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3時の休息を告げるチャイムが鳴り、皆が休憩所へと足を向ける。

「バームクーヘン持ってきたからみんなで食べましょ。」

パートのおばちゃん、桑名さんがそう声をかける。

「大きくてうちじゃ食べきれないから。」

そう言って竹を模したバームクーヘンを出してきた。

先週、姪の結婚式に行くと言っていたので、その引き出物だろう。

「”ゆみこさん”で切らなきゃね。」

もう一人のパートの女性、中谷さんが言う。

”ゆみこさん”とは、果物ナイフである。

赤い柄の部分に”ゆみこ”と書かれているので”ゆみこさん”とパートのお姉さん方は言っている。

食べやすいサイズに切られたバームクーヘンを持って、

「赤井さんもどうぞ。」

と、私に声をかけてくれた。

「ありがとうございます。」

私はお礼を言い1切れもらった。

その後、お姉さんたちと「姪の花嫁姿綺麗だったわ。」とか「赤井さんと中谷さんはいい人いないの?」などたわいのない話をして休息時間が終わった。




来週は1カ月の研修を終えた新入社員が入ってくる。

私が入ってからは工程管理には新入社員は入っていない。

経費削減で正社員の数を減らし、パートを採用してきたが今年正社員に定年退職者が出るため、正社員が社の規定数を下回ることになり、新入社員が入って来ることになった。


お姉さん方は、「男の人らしいわね。」とか「新卒だから年下よねぇ。」と新入社員の噂をしていた。




月曜日、朝のミーティングで新入社員の紹介があった。

「田川直哉です。分からないことが多く、皆さんのお手を煩わす事があると思いますが、早く使える者になるようご指導の程よろしくお願いします。」

と、彼 田川さんは挨拶した。

小さく驚くような声が所々から聞こえ、拍手がなった。

驚くような声をあげた人は、使える人材か不安だったのだろう。

私がした「よろしくお願いします。」と簡素な挨拶で終わらせなかったのが好印象なようだ。

私はパートから正社員になったから、とは言えもう少し言葉があった方が良かったと後悔した。

自己紹介の後、業務連絡を終え、

「赤井さん、こっちに来てくれるかな。」

と、リーダーに呼ばれた。

返事をし近づくと、

「田川くん、君の指導に当たってくれる赤井さんだ。」

「赤井です。上手く教えられるか分かりませんが、よろしくお願いします。」

先週、新入社員の指導を頼まれた時にリーダーにも言った言葉が先ほどの反省を踏まえて出る。

「僕も誰かにものを教えるとなると不安が過ります。でも、経験を重ねたから教えられる。思えば少しは軽くなりませんか?」

そう私に笑顔で話した。

「そうですね。」

と、私ははにかんで返した。

「赤井さん、田川くんに席に案内したやって。」

リーダーに言われ仕事を始める。

「田川さんの席はここです。」

私の隣の席に案内した。

「このパソコンを使ってください。」

ノートパソコンを開いて、パスワードとIDを教えあとで自分用にパスワードとIDを変えるよう指示した。

主に使うソフトを開くよう指示した時、

「このファイル何ですか?」

そう言うと、田川さんがカーソルをクルクルと回す。

そこには”由美子”というファイルがあった。

果物ナイフの”ゆみこさん”と同一人物なのだろうか?

それでは”ゆみこさん”を初めて見た時私より長くいる桑名さんに聞いた「工程管理にはそんな子居なかった。」と言う言葉が嘘になる。

何よりこの部署のパソコンは3年前に全て新しい物に入れ替えていて、このパソコンは予備なので使う人は殆どいなかったはずである。

(このファイルを開けば”由美子”について分かるかも…。)

