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或る吸血鬼の思想

 私にとって『食事』とは、情を確かめるものである。

 草木も血肉も、元は生きているものだろう。ならば、それを食べるという事は命を頂いていると言う事だ。

 食われる為に生かされている家畜の心情とは、如何程にあろうか。

 もし、自分がその立場にいたのなら。

……きっと、生きた心地はしないのだろう。


「――おい、カミラ。起きてっか?」

 唐突に名を呼ばれた。

 机に額を付けていた私は、声の聴こえる方へと顔が向くようにそのまま頭を倒した。

 見えたのはズボンのファスナー。金の務歯のそれは、この学校の制服の物ではない。

 ということは、先生か。

「シエスタにはちと早ぇんじゃねぇかな。昼もまだだろうが」

 起き上がった私の頭の上から、先生の声が降って来る。続いてクラスメイトのクスクスと笑う声。特に、真後ろのエリのものが一際大きく聞こえた。

 別に寝ていたわけじゃないですよ――とそう言おうにも、お小言と失笑を貰うだけか、と思った私は「ごめんなさい」とだけ言った。

「頼むぜ。授業態度が悪いと推薦やれなくて、『また先生のクラスだけ進学率が悪いですねぇ』ってハゲに言われるんだからよぉ」

 ハゲとは校長の事だ。そこで後ろのエリが堪らずに吹き出す。「静かにしろ、エリ」と先生は教科書で後ろを小突いて、前へと戻って行った。

 時刻は十一時半。後二十分で、授業は終わる。

 その後は――昼食の時間だ。


〝我ら吸血鬼は、遥かな昔から人類と対峙してきた生物である。

 姿形は人と変わらない。しかし人とは決定的に違う。

 人よりも力が強く、人よりも長く生き、そして何より、人を食う。

 端的に言えば人類の上位種。食物連鎖の真の頂点。

だが、知性では両種は対等だった。

故に戦争が起き――当然のように吸血鬼側の勝利となった。

今では人類は、吸血鬼社会においての食料兼労働力。まさしく奴隷に等しい扱いをされている――〟

「カミラ」

 と、自席で本を読んでいたところで、エリが声を掛けてきた。私は本を閉じて、エリの方に顔を向ける。

「ほい、今日の昼。O 型のヤツだって」

 エリは、大きく『O』とだけ印字された銀のパウチ容器を見せた。

私は「ありがとう」と言ってそれを受け取る。

「いや、礼は良いよ。一緒に飲もう」

 エリはキャップを取り、吸い口に口をつける。私も彼女に倣って、赤い中身を飲み始めた。

 エリは、この学校に入学して初めて出来た友達だ。そうなったきっかけは、昼食を貰いに行かなかった私の分を、彼女が取ってきてくれた事だった。元々、私は昼を摂らない質だったが、彼女の厚意を無下にはできずにそれを受け取った。今では彼女が欠席しない限りは、きちんと昼を摂るようにしている。

 ――誰の物とも知れない、血の塊を。

「カミラ、その本なに?」

 と、エリが私の本に興味を示した。私はエリに本を手渡す。エリはパラパラと捲るが、徐々に表情が顰め面へと変わっていった。

「相変わらず小難しいのが好きなんだね……アタシにはさっぱりだよ」

 パン、と軽い音を立て、エリは本を机の上に乗せた。本の内容は『吸血鬼社会における人間の暮らしと生活』を纏めた物だ。

歴史の授業をきちんと受けていれそこまで難しいものでもないのだが、補習の常連たるエリには厳しかったのかもしれない。

「……む。今なんか失礼なコト考えなかった?」

 エリは顰め面を変えず、私の方へ顔を合わせた。私は頭を振っておく。彼女、起こると怖いから。

「……まあいいや。アンタの慇懃無礼はいつもの事だし……。それよりもさ、アタシの話に付き合ってくれよ」

 エリはそう言って話し始めた。

「昨日の事なんだけどさ、ウチのリザがね、『吸血鬼って日光が苦手なんじゃないの?』って言ったの。なんでもニンゲンの間じゃそういう事になっているんだって。あと、水と炎と十字と銀の弾丸も天敵らしいんだって。どうしてそんな事になっているのか、もう可笑しくってさ――」

