第一話
クラクションの音が、交差点で鳴り響く。
それは平和な町の平和な時間帯には、不釣り合いな音だった。
その音源を探すように、周りを確認した…が、自動車学校や刑事ドラマのワンシーンでしか
見たことのない光景が、僕の目の前に広がっていた。
僕の日常の平和だけが、一瞬のうちに過ぎ去っていった。
気が付くと目の前は、金色の毛のようなものでいっぱいだった。
自分の腕でそれをどけようともがく。しかし、もがけばもがくほど毛のようなものは
自分自身に絡み付いてしまう。
(うぅ…苦しい…)
抵抗など無意味だと言っているかのように、僕はまとわりつくものから逃れられない。
いったん動けなくなると、もう一度抗う気力は失せてしまった。
それとは引き換えに、周りの音が拾えるようになったが
僕が認識できたのは遠くから何かが聞こえる、その程度だった。
「おぉっと~これはぁすまないなぁ~」
渋くて野太い声がいきなり聞えた途端、僕は全ての不快感から解放された。
何とか呼吸を整え、声のする方へと目線を上げる。
「お前さぁんは、いつの間にいたんだぁ?」
再びその声を聞き、僕が一度だけまばたきをした後には
金色の毛のようなものではなく、赤茶色の透き通った大きな瞳があった。
その眼は一心に僕を見つめている。
「おぉい?息しているかぁ?怪我はぁ、してないかぁ~?」
その見た目のふてぶてしさ、神々しさとは不釣り合いな言動を繰り返す。
あっけにとられた僕は、一言も発することが出来ない。
僕の心の中では、恐怖が驚きを颯爽と追い越して行く。
「お前さぁん…もぉしかして人間かぁのう?」
目を細めたり見開いてみたりしながら、僕の姿をしかと認識した目の前の獣は
僕の身長と同等の瞳をより一層見開きこちらを見る。
「そうですが…」
僕は恐る恐る答える。「誰だ?」ではなく「人間か?」と問われるのは
19年生きてきた僕の人生の中で、初めての経験だった。