と思い、マウスを借りそのファイルを開けた。

”由美子”のファイルには何も入っていなかった。

謎が残るが考えても答えは出そうにないので、仕事の説明に入った。




6月のある日、書類棚の一角、いつも手紙など総務が置いていく場所にのしの掛った箱を中谷さんが見つけ、リーダーに届けた。

「リーダー、これが手紙置き場にあったんですが…。」

と、困惑気味に話す。

「陣中見舞い…って訳でも無いよな…差し入れだとは思うが”由美子”って関係者居たかなぁ…。」

リーダーの言葉を聞き、中谷さんが困惑しているしている意味を知る。

(また”由美子”…。)

少し”由美子”のことを考えたが、人間関係の薄い私には答えは出ないと思い仕事に戻った。




金曜日の仕事終わり、本屋へ立ち寄り5冊ほど小説を買いアパートへと帰る途中、

「赤井さん。」

と、声をかけられた。

声のする方へ目を向けると、田川さんが居た。

田川さんは私に駆け寄り、話しかけてきた。

「買い物ですか?」

「ええ…週末に読む本を買いました。」

「僕、駅に向かうんですが、もし方向が一緒なら途中まで話しながら歩きませんか?」

「ええ、そうですね。」

そう言うと、田川さんは私の前から車道側の私の横へと移動した。

それを見て、

「さらっとそんな男前な事しないでください!」

「えぇ!?」

慣れない事にうろたえ状況を打破しようと出た言葉に、驚きの声が返ってきた。

言葉の選択を間違えたと、目を泳がしていると、

「まぁ、日本人の男性はレディファーストって観念持ってる人少ないですからねぇ…。」

と、遠い目をした。

何となく私の心中を察してくれたみたいだ。

空気を変えるべく田川さんは、

「本ってどんなものを買ったんですか?」

「小説です。シリーズものの新刊とタイトルを見て気になったものを少し…。」

「…小説ですか。厚みがあるので辞書かと思いました。赤井さんは、週末は出かけたりはしないんですか?」

その問いに少し考え、

「人の多い所は苦手で…。」

会話が続かないような返答しかできない自分が嫌になってきた。

「小説が好きなら映画はどうですか?お盆前に公開される映画で気になる作品があるんですが、一緒に観に行きませんか?」

「さらっとデートに誘わないでください」との言葉はのみ込んだ。

私の返事が無いので田川さんは、

「公開直後は人が多いでしょうし、お盆に実家に帰られるんなら準備とかで時間が無いでしょうから、お盆明けの週末はどうでしょうか?」

「実家に帰る予定は無いです。母が死に、父とは不仲なので…。」

(また会話の続かない返答しをした…。)

田川さんを見ると困ったような顔をして、

「そうですか…。」

とだけ返した。

「そんな話題振ってごめん。」とか「言いづらいこと聞いてごめん。」とか言われるのが嫌なのは、私だけだろうか?

田川さんがその言葉を言わない事が逆に嬉しかった。

「田川さんはお盆に出かける予定は無いんですか?」

私に合わせるような提案をしてきたので聞いてみた。

「僕の実家は電車で1時間ちょっとなので、何時でも行けますし、お盆の人の混み具合はさすがに僕も嫌です。」

そう笑って返してくれた。

その後、何とか会話らしくなり映画を観に行く日が決まった。

ただ、映画がホラー映画だったので、『初デートでつり橋効果を狙った』的な感じがし、「さらっとデートに誘わないでください。」との言葉はのみ込むのでは無かったと、思わなくもなかった。




夏の暑さに慣れ始めたころ、父から電話がかかってきた。

「俺だ。母さんの7回忌を今度の土曜日にするから帰って来い。」

「もう少し早く連絡もらえませんか。今度の土曜日は明後日じゃないですか。」

「お前、母さんの命日忘れた訳じゃ無いだろうな?」

そんな父の傲慢な態度が嫌なのだ。

その為か、母はよく喧嘩をしていた。

「聞いてるのか!明子。」

「それはお母さんの名前。私の名前は…。」

私の名前?



私の名前は………






読んでいただき、ありがとうございます。

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