前でも良かったんじゃないかと」

「確かにそうだな」

 無論とばかりに建二が首を振る。

「まぁ瀕死になってからからこそ目覚める力と言うものがあるのさ。自分だ言うのはなんだがこの私、《神》と七回交渉ができるのさ」

 大袈裟な身振り手振りをしながらわめく《神》にうんざりしながら、建二が言う。

「それが《神の右腕》の名前の由来か?」

 《神》がノンノンと口ごもるように言って、チッチッチと口を鳴らす。

「厳密にはそうじゃない。まぁいずれわかるさ」


 

「それで、交渉?都合の良い大層なものが簡単に手にはいるのか」

 と、急にふざけていた《神》がパタリと静かになる。

「取引には代償が付き物さ。それなりの力を欲し私に求めるのであれば、それなりの代償は必要だよそんなに都合の良いものじゃない」

 背の後ろで建二の像がグニャリと歪んで行く。肉の色は黒に、髪の色は黒に、何もかもが黒くなっていき、ひとつの渦巻くものになった。

 そして、声だけがこだまするように不気味に響いた。 

 


「さて君は第一の願いに何を望む?」



 そう問われた建二の胸の中に焼けつくような黒い感情が蘇ってくる。

 決して言葉には出来ないような、おぞましい感情が彼の心の炉に宿った。その感情に突き動かされるがまま、建二は願いを口にした。


「永遠に動き続けられる力を、永久機関のような力を望む」


 胸の中の黒い感情がぞわぞわと揺らぎ、建二の身体中に染み込んでいく。


「では、そのように。代償の支払いは自動的になされる。それではさらばだ」

 

 渦巻き消えていくどす黒い渦に建二が問いかける。


「最後に一つ、教えてくれ。ここはいったいどこなんだ?」






「ここか?ここはお前の心の中さ」

 






「っっ、っくぅ・・うわあああぁぁ、うわあぁぁぁっ」

 伊野が泣き叫び膝をつく、彼の前には鍾乳石に体を突き刺し冷たくなった建二がいた。

 涙をボロボロと落とし慟哭する姿は少女のようだ。

 側には坂岡と田中がぼんやりと突っ立っていた。

 坂岡がポツリと言葉をこぼした。その声に力はなく、明るさもなかった。

「伊野、もう行かなくては。ここは魔物の巣窟だ、死んだ動物は骨すら残らないと聞いている。直に大量の魔物が建二の体を貪りに来るだろう、もちろん近くにいたら、俺達の命も危ない」

「わかってる・・わかってるよ。けど、建二君をこのままにしておくのは・・・・」

「・・・・それこそ、自ら命を断つようなもんだぜ。奴ら血の臭いに凄く敏感なんだ、たとえ指に着いた一滴分の血液でさえどこにあるか奴らは勘づく」

 伊野に淡々と現実を突きつける坂岡と田中。一見非情のようであるが、伊野の事を思っての事だったのだろう。

「・・・・ごめんね」

 肩を落とし、しゃくり上げ、そろそろと無惨な姿になった建二から引き下がり立ち上がる顔を少し背ける伊野。しかし、彼はその目を完全に背けられないでいた。

「さぁ、逃げなくては」

 坂岡が先頭に、伊野、田中と続く。彼らの足取りは鉛のように重く、目は度重なる肉体的、精神的な苦痛によりどんよりとしている。

 そして、彼らは深淵へと消えていった。







 ギギギギギと骨が軋むような音がする、一筋の光すら存在することのない暗黒に。凄まじい屍臭と悪臭が漂い、空気中にそれらが蔓延し汚染されていくのが鼻で感じ目で感じられるほどの臭いだった。

 音は大きくなっていき、ある場所で止まる。

 新鮮で栄養価の高い血の香りと自己消化の始まる前の臭い、それらが漂う場所。すなわち建二が串刺しになった場所だった。

 

 吸血鬼エルタムナは奇妙な怪物だ。

 吸血鬼にも関わらずその肉と骨、果てには骨髄すら好んで食べるおかしな吸血鬼である、この性質ゆえ一時期は屍喰鬼と吸血鬼の混合種と考えられていた。

 普通の吸血鬼は大きなコウモリに近い見た目をしているが、この吸血鬼は不思議な姿をしていた。

 死者のように真っ白な、毛の一本もない肌、目の無いツルツルとした縦長の球体のような頭に犬歯の長い爬虫類のような顎、巨大な鉤爪とコウモリのような翼、人間を大きくして不自然に背を丸め、足と腕を合計六本生やしたような姿。

 それが、吸血鬼エルタムナである。

 

 エルタムナは串刺しになったままの建二に近づき、下に流れ出た血液をすすり味わう。


 わずかに建二の、その鍾乳石の突き刺さった胸が動いた。

 空気中の振動を敏感に感じ取ったエルタムナが建二の方にその目のない顔を向ける。

 

