15話 深淵下り
このまま死ぬのかと建二が思ったその時、光球の光が消失した。恐る恐る眼を開けた建二の目の前には驚くべき光景が広がっていた。
あの光球を白い怪物があの冒涜的な顎で咥えていたのだ。
途端にもの凄い刺激臭が建二の鼻を突く、あまりの強さに顔を覆う建二だったがその匂いの正体に彼は気づいていた。
叔父の葬式で骨壺に骨を納める際に嗅いだ、あの匂い。
鼻をある程度刺激するもののしつこくなく、すっきりとした印象を受けるあの臭い。
それは間違いなく怪物の顎からただよってくる。
確かにあの光球は白亜の怪物の口の肉や牙を焼き焦がしていたはずだ。が、しかし、白亜の怪物はお構
い無しに、
その光球を飲み下した。
よりいっそう強くなった刺激臭がドームの中を包み込む。
白亜の怪物の顎から雲海が下るように煙が沸いてくるのが建二の目にはっきり映った。そして顎がほぼ九十度まで開かれ、怪物の歯茎がそれぞれ虫の足がばたつかせるような動きをしてそれぞれお互いに離れた。
驚愕で身が固まる建二をよそに、ヒュドラ・エレメンタルに顔を向ける白亜の怪物。さしものヒュドラ・エレメンタルもこれに驚いたらしく、一瞬体を硬直させる。
それが、勝敗の駆け引きの要因となった。
何故ならば。
白亜の怪物の首が伸び、ヒュドラ・エレメンタルを丸ごと呑んだからである。
ビックリ箱のおもちゃのようにその体躯に似合わないほどの大きさに首が伸び、その歪な顎がヒュドラ・エレメンタルに食い付いた。
おぞましい音がドーム内にこだまする。
ヒュドラ・エレメンタルの皮膚を食い破ったのだ。
勿論その犯人は先ほど出てきたあの歯茎と牙。それらが串刺しよろしくヒュドラ・エレメンタルを全方向から突き刺していた。
いくつ多頭の怪物の体に穴が空いたのだろうか、下から見上げていた建二にはおよそ検討がつかなかったが確実な死を彼は感じとっていた。
降ってきたのだ、血の濃霧と五月雨が。
辺りは濃いむせかえる程の血の臭いが充満し始め、建二の体を赤い斑点で染め上げていた。
多量出血により、ヒュドラ・エレメンタルは呆気なく死んだ。
まだ神経の働きによってひくついているヒュドラ・エレメンタルを難なく腹に納めた白亜の怪物を前に建二は未だに動けずにいた。
次は、次は自分だとわかっていても体が建二の意思を拒んでいる。
動かない的を目掛けて、必死の一撃が建二に襲いかかった。
巨大な岩石が人の上に落下してきてぺしゃんこになるアニメのシーンがあったとしよう、建二はまさに今押し潰されんとする人だった。
怪物が踏み潰さんとその前足を建二に叩きつける。
「ふンぬうううぅううぅ」
間一髪で建二は神の右腕を振り上げ、真っ向から白亜の前足を受け止める。グギギギギギギと耳に残る嫌な音が受け止めている前足と右腕の触れている部分から発せられる。
お互いの力が拮抗しているのだ。
しかし、それも数十秒のつかの間よ出来事。
建二の額に脂汗が浮き上がり顔を歪める、徐々に神の右腕が押し負けて行き、周囲の岩盤に亀裂が入って行く。
と、急に上からの圧力が無くなる。
「え、なッ
圧力から突然解放され顔を驚愕の表情に変えた建二が一瞬、めちゃくちゃになり壁へパチンコ玉のようにすっ飛んでいった。
建二の衝突した場所の壁が、陥没する。
恐ろしい勢いで建二を吹き飛ばしたもの、それは白亜の怪物の前足。左前足で彼を押さえつけ右足で彼を吹き飛ばしたのである。
「うが・・かハっ・・・・」
身体中が痛みに、軋む。頭を打ち出血、左足は打ち付けたためか動かそうとするが動かない、左目は辺りどころが悪かったのか眼球が完全に潰れている。
満身創痍、その一言に尽きる有り様であった。身体強化のお陰で即死は免れていたが、死んでいない事が建二には不思議に思えていた。
「ポー、ショ・・ンを飲ま・・・・なければ」
腰にしっかりとくくりつけられているはずのポーチを探る、あった。が、すぐに建二の顔に焦りの色が広がる。
三つの瓶に納められていたケテル・ポーションは、二本は無事であったが残る一本は駄目になっていた。ポーションを掲げて見ると赤くそこが滲みポタリポタリと中身が漏れていた。
中身がもったいないとばかりに布越しにケテル・ポーションをすすり摂取する。ガラスが割れていたためにこれが彼にとって最善だった。
すると、建二の体に変化が起きた。
割れた鏡が自然に直っていくように彼の身体中の軋みが全て止み、出血が止み、動かせなかった左足は僅かながら動かせるようになった。
