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罪と罰

作者:弥生

 彼女の死が決定したのはいつごろだっただろうか。夫として、せめて最後に話したかったので面会を希望した。そして彼女に会うことができた。

「……明日だね、君が死ぬの」

「うん」

 やけに明るい声で答える。

「ねぇ、死ぬのって痛いのかな?」

「分からない。死ぬのは一瞬だからそんなに痛くないかもしれないし、もしかしたら死んだ後も永遠に痛いのかもしれない」

「そっか」

 彼女の怯える姿を想像しながら曖昧な返事をした。

 だが、彼女は笑っていた。全てを諦めたのか、ただの強がりなのかはわからない。とにかく彼女は笑っていた。そして、静かに話し始めた。

「私ね、明日が来ない日なんて、ないと思ってた。ずっと明日は来るんだって、そう信じてた。でも、私は今、明日が終わるまで生きていられないっていう現実にぶち当たってる」

 僕は彼女の話に黙って耳を傾ける。

「幼稚園の頃、些細なことが嬉しかった。何も考えず友達と遊ぶのがただただ楽しかった。小学生の頃、いい成績を取って先生や親に褒められたのが誇らしかった」

 いつになく饒舌に話す彼女。僕はただ、聞くことしかできない。喋ることで不安が紛れるのならいくらでも話せばいい、と僕は言った。

「そういえば、さ。走馬灯ってあるじゃない?」

 走馬灯。死ぬ直前に印象深い思い出が次々と浮かんでくる現象。

「今ね、その状態だと思うんだ。死ぬのにはまだ時間があるけれど、その分ゆっくりと鮮明に思い出せる」

 彼女は更に話し続ける。

「あなたと出会った日……。初めてのデートで私にキスしてくれたこと。結婚する直前に生活費を削って指輪を買ってくれたこと。円満な夫婦生活。残念ながら子供は産めなかったけれど」

 彼女は無理に楽しいことだけを思い出している。それはとても滑稽で痛々しく、そして悲しい光景だった。

「ねぇ。私が死んだら、悲しんでくれる?」

「そりゃ、夫婦だから悲しむよ」

「ありがとう。嘘でも嬉しい、かな」

「ただ、あのこと忘れないでほしい」

「うん……。そうだね……。すっかり忘れてたよ」

 やはり忘れていたか。

「まぁ、死刑になる直前なんて、みんなそんなもんさ」

 そう、彼女は死刑になることが決まっていた。理由は『殺人罪』


 二年前に遡る。僕が仕事をしている間に、彼女は近所の病院で無差別殺人を起こした。待合室の長椅子に座っている患者たちを端から順に殺して行った。それから受付の看護師を殺しに行こうとしたところで警備員に取り押さえられ、刑務所に連行された。そして裁判があり、死刑判決を宣告された。初めてそれを聞いた時、僕は納得した。彼女の精神の不安定さは異常だったし、いつか犯罪を犯すだろうと前々から思っていたから。


「あの時は一瞬だけど楽しかったわ。刃物を持って人を殺すのがこんなに快感を得られるものだとは知らなかった。長椅子に座っている人を片っ端から殺して、血を流すのを見て、本当に気持ちがよかった」