 建二の首から下の体の皮膚が、耳を塞ぎたくなるような音を立てて、ひとりでに引き裂かれた。

 内臓が体外に完全に露出し、蒼の淡い光を失った《神の右腕》が大きくどくりと脈を打つ。

 すると、なんと言うことだろうか。

 びきびきと恐ろしい音がし始めたかと思うと甲殻のように右腕を覆っていた純白の装甲にヒビが入り始め、一気に爆発した。


 爆発と共に何かがぞろりと装甲の残骸を突き破り出てくる、それは筋肉の繊維を束ねて作られた腕のようなものだ、乾いた血のように赤黒い色をしている。


 うぞうぞとそれは動いたかと思うと突然、その掌を露出した内臓へ向けた。 

 すると、どうしたことだろうか。

 肺と心臓を覗く全ての消化器官などが黒く変色し炭のようになり、みるみる肉特有の輝きが失われる。

 そして、黒色の塵と化しその薄気味悪い右腕に収まって行く。

 完全に塵となった消化器官系がそれに吸い込まれると、建二の腹がいきなり破れたときと同じように塞がっていった。

 虚のように開かれた建二の口から、絞り出すような声が漏れ出る、声帯がおかしいのか途中からは人が発音出来るかわからないようなひどいものに変わっている。

「ァ・・ァァ・・・ァァァァァァぁ・・ぁAaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa」

 ビクッとエルタムナが体を震わせ、怯えたように建二のそばを離れどこかへかけて行く。

 彼の残った目が再び大きく見開かれ生気を帯び、もともと他人よりも小さかった瞳がギリギリと引き締められるように縮んで行き、白目が紅く染まり血の涙が流れ出る。

 口から紡がれる声は言葉にあらず、怒りと怨念の混ざったうめき声のようだ。


 と、《神の右腕》だったものが伸びて天井を引っ付かみ串刺しになった体を起こそうとする。

 体を上に持ち上げ始めるとミリミリと肉が音を立てると鍾乳石の表面から銀色の液体が肉に染み込んで行く、更なる激痛が彼を襲う。

 激痛によって彼の顔が歪み歯を食い縛る。

 傷口から口から血が吹き出し、どんどん健二と付近を染めて行く。

 徐々に建二の体から鍾乳石が抜け始め、あともう中程まで来たとき、事は起こった。

 

 暗黒に光る無数の健二を凝視する赤い目、地面に当たりカチャカチャと音を立てる鉤爪、鼻を突くような異臭、バラバラの複数の息づかい、明確で獰猛な殺意が建二に向けられる。

 そして、建二が鍾乳石の剣山から抜け出た瞬間、雪崩のように彼に向かって大量の魔物が、雄叫びを上げながら雪崩れ込んできたのだ。

「Aaaaaaaaaaaa・・?」

 建二が今まで刺さっていた鍾乳石が砂で作った搭を子供が蹴り壊すようにして、意図も簡単に吹き飛ばした。

 そして、パン食い競争のパンのようにぶら下がっている健二目掛けて、我先にと食いつき始めた。

 大きいものは人間の成人と同じくらい、小さいものは人間の子供と同じ大きさをしている。

 はじめのうちは何とか振りきっていた健二に、一匹の魔物が足に食いついた。

「ぐぎゃぁぁぁぁぁァァァァァァァァァ、Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa」

 痛みに叫ぶ健二を無視するかのように、次々と魔物が建二に喰いついて行く。

 左足が、右足が、背骨が、下腹が次々と無惨にかじり取られ、千切り取られ、むしり取られ、えぐり取られ、吸い取られ、切り取られる。 

 生きながらにそれを味わうのは正に生地獄と言う比喩が正しいだろう。

 右腕だけで己の体重を釣り上げているにも関わらず、さらに魔物に食い付かれて洞窟の壁から落ちないことには、ある意味幸いだったかもしれない。

 痛みにむせび泣く絶叫は、声帯が壊れるまで発せられ、こと切れる。

 口から何の意味すらなさない声が、気まぐれに滴のようにこぼれでては暗闇に沈む。


 彼の胸から下の部分は魔物に貪られ跡形も無くなり、筋肉繊維の切れ端が、まな板で切り刻まれ調理器具に入れられることなく残った肉のように、むき出しになった肋骨や背骨にこびりついている。

 ああ、楽に死ねたらなと彼は思う。

 温もりのあるベッドで眠るがごとく死ねたなら、誰かがそばで己の死に出を見送ってくれたのなら。

 そういった自分の最後の光景を彼は思い描き、深淵のような瞳で彼は下を見下ろす。

 おぞましいほどの魔物が、惨めったらしく天井に右手を伸ばし、必死に落ちまいと努力する自分を見上げている。

 時折開く彼らの虎ばさみのような口が彼には次のように思えてくる。

 

 落ちてしまえ、落ちてしまえ、落ちた時が貴様の最後。一欠片の余りもなく、全てが喰い尽くされるだろう。


 

 皆自分が落ちるのを待っている、皆自分が力尽きるのを待っている、皆お前の死を待ち望んでいる。


 だが、それが?それがどうしたのだ?


 伸びた元《神の右腕》を元の長さまで短くし、両腕を以てそのゴツゴツとした洞窟の天井にへばり着く。

 左腕の爪を岩石に食い込ませれば、左手の爪にヒビが入り、血が吹き出す。


 だからなんだと言うのさ。


 肉を突き破る音がして、喰い千切られ失われた下半身が上半身から伸びてくる。

 空気中に組上がって行く骨を基にして体組織と筋肉の繊維が、精巧に編まれて行くがごとく。

 新たに復活した下半身に男性特有のそれはなく、脂肪全てがこ削げ落とされたようになっている。

 それでは格好がつかないと思った建二は上半身に着ていたコートを腰に巻く。

 多少は見苦しいが今は我慢するしかない。

 大昔の西洋はスカートの下に何も履いていなかったと風の噂に聞いたことがある。

 そのため、暫くはこの格好でも赦されるだろう、何よりも、問題の男性特有のものは消ゴムにでも消されたように無くなっていることだし。


 鍾乳石によって空いた穴も塞がり、体が完全に修復され、右腕を中心に全身へ人間の体で取り出されたエネルギーとは違うものが身体中を早馬の如く駆け巡って行く。

 建二の血に染まった目が再び見開かれる。

 彼は確信していた、これこそが願った結果なのだと言うことを。

 


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