 エリはケラケラと笑って言う。

リザというのは、エリのペットの事だ。会った事は無いが、とても可愛いのだとエリはいう。

この吸血鬼の社会では、吸血鬼一体につき必ず一人は人間を飼っている。人間の生き血が食料の私たちにとっては、必ず一人は確保しておかねばならないのだ。

そして、その扱い方はそれぞれの自由である。洋服を着せてひたすら愛玩するのもいいし、殴り付けたりして嗜虐心を満たしても基本的に誰も咎めない。健啖家は複数人所有する者もいるし、爵位を持つ者にとってはその人数がステータスとなるらしく、十や二十は当たり前、多い場合は百を超える。

ただ、手に入れたら入れたで、その人間の世話をしなければならない。血を吸えばいい私たちと違って、人間は数多くの栄養素を摂取しなければ死んでしまう。といっても、ビタミン剤などの薬だけで生かしても味が落ちる。

故に、本来自分たちには必要のないはずの食料を得る為に、我々吸血鬼は働いて、稼ぎを得なければならない。奴隷の為に主人が働くというのはなんとも本末転倒な話であるが、それがこの社会の基本的構図となっていて、恐らく永劫変わる事は無いだろう。

「――っていうカンジよ。いやホントバカっぽいよね、特に日光のあたりとか……って、おーい。聞いてる?」

 と、ぼうっとしていたらエリに態度を咎められてしまった。私はあわててエリの顔に目を合わせる。

「はぁ……聞いてなかったの?」

 頷く。

「もう……だからさ、『日光がダメなのに月光はオッケー』って、変だなー、って思わない?」

 エリは肩を竦めて嘆息する。まぁ、言わんとする事は何となく理解できる。

「月光って太陽の照り返しでしょ? だったらアタシらは夜も外に出られないじゃない。他のだって、水が弱点ならシャワーも浴びられないし、そもそも炎で焼かれたり、銀であろうとなかろうと銃弾をくらったりしたら、吸血鬼じゃなくても死ぬよ。そう思わない?」

 私は頷く他になかった。エリの言った全ての物には、吸血鬼に対する選択毒性は持ち合わせていない。確かに変な話だと思う。

 ――私も、自分の『子』に訊いてみようかしら。

 窓から快晴の空を見て、私はふとそう思った。


 学校が終わった。

 帰路は私一人。エリは部活があって、引退するまでは一緒に帰れないと言っている。

 彼女と一緒に夕闇の下を歩くのを想像して、その何とも青春らしい情景に、私は独り笑った。

「ただいま」

 自宅へ帰ると、私は半ば反射のようにそう言う。

「おかえりー。早かったわねー」

 私の声への返事が、リビングから聞こえる。母のものだ。

少し喉が渇いていた。私は靴を脱ぐと、ひとまずはリビングへ向かう。ドアを開けた向こうからは、テレビの音が鳴っていた。

 ソファには母と、その隣には母のペットである人間の女性がいた。母は女性の肩に手を伸ばして、一緒に映画を見ているらしかった。

 私はなるべく物音を立てないように、調理場にある冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出し、中の水をコップに移して、飲んだ。