 彼女はなお笑顔のままそう話す。だが、その笑顔は先ほどまでと違い、正気の沙汰ではなかった。

「あそこで取り押さえられてなかったらあなたも殺そうと思ってた。特に恨みはないけれど、命を奪う楽しさを知ってしまったから」

 初めて吐いた彼女の本音に若干恐怖を覚えながらも平静さを保つ。

「ならば、今殺してみるかい? 今は看守の目もないし、僕を殺したところでどうせ明日君は死ぬんだし、できるはずだ」

 先ほどからなぜか看守が席をはずしている。

「残念ながら今は凶器がないからできないわ。できてたらとっくに殺してるし」

 狂気を伴った笑みのまま彼女は恐ろしいことを言ってくる。まぁそんなことが言えるのも今日だけだ。

「そろそろ面会時間は終了です」

 いつのまにか戻ってきた看守がそう告げる。

「何か言い残したことがあれば今のうちにどうぞ」

「じゃあ、私から最後に一言」

 少し間を空けて彼女が伝えた言葉。それは

「ざまあみろ」

 彼女の声は形容しがたかった。悪魔に取り憑かれたような、それでいて面白がっているような、暗く、嘲笑を含む声、とでもいえばいいだろうか。

「ざまあみろ? 僕はなんともなっていないが」

「あはは、まだ気付かないの? あなたの後ろ」

 見ると、背後に刃物を持った看守がいた。その手を僕の首に巻きつけ、刃物を近づけていた。

「面会時間は終了と言ったはずだ。お前も最後の時が来たということだ。少しだけ時間をやる。お前も、彼女に言い残したことがあれば何か言え」

 看守が低い声で威嚇するように言った。

「どうせ僕はここで死ぬんだろう? ならばお前たちも一緒に死ね。女は死ぬのが少し早まるだけだし、看守のお前もばれれば死刑が確定するだろう」

 こんな事態を想定しないほど僕は甘くない。人生は裏切りの連続。いつ誰が、何を起こすかわからない。

 僕は予め用意していた銃を、まずは手を僕の首に巻きつけたままの看守に向ける。看守も僕が銃を持っているのに驚いたのか、目を丸くしている。その隙に自らの足を彼の足に掛け、態勢を崩させる。先ほどの驚愕からか刃物を落としてしまっている看守はもう、ただのおじさんで怖くなかった。

 ―パァン

 心臓に撃つ。こういうとき女というのは悲鳴を上げるものばかりだと思っていたが、彼女は黙って見ているだけだった。殺人を起こした女だ、人の命を軽く見ているんだろう。

「次はお前だ」

 銃口を彼女の方へ向ける。

「はは、みんな死ぬときは一緒って感じ? ばかみたい。二年前の無差別殺人で私に協力してくれた男は今そこで倒れてるし、私はなぜか銃を向けられてるし、なんか居心地悪いわね」

 彼女の罪悪感の欠片もないその言葉に吐き気さえ覚えた。

「死ぬのは明日なんだから、あと一日ぐらい生きててもいいじゃない。というか常識的にそうじゃない? 一日でも長く生きれたらって思うでしょ」

「あくまで常識的には、だ。僕は君に恨みがある。それも、殺していいような正当な恨みが、ね」

「聞こうじゃない」

 最初は彼女の精神の不安定さを支えてあげようと思ったから傍にいることを決めた。なのに、彼女はあんな仕打ちをした。僕はなんでこんな人を好きになったんだろう。

「二年前の無差別殺人、殺された人の中に、僕の両親と、唯一の兄がいたんだ」

「知ってるわ。狙ったんだもの」

 こいつ、本気か。僕は二年前からこの女に弄ばれていたというのか。

「なん、で」

「私は元々あなたのことなんてどうでもよかったのよ。支えてあげたいなんていうふざけた理由で私に近寄ってきたのが気に食わなかった。偽善者。そう思ったわ。私の精神の不安定さなんて直せるわけないし、支えることもできないのに、何を言ってるんだろうこの男はって。私といたいがための建前上の口実ってところだったのかしらね」

 建前上の口実。間違ってはいない。確かに最初は彼女のことが好きだった。彼女を想ってた。けれど段々彼女の精神の不安定さに振り回されるようになり、嫌悪感を覚えるようになった。それからは彼女のことなんてどうでもよくなったけど別れるとめんどくさいことになりそうだから放っておいた。

「お前が俺のことを嫌ってるのはわかった。だが、なぜ関係のない俺の身内を殺した?」

「決まってるじゃない。あなたを苦しめるため。あなたを殺すよりも精神的にダメージを与えられる」

 最低だ。こいつは。もはや人間の心を持っていないただの怪物のようにさえ思える。

「本当に僕は馬鹿な男だ。君のような人を好きになって、付き合い続けて……。後悔しているよ」

 そう言って銃を乱射し始める。どこでもいいから彼女の急所に当たれ。心臓でも、脳でも。

「私が何も持っていないからって……」

 あせったような声で彼女が言う。本当に彼女は何も持っていない。武器も、生きる時間も、人として大事なものも……。

「うっ」

 彼女が苦しみの声を上げる。どうやら腹部に命中したようだ。痛いだろう。もっともがけ。もっと苦しめ。死ぬ人の気持ちを思い知れ……。

「ううう……」

 今度は狙って心臓に銃弾を当てる。もう息もできまい。

「ほん……と……は………………」

 何か言いかけたが、声は途切れてしまった。試しに彼女の体を触ってみる。冷たい。心臓の鼓動も聞こえない。どうやら本当に死んだようだ。ほんとは……?

 少し気になるが、どうせろくなことではないのだろう。

 僕は一度この手で彼女を殺してみたかった。恨みを晴らしたかった。それが今、叶った。

「死後の世界ではもっと痛みつけてやるからな……」

 そう呟いて僕も自らの心臓に銃を当てる。死ぬ時は、痛かった。死ぬ間際に取り出したのか、彼女が手に持っていた僕と二人の写真が、最後に見た光景だった。

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