表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

倣葷素菜

作者:出汁殻 ニボシ

 その時かみしめていた白菜から、私の舌は如何なる味覚的情報も得ることが出来なかったが、それが精神的にまずいところまで落ち込んでいたからなのか、あるいは今食べているものが食用樹脂で出来た安い合成食品である、という意識に舌が引っ張られたためなのか、疲れ切った頭では判断できなかった。

「本物の雀の丸焼き!」

 雑然とした画面の上に表示された申請書類を睨むと、咀嚼されて元の樹脂に戻った白菜を飲み下した。

「よりにもよって、なんて面倒なものを!」


 ○


 大学を出てすぐに西園冷凍場(サンクチュアリ)へ就職できたのは、まったくの僥倖と言う他になかった。冷凍睡眠事業の最大手たる中央冷解凍センターは、解凍障害問題の発覚でイメージを落としていたし(睡眠者が半解凍(ナマニエ)になった時の手当てを誤魔化していたようだ)、近場の東長久保睡眠所はブラックだともっぱらの噂だった。西園は解凍場としては小規模なものだったが、五年以上の長期睡眠契約や、脳髄の保存に代表される医療的な冷凍と言った複雑な契約を扱うことが無いという小ささは、解凍資格を持っていない私にとって、むしろありがたい程だった。

 そうして「一度凍らせてしまえば、あとは機械に維持を任せて監督するだけの楽な仕事だ」というヌルい考えを携え、意気揚々と入社した私を迎えたのが、実業家(がん) (ばん)(よく)氏の三か年睡眠契約だったのである。

「具体的にはどういう契約なんだ?」

 冷凍庫に保存されている睡眠者入りの冬眠装置(ベッド)を点検しながら、春山口はそう尋ねた。

「三年間の中期契約。付けられるサービスはみんな付けてある。不凍液もいいやつを使うし、解凍後はたっかいスポーツセンターまで行ってリハビリもするって。あとなんだっけ、ここで一番性能の良いベッドって」

「今お前が拭いてる奴だよ。ホ式の後期型」

 ふうん、と口にはしたものの、別段何も考えてはいなかった。ちょうど埃を落としたばかり、鈍色に曇るこの装置はわが社に十三台しかない(内五台に不具合があり、更にその中の二つは耐用年数を過ぎていた)大事な商品だが、中央解凍センターほどではなくても、ちょっと大きな会社なら、これよりもよっぽど質の良い奴を百台単位で備えているものである。

「これに入るんだってさ」

「随分と大型の契約じゃないか。どうして西園(うち)なんかに?」

「健康目的らしいぜ」

 医療的な利用を『経て人工冬眠技術が一般化し始めた頃から既に、冬眠は美容と健康に利くという話が巷間に広まっていた。どんな技術にも付きものの「○○すれば綺麗になれる」という類の風説で、これは冬眠ビジネスの拡大には役立ったが、正しい知識の普及に際しては大きな妨げになった。使われない骨や筋肉はゆっくりと委縮するし、不自然に体重がかかり続ければその部分の皮膚は壊死してしまう。冬眠はもともと体に悪いのである。

 今はもうそんな話を信じる人間は少なくなったが、それでも時々、やれ肌が綺麗にならなかっただの、むしろ歳をとったような気がするだの、見当違いのクレームをつけては、応対する社員の胃に五円玉サイズの穴を開けようとする客がいたりする。

「ふうん」と春山口は頷いたが、これにもあまり意味はなさそうだった。「いるんだね、今でもそういう人」

「いたんだよ、未だにそういう奴が」

 特別契約のことを思い出して、ついため息がこぼれる。

「だから曽根谷もカモだと思って、あんな特別契約まで結んじまったんだろうなあ」


 ○


 曽根谷から契約を引き継がされたのは、雁氏の入場を二週間後に控えた午後のことだった。書類にしてたった四枚しかない引き継ぎデータには、通常の冬眠契約手続きと「なお、入場当日の夕食には希望のメニューを提供のこと」の記述、そして脇の方に小さく走り書きしてある「雀の丸焼き」の文字しかなく、文句を言おうと問い合わせた時点で、彼は「一身上の都合」で既に太陽系を離れた後だった。バカ高い料金に目をつぶって光速通信を利用したとしても、約5.1×10の十二乗キロメートル=0.0517光年もの距離を電文が行って帰って来るだけで二十日はかかる。つまりこの特別契約、雀の丸焼きに関して、私へのサポートは何も期待できなかったのである。

 その日から、私の地獄が始まった。

 半世紀以上前に野生の個体がほぼ絶滅し、今や動物園でしか見ることの出来ない絶滅危惧種を、どうすれば丸焼きにして提供できるだろうか。それも二週間以内に!