 途端に、ソファから母の声が飛んで来る。

「ちょっとカミラ、それは人間用よ。何度言ったら分かるの」

「喉渇いたんだもん」

「だったら自分のペットの血を飲めばいいじゃない」

 ミネラルウォーターも莫迦にならない値段なのよ、と吐き捨てて、母は目線を画面の方へと戻した。

 それぐらい知ってるよ、と言おうとしたが、また怒鳴り返されるのが嫌で、やめた。

 近年、人間用の食料が値上がりしている。噂では人類居住区でストライキが起こったとか、華族の連中が買い占めを始めているだとか言われているが、定かな事は分からない。

 まあ、そんな事より、今は早く私の『子』に会わなければ。

 私はリビングを出る。「ちゃんと冷蔵庫閉めたー?」と母が言ったが、無視した。

 別に母が嫌いなわけじゃない。どこの家庭でもこんな感じだ。

 人間は食卓を一家で囲むそうだが、吸血鬼はそんなことはしない。腹が減れば自分のペットから血を吸って、終わり。楽と言えば楽だが、決まった団欒の時間帯が無い以上、人間のような家族関係は構築できず、それを重んじる価値観も持ち合わせていないのだ。

 情があるとすれば、それはペットへの愛着くらい。といっても、大抵その『愛』とやらは、重いか、歪んでいる。吸血鬼の愛など、餌を自分に依存させ、縛り付け続ける為の行為でしかない。溺愛も暴力も大差ないのだ。

 母のペットの女性も、大事にされてはいるが……きっと、生きた心地などしていないに違いまい。

 ――わたしは、そういうのは嫌いだ。

「ただいま」

 振り切るように、自室のドアを開ける。

 ――そして毎回思うのだ。この時初めて、私は帰宅したのだと。

「おかえりぃ」

 ベッドの上にちょこんと座って、私の『子』が微笑んでいる。

「カミラ、今日も学校おつかれさまぁ」

「ありがと。アロルも元気にしてた?」

「うん!」

 私の『子』――アロルは、今日も元気そうだ。両親のペットたちとは違う。所作は生気に溢れ、瞳は輝いている。自己主張だってするし、第一、私に懐いてくれている。

 ――こういう関係が一番良い、と私は思う。

 こっちのエゴで一方的に縛るのは駄目だ。お互いがお互いに寄り添うような生き方。それが私の理想とする所なのだ。

 だが、この社会では、私の理想はむしろ異端だろう。吸血鬼にそんな価値観は無いのだから。きっとエリですらも、私を理解する事は無い筈だ。

「カミラぁ」

 と、急にアロルが抱き付いてきた。

「どうしたの?」

「今日も飲まないの?」

 アロルは、澄んだ瞳で私を見ながら、私に訊いた。何を飲むのかなど言うに及ばず。アロルの血だ。

 そんなの――飲みたいに決まっている。昼を除けば、四日間は血を口にしていない。そして私たち吸血鬼は、人間一人が失血するくらいの血を一日に飲む。昼だけじゃ、絶対に足り得ない。

 だけどそれは――。

「…………うん、まだ大丈夫」

 私は、やんわりとそう言った。透かさずアロルが問い掛ける。

「ホントにぃ? なんだか心配だよぉ」

「大丈夫だって。……今ね、ダイエット中なの」

「そうなのぉ? だったらいいけど……」

 あまり納得がいってない様子のアロルだが、どうにか言い包める事が出来たようだ。

 私はアロルをじっと見た。白い肌、金の髪、瑠璃色の瞳。この奥が赤い血肉だなんて考えられない程に綺麗だと思う。

「――カミラ?」

 上ずったようなアロルの声。私は堪らず彼女を抱きしめていたのだ。決して、奴隷への報酬などではない。対等な相手への、愛情を示す抱擁だ。

くっ付き合った体の奥から、少し早い鼓動の音が届いている。きっとアロルも、同じ音を感じているに違いない。

「……どうしたの、カミラ? なんだか恥ずかしいよ……」

 アロルのこそばゆい声が、私の鼓膜を優しく震わせた。


 私にとって食事とは、情を確かめるものである。

 自分が生きる糧を、使う分だけ相手から吸い上げる。決して一方的な略奪ではない。吸う方は相手を労り、吸われる方も相手を慮る。

 そんな私の想いは狂気だろうか。否、そうでないと信じている。

 いつか人と鬼が、真の意味で共生できる世界が出来たら――。

 その時こそ私たちは、本当の意味において『生きる』事が出来るのだろう。


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