しかし、本来ならばこのぐらいの傷は難なく治るはずであった。一定の量の薬を摂取する事ができなかったために中途半端な効果しかえる事ができなかったのである。
そっと建二は左目の目玉のあった場所を探る、ドロリとした血と透明な粘液が瞼から漏れでていた。
潰れてしまった目玉までは再生してはくれなかったようだ。
「死にかけているよりかは、まだマシか・・」
目玉の中身をケテル・ポーションの赤色で染まった指でかき出し、目玉の残骸を握り潰した後、フラフラと立ち上がる。
そんなボロボロの彼の耳に聞きなれた声がする。
「モウ十分か?種族ノ。そろそろ我々は撤退シナケレバ」
ガタガタの歪な声を発するすすけた黒い外套が、《種族の》と呼ばれた白亜の怪物の頭上に。
洞窟のイドラがそこに。と、《種族の》と呼ばれた怪物が僅かに巨大な牙を開いた。
「洞窟のか。何だこの者は、弱い弱い弱い弱い弱すぎる。全く相手にならんぞ。こんな者が勇者だとは、聞いてあきれるわ」
驚くべきことにしゃべったのだ、人の言葉を話すことが出来るようだ。洞窟のイドラのような歪な感じはなく滑らかで心地よいアクセントのある言葉だった。
「クククククク、マァ良いデハイナイカ、我々の目的達成までアト少し、コイツラを処分スレバ良い」
フードが建二の方を向く。相変わらずその空洞には闇がある。
洞窟のイドラが気味の悪いその腕をスッと建二へ向けた。
建二の体が抗う間もなく拘束され、地面に倒れそむ。何も体にまとわり着いていないにもかかわらず、体の自由が奪われる。
「くそッ、なんだこれは・・うぐっあああああああああ」
逃れようともがくが、体を動かせば、電撃のような痛みが身体中に走る。
「無駄だよ、サテ最終段階の一ダ」
妙に声高な嬉しそうな洞窟のイドラの声が響いき、パシリとその節くれだった枯れ枝のような指を鳴らす。
「け、建二・・なのか?」
聞きなれた声がする。
その方向を見れば同じように地面に転がされている人物がいた。坂岡、彼であった。それなりに痛め付けられていたらしく、体をもぞもぞと動かし近寄るだけでも苦痛に顔を歪めていた。
「うぉ、坂岡、無事・・か?」
「建二、俺は平気だが、お前。ひ・・左目が・・」
「わしの心配は後だ。他の二人は?」
「ここに、いるぜ」
「僕も・・」
視界が狭くなってしまっているため、伊野と田中の姿は捉えることは出来なかった。しかし、声のした方向に顔を向け大丈夫かと聞けば坂岡と同じように答えが返ってくる。
「よし、最終段階の二デアル」
一本目とは異なる腕が伸び、パシリと再び指を鳴らす。
建二達の体が床から数センチ浮き上がり、彼らの真下に大穴が口を開く。
「デハ最終段階の三、チェックメイトだ」
拘束が解かれ、重力の法則が建二達をとらえ、かっさらっていく。
なすすべも無く、建二が神の右腕を伸ばすが到底届きはしない。虚しく空を掴み、落ちていく。
歯噛みをし建二は罵詈雑言を吐く。
はたしてそれは洞窟のイドラへのものだったのか。
それとも、自らを売った天王司派のクラスメイトへのものか。
「畜生ぉ、畜生ぉぉ、畜生ぉぉぉ。何故だ、何故だ何故だあああぁぁぁぁぁぁ・・」
憎悪のこもった言葉が落ちていく穴に反響していく。
建二の姿は深淵に吸い込まれ消えていった。
落ちていく落ちていく落ちていく。
「・・・・」
ギリギリギリギリギリギリと歯が磨り減るほど激しく歯軋りを建二。
自暴自棄になりそうにあるがどうにか押さえ込み、今はどうにか助かることだけに集中する。
彼は絶叫していなかった、落ちて行く事よりも怒りの方が勝っていたためであった。
魔術灯で穴の中を照してみるが、底に一向に着かない。
しかし、このまま落下し続ければ全員オダブツになることは確定している。彼らは魔法の行使は可能であったが自身の飛行を可能とする魔法は取得していなかった。
ふと、建二は田中の能力を思い出す。
「田中、お前の能力、《鋼の天使》で飛ぶことが出来るか?」
「ああ、出来るとも。俺っちの《鋼の天使》で飛び上がるって寸法か」
ぞるるっと田中の両肩から溶けた金属、液体金属のようなものが流れ出て鋼の翼を形成する。
あっという間に鋼の一対の翼が展開される。
次の瞬間下からの風を受け、ぶわっと田中の体を持ち上げてしまったが、田中が羽を折り畳み、かわせみが魚を取る時と同じようにして落下していく仲間の手をとらえた。
坂岡、伊野、建二と自分から近い順に次々と手を取る。
ことは順調に進んでいるかのように思われた。