 もちろん、まったく方法が無い訳ではなかった。ざっと考え付いただけでも、まず三通りの手段がある。

 一つ目は、動物園から成鳥を譲ってもらうことだ。一介のサラリーマンが完全な食用目的で希少な動物を買い取るという訳である。妙案である。素晴らしい考えだと思う。涙が出る。次。

 雀の遺伝子をスピッツベルゲン世界精子貯蔵庫に要求し、再生させた生の雀を使うという手はどうだろう。この場合、時間と費用の他に、雀の代理母として

1)遺伝子的に極めて雀と似ていて

2)手に入れても法律に触れず

3)繁殖可能な状態であるという条件を満たすメスの鳥を用意し、雀の子を産ませる必要がある。これなら前述の方法と比べても多少は道義的であろう。参考までに調べてみると、平均的な絶滅危惧種の精子は約二千万円、また卵から孵った雀が成鳥になるまで凡そ一か月半かかることが分かった。次。

 航時局に掛け合ってタイムトラベルをさせてもらい、雀が当たり前にいた頃からかっぱらってくる。今すぐに我が人生三回分の全収入に値する資金を用意し、時空への不当な介入を防ぐ「実時間を守れキャンペーン」の幹部連中にいくらか掴ませて、残りを航時局の役人たちとの手続き及び時空旅行への代金として、合成インクで諸手が黒く染まるほどの書類と共に提出する、という作業を、あと二週間で済ませてしまえるのなら、これは十分に現実的な手段と言えるだろう。

 とどのつまり、私に出来ることは何もなかった。この単純な事実に至るまでに、私は貴重な二週間の内八日を無為に浪費し、九日目に全ての希望を失って、泊まり込んでいた西園の事務所からアパートの四畳半になんとか帰り着くと、その日一日を煎餅布団の上で効率良く無駄にした。

 十日目の午前四時に目を覚ましてからも、しばらくの間動くことが出来なかった。立ち上がって食事の支度を調えた頃には、既に午後も二時を回っていた。口の中に放り込まれる昼食からは、もはや如何なる味覚的情報も得ることが出来なかった。完全に気力が尽きていたのである。端末に転送した忌まわしき契約内容と、濡れ衣の罪状を眺めるような気分で対面しているあいだにも、安いメールソフトを使っているせいで、ページの端からいくつもの広告がナイアガラ瀑布の如くなだれ込んできていたが、それをカットするだけの体力も残っていなかった。

 そのまま片付けもせず、箸を咥えたまま机に倒れこむと、立体印刷盤の広告に目を滑らせながら、私は昼寝とも取れない居眠りを始めていた。


 ○


 更に四時間程経ってから、ふともう一つだけ、他愛のないアイデアが浮かんできた。しばらくはしぼんだ水風船のように魅力のないそれを弄んでいたが、少し考え直すと、早速行動を開始した。

 まずスピッツベルゲン世界精子貯蔵庫に問い合わせ、雀のゲノムデータを請求する。雀のゲノムは四十二年前に全領域の解析が完了しており、そのデータは研究機関を通せば誰でも参照することが出来た。

 正確なゲノムデータが届くまでにも、やるべきことはいくつかあった。商店街まで足を延ばすと、鶏肉の味に近い食用樹脂を何種類か、計二キロ程買い集める。成分が合致していれば必要はないが、不安材料を少しでも減らすために食品香水をセットでかごに入れ、ついでに白色の可食プラスチックも買い求めてから自室まで引き返し、冷蔵庫に食材を放り込むと、部屋に備え付けの端末を立ち上げて雀に関する情報を調べだした。これまでの十日間に幾度となく調べたが、今度は日付を五〇年以上前に限定している。雀がまだ人の生活圏に生きていた頃の情報である。

 並行して立体印刷盤の印刷サービスも探し始める。そう大掛かりかつ細密なものは必要ではなかったが、念には念を入れて、相場より少しばかり高級なものを予約した。使用する時間は二日後の午後に決め、今度は立体印刷用のデータを変換作成するサービスの検索を始める。そうこうしている間に時間は刻々と過ぎてゆき、気付けば入場まで残り七二時間を切っていた。

 それからちょうど三時間後にゲノムデータの詳細が届き、私はいよいよ熱意をもってその作業に没頭していった。


 ○


 ぱちん、という聞きなれた音がして、ホ式後期型冬眠装置が冷凍庫内の所定の位置に向けて移動をはじめ、ようやく一息つくことが出来た。

 雁氏が雀の丸焼きを食べている間、冷や汗があふれて止まらなかったが、完食後になっても何も言わず、その足で睡眠のための処置を受けに行ったので、私は大いに安心した。

 考えてみれば、そう焦る必要もなかったのかもしれない。そりゃあもちろん「本物」の雀の丸焼きを食べさせることが出来なかった、という点で私は契約違反を犯したわけだが、しかし大元の依頼そのものが、そもそも無茶だったのだ。それを最大限努力して、限りなく本物に近いものを提供したのだから、契約不履行と言うのであれば、私は断固としてそれに対抗するだろう。

 それに、雁氏へ供したあの丸焼きは、味から食感、香りに至るまで、細部までこだわりぬいた至高の偽物なのである。ゲノムデータに基づき、成分の近い食用樹脂を材料として、立体印刷盤で作り上げ、白色可食プラスチックで骨まで再現した、いわば本物以上に本物らしい逸品なのである。大体、外見から味、成分と匂い、食感までもが同一である以上、これを本物と区別する必要が何処にあるだろう。

 ともあれ、どうにかこのとんでもない契約をこなして以来、私には妙な自信が付いた。それについては、今さらここでくどくどと語る必要はないだろう。


 ○


 この手記をお読みの方の中には、冬眠への希望をお持ちの方もいらっしゃるだろう。別に五年一〇年と眠り続けるような長期契約ではなくとも、例えば花粉症が辛いから夏まで眠りたいとか、その程度の要望でもいい。むしろそれくらいの小規模な睡眠の方が、当冷凍場の方で対応がしやすいのである。

 人生の一部を、ほんの少しだけ端折ってみたい。そういう方は、ぜひとも西園冷凍場までご連絡いただきたい。

 今なら「本物」の食事をお付けすることも可能である。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