「うおッッ」
田中が体勢をぐらりと崩したと同時に翼が大気を捕らえられなくなり、再び落下して行く。
「ああ畜生、定員オーバーって奴か」
誰か一人は田中の翼の恩恵を受けることができない、そう言った認識が彼らに染み渡って行き、沈黙する。
そんな中、口を開いた人物が一人。
「恐らくだが、わしの《神の右腕》ならば、落下したときの衝撃を受け流せるかもしれない。落下直前に体が地面に着くより先に《神の右腕》を叩き付け、勢いを殺す」
それを聞いた伊野が悲痛な声で抗議する。
「でも、失敗しちゃったらどうするのさ」
「けど、やるしかないんだ。このまま地面に衝突して仲良く死にましたなんてことはごめんだ」
建二が腕を離したお陰で、田中の体勢が立て直され、翼が安定し減速を始める。
「よし、あっちは平気そうだな。では、自分は自分の心配をしますか」
加速に加速を続ける建二は洞窟のイドラに落とされて後に一度解除した《神の右腕》を発現させる。
灯されていた魔術灯の光に碧の燐光が加わる。
そして、それらは落下の行き着く最後、着地地点を照らし出した。
そこは半ば自然洞窟を利用した東獄廊のダンジョンの一端、黒色の足場が悪く湿り気のある平らな岩場を連想させる場所であった。幸いなことに周囲に敵影は見当たらない。
地面が恐ろしい勢いで近づいてくるように建二は感じていた。厳密には建二が落下し地面に近付いているのだが。
ひとつ吸って二回吐いたのちに深呼吸をする。チャンスは一度きり、し損なえば己は命を落とす事となる。
はたして、起死回生となるか。
そんなことはわからない、ただただ己の限りを尽くすのみ。
地面まであと少し、二階建ての家の窓から下を見下ろしたときと同じような高さだ。
建二は力の限りを《神の右腕》に任せ
その緊迫を破ったものがある。
それは何かの破ぜる音、爆弾のような殺傷能力には足元にも及ばないようなもの、されどそれは混乱を起こすには十分なものだった。
安全に着地できるかと思ったのもつかの間の安寧でしかなかった。
爆発源は田中達の近くからだった。
「うわっ何だ、こんな時に」
「くそっ。伊野ォォォ」
突如として起こった爆発により伊野の手が田中から離れてしまった。
「あ・・れ・・・・ぇ・・・・・」
伊野の顔から血の気が引き、白かった肌をますます白く染めていった。
彼の思考が、己の結末の想像によって埋め尽くされていく、秋になり落ち葉に埋め尽くされる小石のように彼の正常な思考は埋もれていく。
いずれの最後の結末は死死死死死死死死死死死死死死死死死死死であった。
無気力になり、目は虚ろになり、呼吸は遅く穏やかになっていく。
そして、伊野は目を閉じた。
空気に逆らわずその身の全てを文字通り委ね、建二よりも急速に落ちて行く。
伊野は建二のすぐ近くにまで追い付いた。
もちろん、それを彼が見逃す訳がなかった。
建二は右腕を真上に振った、伊野の体をひっ掴んで。ぶんと空を切る音がして伊野が野球のボールのように投げられる。
飛んでいく先は田中達の元だ。
今度こそ、しっかりと坂岡と田中が伊野を掴む。
伊野はもう安全だ。
ほっとした建二の耳に下を向いていた坂岡の声が飛び込んでくる。
「建二、前だぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
もう遅い。
だが、腕を構え、衝撃を受け流すにはまだ十分な距離と時間が建二はある。
ズブリ
と、恐ろしく硬いものが柔らかいものを突き通す音がする。それは鉄串に肉を突き刺すのに似ていたかもしれない。
「な、・・に・・・・・ゴブァ」
建二の体に鋭い杭のような鍾乳石が突き刺さっている。細いもので大人の腕くらいの太さがあり、太いものはでは建二の体をを突き破る三本のそれは、赤ん坊の頭ほどの大きさであった。
さながらそれは地獄の針山の真上から落ちたような光景。おびただしい量の血が血が建二を中心としてじわじわと広がっていく。
身体中から温かいもの、血が流れ出ていく感覚を建二は覚えていた。意識は朦朧とし種族のイドラから受けた時とは比べ物にならない。
最早体を動かすような気力や体力も残っていない、何故いま意識が保っていられるのかさえ、訳がわからなかった。
視界が、ぼやけていく。
これで死ぬのか、と建二は思う。
胸の中には漠然としたある感情が渦巻き、途切れ途切れに聞こえていた坂岡達の悲痛な声もぼんやりと形をなさないものとなった。
そして、
建二の目から光が失われた。




